オノコロ こころ定めて

http://twitter.com/umayado17 神武天皇以来125代づついた天皇の御位を守りましょう

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側室制度が廃止されたから、
旧宮家を復帰しても皇統は維持できないというのは「ウソ」
江戸から明治にかけての皇室の状態から逆算すれば、
旧宮家復帰により、一夫一婦制でも、今後200年皇統は安泰だ。

旧宮家は、皇位継承者の先細りを危惧して、
わざわざ明治天皇が永世皇族にされた宮様の末裔である。

女性宮家の創設など、全く必要ない。
明治天皇の叡明に、そして、
昭和天皇の無念に、
今こそ、思いをいたすべきではなかろうか。

旧宮家の皇籍離脱は、占領下とはいえ、
国民主権をうた新憲法の下、新皇室典範の下でなされた。
国民にも大きな責任がある




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皇室の若年男子皇族の数が減少し、
補うために、「女性宮家」なるものが提唱されているが、
男系血統にこだわって成立してきた皇室の存在根拠を崩壊させるため、
まったく論外である。

一方で、大正天皇以来、宮中の長年の伝統であった、
中宮制度(女官制度・側室制度)が停止されており、
現行皇室典範では、一夫一婦制となっている。

これをさして、側室がなければ男子を得られる確率が減るから、
男系男子にこだわる皇位継承は成り立たない、との説がある。
これに対して、医学の発達により幼児死亡率は下がっているので、
問題はないのだ、との反論もある。


そこで、少し調べて見ることにした。

イメージ 1

上の表は、江戸時代の初期から明治天皇までの、
天皇のお后の数と皇子女の数を示したものである。
厳密にいえば、皇后にあたる中宮だけが后と言うべきだが、
ここでは簡単のため、天皇の子をなした女官はすべて后と呼ぶ。
また明治天皇のご正室は子に恵まれなかったがこの中の数に入れている。

これによれば、この時期には16名の天皇がおられ、
2名の女子天皇はいずれも慣例により結婚はされなかった。
以下では、14名の男子天皇のみを論じる。

14名の天皇には、合計して81名のお后がおられ、
205名の皇子女が生まれている。
男女比はほぼ1対1である。
このうち、10歳以上に育ったのは「成人」の欄にあげた122名である。

いいかえれば、天皇は平均して6名(81/14)の后をもたれ、
平均して15名(205/14)の皇子女に恵まれ、成人されたのは約半数強であった。
それぞれのお后は
平均して2.5名(205/81)の皇子女に恵まれ、
成人されたのは約半数強の1.5名であった。

さて、江戸時代は、世襲親王家という制度で皇室は運営されていた。
伏見宮家、桂宮家、有栖川宮家、閑院宮家の4つの宮家があり、
例え多数の皇男子が生まれたとしても、
皇太子およびこの4宮家の当主以外は、全て出家するという制度である。
これは皇族が増えて禁中の力が強くなりぎないようにとの幕府の政策でもあった。
宮家の中には直系が断えたものもあったが、
その際は、天皇の皇子が宮家をついだり、
別の宮家から養子をむかえたりして4宮家を維持していた。
逆に天皇に皇子が生まれなかった時は、宮家が皇位継承した訳である。

天皇+4宮家、という体制は明治維新が起こるまで維持され、
その後、このような変則的な世襲親王家の制度は廃止され、
皇族の子孫はみな宮家をつくり皇族であり続けるという、
永世皇族制になって(戻って)、今に至っている。

簡単にだけ述べると、
明治維新が起こった時、
孝明天皇の成人できた皇子は明治天皇だけであり、
明治天皇にはなかなか皇子が生まれなかったこともあり、
4つの世襲親王家のすべての男子は
すでに出家させられていた宮様も還俗して皇族に戻り、
宮家を設けた。
この宮様方は、江戸時代のように出家させられることもなくなり、
皇族の男子子孫はみな宮家をつくり皇族であり続けるという、
永世皇族制に戻ったのだ。
その後皇族の数の制限のために臣籍降下した男子皇族もおられたが、
終戦後の占領中、
昭和22年10月、GHQの方針に従い、11宮家が皇籍離脱させられた。
この11宮家には、26名の男子皇族がおられた。

