Another World

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全1ページ

[1]

不思議な手水鉢

 
 
「島原 今川町 筋違橋 柴原病院内に、大きな手水鉢がある。
 
これは もと新馬場 鉄砲矢場にあったもので 実に奇怪な伝説が残されている。
 
それは この手水鉢に触れたら 必ず間歇熱を患ふ といふのである。
 
しかも それが怨霊の祟りであるといふのであるから まことに気味の悪い話だ。」
 
 
(「杜城の花」林銑吉:昭和5年発行より)
 
 
 
 
 
へぇ〜 そんなのが あるんや (*゚ェ゚*)
 
 
 
 
 
 
「頃は元禄の昔である。
 
今の田屋敷を東片側丁(かたはらちょう)といって 北の方半分は片側しか家がなかった。
 
従って 鉄砲矢場、新馬場方面には むろん家はなくて 泉水屋敷といった。
 
広い遊園地があって 藩主の御別邸があったらしい。」
 
 
 
 
 
 
あれ!?
 
これって、常盤茶屋のことでは Σ(゚ω゚)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「そこに、ある高貴の方(藩主にあらず)が住んで居られたのであらう。
 
その方の側室に、おゆりの方といふ 容姿艶麗の婦人があって、
 
一顰一笑 窈窕 花を欺くほどの美しさであった。」
 
 
 
 
 
 
やられた!Σ(-`Д´-;)
 
林先生の 巧みな文章表現で、もう この手水鉢が 気になって仕方がない
 
 
 
━━ で、その「柴原病院」を探したのですが 島原には どこにもありません
 
 
 
ここは 郷土の生き字引、島原城歴史史料館の松尾卓司先生にお伺いして
 
「大手のファミリーマートの辺りが、柴原病院だった」ということです
イメージ 1
 
 
 
 
奥の駐車場の片隅に それはありました
イメージ 2
 
 
 
地図では、このあたり
イメージ 9
 
イメージ 10
 
 
 
それには、立派な下り龍の彫刻が (`∀゚´*)オォ!!!
イメージ 3イメージ 4
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
細部も緻密に彫り込まれています
イメージ 8
 
 
イメージ 5
 
 
 
 
 
よく見ると、一部 破損しているようです
イメージ 6イメージ 7
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
何の説明板もなく、それでも「これだ!」と 変な確信を持ってしまいます
 
 
 
念のため、島原市役所の文化財担当の土橋啓介氏に お伺いしましたが
 
「詳しく調査しないといけないとは思いながら、着手できていない」
 
とのことでした
 
 
 
 
でも、冷静になって よく考えてみると、いくつかの矛盾点が
 
①手水鉢を構成する周りの円形の水桶が、セメント製
 
②底部に階(きざはし)があることから、もとは手水鉢ではなく 独立した作品
 
③仕上げ面に 劣化防止のブロンズ処理のようなものが施されている
 
 
 
もしかしたら、この作品には「菖蒲田の石工」が関与しているのでは…
 
 
 
根拠①⇒ 造りの緻密さ、仕上げの手法など、
 
比較的 新しい作品(明治後期〜昭和初期)
 
 
根拠②⇒ 南有馬にある社に、菖蒲田の石工の作として
 
昇り龍・下り龍の石灯篭が存在する
 
 
 
 
そして、ここからはボクの推量ですが 様々なドラマが頭の中に広がります
 
 
①下り龍があるということは、昇り龍も存在する?
 
 
②もともとは水に関連する施設に設置されていた一対の石塔では?
 
 
③「自慢したいけど、触れられたくない」という思いが
 
変なウワサ話になった?
 
 
 
真相は解らずじまいですが、
 
少なくとも菖蒲田の石工が
 
何らかの関わりをもっているのではないかと想像できます
 
 
 
この石工たち、次は 何をやらかすことでしょうか…
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
※今回の記事で、松尾卓司先生、土橋啓介氏に謝意を表しますとともに、
 
平成新山ネイチャーセンターの O町さんに多大なご協力を賜りましたことを
 
深く感謝し、ここに御礼申し上げますm(_ _)m
 
 
南有馬町の吉川名・崎町にある貴船の社に、
イメージ 1
 
1対の灯篭が建立されています
イメージ 2
 
立派な昇り竜・下り竜が彫り込まれてあった筈なんですが
イメージ 5
 
破損がひどくて、とても残念な状態です
イメージ 13
 
説明版には、菖蒲田(しょんだ)の石工・多比良村吉の作とあります
イメージ 10
 
文化4(1807)とありますから、江戸時代後半ですね
イメージ 12
 
その近くの大江名・露田にある
イメージ 11
 
墓所の立派な灯篭にも
イメージ 14
 
「石工・村吉
イメージ 3イメージ 4
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「石工・元吉」の銘が
イメージ 6イメージ 7
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
これは、明治37(1904)の建立
 
 
100近くの時間的な開きがあるので
 
村吉」の名も世襲されていたと思われます
 
 
 
菖蒲田(しょんだ)という地域は、古くから良質の「菖蒲田安山岩」という
 
加工の容易な天然石が産出するので
 
島原の乱(1638)後に熊本方面から石工が移住したとされていますが
 
今も現存する「鬼塚」の姓などは
 
有馬の四天王の一人にも居たことなどから
 
乱以前から存在した家系なのではないでしょうか
 
 
 
また、菖蒲田(しょんだ)の地形自体が
 
菖蒲田安山岩の断崖で隔絶された陸の孤島なので
 
世を忍んで住むには絶好の地
イメージ 8
 
往来が活発になるのは明治22年の
 
県道(現在の国道251号線)が開通してからになります
 
 
 
日本を代表する彫塑家 故・北村西望氏にも
 
少なからず影響を与えたものと推測されます
イメージ 9
 
さて、広い世間に飛び出した石工が、その後 どんな活躍をする事でしょう

全1ページ

[1]


.
アキラ
アキラ
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(10)
  • 77
  • あわてんぼうちゃん
  • こぐまちゃん
  • kun*_*901
  • k2anglers
  • おたね☆☆
友だち一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事