オノコロ こころ定めて

http://twitter.com/umayado17 国恥の尖閣9・24を忘れぬ為 パンダにしておきます。臥薪嘗胆!
天皇陛下の「ご譲位」の準備は、「退位」と「即位」に分断され、
新天皇の御代にて天皇を廃絶する青写真に沿って進んでいます。
この阻止には、悪法「退位特例法」を即時改正する必要があります。

転載・拡散、お願いいたします!


「退位」と「即位」の分断工作が着々と進行中

ご存知ですか?
本来、「譲位 即 践祚(せんそ、即位)」である伝統的な儀式を、
わざと、宮内庁は、古文書をこじつけ解釈し、
  「退位の礼」を行い、
  翌日に「即位の礼」を行うことが、
あたかも伝統にかなうかのような
工作が行われています。

詳しくは、「天皇の祈りはなぜ簡略化されたか」(並木書房)を書かれ、
斎藤吉久さんの記事をご覧ください。

要点は、
  • 宮内庁は、200年前の光格天皇の譲位の儀式仙洞御所(せんとうごしょ・上皇の御所)で行われ、皇太子恵仁親王(あやひと)はお出ましにならなかったと説明していますが、明らかに間違い
  • 宮内庁は、平安時代の儀式書「貞観儀式(じょうがんぎしき)」「譲国儀(じょうこくぎ)」も同様に、仙洞御所が譲位の儀式の儀場となったと断定しているが、これも正確と言えない譲位即践祚であって、譲位の儀が単独で行われるはずもない。
  • 今回の「退位」が、虚構の歴史をつづった信用度の低い官製リポートを根拠とし、あまつさえ「皇室の伝統の尊重」と喧伝され、実現されようとしている。
ということです。

つまり、フェイク情報にもとづく 「フェイク譲位」 が行われようとしています。

この他、
  • 御代替わりの諸行事すべてを「国の行事」とせず、
    「国の行事」と「皇室行事」に分断
  • 歴史的概念、歴史用語を使わず破壊。
    例えば、「践祚(せんそ)」という言葉が消滅
  • 御代替わりに関連する祭祀をまったく検討していない。
    具体的には、賢所の儀を省略
  • 仙洞御所(上皇の御所)となる高輪皇族邸の改装に着手せず
    遷御(パレード)も廃止
  • 即位の礼と大嘗祭(即位にともなう重要祭祀)を分断
  • 大嘗祭国民統合の儀礼ではなく、単なる稲作儀礼に矮小化
などの破壊・矮小化が目白押しです。


さて、この原因は何でしょうか?
憲法でしょうか?
皇室典範(こうしつてんぱん)でしょうか?
いいえ、
例の「退位特例法」そのものです。

間違った法令により、
悪法が暴走しているのが原因です。


問題の解決はどうすればいいか?

個別対処ですか?
精神勝利法でしょうか?

いいえ、問題の根本を断つ=「悪法」の改正こそ、
対処の基本です。

天皇陛下の「ご譲位」が正しく行われるよう、
その時が近づいているからこそ、
悪法「退位特例法」正しく改正することが急務なのです。

正しい譲位特例法「新・皇室典範補遺(こうしつてんぱん・ほい)」とは

法令名
「今上天皇のご譲位に関わる皇室典範補遺

前文
今上天皇陛下に対しまして、第193回国会は、皇室典範補遺奉呈(ほうてい)申し上げます。

第1条
光格天皇の先例にならい、今上天皇陛下がご譲位されるに伴い、皇太子殿下は直ちに受禅(じゅぜん)される。
2 皇太子殿下の即位の大礼は、政令で定める。

第2条
今上天皇陛下のご譲位の日は、政令で定める。

第3条
ご譲位後の今上天皇は、上皇となられる。
2 上皇の敬称は、陛下である。
3 上皇の身分に関する事項の登録、喪儀及び陵墓については、天皇の例による。
4 上皇に関しては、前二項に規定する事項を除き、皇室典範(第二条、第二十八条第二項及び第三項並び
に第三十条第二項を除く。)に定める事項については、皇族の例による。

第4条
上皇の后は、上皇后となられる。
2 上皇后の敬称は、陛下である。
3 上皇后に関しては、皇室典範に定める事項については、皇太后の例による。

第5条
第1条が定める、皇太子殿下の受禅によってあらたに皇位継承順位第1位となられる皇嗣は、皇室典範第8条が定める皇太子と同じ皇太弟の位を継がれ、東宮となる。
2 皇太子に係る皇室典範の規定すべては、新しい東宮である皇太弟と置き換える。
3 皇太弟立太子の礼は、政令で定める。

以上


天皇陛下の「ご譲位」が正しく行われるよう、
その時が近づいているからこそ、
悪法「退位特例法」を正しく改正することが急務です。

新年度予算の概算要求が固まる前に行動を


尊皇のこころをもった国会議員は、
悪法の制定を主導した安倍内閣過ちを正すべく
行動をお願いいたします。

転載・拡散、お願いいたします!

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最近、ベストセラーと称され、中吊り広告やテレビでよく取り上げられる
「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎著)は、
子供たちを共産主義運動に洗脳する戦前からのトンデモ本。
大人も子供も騙されないようご用心。

「君たちはどう生きるか」の画像検索結果

中川八洋教授による許可を得て、転載させていただきます。
なお、文中の表現は文意を変えない範囲で一部変更してあります。




 吉野源三郎は、ソ連軍に我が国を侵略させて、日本がソ連に無限に収奪し続けられる “国家喪失地獄” となるよう画策しつづけた。 “凶悪な共産主義者” であり、狂気のスターリン教徒であった。 そんな悪魔のような人間が、日本の子供たちを “ソ連人=狂気の共産革命の戦士” に改造するために書いた赤化・洗脳教本が 『君たちはどう生きるか』 である。 今、その漫画版が、超ベストセラーになっている。 すでに170万部を突破したという。

「君たちはどう生きるか」の画像検索結果

 『君たちはどう生きるか』 は、1937年7月に新潮社から出版された。 “究極のスターリン狂”で共産主義者・近衛文麿が、「対蒋介石戦争」を開戦した1937年7月と同じ年/同じ月であった。 コミュニストたちは、「対蒋介石殺害戦争」を、当時も「日支事変」だと偽装語で誤魔化し、戦後もまた「日中戦争」だと嘘ラベルを張った。 しかし、この「八年間の対支戦争」は、近衛文麿が日本国民を騙して日本の国費と日本の若者の命を蕩尽した戦争であった。 その戦争目的は、中国共産党の毛沢東に依頼されるままに、「“反共の蒋介石”を殺害して支那全土を毛沢東の手に渡すこと」だった。

 そればかりではない。 1937年は別の意味でも特別な年であった。 吉野源三郎に少年用赤化洗脳教本の書き方を教えたコミュニスト山本有三が、大東亜戦争を煽動して昭和天皇/吉田茂など親英米派・大東亜戦争反対派を封殺した朝日新聞に『路傍の石』を連載開始したのも、この1937年であった。 山本有三は、河上肇の直系で近衛文麿グループの一味であった。 人脈図を描けば、「吉野源三郎──(少年を共産革命戦士に改造する教本の書き方の師弟関係)──山本有三──(ソ連軍の日本侵略誘導の赤化集団)──近衛文麿」ということになる。 つまり、吉野源三郎の正体は、東アジア共産革命戦争(=「大東亜戦争」)のれっきとした一味で、悪魔そのものの スターリンの犬” だった。

 なお、『君たちはどう生きるか』は、一時的に目を患った山本有三に代って、ピンチ・ヒッター的に吉野源三郎が書いたものである。 山本有三が企画編集した(1935年に第一回配本の)全十六巻「日本少国民(=「少年少女」のこと)文庫」の最後の配本第十六冊目であった。 この「日本少国民文庫」シリーズは、日本の若者をアジア共産化革命の“祖国叛逆”大東亜戦争に駆り立てるべく、山本有三近衛文麿に依頼されて企画出版したと考えられる。

 山本有三吉野源三郎も、大東亜戦争の八年間にわたり一度も、小声ですら大東亜戦争に反対していない。心底からアジア赤化の大東亜戦争に狂喜乱舞していたからだ。

“凶悪なスターリン狂”吉野源三郎や山本有三がせせら笑った“ザル法”治安維持法

 これほどに露骨な共産主義者・吉野源三郎山本有三が、治安維持法で拘禁もされず、のうのうと共産革命に洗脳・教宣する本を書き続けられたのは、治安維持法がザル法の無能・無力だったからである。 今もバリバリの現役法律である、米国連邦法の共産主義者弾圧法 communist control actと比較すれば、治安維持法の杜撰さ/甘さはひどすぎた。 が、これも本稿の任ではない。

 ここで問題とすべきは、『君たちはどう生きるべきか』『路傍の石』等の赤化教宣本が(注1)、帝国陸軍・海軍内の共産主義将校が決行した“共産革命軍事クーデタ”「1932年の5・15事件」「1936年の2・26事件」に呼応して日本国内に噴出した共産革命熱の一環だったことである。 要するに、『君たちはどう生きるか』は、1932〜7年の日本型共産革命の勃発と蔓延を記録する革命扇動本の一つなのである。 また当時の、共産革命に狂った東京帝大文系卒の狂気を示す証左の一つなのである。

