オノコロ こころ定めて

http://twitter.com/umayado17 神武天皇以来125代づついた天皇の御位を守りましょう

全体表示

[ リスト ]

宮内庁は、古文書を曲解し、公文書を捏造して、
譲位パレードをしない根拠とした。
天皇陛下の側近たる宮内庁が、
故意に天皇陛下や安倍総理をミスリード。

譲位される天皇陛下に国民が直接感謝をお伝えするには、
譲位パレードがふさわしい。
政府はなぜ光格天皇にならって実施しないのか?

ああ、人生こわい、こわい
側近が騙してるんですから!

イメージ 1


最後の平成のお正月シリーズとして、
をスタートいたしました。

この記事は、
  平成の「退位」5大疑問の3
    偽りの報告をもとに光格天皇が重視された譲位パレードを行わないのはおかしい
についてです。

3.偽りの報告をもとに光格天皇が重視された譲位パレードを実施しないのはおかしい
  内閣府・宮内庁による儀式破壊の問題

 宮内庁は「歴史上の実例」(平成30年2月20日公表)で、光格天皇の路頭の儀(ろとうのぎ、パレード)についても古文書を読めていない。その結果、光格天皇の路頭の儀(パレード)は公衆に公開されたものではない、と虚偽の公文書を作成している。

 光格天皇が行われたパレードは、800人を超えるお供に平安装束を着せた大規模なものだった。重要人物によるお見送りは2名でありその内1名はパレードに参加したので実質1名である。このパレードはお見送りではなかった。さらに、パレードの沿道には桟敷席が設けられ、公家・武士だけでなく町人にも公開されたものであった。このことは、「光格天皇実録」「仁孝天皇実録」および「桜町殿行幸図」を見ればわかる。

 天皇陛下は国民統合に意を砕いてこられた。そして、国民各位に感謝の意を述べておられたことは広く国民の知るところである。しかし、国民にはその感謝の意を伝える場がない。正月の一般参賀には、過去最高の16万人が訪れた。これは正月の挨拶の場である。即位30周年式典は周年行事。平成の御代全体への国民への感謝、国民からの感謝の心が交わされる場として、譲位のパレードほどふさわしい場はない

 政府・宮内庁は、なぜ「歴史上の実例」を歪曲してまで、譲位パレードを拒むのか。この実質的な責任者である内閣官房長官および宮内庁長官は、責任をとり直ちに辞任すべきである。

解説

平成の「退位」5大疑問の2
では、
宮内庁が古文書を読めていない、という
驚きの事実をお知らせしました。

この記事はその続きになります。

宮内庁は、光格天皇が最も重視された
「路頭の儀(ろとうのぎ、パレード)」を、
事実上意味のないものだったと整理しています。

そして、だから、今上天皇のご譲位においても、
  譲位パレードは必要ない、
  吹上御所から宮殿松の間に移動するだけでいいのだ、
という結論を導いています。

「盛大な譲位パレードがあった。
しかし、今の御時世には必要ない」
という論理ではありません。

「取るに足りない パレードとも
言えないお見送りがあっただけだ。
だから、譲位パレードは必要ない」
という仰天の論理なのです。

そもそも、光格天皇は、
伝統的な儀式の復活に熱心に取り組まれた天皇であられました。
御所の建物を平安時代の姿に戻されたり、
由緒ある神社のお祭りを復活されたり、
朝廷の儀式を復活された天皇であられます。

その目的のひとつは、朝廷の威光の復活でありました。
幕府に朝廷にまつわる伝統の力を認めさせるというものです。
江戸幕府の歴史は高々11代・200年(光格天皇の当時)、
一方朝廷は神武天皇から数えて119代・2400年以上
この違いにかけられた天皇であられたということです。

その総仕上げが、譲位パレードだったのです。

イメージ 26
光格天皇の譲位パレード 「桜町殿行幸図」

政府にも宮内庁にもなにか根本的な見立て間違いがあると思われます。
  『今上陛下から皇太子殿下に大切な御代が譲られるのだから、
  古式ゆかしく是非とも盛大にやろう』
と言えば、
おそらく大賛成はないまでも、
多くの国民の賛同は得られます。


イメージ 22
イギリスの女王陛下お誕生日のパレード

今は、日本の企業も経済もパッとせず、
近隣諸国からはナメられ、
春からは単純労働の外国人がやってくるのか・・・、
と国民が落ち込んでいる時です。

こんな時にあっても、
いや、こんな時だからこそ、
我々日本国民が誇りうるのは、
世界中に我が国にしかないご先祖からの宝物、
2600年を超える伝統です。

光格天皇のようにこれにかけよう。
諸外国にも見せつけよう。
国民の教育にもなるし、
伝統産業の活性化にも、
日本の観光力のアップにもなる。
東京オリンピックのPRも兼ねられて一石何鳥にもなる。
天皇陛下ありがとう!

