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中学校の先生である知人から聞いた話です。 |

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中学校の先生である知人から聞いた話です。 |
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この話は元帝国海軍の中尉が体験した話です。 学生時代の恩師の一人ですが、私立の学校であったことから、私が在学中、60を過ぎても教師として 現役だった。誰かが面白半分に戦時中の事を質問したことから、生き延びた経緯を聞くことができた。 彼は終戦時、捕虜として収監されていましたが、刑は軽く早い時期に釈放されました。 南方の島での大激戦。 彼の任務については聞きそびれてしまいました(海軍陸戦隊?飛行場設営部隊?)が、一個小隊を率 いていたようです。米軍が強襲上陸をしてから、本隊とはぐれジャングルの奥地へと追い詰められて いきました。弾薬は尽き食料も無いまま友軍を求め彷徨ったそうです。 部下の一人が最期は潔く軍人らしくありたいと言い出したそうです。つまり、銃剣だけで敵に突撃、 又は、手持ちの手榴弾で自決という選択肢です。 彼の意志は陛下から授かった兵士を無駄に死なせるわけにはいかんという海軍将校としての考えより、 むしろ元々教員であったことから部下一人一人の命が惜しかったそうです。投てきで戦車をやっつけ たという戦場伝説を持つ野球選手、画家、料理屋のせがれ、大工、和菓子屋等など・・・ このまま密林に潜み、ただ死を待つより海岸線に出て他の部隊と合流し、補給と援軍に期待したいと 部下を励まし移動を続けた。 しかし、途中で米軍に捕捉され追撃を受けました。退避しましたが、進路上に広場があり遮蔽物が無 くなってしまいました。このままでは恰好の標的になってしまいます。大工だった部下が撃たれまし たが、まだ息はあるようです。 いよいよ突撃か自決かの最後の決断に迫られた時、敵の左翼側面の林から大きな歓声が上がり、日本 語で突撃号令が聞こえた。かなりの人数で銃声や突っ込めぇと確かに聞こえたそうです。その証拠に アメリカ兵は浮足立ち早々に撤退しました。 米軍の撤退を確認した後、この救援のお礼にと挨拶に左翼の林に副官と一緒に行ってみると、そこに は生きている日本兵は一人もいなかったそうです。 おそらくは朽ち果てた敵の機関銃陣地と刺し違えたのか、多くの戦死体が横たわっていたそうです。 部下たちの絶望的な表情・・・しかし、彼は気付きました。そういえば、俺の部隊は怪我人と病人 は出したが、まだ全員生きている。 この怪奇な現象は指揮官である自分になにか決断を迫っているのではないか。 彼は副官に言ったそうです。「みんなで内地に帰ろう」のちにこの時、副官の人は強行突撃命令と 誤解し、いよいよ覚悟を決めたと打ち明けたそうです。 どこからやってきたのか、先ほどの広場に敵の戦車が現れ、撤退した米兵が戻ってきた。 彼は薄汚れたシャツで白旗を作り、軍刀を鞘におさめたまま米軍と向き合ったそうです。 不思議な事に一発も撃ってこない。敵の指揮官は直ぐに降伏を受け入れ、彼の小隊は全員捕虜になり ました。 命は助かったものの、部下からは「臆病者」「卑怯者」と罵声を浴びせられ、戦後釈放されても部下 と会うことは無かったそうです。 しかし、戦後何年かしてから、戦友会(同窓会みたいなもの)からお誘いの葉書が来た。幹事は料理 屋のせがれの軍曹だった。会場の都内のホテルに行ってみると、一緒に捕虜になった部下たちが笑顔 で出迎えてくれたそうです。 「おまえたちに恨まれているとばっかり思っていた」というと彼らは 「始めは裏切られたと思ったが、あなたの決断のありがたみがこの歳になって本当にわかった」 ということだった。 彼自身もあのとき怪奇な現象とはいえ、英霊が援護してくれなかったら最悪の決断をしており、こう して生き延びた喜びを語りあうことは無かったと思ったそうです。 彼は既にこの世にありませんが、山本司令長官を崇拝し、毎年、靖国を訪れ英霊に手を合わせていた そうです。
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昔扱った事故の話です。 |
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これは運送会社に勤めていた知り合いに聞いた話です。 |
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