オノコロ こころ定めて

http://twitter.com/umayado17 神武天皇以来125代づついた天皇の御位を守りましょう
歴代の天皇の「譲位」では同日に「受禅」が行われ、
前天皇と新天皇の在位期間は1日重なっていました。
しかし、今回の今上天皇の「退位の礼」では、
今上天皇と新天皇の在位期間に、
まったく重なりがありません。

こんなことでいいのでしょうか?

表 歴史上の譲位・受禅と今回の「退位・即位」の違い
イメージ 1


こんなひどいことを平気で行うのは、
我々国民が分不相応な権限を持っているからです。

イメージ 2


こんなことでいいのでしょうか?
いつまで「占領体制」を引きずるのでしょう?

皇室典範も
皇室会議も
宮内庁も

国民が管理すべきではありません。
天皇陛下に奉還しましょう。




この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

かつて皇室は「九重」の垣根で守られていた。
占領中に壊され、今や丸裸で、
天皇制廃止勢力が攻撃し放題。

イメージ 1

戦前の皇室は、様々な制度によって守られていました。
憲法によっても、皇室典範を筆頭とする宮務法令によっても。
旧宮家によっても、公家や大名によっても。
宮内省もあり、貴族院があり、学習院もありました。
豊富な皇室財産があり、予算も独立していました。
国民は、教育勅語や不敬罪などにより皇室を守っていました。
そして、最精鋭の近衛師団があり、皇居には防空壕もありました。

いまはどうでしょうか?
憲法は無茶苦茶になり、宮務法体系はなくなりました。
旧宮家も、公家もいなくなりました。
宮内庁は皇室に命令する役所にかわり、皇室を監視しています。
皇室財産はなくなり、予算は極めて乏しいまま据え置かれています。
国民は、皇室を知ることができなくなり、不敬罪はなくなりました。
そして、皇居はただ皇宮警察に守られるだけの丸裸です。

いま、皇室は丸裸で、攻撃にさらされています。

イメージ 2


こんなことでいいのでしょうか?
いつまで「占領体制」を引きずるのでしょう?

皇室典範も
皇室会議も
宮内庁も

国民が管理すべきではありません。
天皇陛下に奉還しましょう。


この記事に

開く コメント(4)[NEW]

開く トラックバック(0)

今ある「皇室会議」は、ほとんど皇族がおられず、
皇族に対し上から目線で指図する場所です。
戦前の、天皇陛下が議長をされていた「皇族会議」とは別物です。


イメージ 1


戦前の「皇族会議」は、
皇族方による皇室自治の場でした。

皇室のことを決定する最高決定機関で、
議長は、天皇陛下で、
議員の大多数は男性皇族でした。
皇室典範を改定する権限がありました。
皇室典範に帝国議会の議決は不要でした。


占領中に、共産主義者の佐藤達夫が主導して、
次のようなものに変えてしまいました。

議長は、内閣総理大臣で、
民間な勝手な理屈を皇族に押し付ける場です。
皇族は事実上発言できず、多数決で決定します。

皇室典範を改正する議論はできません。
皇室典範は国会が勝手に改正します。

イメージ 2


こんなことでいいのでしょうか?
いつまで「占領体制」を引きずるのでしょう?

皇室典範も
皇室会議も
宮内庁も

国民が管理すべきではありません。
天皇陛下に奉還しましょう。

この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

政府・宮内庁は、皇位継承に「スキマ」を設けないとの、
絶対的な慣習を破壊し、
退位と即位の間に「24時間の断絶」を持ち込んでいます。

本記事は過去の譲位において「スキマ」がないことを示します。
4月30日の「退位の礼」は断じて認めてはなりません。

イメージ 24

なぜなら、このスキマは、天皇制廃止勢力に付け入るスキを与えるからです。
廃止勢力は、「神武天皇からの125代の天皇制は今上天皇の退位により終了し、
新天皇は歴史と関係のない単なる "象徴さま" に過ぎない」と学説を確立します。

これでは政府・宮内庁は
天皇に弓を弾く 「朝敵」 となってしまいます。

ああ、人生こわい、こわい
側近が騙してるんですから!

イメージ 18


最後の平成のお正月シリーズとして、
をスタートいたしました。

この記事は、
  平成の「退位」5大疑問の4
    退位と即位の間に24時間のスキマがあるのはおかしい
についてです。

今回は、とりわけ、歴史上に行われた「譲位」において、
皇位継承の「スキマ」がないことを示します。
また、それを踏みにじって今回 政府・宮内庁が 
「24時間の 断絶の スキマ」 を導入し、
天皇制破壊・廃止勢力に加担していることを示したいと思います。

4.退位と即位の間に24時間のスキマがあるのはおかしい
  内閣府・宮内庁による儀式破壊の問題2

 今上天皇は、現行憲法下で即位された。昭和天皇が崩御されたのは、昭和64(1989)年1月7日午前6時33分その瞬間に皇太子明仁親王殿下は天皇となられた。つづいて、皇位の印である「三種の神器」などが、新天皇に渡る「剣璽等継承の儀(伝統的には、剣璽渡御 けんじとぎょ)」が行われた。崩御当日の1月7日午前10時である。午後2時過ぎに、新天皇は新元号「平成」の政令に署名された。平成が始まったのは翌日1月8日からである。

 歴代の「譲位」においては、「譲位の宣命(せんみょう、天皇のみことのりを読み上げて宣言すること)があり、その瞬間に皇太子が天皇になられる。「譲位の宣命」とは、現天皇と皇太子が同席される場で、「現天皇から皇太子に皇位が譲られた」との宣言をする儀式である。この宣命の瞬間に皇位が移るのである。最後の「譲位」があった江戸時代の光格天皇の時も同様であった。この宣命の後、引き続いて剣璽渡御(けんじとぎょ)があり、皇位の印が新天皇に移される。