という話のはずです。

これを逆さにして、
  日本はいつまでも伝統に固執する。
  これを断ち切らなければならないのだ。
  日本の象徴たる天皇にそれを実行させるのだ。
とでも妄想しているのではないでしょうか。

「歴史上の実例」の問題点

さて、宮内庁の作成した「歴史上の実例」を見てみましょう。
イメージ 27


イメージ 3

イメージ 2

まず、1行目から仰天です。
天皇陛下がいくら「譲位」と仰せでも、
宮内庁ははっきりと、
光格天皇の時は「譲位」だったが、
今回は「御退位」だ、と書いています。

なぜ「退位」には「御」があり、「譲位」にないのかはおいておきましょう。

前の記事で、
  宮内庁は天皇陛下に命令する役所だ、
と書きましたが、
まさに、こういう文書を通じて、
宮内庁は天皇陛下に「退位と言え、と命令しているのです。

本来であれば、
  今回の「御譲位」の儀式
とすべきですね。

なお、正確には、光格天皇のほうも、
  光格天皇から皇太子への譲位・受禅の儀式
と書くべきです。
こう書く場合は「譲位」は狭い意味で
  譲位の宣命が読み上げられる儀式
を指します。

しかし、受禅(じゅぜん、譲られた皇位を受けること)を書かないのなら、
「譲位」とは、
  天皇から皇太子へ皇位が譲られる儀式全体
を指します。
以下、この広い意味の「譲位」を前提として話をすすめます。

儀式の場所について

2行目を見て下さい。再度、示します。
イメージ 20
場所は、
  仙洞御所(桜町殿)
とあります。仙洞御所(せんとうごしょ)は上皇の御所のこと。
しかし、歴史的な事実に基づくと、
  紫宸殿・仙洞御所・清涼殿
となります。

右側に書くべきものは、
  宮殿 松の間
だけでよく、
  (仙洞御所未整備)
は不要です。

なぜなら、光格天皇の場合のみ例外的に、
場所が仙洞御所に及んでいますが、
譲位の儀式の基本的な場所は紫宸殿で、
現在ではそれが 宮殿 松の間 にあたるからです。

譲位の本来の場所は紫宸殿。
このことがばれないように、
わざわざ、「貞観儀式の譲国儀」においても、
儀式の場所は「上皇御所(仙洞御所と同じ)」
改ざんしたのでしょう。
イメージ 8

イメージ 25
当時の仙洞御所の絵図 (出典:国立国会図書館デジタルコレクション
※この書誌情報には誤りがある。解題には、「書写年次の記載はないが、
一括資料との関係から江戸時代前期のものと推定。」とある。
しかし、「大工頭中井家建築指図集−中井家所蔵本−」、平成15年、思文閣出版
と照合すると、これが寛政度の図面で、光格天皇の譲位の時のものとわかる。

譲位パレードについて

次、3行目を見て下さい。再度示します。
イメージ 21
内裏から仙洞御所への行幸について、
  あり
はよいのですが、
  (注1 参照)
は不要です。

右の列は、
  御所から宮殿への御移動
ではなく
  御所から仙洞御所付近へのパレード (仙洞御所未整備)
となります。

なぜそうなるかと言えば、
この「内裏から仙洞御所への行幸」は単なる移動ではなく、
公家・武家・町人へ向けたパレードそのものだったからです。
仙洞御所はまだ未整備ですから、
ご近所となる高輪プリンスあたりへのパレードとされれば歴史を再現可能です。

宮内庁が
内裏から仙洞御所への行幸」は、
単なる移動に過ぎなかった
と強弁するためにつけたのが
注1です。

注1を再度、示します。

イメージ 4

これまた仰天の内容となっています。

歴史的事実はこうです。

光格天皇は、譲位儀当日、内裏から鳳輦により、上級官人約80人およびその従者や警備の武士さらに町人代表など総勢800人を越える者を従えて仙洞御所へパレードされた。この際、お見送りは2名で内1名は途中からパレードに参加した。沿道には桟敷席が設けられ公家・武家・町人ら多数の公衆がこれを拝見した禁裏(現在の京都御苑にほぼ相当)外からの拝見の便宜を図るため、乾御門・蛤御門・清和院御門は開放された