 “赤の養成所”東大文学部独文科/哲学科は、日本自身が、戦後すぐ「A級戦犯」として解体・廃止すべきであった。 いや今からでも遅くはない、『君たちはどう生きるべきか』のベストセラーを機に、いまもなお“日本国を毀損する有害・有毒学科”東大文学部哲学科&独文科は、直ちに廃止を決断し、断行しなければならない。

 吉野源三郎は、スターリンとソ連のために日本国の全てを奉納したい、そのことだけに人生を捧げた“ソ連人”であった。 非・日本国民であった。 これほどまでにスターリンを狂信した狂気は、オウム真理教の麻原彰晃に身命を捧げる狂徒と寸分の違いもない。 吉野源三郎“永久に非在”の空無な「共産社会」を頭の中に描いて恍惚とする狂気の妄想は、オウム真理教信者の「ハルマゲドン」の狂信よりも、はるかに凶悪さと残忍さが際立っている。

あらん限りの悪事に狂奔して日本国を害し続けた“最凶のコミュニスト”吉野源三郎

 吉野源三郎のイデオロギーは、戦前と戦後で全く変化がない。 戦後の吉野源三郎が二十年間も編集長を務めた『世界』は、首尾一貫して日本の共産化、特に“ソヴィエト連邦への編入による日本の共産化”革命を、インテリ層や旧帝大エリート学生に大々的に煽動し続けた。 この主張は、戦前の吉野が書いた旧制中学生向きの『君たちはどう生きるか』と完全に一致している。 吉野源三郎は、蛇のように執念深く、「ソ連こそ日本の宗主国」という絶対信条を墓場に入るまで唱え続けた。
  
 吉野源三郎は、狂信的なスターリン一辺倒の“ソ連「対日」偽情報工作員”でもあった。 当然、“共産国の侵略戦争への日本の全面協力”を誘導する世論操作に専念した。 その手法は日本国民を騙して騙して騙し尽くす手法だった。 具体的例を三つ挙げる。

 第一は、1950年6月を期して戦端を開くべく急ぎ準備中のソ連・北朝鮮の「対韓国侵略戦争(朝鮮戦争)」の勃発に際して、「韓国を防衛するだろう」在日駐留米軍の協力要請を日本は拒否しようとの呼びかけ。

 第二は、日本が第二次世界大戦の敗戦国の地位から“戦勝国の占領を解除して主権を回復する”サンフランシスコ講和条約の締結(1951年9月)において、日本はソ連の言いなりになって“北方領土のソ連への割譲”と(ソ連の対日侵略準備としての)“四海峡の非武装化”を認めるべきだと、「日本の対ソ属国化」を公然と大々的にキャンペーンしたこと。

 なお、四海峡とは、宗谷海峡、津軽海峡、根室海峡、対馬海峡のことである。 これらの地点でのソ連軍の上陸作戦を無傷で行えるよう、海峡に面する日本領土内を非武装化しておくよう、1950〜51年のソ連は(属国視していた)日本に公然と要求した。 と同時に、1950年頃からソ連は地下工作を通じて吉野源三郎“日本人「対日」ソ連工作員”に対し、北方領土の全面放棄と四海峡非武装化という二つの対日講和条件を日本国民のほとんどが「支持する」よう洗脳せよと、秘密命令も下していた。

 米国や自由諸国だけではなく、「上記の二条件を絶対とするソ連とも講和条約を締結しよう」との全面講和論の実態は“日本全土がソ連邦に併呑される前段階の状態になる事”を意味していた。 日本が「ソ連の第十六番目の共和国になる」ことを意味していた。 だが、それを日本国の主権と独立の喪失とは捉えず、逆さにも飛び上がって歓喜したのが吉野源三郎だった。

 吉野源三郎は、日本国民をこの地獄(=ソ連に搾取され放題のソ連植民地)へと騙して連れ込むべく、その呼びかけ人となるコミュニスト知識人集団(=「平和問題談話会」)を一大集結させた。 吉野は、この“呼びかけ人コミュニスト知識人”五十六名を(注2)、当時十万部以上も購読されていて、社会的影響が抜群の雑誌『世界』の1950年3月号に掲載した。

 吉野源三郎は、天性の大嘘つきで、何でもかんでも現実を逆さまにする転倒語法の詭弁に長けた優秀なプロパガンディスト(偽情報専門家)だった。 「平和問題談話会」署名者五十六名の名簿とともに、1950年3月号『世界』に掲載した吉野源三郎が原案執筆の「講話問題に関する平和問題談話会の声明」には、こうある。

「(日本が米国など自由社会諸国とのみ講和して、
ソ連ほか共産諸国と講和しない吉田茂路線は)

経済的自立の喪失
(となり、それ)がひいては
政治的自立喪失の基礎となる事は、
論議を要せぬところであり、
国民生活の低下はもとより、
また日本は自ら欲せずして平和
(=世界が共産化された状態、レーニンの定義する「ミール」)への
潜在的脅威
となるであろう」

単独講和が約束するかに見える目前の利点よりも、
日本の経済的および政治的独立を重しとす(べきである)」

(注2、カッコ内中川)。
 1951年当時の国連加盟国は70ヶ国をはるかに下回っていたが、このうち四十五ヶ国が1951年9月8日に調印した。 だが、吉野源三郎は、この「45ヶ国との講和」「一カ国との講和」だと強弁して「単独」という言葉を使っている。 また、ソ連に日本国の領土を割譲し国防に不可欠な海峡防衛を放棄するとソ連に認める主権喪失=政治的独立の放棄を、逆さに「政治的独立」だと言い募る。

 吉野源三郎の大嘘はさらに続く。 米国や自由社会との貿易のない、いっさいの市場も産業もない超後進国の支那本土の中共との貿易だけの方が、日本の経済は豊かになり日本の国民生活は向上するのだ、と言う。

「日本の経済的自立は、日本がアジア諸国、特に(毛沢東の共産)中国との間に広汎、緊密、自由なる貿易関係を持つことを最も重要な条件とし・・・この条件は(ソ連の言いなりの条件を飲む)全面講和の確立を通じてのみ、充たされる」

と(注2)、オウム真理教の狂徒以上の“スターリン狂徒”吉野源三郎はうそぶくのである。

『君たちはどう生きるか』を解剖すれば、ソ連共産党「ピオニール」教本の日本版だった

 吉野源三郎「“共産国の侵略戦争への日本の全面協賛”を誘導する世論操作」の第三は、ソ連傀儡の共産ベトナム(=北ベトナム)の南ベトナムへの侵略戦争への熱い応援と、この南ベトナムを護らんとする同盟国米国に対する憎悪と罵詈讒謗を雑誌『世界』の永年にわたる中核主張にしたことである。 これもまた、日本国民を騙して騙して騙し尽くすのが目的であった。  

 このブログの読者が、1960年代と70年代前半の雑誌『世界』をすべて読むのは大変だろうから、吉野源三郎『同時代のこと―ヴェトナム戦争を忘れるな―』(注3)を紹介しておく。 この一冊だけでも、上記第三の“吉野流”世論洗脳の一端をのぞくことができる。  

 要するに、吉野源三郎には、国際法も無ければ、法的正義もない。 共産国がこの地球上で増えるならば「善」、共産国の侵略を防衛することは「悪」となっている。 これが吉野源三郎の倫理」の全てである。少年向きの小説『君たちはどう生きるか』は、この「共産主義者の倫理」を高らかに宣言するもので、一般通念上の倫理道徳においては“反・倫理の極み”の教宣書である。  

 『君たちはどう生きるか』は、二つのメッセージからなる。

 第一は、現実の社会にとって必然で不可避で必要な(だけど共産党が独裁権力を手にするまでの運動の中核を占める)“貧困と不平等(今風に言えば「格差」)”を道具に洗脳することである。 具体的には、社会全体の方は考えさせないようにした上で、”貧困と不平等(格差)”のみに注意を向けさせ、これを不条理だと信じ込ませ、しかも”貧困と不平等(格差)”を完全に解消できると狂信させることである。 つまり、“貧困と不平等(格差)”カルトに麻痺し狂う“社会主義的人間・共産主義的思考”におちいるよう仕向けていることである。

 第二は、自由社会として現実には素晴らしい最高レベルの日本国を、暗黒の社会/地上の地獄(ディストピア)と言うべき共産社会に改造する革命の戦士になれ、と煽動し洗脳し教宣していること。

 紙幅の関係で第二番目だけを簡単にひろっておく。 吉野『君たちはどう生きるか』の末尾でコペル君にこう結ばせている。

「(共産社会や共生社会のように)全ての人が
お互いに良い友達であるような、
そのような世の中が来なければいけないと思います。

(絶対真理のマルクス進歩史観に従えば)
人類は今まで進歩してきたのですから、
きっと今にそういう世の中に行きつくだろう
(=共産社会・日本が誕生する)と思います。

そして僕は、
それに役立つような人間(=共産革命の戦士、ピオニール)に
なりたいと思います」

(注4、カッコ内中川)。

 日本共産党の機関紙『しんぶん赤旗』に次の論評が載っていた。 共産党の革命戦士を養成する洗脳書・煽動書『君たちはどう生きるか』がこれほどの超ベストセラーになったのだから、共産党としては感激がとまらぬ様子である。  
  
