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戦前までは、女人禁制の霊山だったらしい…
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地理的には ココ
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以前 『峠越え』 をした時の峠を目指します
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途中、上登龍から下界を望む
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登山ルートなんて分かりませんから、むりくりアタックしてみました
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「奥山之宮」という社から
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社の裏の巨岩をよじ登り…
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尾根づたいに 山頂を目指します
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途中、デッかいイノシシと遭遇Σ(Д゚;/)/
 
「ビックリするやんけ!出てくんなや!」と 罵る声が震えてる( ;;゚;Д;゚;)/
 
ええ、ビビリンですとも (`ω´*)
 
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樹間から垣間見える白木野の展望 
 
 
 
 
 
山頂近いはずなのに 早崎海岸 のような岩(スコリア)が…
 
大昔は 海岸だったんでしょうね (´σ `)
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えっΣ(゚ω゚) もう頂上Σ(゚Д`;)
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なんか、愛宕山 よりもプーでしたね ( ´ー`)y─┛~~~
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三角点は、このウラにありました ※409.5m(国土地理院)
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帰りは、登山道らしき道を降ります
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駐車場まで あったんですねΣ(O_O;) ※標識は一切ありません
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結構、ちゃんとした遺跡っぽいです(*゚ェ゚*)
 
島原半島各地で伝承される「オトジョ伝説」ともつながるし(`∀゚´*)オォ!!!
 
 
 
おヒマな方は、ドーゾφ(._. )
 
 
 
「南有馬町郷土誌」より
本町唯一の鳳上岳は白木野名大河内部落にある。
海抜四〇九.八米、形が円錐形であり町内のどこからでも望めるし、
頂上に登ると四方は一望のうちに入る。
西方眼下に橘湾が観られる。
ここに祭られる高嶺神社は部落民の産土神として地域住民の守護、
五穀豊饒を祈念し、毎年行事として奉納される部落民の角力は祭礼となっている。
容姿秀麗で「有馬富士」の呼名を冠せられるのも うべなるかな。
登山口は二級国道大江砂原から入って山頂まで五粁以上に達する。
 
 
 
 
 
「布津町史」より
鳳上山祭祀遺跡  ---神社形態の始源---
 
一、遺構の現況
 遺構の所在する鳳上岳は南有馬町と加津佐町のほぼ境界線上に位置し、
頂上は四〇九.七メートルの三角標がある。
山頂はほぼ二百平方メートルの平坦地をなし、立石を中心に石垣をめぐらす
(小は立石を対象に、方形状に石を縦並に囲み、姫張松遺跡と類似)
大小の祭祀遺構の集合体で、遺構はほぼ底部で五平方メートル、
露頭部高約三メートルに及ぶ立石状巨岩(玄武岩の自然石利用)を最上部とし、
その前庭状として横(南北)平均一二メートル、
縦(東西)三〇メートルの長楕円形に石垣(玄武岩の自然石利用)をめぐらし、
巨岩は記紀にいう磐座であり、周囲の石垣はいわゆる磐境(イワサカ)の形態を備え、
南側には一部石垣の崩壊が見られるが、
北側は完全に旧状を留め平均一.七メートルの高さをもつ。
 祭庭は二段からなり、巨岩の北側に一段があり、
それを境に上部は四五センチ高くなっている。
巨岩の前方(東側)一三メートルの地点は更に一段の並石があり、
その下方との差が一〇センチある。
 西北隅が当時の入口と考えられ、入口に特に大石が鳥居状に立てられているが、
その対をなす左側は現在倒れていた。
内部の小祠は後世のもので、石垣の使用石は大は一トン前後から、小は人頭大の
ものを、ほぼ整然と積み重ね(特に北側幅平均一メートル五〇)ている。
 
二、参考事項
 古伝として確かなものはないが、
乙女子(オトジョンシと土地のものは言う)の、タコの足とり伝承があり、
遺構の南麓を乙女原と称している。
現在高嶺神社と言って、保食神を祀るとのことであるが、
影行天皇熊襲征伐伝説も若干附着し、山麓の坊目木、幕掛等の部落名は、
天皇がここより上方は聖地である為入ることを許されないと棒杭を討ち、
幕をはったことから起こったと、古老は語っている。
 
三、遺構に対する若干の考察
 崇拝の対象とされる山岳があるとすれば、標高の高いこと、自然現象の参加等
(噴火、荒天、落雷、登山の困難性)一日行程以外宿泊できないことによって、
頂上祭祀を行えない場合、山全体を神体として
(神聖である頂上を土足で踏むことはできないという観念も潜在)、
下方に適当な巨石、巨岩のある場合、そこを祭場とした。
著名な例は奈良県大三輪町、大神神社一帯にある(三輪山麓の巨岩巨石の
露出地)、辺津磐座と称されるものや、西麓の山神遺跡で、
これら祭祀遺跡は、三輪山に対するものだと古来から知られていた。
福岡県沖ノ島は奥津宮として島全体が境内、
古くは江戸時代から祭祀遺跡として知られていたが、
本格的学術調査が一九五四年以降、数次実施され
祭祀遺跡の発展移行状態が明らかにされた。
 古代の磐座が山や大樹の場合、磐境はどんなものであったか、
推考の域を出るものでなかったが、沖の島第二十一号遺跡が、
具体的にその観念と形状とを示してくれたのである。
沖ノ島第二十一号遺跡では、巨岩上に施構されたものであるが、当遺跡は直接山頂を利用したもので、両者間に磐座の位置の若干の差があり(沖ノ島ではほぼ中央)されど古式形態と推測できることには変わりない。
 磐座の最奥部の位置は縄文時代からみる風習で、この様な祭祀形態が、古式にあったとみることが至当であろう。
 この様な祭祀遺跡は島原半島ではここだけで貴重である。
有明海周縁の国家形態、ひいては邪馬台国問題についても一投石として波紋を及ぼすかもしれない…と、古田氏は述べている。
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閉じる コメント(5)

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そちを南島原の観光大使に任命する

2012/3/6(火) 午前 1:07 k2anglers

k2隊長☆

はは〜(_ _*)
謹んで お請け致しまする〜(*゚∀゚*)
いつでも ご案内しますよ゚+.゚(*´∀`)b゚+.゚

ポチッ凸と ありがとうございまする(*´∀人)

2012/3/6(火) 午後 11:09 [ アキラ ]

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むりくり登山?
危険でゎないですかぁ?遭難とか・・・
イノシシ君とか出るんですね
どーやって回避するんですか?

2012/3/7(水) 午後 10:10 Mr.MaSoon

ミスター☆

キケンな山は、ちゃんと標識が あるものですよ(*´∀`)b

イノシシは…これまで三度 遭遇しましたが、全部あっちから逃げてくれましたΣd(・ω・`)

もしも、追っかけてきたら…
どーしよ(・∀・i)タラー・・・

2012/3/7(水) 午後 11:02 [ アキラ ]

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はじめまして島原在住で島原半島のことを色々と紐解きしております
島原半島各地で伝承される「オトジョ伝説」とはどういう伝説なのか教えて頂けないでしょうか?
よろしくおねがい致します

2018/3/6(火) 午後 3:59 [ 島原四柱 ]


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