 ここで知るべきは、剣璽(三種の神器など)が移って初めて新天皇となるのではなく「譲位の宣命」の瞬間に新天皇が誕生していることである。崩御の瞬間に新天皇が誕生するのと同じである。譲位の宣命の儀式では、皇太子は特別の席におられ、文武百官の前で皇位を受けられる。

 しかし、今回の「退位」では、4月30日の「退位の礼」で天皇陛下が「退位」を宣言されるが、「皇位が皇太子殿下に継承された」という宣言は一切ない。皇太子は大勢と一緒におられるだけだ。剣璽も移動しない。誰も皇位を継承しない「退位の宣言」がある。そして、翌5月1日に「剣璽等継承の儀」が行われる。その際に、現天皇陛下はおられない。つまり、「退位の宣言」の瞬間に「皇位は空位」となる。そして、24時間後、皇太子が即位されるのである。

イメージ 25

 このようなスキマは、天皇制廃止勢力とって格好の付け入るスキとなる。廃止勢力は、「神武天皇からの125代の天皇制は今上天皇の退位により終了した」と法理論を構築する。「新天皇は歴史と関係のない単なる "象徴さま" に過ぎない」と学説を確立する。4月30日で、伝統的な天皇制が終わった」という儀式、「退位の礼」は必ずこのように悪用される。

 政府・宮内庁は、歴代の継承において「スキマ」が生じない儀式であったことを知っている。宮内庁が作った公文書「歴史上の実例」(平成30年2月20日付)に、そう書いてあるからだ。彼らは昭和天皇崩御の際の継承も、歴代の「譲位」も知っている。その上で、あえて皇位継承を破壊しようとしているのだ。「法令テロリスト」の頭目である菅官房長官「儀式テロリスト」の頭目である山本宮内庁長官は、直ちに責任をとって辞職すべきである。

解説

皇室典範の第4条には、
  「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。」
とあり、
今上天皇は昭和天皇が亡くなられた瞬間に即位されました。

「退位特例法」の第2条には、
  「天皇は、この法律の施行の日限り、退位し、皇嗣が、直ちに即位する。」
とあります。
しかし、政府はこの「直ちに」解釈を勝手に変えてしまっています。

天皇陛下が「退位の礼」で退位されても、
皇太子殿下は、即位されません
翌日「剣璽等継承の儀」が行われるまで、
皇位は24時間「空位」となります。
これがどれだけ異常なことなのかを歴代の事例に即してお話します。

昭和天皇から今上天皇へ

イメージ 17
昭和64年1月7日 西日本新聞・夕刊
「天皇陛下崩御」とともに、「皇太子殿下が即位」「新元号”平成”あす施行」とある

昭和天皇が崩御されて、
今上天皇が即位された流れを見てみましょう。

今から30年前の話です。
当時連日天皇陛下の容態報道があり社会的関心は高かったです。
当日私はスキー場におり、
朝急に目が覚めてテレビをつけたところ、
ほどなくして、天皇陛下崩御の特別放送が始まりました。

イメージ 19

流れは次の通りです。

昭和64年1月7日 
 午前06:33 昭和崩御 同時に、皇太子明仁親王殿下即位(践祚、せんそ)
 午前10:00 剣璽等継承の儀
 午後02:00過 新天皇が元号改元の政令に署名
 午後02:36 官房長官により新元号発表
平成元年1月8日 新元号施行
平成元年1月9日 即位後朝見の儀
平成元年2月24日 大喪の礼
平成2年11月12日 即位の礼
平成2年11月22日 大嘗祭(だいじょうさい)

まとめるとこうなります。

表1 昭和から平成における皇位継承
イメージ 20

昭和天皇が亡くなった瞬間に、
皇太子殿下が新天皇に即位(践祚、せんそ)されています。
そして、速やかに剣璽などが新天皇のもとに渡されています。
一瞬のスキもありません。

崩御の直後ですから、現場はてんやわんやです。
そんな状況においても、崩御からわずか3時間半で剣璽まで移動したのです。
これは歴代の天皇も、為政者も、
皇位が「空位」とならないよう細心の注意で皇位継承を行ってきており、
それに準じて儀式を行ったからです。

平成が1月8日に始まったため、
天皇陛下は1月8日に「即位」されたと思われるかもしれません。
そうではありません。
先の天皇が崩御された瞬間に「即位」されます。
ですから、天皇陛下の在位期間は昭和64年1月7日からなのです。

歴史上の「譲位」

宮中の儀式については、
歴史上何度か、儀式書がまとめられています。

その中でも重要な文書は、
  貞観儀式 (じょうがんぎしき、平安時代、875年ごろ)
  西宮記 (せいきゅうき、平安時代、930から70年ごろ)
  北山抄 (ほくざんしょう、平安時代、1010年ごろ)
  江家次第 (ごうけしだい、平安時代、1110年ごろ)
  代始和抄 (だいはじめわしょう、室町時代、1470年ごろか)
です。

これらの「譲位」の儀式の部分をみてみましょう。
特に、どのタイミングで、現天皇「先天皇・旧天皇」となり、
皇太子「新天皇・今上」となるのかを中心に見てゆきます。

貞観儀式 (じょうがんぎしき、平安時代、875年ごろ)