さて、女性宮家問題というのは、
現皇室に若年男子皇族が、
皇太子殿下・秋篠宮殿下・秋篠宮若宮殿下の3名だけになっている問題だ。
実は昭和22年に皇籍離脱させられた旧宮家には、
その後も男子が生まれ、30名の男子(内若年男子15名)がおられる。
それゆえに、この旧宮家が皇室に復帰されれば、皇位継承の問題は解決できる。

イメージ 2
東久邇征彦氏にも男児が生まれ、壬生基成氏・壬生基敦氏にも後継者が一人ずついらっしゃる(週刊新潮)
 また、今年の6月に、賀陽治憲氏は永眠なされいました。(産経新聞)

しかしながら、ここで冒頭にのべた

側室が廃止されたから、
側室がなければ男子を得られる確率が減るから、
男系男子にこだわる皇位継承は成り立たない
との説がある。
これに対して、医学の発達により幼児死亡率は下がっているので、
問題はないのだ
との反論もある。

という第2の問題が出てくるわけなのだ。
そこで、一番上の表をもう一度見ていただきたい。(次に再掲)

イメージ 1

簡単に言えば、
天皇ひとりあたりお后が6人おられ、平均2.5人の子をもうけられ、
平均1.5人が成人して、合計9人の成人皇子女が育っていた。
世襲4宮家に何名のお妃や子女がおられたかについては、
今手元に正確な情報がない。
安全のため天皇と同数のお妃を抱えられていたと想定しておこう。

つまり、天皇+4宮家の体制というのは、
5人の当主(天皇+4宮家の当主)の男子皇族がおられ、
それにお后のが各名で、30おられた。
そこから子供が302.5=75人生まれ、
成人したのが301.5=45人となる。
その結果、各世代において、皇族が45名(男女含む)、という体制だった。
また
これで、200年以上にわたり、皇位は安定して継承できたということになる。

現在は医療の発達により、子供を授かる=成人する、と言いうる状況にある。
当時は、お后一人あたり2.5名の皇子女を授かっているから、
今なら、授かった 2.5=75名全員が成人することになる。
江戸時代と同程度の安定性で十分ということであれば、
成人は45名でよい
お后一人あたり2.5名の皇子女だから、
今なら、45名の成人を得るには、45/2.518名、ということになる。
江戸時代ならお后は30名必要だったが、
医学の発達により、18名で大丈夫と言うことになったわけだ。

ここから、江戸時代と同程度の安全性・安定性で、
皇位継承をするには、
各世代において、18名のお后がおられる状態であればよいということがわかる。
これであれば、男子を授からないお后がおられたとしても、
次の世代において、また18名の成人男子皇族が育たれて婚姻され、
という「持続可能性」が担保される。
(※天皇陛下をふくめ、18名の男性皇族が18名のお后と結婚され、
  45名の男女皇族が生まれ、内半数の22名は男性で、
  そこから4名は臣籍降下されて、次の代も18名の男性皇族となる。
  中には結婚されない宮様もおられるかもしれないが、そのような方も3名までなら大丈夫だ。)

かつては一人の男子皇族が複数のお后と結婚される状態にあったから、
つまり側室制度を前提とすれば、
天皇+4宮家でよかった。
しかし、一夫一婦制を前提とすれば、宮家の数=お后の数となるから、
天皇+17宮家という体制を維持すればいいことになる

一夫一婦で離婚を前提としなければ、
お后によって男子を授からない時点で血統は絶える(宮家断絶)が、
それ込みでの宮家継承だからである。
逆にこれ以上宮家が増える場合は、適宜臣籍降下すればいい。


実際には、江戸時代の世襲宮家がすべて6妃体制だった訳ではなく、
現実にはこれより少ない。
ゆえに、「概ね17宮家」という水準である。
なお、ちなみに「宮家」は、「核家族」ではなく三世代型の「大家族」である。

現在は、この適性水準に比べ、
  天皇−皇太子
  −−
  秋篠宮−若宮
  常陸宮(断絶が予想される)
  三笠宮(断絶が予想される)
  桂宮(断絶が予想される)
  高円宮(断絶が予想される)