「(同書は共産主義者の)倫理…を扱っていますが、
(共産主義者が具有すべきこの)モラル(倫理の問題)だけでなく、
  生産関係、
  国と国との関係、
  貧困問題など
(日本共産党がいま最重視する革命運動にぴったりな)
社会を考えるテーマが
詰まっています」

(2017年8月29日付け、カッコ内中川)。

“吉野源三郎ベストセラー化の応援団長”池上彰は、時代錯誤のレーニン狂徒

 池上彰『特別授業 君たちはどう生きるか』を、「別冊NHK100分de名著 読書の学校」シリーズで出版したのは、2017年12月だった(注5)。 続けて池上は、『文藝春秋』誌2018年3月号(2月10日発売)でも、吉野源三郎の息子で“狡猾な共産党シンパ”吉野源太郎との対談と言う形で、吉野源三郎をさも“日本の教育にとって、現代の二宮尊徳”であるかにデッチアゲ、つまり神格化していた。  

 ところが現代日本人は、池上彰が前代未聞の教条的な共産主義者である初歩的な事実すら知らない。 当然、“第二の吉野源三郎”を自認している池上彰が、次代の子供たちを赤化洗脳することにその共産主義者としての人生を賭けている事すら知らない。 池上彰が古巣のNHKだけでなく無数の民放各局テレビで学校授業的な番組を放送しているが、それは彼が次代の日本人子供たちを共産主義者に洗脳することを狙ってのこと。  

 現に、池上彰は、中高校生をたぶらかすために、マルクス『資本論』を逆さ解説した“恐ろしい反・経済のトンデモ本”を出版した。 2009年に出した『高校生からわかる「資本論」』がそれ。この後篇が、“同志社大学極左活動家出身の北朝鮮人”佐藤優との対談本『希望の資本論』(2016年)。

 『希望の資本論』のタイトルは、内容に従うなら、『日本を地獄と絶望に誘う資本論』であろう。 だが、日本憎悪と日本人騙しに生きる池上彰佐藤優は、これを転倒させ、「絶望とは希望である」とした。 戦争と飢餓の共産ロシアに民衆を誘うためにトロツキーが考案したスローガン「戦争とは平和だ!」「飢餓や餓死こそがパンだ!」を文字っている。 ジョージ・オーウェルが喝破した“共産主義者特有の転倒語法(ダブルスピーク)”である。

 池上彰には、また、札付きの共産党員で反・貧困運動の湯浅誠(注6)そっくりの『日本の大課題 子供の貧困』がある。 それは『しんぶん赤旗』と全く同じ論調の本で、池上が共産党に直属する教条的な共産主義者である証拠となっている。 池上彰には、この「共産党に直属する教条的な共産主義者」以外の顔や思想は存在しない。  

 学識・見識・良心のなさを、抜きんでた“子供騙しの話術”で隠して、“本多勝一を尊敬する”池上彰にとって(注7)、経済思想などチンプンカンプン。 現に池上は、“無知と恥知らず”の迷彩服を着て“嘘の弾”を連続速射する得意技をフル活用し、次のように語る。   

「マルクスの『資本論』を今改めて読み直すと、
《140年前のことを書いたのに、
まるで今のことを言っているようだ》
ということがいろんなところに出てきます。

社会主義が勝手に崩壊してしまった
のを、
資本主義が勝ったんだというふうに驕り高ぶって、
昔の資本主義に先祖返りしてしまって、

結局、

マルクスが書いていた頃の
『資本論』の時代に戻ってしまった」(注8)。  

 ソ連邦の崩壊は、レーガン米国大統領がなした核戦力と海軍力の大増強でソ連を“包囲 encirclement”したことによる。 ソ連は、恐怖の余り東欧を解放し、この“退却の慣性”が、(プーチンが回顧しているように)自らの共産主義体制=宗教国家を有害無益だと決断するのを後押しした。 つまり、社会主義が勝手に崩壊してしまったのではない。

 第一の主因は、レーガンの対ソ軍事力による巻き返しに対する恐怖、つまり米国との全面核戦争への恐怖。 第二の主因は、アンドロポフ議長ほかKGB第二総局の(プーチンもその一人だが)エリート官僚たちが「共産党独裁はロシアの発展を害する」と認識し、“イワン雷帝 or ピョートル大帝時代のロシア固有の政治体制にいったん戻ろう”との秘密方針が現実化したこと。

 この二つを牽引車にして、ソ連共産体制を自壊させることをロシア支配階級が英断をもって選択したのが、1991年であった。 この歴史事実が明らかにするように、ソ連崩壊のきっかけはレーガンの対ソ核戦力の大増強で、これが無ければ、ソ連邦崩壊は万が一にも起きていない。

 国際政治学に関する池上彰の無教養ぶりは、大目に見て不問としよう。 しかし、マルクス『資本論』を1㍉たりとも理解できない。 それなのに矢鱈目鱈にマルクスに狂う池上彰の狂気は看過すべきではない。 池上彰にとってマルクス『資本論』は、仏教徒にとっての般若心経のような“有り難い経文”と同じで、信仰・狂信の対象である。 冷静・客観的に『資本論』を学問的に解剖する能力も意識も、彼にはむろん皆無である。

マルクス経済社会学は、恐怖で需要を強制する「プロレタリアート=神」のカルト宗教

 そもそも、マルクス経済学などどこにも存在しない。 なぜなら、それは経済学ではなく、あえて「学」を付けても「経済社会学」がやっとの“社会学”にすぎないからだ。 まず第一に、計画経済は、ミーゼスが証明したように、市場からしか発生しない需要と供給の情報がなく、計画できないから、計画経済の成立自体が万が一にもあり得ない。 ミーゼス『ヒューマン・アクション』(注9)も読んでいない/読ませない東大経済学部ほか日本の大学は、学問の場ではなく、実態的にはカルト宗教の教宣道場である。  

 第二に、「階級」とか「搾取」とかの用語の駆使は社会学であって、経済学ではない。 第三に、労働価値説は、縄文時代ならともかく、産業革命後の社会以降では現実を大きく遊離した馬鹿げた妄想にすぎない。 その他、池上彰の中高校生の洗脳を目的とした『高校生からわかる《資本論》』を埋め尽くす無数の欠陥と誤謬については、言及したいが、ここでは割愛する。

 マルクスは、人口50人規模の原始時代のミニ部族では成立する計画経済が、数千万人の大規模近代社会でも成り立つと狂妄した。 その結果、ソ連が典型的だが、需要に応じた供給はできないから、供給に従った需要しか要求しない被抑圧状態が快感の異常人間への改造が、ソ連計画経済の中核となった。 つまり、命令受容の恐怖体制である。これに違反した人間は、“共産主義的でない”と烙印を押され、刑法の「反体制の罪」で、処刑やシベリア重労働キャンプへの収容が強制された。

 カンボジアの共産主義者ポル=ポトは、一食しか欲しないのが共産主義的人間であり、三食食べたいと考える人間を反・共産体制の罪によりすぐさまその場でスコップその他で殺しまくった。 病院に行きたいとか医者に診てもらいたいと言った者もすべて直ちに処刑した。 カンボジアでは、1975〜79年の僅か四年間で人口800万人のうち四分の一の200万人以上が殺された。

 マルクスが「ルソーサン・シモン」から敷衍させて妄想した計画経済体制は、大量殺人や即刻重罰の恐怖なしには成立しない。 独裁権力者は国民を殺したいだけ殺せるとの理論を、人類初に提唱したのが、ルソー『社会契約論』である。 このルソーの狂説を忠実に実行したのが、「ロベスピエールレーニンスターリン/毛沢東/ポル=ポト等」であった。

 殺戮や強制収容所の恐怖だけでなく、計画経済体制とは需要と供給を計画する独裁権力が人民を無限に搾取する体制でもある。 これはルソー『人間不平等起源論』の狂信から生まれた“私有財産の否定”の必然だ。 独裁権力がすべての財産と資本を独占する事により、私有財産と不可分の“人間の自由”まで全て剥奪して、自由ゼロの暗黒の体制となる。

 以上の指摘は、机上の理論ではない。 今も北朝鮮の金正恩が実践している。 つまり、北朝鮮やかつてのソ連が完全に証明した実験済みの、しかも学問的な理論が導く絶対真理である。

日本の貧困は、過剰福祉策が必然の主因、また労働市場への政府過剰介入も主因

 池上彰の時代錯誤も甚だしいマルクス信仰は、マルクス『共産党宣言』を寝る時でさえ布団に入れて手放すことのない“稀代の共産主義者”的場昭弘と一緒にマルクスを拝む修験によって、ますますその狂気の度を深めたものである。 このことは、池上彰の親友・的場昭弘『マルクスに誘われて―みずみずしい思想を追う』『マルクスだったらこう考える』等を読むとわかる。 池上彰は、『マルクス/エンゲルス全集』の完全復元作業に生きる的場昭弘のカルト宗教「マルクス狂」の延長上で、“阿片中毒的なマルクス狂徒”になっているのである。  

 日本共産党の筋金入り優等生党員である池上彰/的場昭弘/湯浅誠らは、極度に経済学を全く知らない異常な経済学音痴集団である。 単純化した表現をすれば、彼らはマルクスの“血塗られた悪魔の教典”『資本論』『共産党宣言』の二冊以外、何一つ読んだことがない。 そのため、教祖マルクスが樹立した19世紀カルト宗教の狂信状態にどっぷりと埋もれた反・経済学徒になるしかない。  