貞観儀式(じょうがんぎしき)は、
平安時代前期の貞観年間に編纂された儀式書です。
その中の「譲国儀」というのが「譲位」に関する部分です。

前半は、天皇が上皇の御所へ移動されること、
儀式会場となる内裏(だいり、紫宸殿、ししんでん)の警備を強化すること、
そして、会場の準備と譲位の宣命(せんみょう)の準備。
宣命の準備が整い、みなが所定の場所につく、
天皇は紫宸殿中央の御簾の奥におられ、
その前に皇太子がいらっしゃる。
宣命使が進み出ると、皇太子がご起立になる。

そして、宣命が読み上げられる。
それに対して、臣下が拝礼(拝舞)をして承る。

臣下が会場を去り、
新天皇となられた皇太子は、
前天皇の前で拝礼(拝舞)をされる。

その後、ひきつづいて剣璽が渡御される。


この宣命の前後で、表現が変わっているのがわかりますか?
宣命の前では、「皇太子」となっていましたが、
宣命の後から、「今帝・今上」となっています。

西宮記 (せいきゅうき、平安時代、930から970年ごろ)

西宮記(さいきゅうき/せいきゅうき/さいぐうき)は、
平安時代に源高明によって撰述された有職故実・儀式書です。
「譲位」についての部分は、写本によっては欠落しています。
示すものは、『神道大系 朝儀祭祀編 2 西宮記』からと思われます。
宮城学院女子大学の鈴木琢郎さんがデジタル化されたものです。


流れは儀式当日のもの。
会場の準備と譲位の宣命(せんみょう)の準備から始まる。
もろもろの準備が整うと

宣命が読み上げられる。
それに対して、臣下が拝礼(拝舞)をして承る。

臣下が会場を去り、
新天皇となられた皇太子は、
前天皇の前で拝礼(拝舞)をされる。

その後、ひきつづいて剣璽が渡御される。
その後の行事についても述べられている。


この西宮記においても、この宣命の前後で、表現が変わっています。
宣命の前では、「天皇」「太子」となっていましたが、
宣命の後から、「前帝・先帝」「新帝・今上」となっています。

北山抄 (ほくざんしょう、平安時代、1010年ごろ)

北山抄は、平安時代中期に成立した私撰の儀式書です
編集者は、藤原公任(ふじわら の きんとう)です。
この中の巻5に「践祚抄(せんそしょう)」があり、
天皇の譲位・践祚・即位関連がまとめられています。

イメージ 4
北山抄 (神道体系朝儀祭祀編3より)

儀式会場となる内裏(だいり、紫宸殿、ししんでん)の警備を強化するところから始まる。
そして、会場の準備と譲位の宣命(せんみょう)の準備。
もろもろの準備がととのうと、

宣命が読み上げられる。
それに対して、臣下が拝礼(拝舞)をして承る。

臣下が会場を去り、
新天皇となられた皇太子は、
前天皇の前で拝礼(拝舞)をされる。

その後、ひきつづいて剣璽が渡御される。
その後の儀式についても述べられている。


この北山抄においても、この宣命の前後で、表現が変わっています。
宣命の前では、「天皇」「皇太子」となっていましたが、
宣命の後から、「旧主」「今上・新帝」となっています。

江家次第 (ごうけしだい、平安時代、1110年ごろ)

江家次第(ごうけしだい)は、平安時代後期の有職故実書です。
著者は大江匡房。
全21巻(現存は19巻)。
この時代の朝儀の集大成として評価が高いものです。
巻14が臨時の朝儀で、その中の「践祚」の中に「譲位」のまとめがあります。

前半は、譲位される皇太子が幼い時の儀式です。
今回は関係ありませんので省略します。
後半からが、通常の「譲位」の儀式になります。

イメージ 5イメージ 6
江家次第 (神道体系朝儀祭祀編4 pp.626-629より)

儀式会場となる内裏(だいり、紫宸殿、ししんでん)の警備を強化することからはじまり、
そして、会場の準備と譲位の宣命(せんみょう)の準備。
宣命の準備が整い、みなが所定の場所につく、
天皇は紫宸殿中央の御簾の奥におられ、
そのそばに神璽と宝剣をたずさえた女官がいる。
その前に皇太子がいらっしゃる。
宣命使が進み出る。
大臣たちは紫宸殿の階段を下りて南庭の所定の場所につく。
皇太子がご起立になる。

そして、宣命が読み上げられる。
それに対して、大臣以下みなが拝礼(拝舞)をして承る。

大臣以下みなが会場を去り、
新天皇となられた皇太子は、
前天皇の前で拝礼(拝舞)をされる。

その後、ひきつづいて剣璽が渡御される。
その後の儀式についても述べられている。


この江家次第においても、この宣命の前後で、表現が変わりました。
宣命の前では、「天皇」「太子」となっていましたが、
宣命の後から、「前帝・先帝」「新帝・今上」となっています。

代始和抄 (だいはじめわしょう、室町時代、1470年ごろか)

代始和抄 (だいはじめわしょう)は、室町時代中期の公卿である
一条兼良(いちじょう かねよし)が編纂した有職故実の儀式書。
当時の人々から、「日本無双の才人」と評さた人物でした。
応仁の乱によって大混乱に陥った朝廷の存続・再興に大きな役割をはたしました。
四方拝の再興は彼の尽力なくてはなされなかったと言われています。

代始和抄は漢文でなく、和文で書かれていますので、
読みやすいです。

最初に、父子でない場合の譲位について述べられます。
次に、皇太子が幼い時の場合について述べられます。

そこから譲位の儀式の一連の流れが、
  「警固(警護)固関」
  「節会宣制(譲位の儀式)」
  「剣璽渡御」
  「新主の御所の儀式等」
だと述べられ、
「これは毎度のことなり」と書かれています。