で直宮は5宮、
旧宮家は15名の若年皇族で、内幼年4名である。
つまり、旧宮家で11宮家を維持出来る。
直宮に加えて16宮家体制である。
これで「概ね17宮体制」となる。
確実に17宮家ということであれば、
旧宮家で他家に養子にいかれそこで子をなしておられる方もおられる。
東久邇宮系統の壬生家)

つまり、旧宮家のすべての若年男子に皇室に復帰頂いて、
(より安全には、旧宮家で他家に養子にいかれた方も復帰頂いて)
初めて、「江戸時代程度の皇位の安定が期待できる」と言える。
また、逆に言えば、
旧宮家のすべての若年男子に皇室に復帰いただけるなら、
一夫一婦制によっても、「江戸時代程度の皇位の安定が期待できる」と言える。


故に、以上の検討により、

  旧宮家の全面復帰により、
  皇位継承は今後200年安泰である

と言いうるのである。

  女性宮家の創設など、全く必要ない。

とも結論できるのである。


ところで、旧宮家の皇籍離脱はGHQの方針で、
皇室財産の国有化(ようするに没収)
皇族(旧宮家)への歳費カットによる兵糧攻め、
皇族への過酷な財産税の賦課、
によって、旧宮家の臣籍降下は強制された。

しかしながら、これと並行して行われた皇室典範の改正作業は、
まったく、日本人の手によるものである。
GHQは、皇室に残る皇族については従来のまま維持する予定だった。
皇室典範を一般法に格下げする指示はしたが、内容改変は一切要求しなかった。
宮沢俊義をはじめとする「赤い日本人」は、GHQの意向を「無視」して、
様々な改悪をなしたが、中でも、
庶子からの皇位継承権の剥奪は、悪質だったと言うべきだ。

昭和天皇は大正天皇にならって側室を廃止されたが、
当時は、現在旧宮家となっている男子皇族が多数おられた。
それ故、安心して側室を廃止されたと思われる。

庶子からの皇位継承権の剥奪とは、
側室からの子供には皇位継承を認めない、
というもので、
一見、昭和天皇による側室廃止を法制化しただけに見えるが、
以上のような考察を前提とすれば、

  「側室廃止による、男子皇族の自然減少で、皇室の自然消滅」

画策した「改悪」であったことが明らかになるのだ。
なぜなら、上に上げた計算は、おそらく、既に占領中にはできたはずだ。
この計算を逆から使えば、

  宮家を減らした上で、側室廃止を制度化すれば、宮家の断絶が相次ぐはず

こう判断出来て当然だからだ。
皇籍離脱の時点で宮家は
天皇+秩父宮・三笠宮・高松宮・常陸宮
の4宮家体制だった。
改めて述べるまでもなく、これで皇統を維持するには側室制度が必要になる。

昭和天皇は、旧宮家の皇籍離脱に最後まで抵抗されたという。
繰り返しになるが、現在旧宮家には、15名の若年男子「皇族」がおられる。
例え、一夫一婦制の下であったとしても。
この復帰だけで、皇統は、今後200年にわたって磐石である。
旧宮家は、明治天皇が皇位継承者の先細りを危惧して、
わざわざ永世皇族にされた宮様の末裔である。

明治天皇の叡明に、そして、
昭和天皇の無念に、
今こそ、思いをいたすべきではなかろうか。

旧宮家の皇籍離脱は、占領下とはいえ、
国民主権をうた新憲法の下、新皇室典範の下でなされた。
国民にも大きな責任があるのである。



日本
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うまやど先生。明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
仰せのとおりだと思います。
是非そのようになって欲しいものです。☆

2012/1/10(火) 午前 0:28 ピコさん 返信する

伊古彦さん

あけましておめでとうございます。

わかりにくい所がありましたので、追記しておきました。

本年もよろしくお願い申し上げます。

2012/1/10(火) 午前 11:11 うまやど 返信する

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皇籍離脱の皇族を担ぎ出そうとする面々は、なぜに天皇陛下の血が濃くて結婚適齢期を迎えつつある女性皇族の方々と皇籍離脱の皇族の男子で結婚していただけば、よろしい。
俗物の世界から、いきなり皇族に戻り、他の皇族の方と遜色なく皇族として立ち振る舞ってくださいと?
女性皇族を妃にしない場合は、旧華族か名士の品行方正・容姿端麗の令嬢を妃に迎えると??

