|
「島原 今川町 筋違橋 柴原病院内に、大きな手水鉢がある。
これは もと新馬場 鉄砲矢場にあったもので 実に奇怪な伝説が残されている。
それは この手水鉢に触れたら 必ず間歇熱を患ふ といふのである。
しかも それが怨霊の祟りであるといふのであるから まことに気味の悪い話だ。」
(「杜城の花」林銑吉:昭和5年発行より)
へぇ〜 そんなのが あるんや (*゚ェ゚*)
「頃は元禄の昔である。
今の田屋敷を東片側丁(かたはらちょう)といって 北の方半分は片側しか家がなかった。
従って 鉄砲矢場、新馬場方面には むろん家はなくて 泉水屋敷といった。
広い遊園地があって 藩主の御別邸があったらしい。」
あれ!?
これって、常盤茶屋のことでは Σ(゚ω゚)
「そこに、ある高貴の方(藩主にあらず)が住んで居られたのであらう。
その方の側室に、おゆりの方といふ 容姿艶麗の婦人があって、
一顰一笑 窈窕 花を欺くほどの美しさであった。」
やられた!Σ(-`Д´-;)
林先生の 巧みな文章表現で、もう この手水鉢が 気になって仕方がない
━━ で、その「柴原病院」を探したのですが 島原には どこにもありません
ここは 郷土の生き字引、島原城歴史史料館の松尾卓司先生にお伺いして
「大手のファミリーマートの辺りが、柴原病院だった」ということです
奥の駐車場の片隅に それはありました
地図では、このあたり
それには、立派な下り龍の彫刻が (`∀゚´*)オォ!!!
細部も緻密に彫り込まれています
よく見ると、一部 破損しているようです
何の説明板もなく、それでも「これだ!」と 変な確信を持ってしまいます
念のため、島原市役所の文化財担当の土橋啓介氏に お伺いしましたが
「詳しく調査しないといけないとは思いながら、着手できていない」
とのことでした
でも、冷静になって よく考えてみると、いくつかの矛盾点が
①手水鉢を構成する周りの円形の水桶が、セメント製
②底部に階(きざはし)があることから、もとは手水鉢ではなく 独立した作品
③仕上げ面に 劣化防止のブロンズ処理のようなものが施されている
もしかしたら、この作品には「菖蒲田の石工」が関与しているのでは…
根拠①⇒ 造りの緻密さ、仕上げの手法など、
比較的 新しい作品(明治後期〜昭和初期)
根拠②⇒ 南有馬にある社に、菖蒲田の石工の作として
昇り龍・下り龍の石灯篭が存在する
そして、ここからはボクの推量ですが 様々なドラマが頭の中に広がります
①下り龍があるということは、昇り龍も存在する?
②もともとは水に関連する施設に設置されていた一対の石塔では?
③「自慢したいけど、触れられたくない」という思いが
変なウワサ話になった?
真相は解らずじまいですが、
少なくとも菖蒲田の石工が
何らかの関わりをもっているのではないかと想像できます
この石工たち、次は 何をやらかすことでしょうか…
※今回の記事で、松尾卓司先生、土橋啓介氏に謝意を表しますとともに、
平成新山ネイチャーセンターの O町さんに多大なご協力を賜りましたことを
深く感謝し、ここに御礼申し上げますm(_ _)m
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用



