ウメナンブのブログ

青森県三戸郡南部町で、生まれ育った者が、書くブログです。

MY メモリー ザ・ベストテン

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1978年1月 〜 1989年秋まで放送された「ザ・ベストテン」では、
生放送の中で、クロマキー技術などを駆使した、映像合成を何度か行いました。


一番有名なのが、ピンクレディーの「透明人間」で、
歌っている間に、ピンクレディーの二人が、姿を消す、
「透明人間」を演出をしました。


映像合成で、もう一つ印象に残るシーンは、
田原俊彦さんの、「チャールストンにはまだ早い」A・Bダブルダンスです。

1984年リリースされ、ベストテンでは、約二ヶ月、10位以内にランクインしました。

この曲の振り付けには、Aと、Bの、二つのパターンが存在し、
Aパターンは、振付師、西条 満さん【故人】が、
Bパターンは、田原さんのテビュー初期、バッグダンサーに就いた、
「ジャPAニーズ」のメンバー、ボビー吉野さんが
それぞれ、手掛けました。
歌番組で、Aパターン、Bパターン、どちらも、ビシッと、ダンスをこなす、
田原さんに、かっこよさを感じながら、当時、見ていたものでした。


本放送時、ビデオを持たなかったので、あまり振り返ることがありませんでしたが、
動画投稿サイトに、ザ・ベストテンで、「チャールストンにはまだ早い」を歌う、
田原さんの映像が、一時期ありました。

その映像では、前半、Bパターンを踊っていましたが、
間奏に入ると、もう一人の田原さんが、出てきて、Aパターンを、踊りました。

田原さんのダンスもすごいですが、もっとすごかったのは、
間奏後の、歌と、ダンスでした。

事前収録のAパターンと、生放送のBパターンの、
田原さんの、歌と、ダンスが、完璧過ぎるほど、意気が合っていました。

歌の、上手い下手関係なく、歌、ダンス、演奏が、
ずれることなく、完璧に決まるシーンを見ると、
田原さんも、演奏の皆さんも、素晴らしいです。
※ 指揮 → 長洲忠彦
演奏 → 宮間利之とニューハード、GTサウンド
  コーラス → シャワー


田原俊彦さんは、ジャニーズを独立して、いろいろ、苦労しながらも、
現在、第一線で頑張っています。



ザ・ベストテン最多出場記録を持つ、田原さんだけに、
出演シーンを集めた、DVDボックスを、いつかは、発売して欲しいですね。
動画投稿共有サイトで、「ザ・ベストテン」出演時の、
ノーカット歌唱映像が、一部見られますが、
中には、ベストテンでしか見れない、貴重な映像を見ることがあります。

それは、松田聖子さんの、「渚のバルコニー in イングリッシュ」です。


渚のバルコニー in イングリッシュ【英語版】は、初披露版と、翌週版が、
一時期、動画投稿共有サイトで、歌前トークから、歌唱シーンまで、
ノーカットでUPされていました。

もともとは、渚のバルコニーを、英語版で歌って欲しいという、
視聴者からの、はがきリクエストに、司会の黒柳徹子さんの友人で、
作曲家・詩人の、ドロシー・ブリトンさんが、
英訳し、それを、聖子さんが歌うことで実現しました。

初披露版では、1コーラスだけ歌いましたが、
それが、視聴者から、大好評となり、翌週も、英語版を歌うことになり、
歌前トークでは、極度に緊張する、聖子さんがいました。

しかし、歌となると、緊張していた姿は消え、のびのびと素晴らしい歌声披露しました。
それでも、歌詞を間違えたり、忘れないよう懸命に戦っていたようで、
あと、ワンフレーズで、歌が終わる時に、聖子さんは、
「もうすぐ終わる」という表情の笑顔が出て、
最後のフレーズ「don’t tell anybody【そして 秘密】」を、
歌い切った、聖子さんは、ホッとした笑顔を浮かべました。

