オノコロ こころ定めて

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バークのキーワードである「偏見・先入観」という言葉は、
現代日本では「悪の代名詞」です。
しかし、それが讃えられているということの意味を、
我々は深く味あわねばなりません。

イギリスの政治家であり思想家であった、
エドマンド・バークが記した
フランス革命の省察
という本があります。
 
この本は、「保守主義」の哲学書・稀有のイデオロギー書
と、世界各国、特に、イギリス・アメリカの政治学者から
讃えられている本です。
我が国では、筑波大学名誉教授の中川八洋先生が、
精力的に紹介されています。
 
本ブログの過去の転載記事
 
  「バークの保守主義」(転載元「伊藤ヒデキの憂鬱」)
 
にこんなコメントを頂戴しました:
オノコロさんが上で薦めている、みすず書房出版の『フランス革命の省察』。
これもう今から10年以上も前に買ったのですが、未だほとんど未読状態(苦笑)。

チラッと目を通してみて、どうにも読み辛くて、解かり辛いというか・・・・・・。
「フランス革命のここがこういう風にダメ」って感じじゃなくて、あんまり具体的じゃないなと。
それに「フランス革命と一体何の関係があるの?」
と言いたくなるような記述も多かったような印象がありますが。
 
以下、このコメントへの返事を紹介し、
フランス革命の省察」の我が国における今日的意義について、
考えてみたいと思います。
 
イメージ 1
 

 
フランス革命の省察』は、日本の明治維新に、
もうひとつありえた歴史だと思ってください。
当時我が国は、倒幕か佐幕か、で分かれていたのでした。
そして、大政奉還が行われた後、
もし、宮廷クーデターが起きなければ、
徳川幕府が近代化した政府・社会というのも存立しえたかもしれません。
 
イギリス政府では、いまも、
バッハのような髪型をして裁判をしておりますし、
上院は貴族院であって諸侯が議席を有しております。
これは、我が国でいえば、裁判官が裃を着て裁判をし、
上院は、
公家と大名(と新興財閥)が議席を有しているというようなものです。
そんな日本では、
古来の法・古来の掟(コモンロー)と、
近代の法・近代のルールが共存・並存、
正確にいえば、古来の法に近代の法が従属していたことでしょう。
 
我が国がそんな道を歩むのに必要だった書が、
フランス革命の省察』なのです。
もちろん、我が国は
近代革命」として明治維新を行ったのではありません。
半ば封建を残し、半ば強烈に近代化いたしました。
その折衷・接続こそが「維新」の「よさ」であったといえます。
もし、即座の完全な近代化をなしていれば、
我が国は、既に消滅し、どこかの植民地となっていたことでしょう。
このことについては、ここではこれ以上論じません。 
 
近代化というのは、
無制限に完璧に世の中を作り変えてしまいます。
現代日本がその事を物語ります。
古きものは、どんどん追いやられ、
風景は変わり、人間関係はどんどん人工的になっていっています。
 
これに抵抗するには、(ここから修正、H24/8/28)
古来の姿」を守る方法をイデオロギー化し、
イデオロギーの次元において、
古来のやり方を擁護する必要があります。
近代化はイデオロギーですのでので、
同じ次元で対抗できなければ伝統は負けてしまうのです。

例えて言えば、
農薬万能となってしまった農業において、
「減農薬」「無農薬」を定義して普及しない限り、
「有機農法」「自然農法」は忘れられ、
自然な農作物は手にすら入らなくなってしまう、
というようなものです。(修正ここまで、H24/8/28)
 
 
フランス革命の省察」は、
海峡を挟んで反対側のフランスで勃発した「フランス革命」に対峙し、
その上陸を阻むために、
エドマンド・バークによって書かれた思想書です。
 
 
イギリス古来の社会がどのような(ここから修正、H24/8/28) 
原理で成り立っているのか、
どのような原理で擁護されているのか、
という
古来の社会原理を
イデオロギーというフランス革命によって生じた
あらたな思考スタイル(思想)の形で、
表現したものです。
(修正ここまで、H24/8/28)
 
我が国はこれに残念ながら失敗しています。
特に占領と戦後教育のいきわたりによって、
古来の社会は息の根をとめられようとしています。  
 
いわゆる自然状態とは端的に野蛮な、非人間的状態にほかならず、真の自然な状態とは社会状態である。しかもこの自然状態は長期にわたって人々が営々と築き上げてきたものであって、各々の国制は慣習(prescription、明文化されない決まりごと)を通して確立してきている。人々の権利もまたこの慣習の中で確立し、人々はその範囲内で「秩序正しい自由」を享受することができる。人々が有するのは人権という抽象的な権利ではなく、具体的な内容を備え、伝統的に確立してきた「真の権利」なのである。そして人々が国制を支持しているのはそれが理性にかなうからではなく、ひとえに長い間にわたって定着した先入見(prejudice)の故である。人間はいわゆる理性的動物ではなく、習慣と先入見、さらには宗教によって抑制されない限り破壊と暴走とに陥る、極めて危険な存在である。先入見こそは人々を制度に結びつけ、権利や権力の乱用を防ぐ、最も重要な要素である
 