色々と、言っていることが杜撰だよ

2012/1/12(木) 午後 6:42 [ CKKpressure ] 返信する

CKKpressureさん

ご心配なく、

ゝ豕棆箸良活
堂上公家の復活
「皇室会議」を「皇族会議」に戻す事
ぁ峙榮眥」を内閣府に上位する「宮内府」に昇格させ、長官・次長・書陵部長は公家に専管。又、侍従長・東宮大夫なども公家に限定
ド垠漂瓩良活
Σ畋押文家華族と大名華族のみ)制度の復活
陸上自衛隊と其の後身(陸軍)に大隊から連隊規模(凡そ250〜300名規模)の「近衛部隊」の創設(天皇陛下・御皇室を物理的脅威(戦争・テロ等)から御守り致す)

をセットにしていますので。

2012/1/12(木) 午後 6:57 うまやど 返信する

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オノコロさん
復帰派と婚姻復帰派ね、あるハードルを越えないと、どれだけ騒ごうが自己満足の域をでない。そのハードルとは、婚姻適齢期の男子が復帰しない事です。
皇籍離脱した皇族の方々で婚姻齢期を迎える男子が「皇族に戻るのはまっぴらごめんだ!我が道を行く」と、言ったら、それで終いです。

あと軍の編成だけど、連隊の下に大隊があります。編成規模にもよりますが、近衛部隊は、近衛連隊か近衛大隊でしょうね。

2012/1/12(木) 午後 10:30 [ CKKpressure ] 返信する

CKKpressure さん

「復帰派と婚姻復帰派」?

婚姻復帰派っていうのは、あれだろ? 女性宮家つくらせて養子とりだろ。
皇室破壊工作そのものだね。

>「皇族に戻るのはまっぴらごめんだ!我が道を行く」と、言ったら、それで終いです。

お終いの意味がわからん。「思い」が絶対だとか思ってんじゃないの?
どこの宗教?

2012/1/13(金) 午前 9:21 うまやど 返信する

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>>お后一人あたり2.5名の皇子女

2006年3月ごろに竹田恒泰氏のブログで中川八洋の著書読んで男系論ぶっていた「はてな」と申します。一夫一婦でも確率的に維持できるという話ですが、その時代は若年で結婚していたことが多いでしょう。

旧典範下でも25前後の王殿下と二十歳前後の王妃殿下の御結婚という例が多いです。高齢結婚、高齢出産を減らさないと一夫一婦でも厳しいのではないのかなと思います。

2018/12/2(日) 午後 0:01 [ kei**rwet*are* ] 返信する

現皇族が高齢結婚となるのは、皇族の家計を支える皇族費が安すぎて対面を保ちにくいから、というのがあると思います。これを早急に改める必要があります。

https://www.nenshuu.net/shoku/tennou/tennou.php

2018/12/9(日) 午後 9:19 うまやど 返信する

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うまやどさん

すみません。前回ログイン状態でした。
皇室会計を充実させて、さらに大学を出られ留学から帰国されたらすぐ婚姻される流れを定着していただきたいものです。その前にまずは東久邇氏や賀陽氏、壬生氏など旧宮家男系男子の方々に皇室に王殿下として復帰してもらいたいです。宮家男子がほとんどおられない現状は大変不安です。 削除

2019/1/14(月) 午後 3:56 [ はてな ] 返信する

はてなさん

おっしゃる通りですね。皇室を守ってきた九重の守りは今や全くなくなってしまっています。旧宮家はなく、常上公家はなく、近衛兵はなく、陛下に直属の宮内省はなく、宮内省のエリート集団もなく、皇室財産・会計の自治はなく、皇族会議はなく、宮務法体系もなく、不敬罪も失われたままです。

2019/1/14(月) 午後 5:39 うまやど 返信する

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