終盤から、カメラは、聖子さんの顔を、アップで映していて、
80年代を代表する、トップアイドルの歌と、笑顔に、
当時の視聴者は、癒されたことは、容易に浮かびます。


渚のバルコニー in イングリッシュは、
ザ・ベストテン以外で、歌っていたという情報は、把握していません。

版権や、共演者の肖像権の絡みなど、ハードルが、ありますが、
山口百恵さんや、中森明菜さんのように、出演シーンをすべて収めた、
「ザ・ベストテン 松田聖子 完全保存版」のDVDボックスを、
発売してもらいたいですね。
1975年【昭和50年】生まれの、自分が、初めて記憶したヒット曲は、
西城秀樹さんの、「ヤングマン」
【YOUNG MAN ー Y.M.C.A -】」でした。


1979年【昭和54年】に発売された、「ヤングマン」は、
「ザ・ベストテン」において、9週連続・第1位を記録し、
うち、2週は、満点の「9999点」を獲得する、唯一無二の記録を残しました。

ベストテンでは、「レコード売上げ」「有線放送リクエスト」
「ラジオリクエスト」「はがきリクエスト」の、
4要素から、得点を出し、順位を決めますが、
ヤングマンは、4要素すべて1位を取り、
結果、得点表示が、4ケタのランキングボードは、
満点の、「9999点」となりました。


「9999点」の「ヤングマン」は、名場面集で、何度も放送されていて、
司会の、久米宏さんが、言った、
「ヤングマン、西城秀樹。やったー、最高、9999点!」のシーンは、
何度見ても、気持ちいいです。


原曲は、アメリカのグループ、ヴィレッジピープルの、「ホモ賛歌」ですが、
秀樹さんの、「ヤングマン」は、原曲のイメージを払拭するため、
当時のマネージャーが、元気と勇気を与える訳詞に、アレンジ、
間奏では、両腕で、「Y」「M」「C」「A」の振り付けをするなど、
これらの戦略が、当たり、ムーブを起こしました。


動画投稿サイトには、夜のヒットスタジオで、ヤングマンが、
流れたシーンが、UPされていました。【現在は、削除。】

バックダンサー【スクールメイツ、横田パンサーズ】を従え、
紙吹雪が舞う中、秀樹さんが、歌っていると、
他の出演者が、楽しんでいる様子が映り、
終盤には、太田裕美さん、高田みづえさん、大橋純子さんら、出演者が、
バックダンサーと一緒になって踊りに参加し、大いに盛り上がりました。

1979年放送当時、見れなかった映像でしたが、今見ても、
大ヒットして、ムーブを起こす予感が、十分伝わる、
秀樹さんのパフォーマンスでした。


西城秀樹さんの、ヤングマンが発売されて、34年経過しましたが、
今も、燦然と輝く名曲です。
1978年、「ザ・ベストテン」が、放送されはじめて、35年を迎えましたが、
ザ・ベストテン誕生に合わせるように、歌手テビューを果たしたグループが、
「サザンオールスターズ」です。

サザンのテビューシングル「勝手にシンドバッド」が、今週のスポットライトで、
放送された際、多くの視聴者は、鮮烈なインパクトを受けたと思います。

リアルタイムで見たことがない、自分も、特番などで、そのシーンを見ると、
これが、ベストテン初出演なのかと、強いインパクトを受けました。

ライブハウスからの中継で、ラテンパーカッションの心地いい、
リズミカルなサウンドが、響くなか、
桑田佳祐さんと、黒柳徹子さんが、トークをして、
黒柳さんが、「アーティストを目指しているのですか?」の問いに、
桑田さんが、「いえ、目立ちたがり屋の芸人です。」と返答したあと、
曲に入りますが、ライブハウスの観客と一体となった、盛り上がりは、
新たなスター誕生の予感を感じるのに、十分なインパクトを与えました。


ライブハウスでの、シーンは、予め準備していた演出だと言われてますが、
見る側からすれば、演出なんて、全く感じません。
「勝手にシンドバッド」の持つエネルギーが、あるからこそ、
演出と言われても、演出と感じない、
一体となった盛り上がりは、なかなか、ないと思います。