 池上彰は、ヒトラーとナチ統制経済に捧げたベンサム系全体主義者ケインズ『雇用・利子および貨幣の一般理論』を、市場重視の自由主義経済学論の一つだと思い込んでいる。 だが、ケインズは、マルクスルソーを元祖・源流とする親族である。 ケインズもまた、「マンドヴィル→アダム・スミス/デイヴィッド・ヒューム→ミーゼス→ハイエク」「コーク→エドマンド・バーク→レプケ」の経済学とは対極的な位置にある。

 ミーゼス/ハイエク/レプケの系譜にある経済学徒にとって、カルト宗教のマルクスも(私有財産制を認めるだけの)極左全体主義のケインズも、ともに自由社会が排除すべき猛毒の有害思想でしかない。 日本でケインズを最初に講義したのは1930年代後半の東京帝大経済学部だが、ゴリゴリのマルクス主義の教授が担当した。 ケインズマルクスが同族の経済思想である以上、当然の成り行きだ。  

 今日、日本が貧困化しているのは事実だが、それは資本主義が原因ではない。 全くの逆である。 日本がマルクスケインズを吸引し過ぎたことが原因となって、必然的に発生する病気が「貧困」なのである。 日本のように飛び抜けた世界最大の“ばら撒き福祉”の超福祉国家は、それ故に、国家財政も、国家の経済基盤も、国民の経済的自立の精神も、根底から腐食して突き崩してしまう。 よって国家・国民がだんごになって“貧困”の奈落へと転がり落ちる。 (沖縄や過疎地の惨状を思い起こせばよい) 「貧困」からの脱出は、日本が国民挙げて“脱福祉”を決断する以外に道はない。

 しかも日本は、豊かな賃金を支えてきた、市場原理への尊敬民族に息づく雇用伝統・慣習への尊重において成り立つ自由社会の雇用制度(spontaneous order)を、1986年の男女雇用機会均等法から、平気で破壊し続けてきた。 伝統や慣習に基盤のない雇用制度は、労働者・勤労者の所得を限りなく低下させる。 貧困化の原因である。

 共産党員と中核派・革マル派出身者が事務次官を含め全ての局長ポストを握る(スターリン時代のソ連の官庁かと紛う)厚労省の言いなりに、「働き方改革」とか「輝く女性」とか雇用制度を計画経済体制並みに破壊し尽す安倍晋三によって、日本の貧困病は、今後加速的に重病化していく。

「なんだ、そうだったのか、池上彰の子供向きテレビ授業は全て真赤な嘘だったのか」

 話を池上彰『高校生でもわかる《資本論》』に戻すとしよう。 池上彰は、次のような歴史の偽造をしている。 大東亜戦争に最も反対したのは、昭和天皇、幣原喜重郎、吉田茂ら保守系外交官グループ、大蔵官僚の多数、小林一三らの市場経済派の財界人たちであった。 だが、池上彰は、詐欺師でも口にできない、次のような真赤な“逆立ち嘘歴史”を平気かつ大声で語っている。

「大東亜戦争に戦争前から反対した人たちがいた。
その人たちは日本共産党や
日本共産党以外でもマルクス主義という考えを持っている人たちだった」

「この人たちが
みんな弾圧されて刑務所に入れられていたんだよね、
戦争中は。」

(注10)。

 今ここで頭に浮かんだまま1930年〜45年のマルクス主義者をリストしよう。 誰が刑務所にいつ収監されていたか、誰が戦争に反対したか、池上彰よ、回答されたい。 

 脇村義太郎、大森義太郎、大内兵衛、有沢広已、宇野弘蔵、向坂逸郎、東畑精一、加田哲二、野呂栄太郎、山田盛太郎、土屋喬雄、平野義太郎、櫛田民蔵、猪俣津南雄、中山伊知郎ほか。

 経済学者でなく、それ以外の分野でのマルクス主義者ならもっとたくさんいる。 彼らは刑務所に収監されていたのか。 彼らは大東亜戦争に反対したのか。 池上彰の作り話は、底なし沼である。

 要するに、上記のリストを見るだけでもわかるが、大東亜戦争に反対したマルクス経済学者やマルキストなどいない。 池上彰は、事実を全く逆にしている。 マルキストこそが、大東亜戦争に反対する国民を「軟弱」「非・国民」などと罵倒して、強引に大東亜戦争を拡大させ続け、ついには対英米の太平洋戦争へと日本国民を煽動・誤導したのである。 佐々弘雄らマルキストのみが編集を独占していた朝日新聞の、1937年7月から八年間にわたる“連日の大東亜戦争讃美キャンペーン”を読み返せば、小学生でもわかる事。  

 また、池上彰よ。帝国陸軍の中のマルクス経済学狂のエリート軍人は、刑務所に収監されたのか。 それとも、大東亜戦争の開戦を煽り、その推進に旗を振ったのか。 はっきりと回答されたい。

 現実の歴史事実では、帝国陸軍こそが、マルクススターリンに狂って計画経済を唱道したのである。 1934年10月、陸軍は自分の軍事費で『陸軍パンフレット(=「国防の本義とその強化の提唱」)』を60万部も出版した。 それは全編、「マルクスに従って、計画経済を導入せよ」のアジ文書であった。

 池上彰よ、このパンフレットを書いた鈴木貞一、池田純友、四方諒二の三人は、刑務所に入ったのか、それとも出世したのか。 鈴木貞一は閣僚である企画院総裁まで上り詰め(陸軍中将)、スターリン型計画経済の導入と対英米戦争の旗振りをした。 1941年11月5日の御前会議の前に開かれた閣議で、東条英機が昭和天皇のご命令通りの対英米戦争の取りやめを決定できなかったのは、“教条的なマルクス経済学狂”鈴木貞一ががなりたてる対英米戦争強硬論を抑えることができなかったからだ。 こんな初歩的歴史ぐらいは、池上彰でも知っていよう。

 あるいは、大東亜戦争の嚆矢である「対蒋介石戦争(日中戦争)」を、1937年7月、近衛文麿が独裁者然として開始したが、近衛文麿こそ河上肇の愛弟子で、マルクス経済学の狂信者だった事実も、池上彰よ、知っていよう。 このことは、近衛文麿の京都帝大の学士論文を読めば、あきらかなこと。 池上彰よ、近衛文麿の学士論文ぐらい読んだらどうだ。 そして、近衛文麿が対世論工作のために影響ある知識人を集合させた昭和研究会は(注11)、“ソ連工作員”尾崎秀実を挙げるまでもなく、そのほとんどがマルクス主義者だった。

 マルクス狂こそ、最凶の戦争主義者である。 日本が平和を欲するならば、池上彰や日本共産党を筆頭に、マルクス主義者を日本から一掃する事が絶対に必要である。 マルクスや共産主義思想に傾倒したもので、戦争狂にならないことは万が一もあり得ない。 戦争は積極的に開戦してもできるが、隣接国のロシアや中共に対日侵略させる受け身のやり方の戦争もある。

 池上彰は、後者の形態で日本全土を阿鼻叫喚の戦争に巻き込もうとしている。 そうでなければ、上記のような真赤な嘘歴史を捏造などしない。


 以上の簡単な私の指摘に、もし愛国心がある読者なら、「なんだ、そうだったのか」と納得し、池上彰が、テレビを使って嘘だらけの子供向け授業をしていた理由は、なんだ、これだったのか」と怒りに拳を震わせるだろう。

墓石の下から菊池寛と池島信平が怒る、編集社員の八割が共産党員の文藝春秋社

 ところで、さる三月号の『文藝春秋』誌は、「総力特集 日本の教育を立て直せ」と銘打って、池上彰吉野源三郎の息子との対談「父・吉野源三郎の教え」を掲載している。 だが、この企画もこの対談内容も、「日本の教育を立て直せ」が嘘ラベルである。 実際のモチーフは「日本の赤化教育をもっと共産革命一色にせよ」である。 この企画をした編集長の大松芳男は、文藝春秋社きっての共産党員である。  

 『文藝春秋』と言えば、日本文学を護るべくプロレタリアート文学を一掃せんとした菊池寛や、戦後の『世界』『中央公論』の共産革命煽動に抗して、「反共こそが、日本を守る」を旗幟とした池島信平を思い出す。 が、今ではすっかり様変わりで、『文藝春秋』はかつての『世界』に成り下がり、共産党一色になってしまった。 上記の池上彰の対談も、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』を教科「道徳」の副教材にしようと図る共産党の意向を踏まえてのもの。 道徳教育の副教材と言えば、新渡戸稲造『武士道』スマイルズ『品性論』がベストなのは言うまでないが(注12)、スマイルズの道徳四部作など、“共産党の機関雑誌”に化した『文藝春秋』は、名前すら触れることはしない。  

 

注  

1、ルソーのカルト「平等教」とマルクスのカルト「階級打破教」がモチーフの、共産革命に誘う洗脳作品 『路傍の石』 は何度も映画された。 私は1955年、小学校5年生の時、赤い教師の映画館引率のもと松竹製作 「路傍の石」 を鑑賞させられた。 その前年の小学校四年生時の映画鑑賞は、同じく松竹製作で、“ゴリゴリの共産党員”壺井栄が原作者の 「二十四の瞳」だった。  「路傍の石」の方は、“現実から遊離した創り話性”が見え見えで馬鹿馬鹿しくてほとんど観なかったが、「二十四の瞳」の方は感動しながら観てしまった。 高峰秀子の名演技には子供ながら何度も涙を流した。 この「十歳では洗脳され、十一歳では洗脳されなかった」体験は、後年における国際政治学者として“ヒトラーやレーニンのプロパガンダ術”を研究するのに役立った。  

