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今日から、大相撲秋場所が始まりました。
力士には、様々な個性があるとともに、勝負を裁く行司にも、個性があります。 そんな、行司の中で、個性が強かった人は、24代 式守伊之助です。 昭和52年 九州場所で、3代 木村正直から、立行司 式守伊之助を襲名し、 65歳定年退職となる、昭和59年 春場所まで、伊之助として在位し、 伊之助としての在位は、歴代1位で、若いときの風貌が、老けていたことから、 「隠居」の、あだ名が付けられていました。 24代 伊之助といえば、制限時間一杯の仕切りで、 仕切り線付近で、軍配を差し出して、「待ったなし」と言うと、 徳俵付近まで下がって、軍配を返す姿があり、 このスタイルは、正直を名乗っていた、昭和50年代初めあたりから、確立されたようで、 そのスタイルは、強く印象に残りました。 立合いでの、かけ声は、「はっきょい」は、言わず、「のこった、のこった」と言い、 取組中の動きは、活発で、土俵際での攻防では、 軍配を持つ、右腕を広げる時がありつつ、 前屈みになって、勝負を裁く姿があり、 また、まわし待ったの、熱戦では、タイミングを見計らって、力士の動きを止め、 緩んだまわしを締め、勝負再開させる、手際の良さは、見事で、 そのシーン【昭和59年 初場所・若嶋津 vs 北天佑】は、 動画投稿サイトで、見ることができ、教科書のような、素晴らしいお手本です。 昭和59年 春場所後、65歳定年退職となりましたが、 個性的な動きがあったからか、単独で、テレビCMに、出演しました。 起用したスポンサーは、覚えていませんが、確か、真っ白なスタジオで、 24代 伊之助が、取組中に見せる動きを、展開したシーンが、記憶に残ります。 24代 式守伊之助は、2013年2月、93歳で永眠されました。 【※一部、修正します。2015年11月19日・更新】 |
大相撲
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大相撲秋場所を直前に、元・大関で、今場所、十両へ陥落した、
エストニア出身、把瑠都 関が、引退届を日本相撲協会に提出しました。 膝のケガが治らず、28歳の若さでの引退は、惜しまれます。 把瑠都 関が、在籍した、尾上部屋は、東京都大田区池上にあり、 自分が、昨年夏まで、東京都区内で、生活していたところから、 歩いて、すぐの距離にあったので、何度か、把瑠都 関と偶然、会う機会がありました。 声を掛けることは、ありませんでしたが、お相撲さんのオーラがあり、 また、奥さんとツーショットで歩く姿を見たことがあって、 いい人そうな印象がありました。 膝のケガが癒えたら、そこから這い上がる姿を見たかったですが、 引退を決断した以上は、その意志を尊重します。 把瑠都 関、お疲れさまでした。 |
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大相撲名古屋場所は、横綱 白鵬が、二日残して、
26度目の優勝を決めました。 白鵬が、全勝街道を走るなか、 横綱 日馬富士、大関 稀勢の里、琴欧州、琴奨菊、鶴竜が、 序盤から中盤にかけ、取りこぼしがあったことで、 残り二日で、白鵬に優勝を決められると、白鵬の強さだけが目立ちます。 見る側にとって、一番理想的なのは、上位陣が、中盤戦までに、 全勝か、1敗でまとめ、終盤戦から、上位陣で、 星を潰し合い、千秋楽まで、優勝争いが、もつれる展開が、 一番、盛り上がると思います。 自分が、大相撲中継を見るようになった、昭和58年において、 横綱 千代の富士が、春場所14日目に、優勝を決めた以外は、 千秋楽まで、優勝争いがもつれ、 千代の富士をはじめ、大関から横綱へ昇進する 隆の里、 大関 琴風、若嶋津に、関脇から大関へ昇進する 朝潮、北天佑が、 優勝争いを繰り広げ、盛り上げました。 初場所では、優勝決定戦の末、大関 琴風が、関脇 朝潮を下して、優勝を決め、 夏場所は、単独トッブに立った、関脇 北天佑が、初優勝を決め、 名古屋・秋・九州では、千代の富士と、隆の里が、3場所連続、 千秋楽結びの一番相星決戦で、優勝を掛け、名古屋と秋は、隆の里が優勝し、 九州は、千代の富士が優勝を決めました。 昔話が、長くなりましたが、白鵬が、今の強さを保ち、他の横綱・大関陣が、 頑張らないと、白鵬が、大鵬の持つ、幕内優勝通算32回の記録が、更新される可能性が、 現実味を帯びてきます。 来場所以降、序盤から中盤まで、全勝か、1敗にまとめ、 白鵬にブレッシャーをかける相撲を取ってもらいたいですね。 |