次に、「警固(警護)固関」という、
京のまわりの関所の封鎖の意義が述べられます。
国ゆずりは天下の重要事なので、
非常事態が起きないようにいましめるのだ、ということです。
昔、譲位儀式の時に蝦夷の乱入が企てられたことがあったそうです。

「スキ」を与えないということですね。

「警固(警護)固関」の詳細は省略して、
譲位の儀式の本体のほうに参ります。

イメージ 7イメージ 8
イメージ 9
代始和抄 (群書類従 巻464 pp.341-345)

流れは同じです。

会場の準備と譲位の宣命(せんみょう)の準備。
もろもろの準備がととのうと、

宣命が読み上げられる。
それに対して、臣下が拝礼(拝舞)をして承る。

臣下が会場を去る。

(新天皇となられた皇太子は、
前天皇の前で拝礼(拝舞)をされる。)

その後、ひきつづいて剣璽が渡御される。
旧天皇のところから新天皇のところへ。
その後の儀式についても述べられている。


代始和抄においても、この宣命の前後で、表現が変わっています。
宣命の前では、「天皇」「太子」となっていましたが、
宣命の後から、「旧主」「新帝・新主」となっています。

まとめ

もうおわかりですね。

どの儀式書においても、「譲位の宣命」の前後で、表現が変わっています。
宣命の前では、「天皇」「太子・皇太子」となっていましたが、
宣命の後から、「旧主・前帝・先帝」「今上・新帝・新主」となっています。

つまり、宣命によって、皇位が継承されるのです。

皇太子は、天皇の前の特別の場所におられ、
宣命の直前に起立して、皇位を受けられます。

これが文武百官の前で行われ、
文武百官は「承りました」と拝礼し、
さらに、文武百官が退場したあと、
旧天皇と新天皇は二人きりになり、
新天皇が旧天皇に拝礼されます。

そして、その後続いて剣璽が移ります。
剣璽は、前天皇のお手元から、
関白以下の行列を引き連れてしずしずと、
むしろをひかれた特別なみちを通って、
新天皇の所へ移動してゆきます。

まとめるとこうなります。

表2 歴代の「譲位」における皇位継承
イメージ 21

誰が見ても「スキ」のない儀式です。
「天皇」の位が宙に浮くような要素は一切ありません。

光格天皇の場合

江戸時代の終わりころ200年前に最後に「譲位」されたのが光格天皇です。
光格天皇の「譲位」の儀式についても、
同様に見ておきましょう。

光格天皇場合は、
譲位のパレードを一般にお見せになるため、
譲位の当日朝から剣璽とともに上皇の御所までパレードをされました。
そして、その上皇の御所で、「譲位」の儀式を行っています。
そして、そこから「剣璽」が紫宸殿に戻ってゆき、
新天皇のもとに渡されました。

新天皇となられる前の皇太子は
上皇の御所には同行されませんでした。
しかし、代理のお使いが皇太子の名代として参列しています。

「光格天皇実録」から文化14年3月22日の記事を引用します。
この日、光格天皇から皇太子恵仁(あやひと)親王に譲位されました。
2ページ目は譲位パレードである「路頭の儀」で行列した公家や武家のリストです。
参考のため小さく表示しておきました。
詳しく見たい方はクリックしてください。拡大されます。

イメージ 10
イメージ 11
イメージ 12
光格天皇実録 文化14年3月22日 日次案(ひなみあん)

流れは次の通り。

光格天皇の御所に天皇が乗られる「鳳輦(ほうれん)」が到着。
剣璽のうち「璽」のほうは天皇が「鳳輦」にもって乗られる。
剣のほうは行列の中の特別な箱に収められて移動する。

譲位パレードである「路頭の儀」が行われ、
公家・武家衆が天皇の乗られた「鳳輦」の前後に行列し、
京都御苑(当時は禁裏)の中を練り歩く。
沿道には、公家・武家・町人多数が桟敷席に正座して拝見している。
行列は、紫宸殿から仙洞御所(せんとうごしょ)まで数時間かけて移動した。

この行列は天皇のご移動なので「行幸(みゆき)」と表現されている。
行幸が終わり、仙洞御所の小御所にて、
皇太子(東宮)の名代として正親町大納言が天皇と対面される。
その後「譲位の宣命」の準備がある。

天皇が御簾の中の椅子に座られ、
宣命史が宣命のための所定の場所につく。

宣命が読み上げられる。
臣下は拝礼(拝舞)して、うけたまわる。

そして、剣璽が新天皇のもとへ移動してゆく。
関白以下が付き従って、むしろの道の上をしずしずと、
紫宸殿に向かって戻ってゆく。
そして、新天皇のもとに到着する。

なお、省略したが次ページに、剣璽とともに移動した公家・武家などのリストが続く。
その後、新天皇の御所での儀式が続く。


光格天皇の場合においても、宣命の前後で、表現が変わっています。
宣命の前では、「行幸(天皇のご移動)」「東宮お使い(皇太子の名代)」でしたが、
宣命の後から、「新主」となっています。

念のため、まとめの表を再掲します。

表2 歴代の「譲位」における皇位継承
イメージ 21

政府・宮内庁による今回の儀式

以上のように、歴史上の「譲位」においては、
皇太子殿下(または名代)を前にして、
「天皇の位を皇太子譲る」という宣言があり、
それを臣下が受けたまわり、
その瞬間に皇太子は新天皇となっておられた。

それから、剣璽が新天皇に移された。
政府・宮内庁も、このことは認識しています。

と、正しく、宣命の前 「行幸(天皇のご移動)」「皇太子」 と表現し、
宣命の後からは光格天皇のことを 「前天皇」 と表現しているからです。


4ページでは、さらに驚きの表現が繰り広げられます。

左側の列は光格天皇の譲位の儀式についての記述で、
右側の列は今回の御退位の儀式についての記述です。

4.皇太子の参列 (御参列じゃないのか?)