譲位パレードの実際

「光格天皇実録」「仁孝天皇実録」によると、
光格天皇の仙洞御所への行幸の道筋は次の図の通りです。
桟敷席を設け、
禁裏外からの拝見のために3つの門を開けたことも記されています。
桟敷席は図の中の場所の他、
内裏の内にも設けられたようです。

イメージ 5

イメージ 9
光格天皇の乗られた鳳輦(ほうれん)を先導する公家衆

イメージ 6
光格天皇が乗られた鳳輦(ほうれん)

イメージ 7
桟敷席の武士や町人たち

この「譲位パレード」の様子は、
「桜町殿行幸図」として、
大きな巻物で、長さ20メートルです。

桜町殿行幸図
文化14年(1817)に退位した第119代光格天皇上皇の御所である仙洞御所へ向う行列を描いたものです。当時の仙洞御所は桜町殿と呼ばれ、幕府が後水尾天皇のために造営した御所で、その地が桜を愛し桜町中納言と呼ばれた藤原成範(1135-87)の屋敷跡であったことから、その名があります。光格天皇(1771-1840、在位1779-1817)は、閑院宮家より入り8歳で即位し、石清水神社や賀茂神社の臨時祭の復活や朝廷の儀式の復興につとめました。後に実父典仁親王への太上天皇の尊号をめぐって、幕府と「尊号事件」といわれる事件を起こしています。
原図サイズ:長さ2040cm×紙高60.7cm

なお、説明は正確ではありませんね。
文化14年(1817)に譲位に先立って・・・
です。
この行列は譲位の宣命の直前ですので。

みな平安装束をまとっての行列です。
光格天皇は参加者の装束を発注され、
パレードに参加する公家や武家に配布されたそうです。
特需ですので、西陣の装束屋も大喜びだったことでしょう。
むろん20メートルの巻物のために大勢の絵師も動員されています。

イメージ 23

イメージ 24

娯楽の少ない時代ですから、
この一世一代の大行列は、
京都中の話題となったことでしょう。
そして、直接見られない幕府に向けて
絵巻物がつくられたのです。

大行列なのに「お見送り」という宮内庁

ところで、一緒に歩くのは
  「お見送り」
とは言いませんよね(笑)
  「お見送り」
自分はとどまって移動していく人を見ることです。

宮内庁には、この行列が、
「お見送り」に見えるそうです。

イメージ 10

何が何でも、
パレードがなかったことにしたかったのでしょう。

古文書による「譲位パレード」の実際

なお、歴史的な事実の証拠をお示ししておきます。
「仁孝天皇実録」や「光格天皇実録」には様々な記述が残っています。
仁孝天皇(にんこう てんのう)は光格天皇から譲位された天皇で、
即位前は寛宮(ゆたのみや)恵仁親王(あやひとしんのう)と申し上げました。

以下、興味のある方のみお読み下さい。
字は小さくしておきます。

例えば、京都所司代大久保加賀守(かがのかみ)は、
光格天皇を御所(当時は、御常御殿/おつねごてん のこと)にお迎えにゆく役目でした。

仁孝天皇実録 文化14年3月22日(譲位・受禅の当日)の記には、
イメージ 15
と、あり、光格天皇が桜町殿(=仙洞御所、上皇御所)に例の大パレードをされ、
その後そこから剣璽が渡御されて、(仁孝天皇が)清涼殿において受禅された、とあります。
そして、関白である一条忠良(いちじょう ただよし)に従来どおり関白を続けるよう命じられました。

同日の、「寛宮(ゆたのみや)御用雑記」には「お見送り」に関して、
京都所司代の大久保加賀守が、光格天皇を御所にお迎えにゆく役目だったことが述べられ、
お迎えの後、「唐門腋門より御門外南方にて御見送り」とあります。
唐門とは「宜秋門(ぎしゅうもん)」のことです。当時は唐風の門でした。
加賀守は御見送りだったのかと思いますが、
さらに、「行啓後引続供奉(ぎょうけいご ひきつづき ぐぶ)」とあります。
これは、光格天皇のパレードの後に続いて皇后のパレードがあり、
そのパレードに参加したと記しているのです。
イメージ 14
同じことは、数箇所に書いてありますが、
同日の、「禁裏執次詰所日記」(きんり とりつぎ つめしょ にっき、禁裏の事務方の詰所の日記)には、
イメージ 11
加賀守が衣冠束帯(いかんそくたい)で剣を帯びて参上したこと、内裏内の建物のどこを通ったか、陛下をお迎えに行ったら酒肴の接待があったことなどを述べた後、「御内玄関より唐門腋門を出て、御門南方にて御見送り、行啓御跡より供奉」とあり、宜秋門の南でお見送りをしたあと、皇后陛下のパレードの最後尾について行列したことが記されています。