2、吉野源三郎 『平和への意思』、岩波書店、341〜2頁にも再録されている。同書338〜9頁。  

3、吉野源三郎 『同時代のこと―ヴェトナム戦争を忘れるな―』、岩波新書。  

4、吉野源三郎 『君たちはどう生きるか』、岩波文庫、298頁。  

5、私立の武蔵高等学校中学校の校長・梶取弘昌は、教条的な共産党員だと考えられる。 そうでなければ、保護者から預かっている中学二、三年生を、“稀代の共産主義者”池上彰の赤い毒牙に提供して共産革命の戦士に仕立てあげるなど、まともな教育者なら決して避ける教育犯罪を平然とするわけがない。  

6、公共物の日比谷公園を不法占拠して 「年越し派遣村の村長」 を自称した湯浅誠には 『反貧困』(岩波新書) 『湯浅誠が語る現代の貧困』(新泉社)など、共産党が背後で指揮する反・貧困運動の煽動本が多数。 菅直人や辻元清美とも昵懇な同志なのは、血統が同じだからだろう。 まさに 「池上彰=湯浅誠←(親友・同志)→菅直人」 関係構図によって、池上彰は北朝鮮人で日共党員の菅直人とも間接的な同志関係ということになる。  

7、池上彰 『記者になりたい』、新潮文庫、21頁に、「新聞記者が《社会の悪》と勇気をもって全面対決する。僕はこれに憧れた。・・・特に、朝日新聞の夕刊に連載された本多勝一記者の《戦場の村》は衝撃的だった。・・・本多記者はアメリカ軍と戦う解放戦線(=共産軍)のゲリラの村に潜入し・・・」とある。 周恩来に巨額の金品をもらって書いた“真赤な虚偽満載小説”『中国の旅』を読めば一目瞭然であるように、血統が北朝鮮人で、日本を心底から憎悪しあらん限りの嘘を捏造しては日本を誹謗し続ける大嘘製造機械が本多勝一の正体であった。 が、池上彰は、“大嘘付き”北朝鮮人・本多勝一の(金日成と同じ)日本憎悪と米国敵視がたまらなく痛快で心底から傾倒。 過激な共産主義者であるのを共通項として、池上彰とはまさに“大嘘製造機械・本多勝一のクローン”。  

8、池上彰 『高校生からわかる「資本論」』、集英社、22頁。  

9、ミーゼス 『ヒューマン・アクション』、春秋社。第26章などを参照されたい。

10、上掲 『高校生からわかる「資本論」』、23頁。  

11、酒井三郎 『昭和研究会』、TBSブリタニカなどが、そのメンバー割り出しに参考となろう。  

12、中川八洋 『教育を救う 保守の哲学』、徳間書店、20〜21頁。

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明けまして、おめでとうございます。
次の御代に、我が国がよみがえる準備を始める年にいたしましょう。

平成30年 正月

イメージ 3


本年はじめの記事は、「教育勅語」 についてです。

「教育勅語」 は発布直後から、
国を上げて曲解されつづけているのをご存知ですか?

徳目を紹介しているだけなのに 「曲解」 とは、どういうことでしょうか?
もう今さら関係ないって? いいえ、この「曲解」 は放置できません。
なぜなら、「曲解」の結果として、
「教育勅語」 はGHQから侵略戦争の道具だと断罪され、
我が国の教育の根本は否定され、
無道徳・人権主義・平等主義・自虐の横行を招いているからです。

この記事を通じて、
「教育勅語」 の 「曲解」 から抜け出し、
教育の原点に戻りましょう。


この記事は、Twitterユーザーであり、「みことのり」を読む の作者である 
焼野のきぎす@kuzukazura さんの導きにより、生まれました。
この場を借りて、改めて御礼申し上げます。

(修正履歴)
・1月7日 初公開
・1月8日 勅語の文面の字が小さいため、適宜拡大した文面を本文に追加
1月8日 第1段を誤読されにくくする「テニオハ」のさばきかたを追加
・1月8日 細かく文言を修正
・1月20日 3.の文言を修正


目次


1.「教育勅語」とは何か
2.通俗的な「教育勅語」
3.正しく解釈した「教育勅語」
4.憲法解釈に通じる曲解の根
5.新しい御代に、歴史法学に基づく解釈の復興・再確立を

1.「教育勅語」とは何か

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「教育ニ関スル勅語」(教育勅語)は、
明治23年10月30日、
明治天皇より渙発(かんぱつ、発布のこと)され、
GHQの占領下にあった昭和23年6月19日、
衆参両議院においてその排除・失効確認決議がなされたものである。

「教育勅語」は、
我が国の教育の基本方針を示す 明治天皇の勅語(ちょくご、お言葉)であった。

発布後、文部省が謄本(コピー)を作り、
全国の学校に配布された。
学校儀式などで奉読(ほうどく、つつんで朗読すること)され、
国民道徳の基準・教育活動の最高原理として権威があり、
これが修身科をはじめ諸教科を規制した。

戦時中には、国民教育の思想的基礎として神聖化された。
とりわけ、1938年(昭和13年)に国家総動員法が制定・施行されると、
その体制を正当化するため、
軍国主義の教典として利用されるに至った。

しかし、「教育勅語」は発布直後から曲解されつづけたものである。
「勅語衍義(えんぎ)」などの解説書は 曲解の宝庫であった。
占領後、GHQは日本人による教育勅語の曲解を鵜呑みにして、
1945年(昭和20年)12月15日 「神道指令」 を発した。
GHQは教育勅語の「之(これ)を中外(ちゅうがい)に施(ほど)して悖(もと)らず」世界征服の思想だと断定した。

GHQは教育勅語が神聖化されている点を特に問題視し、
1946年(昭和21年)、文部省から奉読と神聖的な取り扱いの禁止を通達させた。
さらに1948年(昭和23年)6月19日、衆議院で「教育勅語等の排除に関する決議」
参議院で「教育勅語等の失効確認に関する決議」をそれぞれ決議させて、
教育勅語は学校教育から排除され、謄本は回収・処分された。

2.通俗的な「教育勅語」

では、「教育勅語」 の内容はどのようなものだろうか?
世間一般的に普及している 「教育勅語」 の内容は

天皇の権威を使い、
忠義や孝行などの儒教的な徳目を、
普遍的なものとして命令するもの。

これを踏まえて、
我が国は世界に冠たる 「道義国家」 であると、
国民を鼓舞するものである。

挙げられている徳目は次のようなものである。

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このような徳目はさして問題があると思われない。
しかし、問題視されるに至った。
問題の本質は何だろうか?

原文を見てみよう。

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通説の概略

教育勅語は、3段落からなっている。
第1段落は 概略 が述べられ、
第2段落で 徳目 が述べられ、
第3段落で 徳目の順守 が命令される、
という理解が一般的である。

文章は漢文調で格調が高い。
ただ、日常的でない熟語が多数用いられるため、
多くの人は聞いても意味が分からず、
学校教育などで流される意味をうのみにして今に至っている。
まさか、その意味が「曲解」だったとは 夢にも思わないことだろう。

一般的な理解では、
□で囲った徳目の部分だけでなく、
紫色で塗った部分も その徳目を指している
と理解している。
また横線部分は この徳目の権威を高めるための修飾であると理解する。
このように理解した場合、
「教育勅語」は、
様々な権威を使い、徳目を強調し、その順守を命令する文書
ということになる。

まして、第3段落には 「之を中外に施してもとらず」 とあり、
日本国内だけでなく海外でも通用するとうたっているとされる。
そして、最後の文において、
単に国民だけでなく 天皇陛下御自らも共に守る と仰せである。

こうなると、「道徳の絶対基準」「教育の絶対基準」 となり、
一切の批判が許されない存在となりえるし、
「教育勅語」 で思想武装して、世界へ出て行けということにもなる。
これが暴走すれば、「世界侵略思想」 とされうるわけである。
実際に、そのように運用された事実がある。

曲解が生じた部分

しかしながら、果たして、そんな意図でこれは発布されたものであろうか?
そして、実際に、そんなことが述べられているのだろうか?
もしそうでないなら、なぜそんなことになってしまったのだろうか?