左列皇太子の名代が参列してしていたことが書かれていません。
右列「皇太子殿下は、他の皇族方とともに」とあります。
皇太子殿下は参列者の一人にすぎず、
お供(供奉、ぐぶ)でしかありません。
「退位」を見届けている人ということです。

5.御退位事実の公表

この表現は正確ではありません。
なぜなら、光格天皇は「退位」されたのではなく、
「譲位」されたからです。
一方、今上天皇についてはこの表現通りです。
今上天皇は誰にも譲位されず、
ただ「退位」されるだけだからです。

右列、「御退位」が宣言されることだけ(皇位の引継ぎには言及しない)
述べられています。

6.剣璽

左列、譲位儀に引き続いて、剣璽が新天皇に下に移されます。
この表現には問題はあります。

右列を見て下さい。
「剣璽は、御退位の儀式当日(平成31年4月30日)には承継されない。」
と明言されています。

そして、次の行、
「剣璽等継承の儀は、新天皇陛下が御即位になる5月1日に行われる。」
下線部をよく読んで下さい。
「新天皇陛下が御即位になる5月1日」
と書かれています。

政府・宮内庁の真意

政府・宮内庁が準備している今回の代替わりの儀式をまとめるとこうなります。

表3 今回の「退位」における皇位継承
イメージ 22

ここから言えることは、次のことになります。
 ・天皇陛下は、4月30日の「退位の礼」のお言葉と同時に、天皇でなくなる。
 ・皇太子殿下は、その時皇太子のままで、5月1日に天皇になられる。
 ・つまり、「退位の礼」から「剣璽等継承」までの間、天皇は「空位」になる。
 ・皇太子殿下は、天皇陛下から剣璽を受け取られるわけではない。
 ・政府・宮内庁は、今回の「退位」は歴史史上「初めて」の事件だと考えている。
こうとしか言いようがありません。

わざわざ24時間のスキマを開けた ということなのです。

歴代の皇位継承と比べてみれば一目瞭然です。

表4 歴代の皇位継承と今回の「退位」における皇位継承の比較
イメージ 26

天皇陛下が、「高齢化社会での皇位継承の在り方を考えてほしい」
お言葉(平成28年8月8日)を述べられると、
なんと、「皇室の歴史史上なかった ”退位” が登場」し、
連綿と継がれてきた 
「天皇は辞めることができない、譲り渡すことだけしかできない」
という絶対の慣習が破壊され、
24時間の 「皇位の断絶と空白」 が強制されることになりました。

これは、皇室典範にいう
  「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。」(皇室典範第4条)
  「天皇は、この法律の施行の日限り、退位し、皇嗣が、直ちに即位する」(退位特例法第2条)
に適合したことでしょうか?

断じてそうではありません。
歴代天皇、そして歴代の政権も、
このようなことは断じて行って来ませんでした。

こんなことを喜々として推進している
  内閣官房長官 菅義偉(すが・よしひで)
  宮内庁長官 山本信一郎(やまもと・しんいちろう)
の罪はいかほどのものでしょうか。

イメージ 16

スキマを開けてはならない

いかがですか?
古来の天皇制が4月30日に終わるということ、
どう解釈しても、そうでしかありません。

古来の慣習や皇室典範が悪意で解釈され、破壊されています。
古文書を曲解し 「退位の儀式」 を正当化しようとしています。

すでに、法令、古文書、儀式の解釈は、
「天皇制廃止論者」の手に渡ってしまっています。

であるなら、今回強制される 「スキマ」は必ず悪用されます。
今回の「退位特例法」が悪用されているように。

スキマは「断絶」の意味となり、
125代の天皇の制度は4月30日に「廃止・廃位」となった、とされます。
理論化は容易です。
古来の儀式や法令と、今回のものは全く異なるからです。
そして、24時間のスキマが開いているからです。

スキマは必ずマモノ(天皇制廃止勢力)にさらに悪用されます。
次の天皇にも退位を強制した後、
皇位継承予定者に圧力をかけ辞退させれば、
天皇の位は永久に失われます。

今回の「退位特例法」およびそれに基づいた「退位の礼」は、
「天皇はやめることができない、皇族に引き継ぐことしかできない」
という絶対の掟に反しており「違憲」です。

4月30日の「退位の礼」は取りやめ、
5月1日に「譲位・受禅の礼」を行うべきす。
4月30日は今上天皇の「譲位パレード」を行えばよいことです。
これが、歴代天皇の「譲位」の伝統を尊重し、
最後の「譲位」であった光格天皇の「譲位」に沿う方法です。


菅官房長官・宮内庁は伝統を破壊し、
天皇陛下・歴代天皇を冒涜しています。
すでに天皇に弓を弾く  「朝敵」  となっています。
直ちに、責任をとるべきす。

イメージ 23


ああ、人生こわい、こわい
側近が騙してるんですから!

つづく

この記事に

開く コメント(19)[NEW]

開く トラックバック(0)

宮内庁は、古文書を曲解し、公文書を捏造して、
譲位パレードをしない根拠とした。
天皇陛下の側近たる宮内庁が、
故意に天皇陛下や安倍総理をミスリード。

譲位される天皇陛下に国民が直接感謝をお伝えするには、
譲位パレードがふさわしい。
政府はなぜ光格天皇にならって実施しないのか?