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大相撲名古屋場所、優勝争いは、全勝の、横綱 白鵬を、
1敗で、大関 琴欧州、平幕 魁聖が、追う展開で、 外国人力士が、今場所も、賜杯を取りそうです。 今でこそ、外国人力士が、隆盛を極めていますが、 それができたのも、「ジェシー」こと、高見山の成功があってこそでした。 ハワイ出身の高見山は、昭和39年春場所に初土俵を踏むと、 昭和43年初場所、新入幕を果たし、 昭和47年名古屋場所では、平幕で、外国人力士初の、幕内優勝を果たしました。 努力と辛抱で、関脇まで上がり、昭和59年初場所まで、 16年間、97場所、幕内を務め、 昭和59年夏場所、現役引退しました。 後継力士の育成に尽力し、現役時代には、小錦をスカウトし、 小錦は、外国人力士初の、大関まで昇りました。 引退後、東関部屋を、創設してからは、曙を、外国人力士初の横綱に育て、 「ロボコップ」高見盛を始め、個性溢れる幕内力士を、育てました。 明るく、ユーモアなキャラクターから、 丸八真綿をはじめ、CMに、何本か出演するなど、世代を越えて愛された力士でした。 高見山から、小錦、曙、武蔵丸と、ハワイ出身力士の成功があってこそ、 白鵬をはじめとする、モンゴル勢、琴欧州をはじめとする東欧勢、魁聖のブラジルと、 大相撲のグローバル化が進みました。 さらに、今場所、エジプト出身の、大砂嵐が、 アフリカ初の関取として、十両に昇進しました。 ここ数年、日本人力士の幕内優勝が見られませんが、白鵬をはじめとする、外国人力士の、強い壁を乗り越えない限り、 幕内優勝や、横綱は、誕生しないだけに、日本人力士の奮起が待たれます。 |
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現在、大相撲の制限時間一杯の立合いは、仕切りで、両手を突くことが、基本ですが、
昭和59年までは、両手を着かなくとも、あうんの呼吸で立合う時がありました。 動画投稿サイトでは、様々な時代の取組を見ることができますが、 中腰の状態から立合ったり、互いに、両手を着かず立合ったり、 時には、待ったとなりそうなほど、数秒間合いを取って、立合うなど、様々見られました。 裁く行司も、対戦相手の動きによって、素早い対応をしていて、 特に、仕切り線で、軍配を前に出して、「待ったなし」と声をかけた、 24代 式守伊之助【3代 木村正直】と、 仕切り線で、「手を突いて、待ったなし」と声をかけた、 27代 木村庄之助【4代 木村玉治郎】の、二人の立行司は、 素早い立合いをする対戦力士では、下がりながら、軍配を返し、対応しました。 この頃、待ったのシーンに、昭和56年九州場所、結びの一番で、 横綱 千代の富士と、大関 琴風の取組があり、 27代 庄之助が、「手を突いて、待ったなし」と声をかけ、軍配を返しますが、 そこで、千代の富士は、先に、片手を仕切り線に、付いた瞬間、 館内のお客さんから、「あー」という、ため息を漏れて、「待った」となりましたが、 それだけで、「待った」になるのかと驚き、両手を突かずに立つことがある、 当時の、風習が定着していたことを、表すシーンでした。 あうんの呼吸、間合いの駆け引きなどが見られた、立合いは、 昭和59年秋場所以降、立合い正常化の取り組みを始め、 両手を着いて立つ、今のスタイルが、確立しました。 さて、話は、現在に変わりますが、大相撲名古屋場所で、今場所注目されていた、 大関 稀勢の里は、8日目を終えて、5勝3敗と、綱取りは、消滅しました。 後半、横綱・大関戦を控えているだけに、「クンロク【9勝6敗】」で、 終える可能性さえあります。 綱取りが、1から出直しとなりましたが、来場所以降に、繋ぐ相撲を取って、 いつかは、優勝できるよう精進して欲しいですね。 |