この問題を解くカギは、黄色で示した部分にある。

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まず、第1段落は、

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わが皇祖皇宗(こうそこうそう)国をはじむること宏遠(こうえん)に、
徳をたつること深厚(しんこう)なり、

わが臣民(しんみん)よく忠によく孝に、

億兆(おくちょう)心を一にして、
世々その美をなせるは、

と述べられている。
実はこの3パートはそれぞれ違うことが述べられているのだが、
これらはすべて一緒くたにされてしまった。

明治神宮による公式口語訳(国民道徳協会訳)を見てみよう。
私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。
このように、「道義国家」という言葉で、徳目はすべて一元化されていることがわかる。

また、第3段落は、
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この道は、・・・ 順守すべきところ。
これを、・・・ あやまらず。
これを、・・・ もとらず。
朕なんじ臣民と ・・・ こい願う。

の4文からなっている。
2文目と3文目は、主語が明示されていない文である。
しかし、2文目・3文目の「これを」は なぜか主語に転じるのである。

ふたたび明治神宮による公式口語訳を見てみよう。
このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。
「これ」 がいつのまにか 「この教えと、主語に転じていることがわかる。

この第1段落と第3段落の 「曲解」 は、
「勅語衍義(えんぎ)」(井上哲次郎著)から生じている。
「勅語衍義」教育勅語の発布直後に出て 半ば公式解釈書とみなされるようになった。
戦前に発行された300の注釈書は この 「勅語衍義」 を踏襲した。
戦後の明治神宮による口語訳もその延長線上にある。

GHQによる断罪は
これらの 「曲解」 を根拠としてなされたものなのである。


では、一足飛びに、
「本来、何が述べられていたのか」 について、
お示しする。

3.正しく解釈した「教育勅語」

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概略

教育勅語は、3段落からなっている という点は変わらない。
しかし、内容は微妙に異なっている。
第1段落は 概略 が述べられる。
   ただし、その内容は3つある。
   天皇の徳(君徳)に関すること、
   臣民の忠孝(臣徳)に関すること、
   君と臣が共鳴してこの国の美がかもされること
   この3つである。
第2段落で 徳目 が述べられるが、
   ただし、その内容は、臣徳に関することに限られる。
   「扶翼(ふよく)すべし。」は、命令ではなく、当然の意味である。
第3段落は 徳目の順守 を命令するものではない。
   第1段落で3番目に述べた 「君と臣の共鳴」の順守 が訴えられる。
   「遵守(じゅんしゅ)すべき所」とあるが、これも同様に命令ではなく、当然の意味である。

通俗的な理解では、
一本道で 「徳目」の順守が命令される
のに対し、
本来は、
君徳 と 臣徳 が並列されたうえで、
君臣の共鳴 が訴えられている。
訴えの内容は、
君徳 (青色で示した)
臣徳 (□で囲んで示した)
君臣の共鳴 (水色で示した)
の3つなのである。

第1段落

第1段落は、
(ちん、天皇の一人称=私) おもうに、
我が皇祖皇宗(こうそこうそう、初代天皇に始まる天皇のご先祖方)
国を はじむること 宏遠(こうえん)
徳を たつること 深厚(しんこう)なり
と始まる。

この 「徳」 こそ 「君徳」 である。
では、「君徳」 とは何であろうか?
この教育勅語を起草した井上毅(いのうえ こわし)は残している。

「御国(みくに)の天日嗣(あまつひつぎ)の大御業(おおみわざ)の源は、皇祖(こうそ)の御心(みこころ)の鏡(かがみ)もて 天(あめ)が下の民草(たみくさ)を しろしめす といふ意義より成立(なりたち)たるものなり。 かかれば御国の国家成立の原理は 君民の約束にあらずして 一(ひとつ)の 君徳 なり。 国家の始(はじめ)は君徳に基づく といふ一句は 日本国家学の開巻(かいかん)第一に 説くべき定論(ていろん)にこそ あるなれ」(井上毅)

「しろしめす」というのは、指導者が私心を去って国を見守る ということである。
私欲にまみれた征服者ではなく、
「みんなのことを見守る」 という方が指導者となり、
君となってからも その姿勢を変えなかった ということである。

これは、武力を背景にした征服・収奪という一般的な支配者の態度の真逆である。
ゆえに、このすばらしい態度を 「徳」 と呼んでいるのだ。
このことを、「教育勅語」 は冒頭で述べている。
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国を肇(はじ)むること宏遠(こうえん)に 徳(とく)を樹(た)つること深厚(しんこう)なり
国を始めるにあたって 「しろしめす」 をもって行った

次に、その君徳を受けて、臣下はどうあったのかが述べられる。

我が臣民(しんみん) 克(よ)く忠(ちゅう)に 克く孝(こう)
臣(とみ)も民(たみ)も 忠義をつくし 孝行をつくして (応えてきた)

つまり、

君である天皇を守り、
家においては、先祖や両親につかえて
「君徳」 に応えてきた

ということである。
これは当たり前ことではないか?
これまで一度も皇室が滅びたことがない ということは、
とりもなおさず、我々国民の先祖は 天皇を守り続けた ということである。

直接的には朝廷を守り、
間接的には所属する主君を守ったり、家を守ることによって、
この国、ひいては、天皇陛下をお守りしてきたのである。
このような当たり前のことによって、
天皇陛下の 「無私の治世(しろしめし)」 に 応えてきた のである。

しかし、臣下は 好き放題の暮らし をしていたわけでない。
何かを守る ということは、
取りも直さず 何かを諦め 部分的に自分を抑えること である。
ある時には 自分の生命を投げ出してでも である。
言い換えれば、
臣下もまた 何らかの道徳的行動を行ってきた
ということである。

その素晴らしいことを 「徳」 というなら、
臣下にも 臣下なりの 「徳」 があった。
ここでは それを 「臣徳」 と呼んでおこう。
その代表選手が 「忠 (主君への忠義) と 「孝 (親への孝行)
つまり 「忠孝」 である。

教育勅語を起草した井上毅は残している。

「我が臣民の一段は 勅語即ち皇祖皇宗の対-股(むきあい)-文にして」
(井上毅)

「君徳」 に対応した 「臣徳」 がありつづけた ということである。
「君徳」「臣徳」 ではない。
俗世に生きる臣下は 無私であり続けることはできない。
君が無私でいて下さる結果 臣下の我々は私欲を追求できる。
しかしながら、臣下もまた 忠孝 によって自らを律してきた。


そのような と 臣・民が こころを通い合わせる

億兆 心を一にして
世々その美(び)をなせるは、
これ 我が国体(こくたい)の精華(せいか) にして、
教育の淵源(えんげん) また 実に ここに存(そん)す。

億兆のこころがひとつになって
いつの世も その美しさを表してきたことは、
これこそ 我が国の国の形の まことの花 といえるもので、
教育の源もまた 実にここにあるのです。

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国歌 「君が代」 

さざれ石の
いわおとなりて

と同じことが述べられている。

「君徳」 と 「臣徳」 が ハーモニーを奏でる時、
我が国は光り輝く ということである。


第1段落は西洋文法式に解釈すると、構造を見誤ってしまう。
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わが皇祖皇宗国をはじむること宏遠に、
徳をたつること深厚なり、

わが臣民よく忠 よく孝に、

億兆心を一にして、
世々その美をなせるは、

「深厚なり」 で切れるのはわかっても、
その後の切れ方はわかりにくい。
だらだら続くので
「皇祖皇宗の打ち立てた徳目で団結した」
だと理解されてしまいやすい。

西洋文法式にメリハリをつけるなら、
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わが皇祖皇宗国をはじむること宏遠に、
徳をたつること深厚なり、

わが臣民よく忠 よく孝にして

億兆心を一
世々その美をなせるは、

とあればよかったのだろう。
こうすれば、1句目と2句目は 「対(つい)」 だと認識しやすくなり、
3区目が、1句目と2句目の統合だということがわかりやすくなる。

第2段落

そこで、臣民が守ってきた 「臣徳」 とはどんなもののかが、
第2段落で述べられる。
「忠孝」 をさらに具体的に述べたのが第2段落になる。
この徳目の内容は、特に大きな差はないので、説明は省略する。

もっとも、儒教を念頭においたものでなく
長らく大切にされてきた徳目を確認したに過ぎない。
念のため、先の 「12徳」 の表をふたたび示しておく。

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この12徳を踏まえて、次にその意味が述べられる。
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もって 天壌無窮(てんじょうむきゅう)の皇運(こううん)を 扶翼(ふよく)すべし。
かくのごときは ひとり朕(ちん)が忠良(ちゅうりょう)の 臣民(しんみん)たるのみならず、
またもって なんじ祖先の遺風(いふう)を 顕彰(けんしょう)するにたらん

この12徳でもって あめつちに永久に続く天皇の位を 助け守ってきたし、今後もそうなのだ。
このようにすることは、ただ天皇陛下に忠義をつくす臣民となるのに必要なことであろうだけでなく、
また同時に、なんじ臣民のご先祖のよき伝統を明らかにしてたたえるのに必要なことだろう。

「すべし」「たらん」のニュアンスは、本来、このようなおだやかなものなのである。
12徳の実践によって、天皇の君徳に応え、
同時に、ご先祖のよき伝統をたたえていこうという
さとしの言葉である。

第3段落

続いて第3段落では、
君臣の共鳴・ハーモニーが述べられる。

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(こ)の道(みち)は 実(じつ)に 我(わ)が皇祖皇宗(こうそこうそう)の 遺訓(いくん)にして、 子孫(しそん) 臣民(しんみん)の 倶(とも)に 遵守(じゅんしゅ)すべき 所(ところ)

「この道」 は、
天皇にとっては、君徳を守ることであり、
同時に、君徳に応えた臣民を見守ることである。
これはまさに歴代の天皇陛下がしてこられたことである。
だから、「我が皇祖皇宗の遺訓」 になるのである。

また臣民にとっては、臣徳を守ることである。
これもまた代々の臣民がしてきたことである。
だから、「子孫臣民のともに遵守すべき所」 となる。

次の 「これを古今に通じてあやまらず」 「これを中外に施してもとらず」 は、
主語が明示されていない。
もし、「この道」 が主語であれば、「これを」 と矛盾する。
「〇〇が これ(この道)を 古今に 通じた」
「〇〇が これ(この道)を 中外に 施した」 という文である。
主語が「朕(天皇陛下ご自身)」 では、「古今」 と矛盾する。
この文の主語は、「我が皇祖皇宗」 である。