ああ、人生こわい、こわい
側近が騙してるんですから!

イメージ 1


最後の平成のお正月シリーズとして、
をスタートいたしました。

この記事は、
  平成の「退位」5大疑問の3
    偽りの報告をもとに光格天皇が重視された譲位パレードを行わないのはおかしい
についてです。

3.偽りの報告をもとに光格天皇が重視された譲位パレードを実施しないのはおかしい
  内閣府・宮内庁による儀式破壊の問題

 宮内庁は「歴史上の実例」(平成30年2月20日公表)で、光格天皇の路頭の儀(ろとうのぎ、パレード)についても古文書を読めていない。その結果、光格天皇の路頭の儀(パレード)は公衆に公開されたものではない、と虚偽の公文書を作成している。

 光格天皇が行われたパレードは、800人を超えるお供に平安装束を着せた大規模なものだった。重要人物によるお見送りは2名でありその内1名はパレードに参加したので実質1名である。このパレードはお見送りではなかった。さらに、パレードの沿道には桟敷席が設けられ、公家・武士だけでなく町人にも公開されたものであった。このことは、「光格天皇実録」「仁孝天皇実録」および「桜町殿行幸図」を見ればわかる。

 天皇陛下は国民統合に意を砕いてこられた。そして、国民各位に感謝の意を述べておられたことは広く国民の知るところである。しかし、国民にはその感謝の意を伝える場がない。正月の一般参賀には、過去最高の16万人が訪れた。これは正月の挨拶の場である。即位30周年式典は周年行事。平成の御代全体への国民への感謝、国民からの感謝の心が交わされる場として、譲位のパレードほどふさわしい場はない

 政府・宮内庁は、なぜ「歴史上の実例」を歪曲してまで、譲位パレードを拒むのか。この実質的な責任者である内閣官房長官および宮内庁長官は、責任をとり直ちに辞任すべきである。

解説

平成の「退位」5大疑問の2
では、
宮内庁が古文書を読めていない、という
驚きの事実をお知らせしました。

この記事はその続きになります。

宮内庁は、光格天皇が最も重視された
「路頭の儀(ろとうのぎ、パレード)」を、
事実上意味のないものだったと整理しています。

そして、だから、今上天皇のご譲位においても、
  譲位パレードは必要ない、
  吹上御所から宮殿松の間に移動するだけでいいのだ、
という結論を導いています。

「盛大な譲位パレードがあった。
しかし、今の御時世には必要ない」
という論理ではありません。

「取るに足りない パレードとも
言えないお見送りがあっただけだ。
だから、譲位パレードは必要ない」
という仰天の論理なのです。

そもそも、光格天皇は、
伝統的な儀式の復活に熱心に取り組まれた天皇であられました。
御所の建物を平安時代の姿に戻されたり、
由緒ある神社のお祭りを復活されたり、
朝廷の儀式を復活された天皇であられます。

その目的のひとつは、朝廷の威光の復活でありました。
幕府に朝廷にまつわる伝統の力を認めさせるというものです。
江戸幕府の歴史は高々11代・200年(光格天皇の当時)、
一方朝廷は神武天皇から数えて119代・2400年以上
この違いにかけられた天皇であられたということです。

その総仕上げが、譲位パレードだったのです。

イメージ 26
光格天皇の譲位パレード 「桜町殿行幸図」

政府にも宮内庁にもなにか根本的な見立て間違いがあると思われます。
  『今上陛下から皇太子殿下に大切な御代が譲られるのだから、
  古式ゆかしく是非とも盛大にやろう』
と言えば、
おそらく大賛成はないまでも、
多くの国民の賛同は得られます。


イメージ 22
イギリスの女王陛下お誕生日のパレード

今は、日本の企業も経済もパッとせず、
近隣諸国からはナメられ、
春からは単純労働の外国人がやってくるのか・・・、
と国民が落ち込んでいる時です。

こんな時にあっても、
いや、こんな時だからこそ、
我々日本国民が誇りうるのは、
世界中に我が国にしかないご先祖からの宝物、
2600年を超える伝統です。

光格天皇のようにこれにかけよう。
諸外国にも見せつけよう。
国民の教育にもなるし、
伝統産業の活性化にも、
日本の観光力のアップにもなる。
東京オリンピックのPRも兼ねられて一石何鳥にもなる。
天皇陛下ありがとう!

という話のはずです。

これを逆さにして、
  日本はいつまでも伝統に固執する。
  これを断ち切らなければならないのだ。
  日本の象徴たる天皇にそれを実行させるのだ。
とでも妄想しているのではないでしょうか。

「歴史上の実例」の問題点

さて、宮内庁の作成した「歴史上の実例」を見てみましょう。
イメージ 27


イメージ 3

イメージ 2

まず、1行目から仰天です。
天皇陛下がいくら「譲位」と仰せでも、
宮内庁ははっきりと、
光格天皇の時は「譲位」だったが、
今回は「御退位」だ、と書いています。

なぜ「退位」には「御」があり、「譲位」にないのかはおいておきましょう。

前の記事で、
  宮内庁は天皇陛下に命令する役所だ、
と書きましたが、
まさに、こういう文書を通じて、
宮内庁は天皇陛下に「退位と言え、と命令しているのです。

本来であれば、
  今回の「御譲位」の儀式
とすべきですね。

なお、正確には、光格天皇のほうも、
  光格天皇から皇太子への譲位・受禅の儀式
と書くべきです。
こう書く場合は「譲位」は狭い意味で
  譲位の宣命が読み上げられる儀式
を指します。