なお、重要人物でお見送りをされたのは、山科忠言卿(やましな ただとき きょう)だけだったようです。
「光格天皇実録」「山科忠言卿伝奏記」に次のようにあります。
イメージ 17
山科忠言卿はお見送りで待機し、甘露寺大納言などはパレードに参加して仙洞御所へ行き、剣璽渡御のパレードで戻ってきた甘露寺大納言に合流して、新天皇の元に参上したとあります。

また、桟敷席が設けられたことも数箇所に書かれていますが、
同じく同日の「禁裏執次詰所日記」には、
イメージ 12
とあり、拝見桟敷の設営の担当が割り振らた記録があります。
なお、例えば、関白殿(一条忠良 いちじょうただよし)は、譲位パレードに参加していますので、
桟敷席で御見送りをしていたわけではありません。

また、禁裏外の人々に対する公開については、
同日の「寛宮御用雑記」に、
イメージ 16
と、乾御門・蛤御門・清和院口御門からは、いろんな人(町人)が往来したとあります。

同日の禁裏執次詰所日記にも、
禁裏外の人々に対する拝見のための通行に3つの門を開けたことも記録されています。
イメージ 13
禁裏や内裏の門はパレードのために締め切れと書いた後、
清和院門、乾門、蛤門は拝見人の往来のため開けてよいとあります。


政府・宮内庁による譲位への冒涜

江戸時代の天皇は、
国政の機能をもたない、
象徴的な存在でした。

その天皇が果たされたのは、
皇族も、公家も、武家も、町人も、
一同に集って「国民を統合」する
譲位パレードだったのです。

イメージ 19

政府にも宮内庁にも
なにか根本的な見立て間違いがあると思われます。
  『今上陛下から皇太子殿下に大切な御代が譲られるのだから、
  古式ゆかしく是非とも盛大にやろう』
と言えば、
おそらく大賛成はないまでも、
多くの国民の賛同は得られます。

そこに何か変な意図、
イデオロギーが持ち込まれ、
わけのわからない「御退位儀式」が演出され、
神武天皇から125代つづいてきた天皇の制度を
「終了・断絶」させることは、よいことなのでしょうか?

「伝統の破壊こそが国民の統合だ」
というのは、
今上天皇への冒涜でなく何でありましょう。
歴代の天皇陛下のご苦労への冒涜でなく何でありましょう。


古文書を歪曲し、
公文書を捏造してまで、
天皇陛下や安倍総理を騙し、
「退位」が強行されようとしています。

イメージ 18

この一連の法制化と儀式を取り仕切っているのが、
  内閣官房長官 菅義偉(すが・よしひで)
  宮内庁長官 山本信一郎(やまもと・しんいちろう)
なのです。


みなさん、恐ろしい話ではないですか?
本当に、こういう調子で「粛々と準備」が進められているんですよ。
日本会議は何を黙っているんでしょう。

天皇制廃止をもくろんでいる勢力が、
宮中にいる。
総理大臣の側近が操っている。
菅官房長官と宮内庁は、
天皇陛下や安倍総理などを騙している。

ああ、人生こわい、こわい。
側近が騙してるんですから!

つづく

閉じる コメント(3)

明らかなる古文書の解釈の改竄が行われてますね。解釈の相違と言うレベルではなく、悪意に満ち満ちてます。内閣が、真に我が国とご皇室を愛する人材であったなら、今回の御譲位ももっと大切にされた事と思います。下らぬ公共事業や無駄な男女共同参画等に予算を費やすより、お祝いに平安時代絵巻の世界を再現して欲しかったですね。

ナイス☆&ツイート

2019/1/7(月) 午前 7:07 so-kei♪ 返信する

> so-kei♪さん

憲法・法令・古文書の解釈権を赤い勢力がのっとった状況です。

2019/1/8(火) 午後 9:24 うまやど 返信する

> ***さん

皇室は、というか、皇室こそ、敗戦の荒波をもっとも強烈に受けられたのです。これを国民がお守りせずに、だれがお守りできるのでしょう。

2019/1/8(火) 午後 9:26 うまやど 返信する

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

開く トラックバック(0)


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事