つまり、
歴代天皇は、「この道」君徳を守り、君徳に応えた臣民を見守ること=を、
昔から今までずっと続けてこられて あやまりはなかった。
「この道」を 宮中でも宮外でも、都でも都外でも施してきて、ねじまがることはなかった。
だから、

(ちん)なんじ臣民とともに 拳々服膺(けんけんふくよう)して、
みなその徳を 一にせんことを こい願う。

天皇陛下ご自身も、なんじら臣民ととともに この道をしっかり 心に留めて、
みんなで「君徳」 と 「臣徳」 が 一体とできることを こころから願う。

と締めくくられるのである。
これが 大和であり、和の精神 だということなのである。

西洋式文法の下でも、
解釈を迷わないようにするなら、
次のように主語を補完しておけばよかったのだろう。
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君徳とは、子に対する親ごころと例えてもよい。
父・母が、子供に対して無私で無償の愛を注いでくれている。
子供はそのことに無意識に、または、気づいて応える。
すると、親子のきずなが結ばれ、花が咲く。
この関係を、いつまでも続けてゆこう、天皇ご自身も努力するから、
というお言葉なのである。

公家と武家(=臣とみ)はともかく、
多くの民衆(=民たみ)には忘れられた存在であった天皇が、
権威を盾に命令するのは 変な話ではないか。

教育勅語が発せられた明治23年は 日清・日露戦争の前である。
我が国は欧米列強におびえ、
臣下も、民衆も、日本式を捨てて欧米列強になびいていた時なのである。
そんな時に、
「長い歴史を通じた我が国の姿を思い出そう」
「古来の道徳を忘れず守り続けよう」
という 天皇の切なる願い これが教育勅語なのだ。

なお、「中外」について補足させていただこう。
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明治11年、侍補(じほ)たちは 「勤倹(きんけん)の詔」 を 「速かに中外に公布」 されるよう右大臣に要請した。
これは 地方の教育に関する 明治天皇の思し召し があったからだ。
地方の教育に 外国は関係ない。
教育勅語の 「中外」 もこれと同じである。

つまり、教育勅語に述べられる 「臣徳=徳目」 は、
日本国の臣下や民が守ってきた徳目 を 確認したに過ぎない。
徳目が通用してきたのは 必然的に 日本国内 ということになる。
教育勅語の徳目には、日本国を超えた普遍性がある という根拠はない。
むしろ、我が国固有の徳目であり、だからこそ日本国民にとって尊いのである。

普遍という言葉で言うなら、
我が国の歴史を通じた普遍性があるから尊いということである。

我が国の考えは 「郷に入っては郷に従え」 ではないか。
我々のやり方で世界中やり通そう、
というものだろうか?
このことからも 「中外」 の 「外」 を 外国だとするのは、
勝手な拡大解釈 「曲解」 とするよりない。

まとめ

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ここで、「通説」 と 「本来の意味」 との相違をまとめておこう。

通説  天皇が権威を盾に国民に徳目の順守を命令するもの
本来  天皇は君徳を守り、国民は忠孝を核とする徳目を守り、
     こころを通い合わせようと呼びかけるもの

通説  徳目は普遍的であり国外にも通用する
本来  古来から国民が守ってきた徳目を確認したに過ぎず、
     徳目は日本国民限定で国内限定である

通説  世界に通じる普遍的な徳目だから尊い
本来  我が国で歴史を通じた普遍性のある 我が国固有の徳目であるから尊い

4.憲法解釈に通じる曲解の根

「勅語衍義」は公式解釈ではない

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「教育勅語」 の起草者である 井上毅(いのうえ こわし) は、
起草7原則 を 山縣有朋総理大臣 に示している。
  • 君主は臣民の心の自由に干渉しない
  • 敬天尊神などの語を避ける
  • 哲学理論は反対論を呼ぶので避ける
  • 政事上の臭味を避ける
  • 漢学の口吻(こうふん)と洋学の気習とも吐露しない
  • 君主の訓戒(くんかい)は汪々として大海の水の如く
  • ある宗旨が喜んだり、ある宗旨が怒ったりしないもの
ここから、
「天皇が権威を盾に 国民に儒教的徳目 の順守を 命令するもの」
が出てきようがない。

井上毅は、理論を避け、歴史事実にもとづいて淡々と起草したのである。
そんな井上毅を、明治天皇は重用された。
井上哲次郎は、「教育勅語」 の公式解説書を出そうと 
「勅語衍義(えんぎ)」 をしたためた。
これをご覧になった明治天皇は、
「斯の書 修正の如くせば 可ならん、
然れども 尚 簡にして 意を盡さざるものあらば、
又 毅(井上毅)と熟議して 更に 修正せよ」
と述べられた。

結局 「勅語衍義」 は公式解説書とはならず、
井上哲次郎の私著 私的解説書 として発行されたに過ぎない。

しかしながら、「勅語衍義」 は 多くの解説書に影響を与え、
戦前の教育に多大の影響を与えつづけた。
さらには、この解釈があだとなり GHQから排除され 
戦後の教育はボロボロである。
だが、「勅語衍義」の解釈は 明治天皇のお考えに沿ったものではなく、
その最大の助言者であった井上毅の眼鏡にかなうものではなかったのである。

曲解・暴走の原因

教育勅語を天皇の命令と曲解するような解説書が、
公式解説書となることはなかったが、
現実には大きく普及してしまった。

では、なぜ 「教育勅語」 は 「曲解」 されたまま暴走してしまったのだろうか?
「曲解」 を受け入れる素地があったと言わざるを得ない。
原因は5つあげられる。

・欧米コンプレックス
 ・・・ 欧米列強に対抗でき 気後れしない普遍的な思想がほしかった
・ドイツ法の影響
 ・・・ 慣例が法という伝統から、法令は命令とするドイツ法的解釈に変化
・欧米文法の影響
 ・・・ 漢文法から欧米文法に規範が移り、主語の誤読など解釈が変化した
・儒教勢力(武士階級)の強さ
 ・・・ 江戸時代に徹底された上意を至上とする武家の思想が根強かった
・教育の容易さ
 ・・・ ありがたいものだから この通りやれ、というのは教師にとって楽だった

これらがあいまって、
天皇大権=天皇の命令による政治
      =天皇の命令による教育
となったのであろう。

法令を 「命令」 と考えるドイツ法の発想は、
深く近代日本に浸透してしまった。
歴史を通じた 「当たり前」 を淡々と述べるのが  である。
という 日本の伝統は影を潜めている。

戦前の 「天皇機関説」「統帥権問題」 も、
戦後の 「憲法9条」「政教分離」 等の問題も、
法令を命令ととらえ、 
その文言を暴走させる 
という同じ現象である。

だから、このような 「曲解のわな」 は、
「教育勅語」 を廃止・排除したところで なおるものではない。
むしろ、さらに暴走し続けているのではなかろうか。
これらはほとんどそのまま、戦後教育の構図である。

・敗戦コンプレックス ・・・ 欧米の教育に迎合した普遍的な思想をもてあそぶ
・ドイツ法の影響 ・・・ 慣例が法だという伝統を忘れ、法令は命令と今も錯覚
・欧米文法の影響 ・・・ 欧米文法で文を理解するので、漢文が読めない
・儒教勢力の強さ ・・・ 上意の代わりに、人権・子供の意思を至上とする
・教育の容易さ ・・・ 子供のわがまま通りにやるのは教師に楽(=ゆとり)

このことは、
単に教育に限らず、
憲法やその他の法令の運用においても、
同様である。

戦前を 「天皇大権」 と錯覚した集団は、
戦後 「国民主権」 と逆さに振れた。
そして、文言を暴走させ 
慣習(=法)を破壊することに酔っている。

憲法および法令の番人である 内閣法制局
文部省(文部科学省)
学者たちも
教科書
マスコミ人たちも

戦前も 戦後も 変らない
これが我が国の現実である。
この現実から目を背けず 直視しよう。

戦前の教育の暴走も、
戦後の教育の崩壊も、
「教育勅語」を まとに解釈できなかったことから始まっている。
むろん、「明治憲法」も まもとに解釈できなかった
だから、「日本国憲法」も 今なおまもとに解釈などできない ままだ。

そうである以上、千里の道も一歩からで、
まず、足元を固めようではないか。
「教育勅語」を正しく解釈し直すことから。

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5.新しい御代に、歴史法学に基づく解釈の復興・再確立を

ここに述べた 「教育勅語の本来の解釈」 は、
本来、当たり前のことである。
気づけば、どうということのないことである。

しかし、学校教育受験勉強を通じ、
公務員試験司法試験を通じ、
そして、マスコミを通じ、
近代日本人の頭の中には、
様々な思想や知識が詰め込まれている。

そんなものにしがみつかずに、
ありのままに見る。
ありえないことは馬鹿馬鹿しいと遠ざける。
背筋を伸ばし 言葉に流されない。
ご先祖たちが大切にしてきたことは何だったのかを見つめてみる。