しかし、受禅(じゅぜん、譲られた皇位を受けること)を書かないのなら、
「譲位」とは、
  天皇から皇太子へ皇位が譲られる儀式全体
を指します。
以下、この広い意味の「譲位」を前提として話をすすめます。

儀式の場所について

2行目を見て下さい。再度、示します。
イメージ 20
場所は、
  仙洞御所(桜町殿)
とあります。仙洞御所(せんとうごしょ)は上皇の御所のこと。
しかし、歴史的な事実に基づくと、
  紫宸殿・仙洞御所・清涼殿
となります。

右側に書くべきものは、
  宮殿 松の間
だけでよく、
  (仙洞御所未整備)
は不要です。

なぜなら、光格天皇の場合のみ例外的に、
場所が仙洞御所に及んでいますが、
譲位の儀式の基本的な場所は紫宸殿で、
現在ではそれが 宮殿 松の間 にあたるからです。

譲位の本来の場所は紫宸殿。
このことがばれないように、
わざわざ、「貞観儀式の譲国儀」においても、
儀式の場所は「上皇御所(仙洞御所と同じ)」
改ざんしたのでしょう。
イメージ 8

イメージ 25
当時の仙洞御所の絵図 (出典:国立国会図書館デジタルコレクション
※この書誌情報には誤りがある。解題には、「書写年次の記載はないが、
一括資料との関係から江戸時代前期のものと推定。」とある。
しかし、「大工頭中井家建築指図集−中井家所蔵本−」、平成15年、思文閣出版
と照合すると、これが寛政度の図面で、光格天皇の譲位の時のものとわかる。

譲位パレードについて

次、3行目を見て下さい。再度示します。
イメージ 21
内裏から仙洞御所への行幸について、
  あり
はよいのですが、
  (注1 参照)
は不要です。

右の列は、
  御所から宮殿への御移動
ではなく
  御所から仙洞御所付近へのパレード (仙洞御所未整備)
となります。

なぜそうなるかと言えば、
この「内裏から仙洞御所への行幸」は単なる移動ではなく、
公家・武家・町人へ向けたパレードそのものだったからです。
仙洞御所はまだ未整備ですから、
ご近所となる高輪プリンスあたりへのパレードとされれば歴史を再現可能です。

宮内庁が
内裏から仙洞御所への行幸」は、
単なる移動に過ぎなかった
と強弁するためにつけたのが
注1です。

注1を再度、示します。

イメージ 4

これまた仰天の内容となっています。

歴史的事実はこうです。

光格天皇は、譲位儀当日、内裏から鳳輦により、上級官人約80人およびその従者や警備の武士さらに町人代表など総勢800人を越える者を従えて仙洞御所へパレードされた。この際、お見送りは2名で内1名は途中からパレードに参加した。沿道には桟敷席が設けられ公家・武家・町人ら多数の公衆がこれを拝見した禁裏(現在の京都御苑にほぼ相当)外からの拝見の便宜を図るため、乾御門・蛤御門・清和院御門は開放された

譲位パレードの実際

「光格天皇実録」「仁孝天皇実録」によると、
光格天皇の仙洞御所への行幸の道筋は次の図の通りです。
桟敷席を設け、
禁裏外からの拝見のために3つの門を開けたことも記されています。
桟敷席は図の中の場所の他、
内裏の内にも設けられたようです。

イメージ 5

イメージ 9
光格天皇の乗られた鳳輦(ほうれん)を先導する公家衆

イメージ 6
光格天皇が乗られた鳳輦(ほうれん)

イメージ 7
桟敷席の武士や町人たち

この「譲位パレード」の様子は、
「桜町殿行幸図」として、
大きな巻物で、長さ20メートルです。

桜町殿行幸図
文化14年(1817)に退位した第119代光格天皇上皇の御所である仙洞御所へ向う行列を描いたものです。当時の仙洞御所は桜町殿と呼ばれ、幕府が後水尾天皇のために造営した御所で、その地が桜を愛し桜町中納言と呼ばれた藤原成範(1135-87)の屋敷跡であったことから、その名があります。光格天皇(1771-1840、在位1779-1817)は、閑院宮家より入り8歳で即位し、石清水神社や賀茂神社の臨時祭の復活や朝廷の儀式の復興につとめました。後に実父典仁親王への太上天皇の尊号をめぐって、幕府と「尊号事件」といわれる事件を起こしています。
原図サイズ:長さ2040cm×紙高60.7cm

なお、説明は正確ではありませんね。
文化14年(1817)に譲位に先立って・・・
です。
この行列は譲位の宣命の直前ですので。

みな平安装束をまとっての行列です。
光格天皇は参加者の装束を発注され、
パレードに参加する公家や武家に配布されたそうです。
特需ですので、西陣の装束屋も大喜びだったことでしょう。
むろん20メートルの巻物のために大勢の絵師も動員されています。

イメージ 23

イメージ 24

娯楽の少ない時代ですから、
この一世一代の大行列は、
京都中の話題となったことでしょう。
そして、直接見られない幕府に向けて
絵巻物がつくられたのです。

大行列なのに「お見送り」という宮内庁

ところで、一緒に歩くのは
  「お見送り」
とは言いませんよね(笑)
  「お見送り」
自分はとどまって移動していく人を見ることです。

宮内庁には、この行列が、
「お見送り」に見えるそうです。

イメージ 10

何が何でも、
パレードがなかったことにしたかったのでしょう。

古文書による「譲位パレード」の実際

なお、歴史的な事実の証拠をお示ししておきます。
「仁孝天皇実録」や「光格天皇実録」には様々な記述が残っています。
仁孝天皇(にんこう てんのう)は光格天皇から譲位された天皇で、
即位前は寛宮(ゆたのみや)恵仁親王(あやひとしんのう)と申し上げました。