さて、現代日本で「フランス革命の省察」を読むと、
余りの世界観の異なりに目がくらみます。
 
なぜなら、彼らが擁護しようとしているものは、
我が国では、

「とうに放棄され」
「封建的だと、悪のレッテルをはられ」
「いまなお復活を阻止すべくあらゆる方策が張り巡らされている」

ものだからです。

 
バークのキーワードである「偏見・先入観」という言葉は、
現代日本では「悪の代名詞」です。
しかし、それが讃えられているということの意味を、
我々は深く味あわねばなりません。 
 
偏見・先入観」は、
家庭教育や様々な人生経験の中で与えられるものの見方です。
伝統的に形成された「偏見・先入観」は凡人を守ります。
例えばでいえば、「男らしさ」「女らしさ」という偏見や先入観は
ほとんどの男子と女子の人生を豊かにします。
これに対して「それは偏見だ、ジェンダーだ」と投げつけるのが、
フランス革命の特徴」なのです。  
 
さて、我が国では、戦後、 
男らしさ」「女らしさ」は間違っていると
幼いころから刷り込まれるに至りました。
そんな子どもにとっては、
男らしさ・女らしさは誤り」というのが「先入観・偏見」に
なるわけです。
戦争はしちゃいけない・差別してはいけない」でも同じ事です。
 
そんな「先入観・偏見」を形成させられるに至っている
我々が、「フランス革命の省察」から何を学び取るべきでしょうか。
 
第一の問題は、単純に「先入観・偏見」が正しい、と言えないという問題です。
少なくともそういう前に、
  あなたがいう「偏見」とは、「古い偏見」のことですか?
  それとも「新しい偏見」のことですか?
と問わねばならなくなってしまっているという事です。
 
第二の問題は、「古い偏見」というのが、「正しい先入観・偏見」だとして、
この古来の正しい「先入観・偏見」が
自覚できないか、
あるいは「悪だということで抑圧されて思い出しにくく」
あるいは「言語を与えられていない」状態になっている事です。
 
古来の”正しい”「偏見・先入観」は、
人間の自然に基づいていますから
消滅している訳ではないですが、
近年積極的に育てられなかった結果、
学校教育やメディアから排除された結果、
悪いものだと思い込んだり、
言葉にできなかったりする訳です。
 
 
真正保守の立場に立つとき、
 
・古来の”正しい”「偏見・先入観」に、いかに言葉を与え、再自覚するのか、
・さらに、バークの本来の主張である「フランス革命的思考を解毒し中和」すること

これらの2つを同時に行わなければならないし、
そのことを効果的に行いうる方法論をみつけなければならない
ということになるのです。
 
 
 
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転載元転載元: オノコロ こころ定めて

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ご挨拶が遅れましたが、転載させて頂きました!!
実は、この本はまだ未見です。ハイエクの「隷属への道」を読破次第読ませて頂きます。粗方、中川先生の本で紹介された内容だと思われますが、読まねば為らぬ一冊ですよね。また、池田先生の本を取り合えず2冊程読みましたが、歴史の尊さと先人達の叡智に心震わされる今日この頃です。夏休みの宿題が沢山残っている状態ですが、素晴らしい先輩方との出会いに感謝です。兎にも角にも、自分自身の小さな脳ミソで考えるのではなく、歴史の縦軸に学んでいきたいと思います。

ナイス!☆ランクリ&転載

2012/8/23(木) 午後 5:36 so-kei♪ 返信する

So-keiさん

ありがとう!

2012/8/23(木) 午後 7:46 うまやど 返信する

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バークの「フランス革命の省察」(E.Burke著、半沢高麿訳、みすず書房)は、正直、この一冊だけでは内容の理解は難しいので、中川八洋教授の「正統の憲法 バークの哲学」「正統の哲学 異端の思想」「保守主義の哲学」や、http://burke-conservatism.blog.so-net.ne.jp さんのブログ、http://www.geocities.jp/burke_revival/ のHPとの併読がお勧めです。なお、佐藤健志『新訳 フランス革命の省察―「保守主義の父」かく語りき』はバークを貶める極左が書いた悪書ですので、要注意ですね。

2012/8/24(金) 午前 8:33 [ コウキ ] 返信する

アンパンさん

仰るとおりです。ご指摘の参考書類がないと、真意は理解できません。

>佐藤健志『新訳 フランス革命の省察―「保守主義の父」かく語りき』

極道のやる仕事はありえないレベルで執拗ですね。

2012/8/24(金) 午前 9:15 うまやど 返信する

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ナイス!、ランクリです。

私にとっては難しいけれど大変奥深い記事のように思いますが、この記事を書かれた理由の一つに、現代の日本人に必要なものは「温故知新」[旧(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知ること]であることも含まれているのでしょうか?