もっとも、異常な思想や知識を注入された後に、
それを抜け出すのは大変である。
歴史に基づいた教育・道徳が先に注がれる環境がよいことは言うまでもない。
ただ、今できることは、異常な思想や知識を突破した者が、
手と手を取り合うことである。

次の御代に 我が国をよみがらせる いしずえとならん
という人は、この記事を何度も確認することから始めてもらいたい。
そして、より詳しく 進みたい方は、
を併読いただきたい。

教育の再生だけでなく、
国家の背骨の再生も放置されたままである。
具体的には、例えば
  • 皇族会議の復興、旧宮家末裔の復帰、旧皇室典範の復興
  • 憲法解釈の基準を歴史法学に、現憲法典の異常な条項は占領期の緊急避難条項として例外処理、時間をかけて全面解釈改憲
  • 民法(家族関係)・刑法(不敬罪・国事犯)の復興、相続税法制の廃止、男女共同参画法の即時廃止
このようなことは、
占領が終わった昭和27年(1952年)から放置されたままで、
男女共同参画法など、さらに悪化させられたものも多い。

千里の道も一歩から

そう信じて進もう。
我が国の悠久の歴史を子孫に引き継げるよう。

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安倍内閣は腰抜け。
総選挙の争点を「消費税の福祉目的利用にする」という。
逃げグセがついた支持率亡者である。

北朝鮮対策は次の5つの組み合わせが必要な総力戦:
  1. 攻撃力:  アメリカから核巡航ミサイル100基・通常型300基・原子力潜水艦4隻(乗組員ごと)購入・配備
  2. 防御力:  迎撃ミサイルTHADD8基、イージスアショア3基、PAC3 100基の購入・配備
  3. テロ対策: 日本全国に戦車3000両配備、朝鮮総連・朝鮮大学の前にも配備する
  4. 民間防衛: 日本各地に核シェルター建設(皇居・宮家含む)、各都市にNBC防護車配備、拠点病院にNBC対策、全事業所および全家庭に毒ガスマスク・防護服義務付け、Jアラートを核・毒ガス・生物兵器対応に更新
  5. 銃後対策: 朝鮮総連の非合法化、朝鮮学校の非合法化、北朝鮮企業の金融取引停止、北朝鮮人の国公立大学・公立学校教職員の解雇、北朝鮮人への在留許可停止

■こういうのが「対北朝鮮制裁」として有効なもの。
国民が本当に求めているもの。
安倍内閣はするフリだけで内容がない。
トランプ以下ではないか。

安倍晋三は安易な支持率稼ぎしか考えない「カオナシ」である。
支持率のためにカネを配ることしかしない、
ぶくぶくに太ったカオナシである。
自民党を完全なる金配り政党に貶める腐敗宰相である。
正々堂々と国益を国民に問わずに何のための2/3議席なのか?

北朝鮮の指導者は狂人だが、命がけで国際政治をしている。
こちらがヘラヘラ笑った宰相で勝てるものか。
国民をバカにするのはいい加減にしろ。

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「退位」は天皇陛下の思し召しではなかったのか?
そんな疑問を問いかけられました。
みんな同じ気持ちではないでしょうか?

今日は、この質問に応えたいと思います。

「皇室の家憲」である皇室典範を皇室にお返しし、
偽物になっている「皇室会議」を皇族にお返しし、
皇室から人事権をとりあげた「宮内庁」を皇室にお返しし、
追放された旧宮家の末裔を皇室にお返しする。

国民が分不相応にもってしまっているものは、
皇室にお返しすべきです。

「退位」の議はそれからです。

なぜなら、我々国民が「陛下の真意」はなどと
考えてもわかるわけがありません。
問題は、皇族方で考えていただけるように
していないことだからです。


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こんにちは

今回の件について、非常にわからないのが、
今回の特例法は、
陛下の御意に沿ったものじゃなかったということでしょうか?

『女性宮家』については、
竹田さん達が、テレビ塔で解説をしてくれているので、
おかしいことは、理解できているのですが、
『陛下の退位』について、
私は、何がどないなっているのか、理解できていません。

私自身、陛下のお言葉が、しっかりと理解できていません。
私にとっては、『陛下』が、
御身自ら、退位の言葉をお口にされること自身、
信じられませんでした。

いつも、国民の事をお考えの陛下が、
生前退位をお口にされること自身、
私には、信じられませんでした。

また、自民党が出した法案だから、
安心をしていましたが、
なにか、その法案に、なにかキナ臭いものを感じているのも事実です。
最近の自民党は、
過去の自民党の様な毅然とした政党では、
無くなってきたように思えます。

本当に真実は、何なのでしょうか?
できれば、お教えいただきたいと思って、メールしました。



そもそも、
陛下のお言葉で皇位継承を云々すべきではないのです。
そして、
皇位継承を国会で云々すべきでもない
もっと言うと、
現在の宮内庁はもっと云々すべきではないのです。

皇位継承について、
陛下に助言申し上げる見識を持った集団が
天皇陛下の周辺から消えてしまったこと、
これが最大の問題なのです。
今の宮内庁真逆の官庁となっています。

自民党は「票ファースト、利権ファースト」
野党は「反日ファースト、屁理屈ファースト」
宮内庁は「平等ファースト、皇族平民化ファースト」
学者は「論文ファーストか、憲法ファースト」です。

本来、
陛下は恐れ多いことですが、
「祭祀ファースト、皇位継承ファースト」
でないといけません。
しかし、
「象徴ファースト、国民ファースト」
であられる。

それは良いことなのですが、
その場合は横に
「祭祀ファースト、皇位継承ファースト」
側近群がいなければなりません。

それが、宮内庁から排除されているので、
どうにもならんのです。

そんなに難しいことではなく、
「皇室典範ファースト」
するだけなんですよね。
ここからは、
譲位も、退位も、女性宮家も、女系天皇
出て来ようがないんです。

これは「宮内庁」を
皇室から国民が奪ったままになっていることが原因です。
天皇陛下直属だった「宮内省・宮内府」を
国民が天皇陛下や皇族方に命令する「宮内庁」にしたままなのです。
占領中にやってしまった失敗をそのままにしています。

なるほど!
しかし、私たちの様な凡人は、
インタビューにも見られるように
「陛下が公務が大変で、ご高齢のことだから、
退位をしたいと仰っているのだから、
なんとか、陛下のお体を考慮して、
退位できるようにして上げてほうが。。。」

と言うお言葉を信じて、
賛同されている方が多いのじゃないでしょうか?

私のように、
陛下は、そんな事を仰るはずが無いと信じているのは、
少数派じゃないかとおもいますが。

仰る通り、
「祭祀ファースト、皇位継承ファースト」が、
陛下の最優先のご公務だと私も思います。

私は、今でも、
陛下が、ご自身の事を慮れて、
退位のお言葉を出されたのだろうか

懐疑心を持っております。

なにか、本当に、
私たち国民と陛下の間の心の隙間に
嫌な風が吹いてきているような気持ちです。


私達国民がすべきことは、
皇室周辺を正常化することです。
「退位特例法」なんか、
その後なのです。

敗戦後、占領中に
いろんなことが無茶苦茶になっています。
行き過ぎてしまったことは、
いまさら是非もありません。
占領中は陛下が人質だったのですから。

しかし、
サンフランシスコ講和条約により、
我が国は独立主権国家になっています。
講和条約とは、
「占領中はいろいろしたけれど、
もう終わり。
別にもとに戻してもかまわんよ。」
という条約なんです。

だから、1952年4月28日に
講和条約が発効してからは、
憲法にしても、
GHQではなく、
日本国が我が国の歴史に照らして、
解釈し直してよい、運用を変えてよい
占領中の不都合は直してよい
ということです。

もう65年経っています。
修正するのは我々の責任なんです。
暴走させるのではなく、
本来の姿に直すこと。

「皇室の家憲」である皇室典範を皇室にお返しし、
偽物になっている「皇室会議」を皇族にお返しし、
皇室から人事権をとりあげた「宮内庁」を皇室にお返しし、
追放された旧宮家の末裔を皇室にお返しし、

それが先です。

これが、いつも国民をおもってくださる
天皇陛下のみ心に答えることなのです。


どうしてか?

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自由にお言葉を発することのできない
天皇陛下
お言葉をお聞きし、
それにそのまままお答えするのは、

戦争中の兵隊さんが
「立派に死んで来ます」
といっているを
「死んでおいで」
と返しているのと同じことです。

本当にいいたいことは、
「おっかさーーーん」
だよなって
わかってこその人情でしょう。


でも、我々国民が「陛下の真意」はなどと考えても
わかるわけがありません。
なら、どうしたら・・・
理由は簡単、
皇室のことを皇族方で考えていただけるように
なっていないことが問題なのです。


国民があたかもすべての権力をもっている中、
陛下は国民にものすごく遠慮してお話でした。
陛下を監視しているのは国民なんです。
宮内庁という役所を使って。


「皇室の家憲」である皇室典範を皇室にお返しし、
偽物になっている「皇室会議」を皇族にお返しし、
皇室から人事権をとりあげた「宮内庁」を皇室にお返しし、
追放された旧宮家の末裔を皇室にお返しする。

国民が分不相応にもってしまっているものは、
皇室にお返しすべきなのです。

これにより、
あの陛下の過剰な国民への遠慮
空にかえります。

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国民(くにたみ)の 力のかぎり
 つくすこそ 我が日の本の かためなりけれ
(明治天皇御製)


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