以下、興味のある方のみお読み下さい。
字は小さくしておきます。

例えば、京都所司代大久保加賀守(かがのかみ)は、
光格天皇を御所(当時は、御常御殿/おつねごてん のこと)にお迎えにゆく役目でした。

仁孝天皇実録 文化14年3月22日(譲位・受禅の当日)の記には、
イメージ 15
と、あり、光格天皇が桜町殿(=仙洞御所、上皇御所)に例の大パレードをされ、
その後そこから剣璽が渡御されて、(仁孝天皇が)清涼殿において受禅された、とあります。
そして、関白である一条忠良(いちじょう ただよし)に従来どおり関白を続けるよう命じられました。

同日の、「寛宮(ゆたのみや)御用雑記」には「お見送り」に関して、
京都所司代の大久保加賀守が、光格天皇を御所にお迎えにゆく役目だったことが述べられ、
お迎えの後、「唐門腋門より御門外南方にて御見送り」とあります。
唐門とは「宜秋門(ぎしゅうもん)」のことです。当時は唐風の門でした。
加賀守は御見送りだったのかと思いますが、
さらに、「行啓後引続供奉(ぎょうけいご ひきつづき ぐぶ)」とあります。
これは、光格天皇のパレードの後に続いて皇后のパレードがあり、
そのパレードに参加したと記しているのです。
イメージ 14
同じことは、数箇所に書いてありますが、
同日の、「禁裏執次詰所日記」(きんり とりつぎ つめしょ にっき、禁裏の事務方の詰所の日記)には、
イメージ 11
加賀守が衣冠束帯(いかんそくたい)で剣を帯びて参上したこと、内裏内の建物のどこを通ったか、陛下をお迎えに行ったら酒肴の接待があったことなどを述べた後、「御内玄関より唐門腋門を出て、御門南方にて御見送り、行啓御跡より供奉」とあり、宜秋門の南でお見送りをしたあと、皇后陛下のパレードの最後尾について行列したことが記されています。

なお、重要人物でお見送りをされたのは、山科忠言卿(やましな ただとき きょう)だけだったようです。
「光格天皇実録」「山科忠言卿伝奏記」に次のようにあります。
イメージ 17
山科忠言卿はお見送りで待機し、甘露寺大納言などはパレードに参加して仙洞御所へ行き、剣璽渡御のパレードで戻ってきた甘露寺大納言に合流して、新天皇の元に参上したとあります。

また、桟敷席が設けられたことも数箇所に書かれていますが、
同じく同日の「禁裏執次詰所日記」には、
イメージ 12
とあり、拝見桟敷の設営の担当が割り振らた記録があります。
なお、例えば、関白殿(一条忠良 いちじょうただよし)は、譲位パレードに参加していますので、
桟敷席で御見送りをしていたわけではありません。

また、禁裏外の人々に対する公開については、
同日の「寛宮御用雑記」に、
イメージ 16
と、乾御門・蛤御門・清和院口御門からは、いろんな人(町人)が往来したとあります。

同日の禁裏執次詰所日記にも、
禁裏外の人々に対する拝見のための通行に3つの門を開けたことも記録されています。
イメージ 13
禁裏や内裏の門はパレードのために締め切れと書いた後、
清和院門、乾門、蛤門は拝見人の往来のため開けてよいとあります。


政府・宮内庁による譲位への冒涜

江戸時代の天皇は、
国政の機能をもたない、
象徴的な存在でした。

その天皇が果たされたのは、
皇族も、公家も、武家も、町人も、
一同に集って「国民を統合」する
譲位パレードだったのです。

イメージ 19

政府にも宮内庁にも
なにか根本的な見立て間違いがあると思われます。
  『今上陛下から皇太子殿下に大切な御代が譲られるのだから、
  古式ゆかしく是非とも盛大にやろう』
と言えば、
おそらく大賛成はないまでも、
多くの国民の賛同は得られます。

そこに何か変な意図、
イデオロギーが持ち込まれ、
わけのわからない「御退位儀式」が演出され、
神武天皇から125代つづいてきた天皇の制度を
「終了・断絶」させることは、よいことなのでしょうか?

「伝統の破壊こそが国民の統合だ」
というのは、
今上天皇への冒涜でなく何でありましょう。
歴代の天皇陛下のご苦労への冒涜でなく何でありましょう。


古文書を歪曲し、
公文書を捏造してまで、
天皇陛下や安倍総理を騙し、
「退位」が強行されようとしています。

イメージ 18

この一連の法制化と儀式を取り仕切っているのが、
  内閣官房長官 菅義偉(すが・よしひで)
  宮内庁長官 山本信一郎(やまもと・しんいちろう)
なのです。


みなさん、恐ろしい話ではないですか?
本当に、こういう調子で「粛々と準備」が進められているんですよ。
日本会議は何を黙っているんでしょう。

天皇制廃止をもくろんでいる勢力が、
宮中にいる。
総理大臣の側近が操っている。
菅官房長官と宮内庁は、
天皇陛下や安倍総理などを騙している。

ああ、人生こわい、こわい。
側近が騙してるんですから!

つづく

この記事に

開く コメント(3)

開く トラックバック(0)

[ すべて表示 ]


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事