かつて、日本古来の神ながらの道である『あたらしい道』の提唱者であられた松木天村先生(西暦1892〜1975年)の詩を、次に引用させて頂きます。

古くして 古きものは亡ぶ
新しくして 新しきものもまた亡びる
最も古くして
常に新しきものは 弥栄える
朝の太陽は
最も古くして
最も新鮮な 久遠の存在である
あたらしい道は
最も古い 日本民族の道統を
現代に 新しく復元する
世界の和平と繁栄に通ずる
朝の太陽の道だ!

※実は、私の父が生前中に昭和39年から平成10年まで『あたらしい道』で教えを受けました。

2012/8/26(日) 午後 11:25 [ daisinshoten ] 返信する

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追伸
新しくパソコンを購入し、昨日ブログを再開させて頂きました。
今後とも、どうぞよろしくお願い致します。
ただ、外泊や時間的な都合のため、時々、簡単なコメントしか書かせて頂くことが出来ませんが、どうかご了承願います。
また、私自身のブログの記事も、時々書かせて頂けるように努力致します。

2012/8/26(日) 午後 11:26 [ daisinshoten ] 返信する

daisinshotenさん

太陽の例えはわかりやすいですね。まったくそのとおりと思います。

2012/8/27(月) 午前 9:59 うまやど 返信する

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バークの思想を大雑把かつ乱暴に一言で表せば「人間の理性には欠陥がある」ということでしょうか?只、この考え方は突き詰めていけば結局、キリスト教的価値観に基づくもので、日本人の価値観とは相容れない部分も多いように思います。日本人って?人間は努力すれば何でもできる(つまり人間は本質的には万能である)″と心の底から信じている民族ですからね。 削除

2012/8/27(月) 午前 11:04 [ ありがとう ] 返信する

ありがとうさん、

「万能」の意味が違うんですわ・・・。

我々は、「まごころ万能」と信じている節があるんですよね。
しかし、そこには含みがあって、まごころを踏みにじってくるヤカラは、脅したり、諭したり、いろいろするけれど、どうにもダメとなれば、ぶっ叩く訳ですまごころで。

しかし、「理性」というのは、「まごころ」ではないんですわ。
いわば、「屁理屈」のことなんですね。

すると、西洋風には「屁理屈万能」と考えている流れがあり、
それが、ルソー・マルクス主義なんです。

で、そんなのは、「まごころ」を破壊するので、ぶっ叩くしかない、という事です。
まごころで(笑)

2012/8/27(月) 午後 6:11 うまやど 返信する

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今まだ紹介されている本はやっと半分ほど読み進めた所です。
身近な事でなんですが、度量衡の単位の成り立ちというか元になったものを調べるとメートル法(理性・屁理屈)、ヤード・ポンド法とか尺貫法(慣習・伝統)とも見られるかなと思いました。
メートル法がちょうどフランス革命が起きた頃にできた単位ということと無関係ではないのだろうなと思いながらもう半分を読み進めようと思っています。

2012/8/29(水) 午後 11:57 [ まめお ] 返信する

まめおさん

太陽暦と太陰暦とかもそういう関係のものと思われます。
また、成文法と不文法とか、
官庁による許認可経済と自由経済とか、
人権教育と道徳教育とか
小学校と寺子屋とか
・・・

いろいろありまくっているような感じなのです。

2012/8/30(木) 午前 0:02 うまやど 返信する

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はじめましての投稿です。
たとえば
国防は真心、経済は屁理屈政治は腐敗、信仰は万能と人間が思考した感情と行為は環境の情態が共有できなければ一概に断言するということは愚かで、相手と理解できないことが源泉でなければ意味はない。

嫌いなモノからしか、見える光もある。と思います。 削除

2012/9/1(土) 午前 9:26 [ ] 返信する

Gさん

ちょっと意味が取りにくいですが、

「感情と行為」は環境が共有できないかぎり理解など出来ないものだから、
「相手と理解できないことが源泉でなければ」意味が無い

という話で、

「嫌いなモノからしか」見いだせないものがある

ということですね?


具体的にいうと、例えば、今回の竹島紛争などを通じて、

「隣国は、なんちゅうろくでもない考え方と行動をするんや」

という事が生じた結果、

「自分たちのやり方、大切にしているものは何か」

ということが自覚できる。
いわゆる、「反面教師」として、「嫌いなモノ」は存在している。
ということの、政治表現ということになりますでしょうか。

2012/9/1(土) 午前 9:42 うまやど 返信する

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すいません。理解しずらくて、

ごもっともです。

政治的な思考と民間的な思考には見えない境界があります。それを補う知恵か鍵だと思います。
マルクスのまごころは抜群に説得力あるとあると個人的には思います。 削除

2012/9/1(土) 午前 10:34 [ ] 返信する

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