「勝手にシンドバッド」で、鮮烈なインパクトを与えた、サザンは、
1979年に、バラード曲「いとしのエリー」を、大ヒットさせて、
国民的バンドの地位を確立します。


リアルタイムでは、「チャコの海岸物語」から、サザンを知った、自分ですが、
「勝手にシンドバッド」は、サザンの中で、一番好きな曲です。
1980年代、音楽番組で、毎週楽しみしていた番組と言えば、
木曜 夜 9時に、放送していた、ザ・ベストテン でした。
 
ベストテンを見るようになった 1981年以降、
自分の中で記憶に残る、ベストテンの魅力は、というと、
はじめに浮かぶのは、司会の、久米宏さんと、黒柳徹子さんの、名コンビです。
二人の、軽妙、軽快なトークは、すごく、楽しめました。
 
次に浮かぶは、番組セットで、
ランキングボードは、フラップ式表示器 (別名 パタパタ)で、紹介し、
歌手のみなさんは、ミラーゲートから登場し、
スタジオで歌う際には、豪華なセットの中で、歌うシーンが、印象に残ります。
 
スケジュールの都合で、TBSに、来れない時は、
追いかけますお出かけならばどこまでも ということで、
日本全国だけでなく、海外まで、追っかけ中継して、歌うこともあれば、
新幹線の、ホームまたは、車内で、歌うこともあったり、
他局の番組収録現場や、映画・ドラマの撮影現場、
コンサート終了後のステージなどで、歌うこともありました。
◎当時の追っかけマンには、生島ヒロシさんや、今は亡き 松宮一彦さんなど、
  TBS 及び JNNネットのアナウンサーが、担当し、
 女子アナが、中継担当する時は、追っかけウーマンと呼ばれてましたね。
 
生放送には、ハプニングが、つきもので、スタジオに限らず
中継先での、ハプニングも、国内・海外とも、いろいろありましたが、
印象に残っているのは、1988年1月放送で、
少年隊が、オーストラリア ・ アデレードで、 「ABC」を、歌っているときに、
現地のドラマが、突然流れ始め、その状況について、
当時の司会 松下賢次アナが、機転を利かせて、アドリブで、ドラマを、紹介し、
その話術に、松下アナの後ろで、くつろいでいた 中森明菜さんは、大受けしていたことが、印象に残ります。
 
松下アナは、ベストテンの司会の前には、
夕方 「ニュースコープ」の、スポーツコーナーを担当していたことがあり、
締めの、コメントで、ダジャレを、言っては、
メインキャスターを、しばしば、困惑させていた印象が、ありましたが、
アデレード中継ハプニングでの話術は、まさに、「芸は身を助ける」 そのものでした。
 
ベストテンの中で、もう一つ、印象に残るのは、クオリティの高い、生演奏です。
番組の大半を、宮間利之とニューハード ・ GTサウンドが演奏を担当し、
指揮は、長洲忠彦 さんが担当しました。
白タキシード姿で、背筋が伸び、気品に満ちた、長洲さんの、タクトさばきが、印象に残ります。
生演奏で、最も忘れられないのが、女声コーラスの存在です。
その中でも、1982年頃から1983年夏まで担当の、スカッシュ と、
1983年夏から1986年6月まで担当の、シャワー の、コーラスワークは、
当時レコードを、持たなかった自分には、強烈なインパクト受けたことを、思い出します。
 
ベストテンの中では、久米さん・黒柳さんコンビの司会で、
シャワーが、コーラスを担当していた、1984年前後が、一番大好きでした。
久米 宏さんが、1985年4月に、ベストテンの司会を、降板すると、発表したときは、
すごくショックを、受けたことを、思い出します。
 
自分流に、ザ・ベストテンの思い出を、書き綴りましたが、
近年、You Tubeで、ベストテンでの、歌唱シーンの、
動画が、UPされるのを、見ると、あの頃が、すごく懐かしいし、今、聴いても、癒されます。
多少のハプニングは、あっても、それらを、毎週生放送でやり遂げるのですから、
当時の番組作りに対する、情熱、エネルギーの高さを、感じます。
 
ザ・ベストテンと、
ベストテンと同時期に放送された、夜のヒットスタジオと、レッツゴーヤングでの
生歌・生演奏の、歌唱シーンを、You Tubeなどで、見るたびに、
あの頃に戻りたい と、つくづく思います。

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