The mysterious world

不思議な話です。自己満足ですのでのんびり行きます。

耳袋

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洋館

 中学校の先生である知人から聞いた話です。

 彼には大学時代からの親友がいて、仮に田口先生としますが、その人の身に起こった事です。

 私の知人は早々に身を固めましたが、田口先生は30代半ばとなっても浮いた話がなく、早く

 良い報告をと周りに急かされることもあったようです。

 ある日、田口先生は教頭先生に呼ばれ、お見合いの話を持ちかけられます。

 「まぁ君が良ければの話だが・・・」と強い薦めでは無かったものの、普段、お世話をかけている

 上司だったので、いいかげんな返事は出来ず、会うことになったそうです。

 お相手の女性は他校の中学教師ですでに亡くなっている父親は教頭先生の旧友だったようです。

 お見合い当日から、田口先生はこの女性がかなり気に入ったようで、積極的に行動して縁談は

 トントン拍子に進みました。

 お相手の女性を仮に桂木先生としますが、20代後半でお美しい人だそうです。桂木先生も

 田口先生が好印象だったようなのですが、母子二人暮らしということで婿養子でという条件が

 出されました。条件と言っても田口先生は地方から出てきた三男坊だったので、全く依存は

 ありませんでした。区内アパートから都下に引っ越すので多少通勤が大変になる程度です。

 桂木家に入った田口先生が驚かされたのは、その家の大きさでした。

 両親を連れて何度かご挨拶に来たのですが、その度に圧倒されたそうです。

 初老の執事やエプロンを付けたメイドさんでも出てきそうな雰囲気で、部屋数は多くあるものの

 普段、使っている部屋はごく一部でキッチンや居間には現実離れしたものはなく、日当りのいい

 広い居住空間に満足したそうです。

 夫婦とお姑さんとの生活に慣れてきたころ、ある日曜日、女二人で銀座に買い物ということで、

 田口先生は一人でこの館に留守番をすることになりました。

 結婚してから、思いもよらぬ広い部屋を書斎として与えられ、休日はもっぱら読書やDVD鑑賞して

 過ごすのが楽しみだったようなのですが、この日は天気もいいことから近所を散策したり、本屋さんに

 立ち寄ったりしていたところ、家の中は義理の母に遠慮して一度も探検したことが無かった事に

 気付きました。

 奥行きの深い屋根裏を含め三階建ての洋館を一部屋づつ見て回ったそうです。

 やはり、以前はかなりの資産家ということを思わせる絵画、美術品がところどころに見られ、田口先生

 童心にかえりわくわくしながらドアを開けていました。

 どの部屋も古いがほこり一つないことから、普段、義理母が大事にしているんだと改めて思ったそう

 です。

 しかし、一階の間取りに疑問がわきました。廊下に沿って規則正しくドアが有るのに一番奥だけ

 妙に壁が長い。特に考えず引き返そうとしたら「ガタン」とわずかに聞こえたそうです。

 そして良く見ると一番奥は引き戸になっているようでした。壁と同じ色に塗られていたため

 気付かなかったようです。洋館に引き戸?と興味がわき、開けようとしましたが、何かに引っ掛かっ

 ているのか開きません。両手で少し力を入れると「ガチャ」っいう音とともに引き戸が開きました。

 部屋の中は和箪笥がひとつ置かれているだけの殺風景な部屋でした。

 何年開けられなかったのか、ほこりがたまり足跡がつくほどでした。不思議な事に窓が塞がれてい

 ます。陰気でカビ臭いので少しがっかりして、出ようとしたら南京錠がついた留め金が床に落ちて

 います。田口先生はそれを拾って、自分のいたずら心を悔いた。

 壊してしまったことを義理母に詫びなければと、帰りを待ち、鍵を壊してしまったことを

 話すともう古いからねぇと、2人とも笑っていましたが、義理母は無理に笑顔を作っているような
 
 気がしてならなかった。

 その日を境に不思議な事が彼の身に起こるようになりました。





 つづく

最後の決断

この話は元帝国海軍の中尉が体験した話です。

学生時代の恩師の一人ですが、私立の学校であったことから、私が在学中、60を過ぎても教師として

現役だった。誰かが面白半分に戦時中の事を質問したことから、生き延びた経緯を聞くことができた。

彼は終戦時、捕虜として収監されていましたが、刑は軽く早い時期に釈放されました。

南方の島での大激戦。

イメージ 1



彼の任務については聞きそびれてしまいました(海軍陸戦隊?飛行場設営部隊?)が、一個小隊を率

いていたようです。米軍が強襲上陸をしてから、本隊とはぐれジャングルの奥地へと追い詰められて

いきました。弾薬は尽き食料も無いまま友軍を求め彷徨ったそうです。

部下の一人が最期は潔く軍人らしくありたいと言い出したそうです。つまり、銃剣だけで敵に突撃、

又は、手持ちの手榴弾で自決という選択肢です。

彼の意志は陛下から授かった兵士を無駄に死なせるわけにはいかんという海軍将校としての考えより、

むしろ元々教員であったことから部下一人一人の命が惜しかったそうです。投てきで戦車をやっつけ

たという戦場伝説を持つ野球選手、画家、料理屋のせがれ、大工、和菓子屋等など・・・

このまま密林に潜み、ただ死を待つより海岸線に出て他の部隊と合流し、補給と援軍に期待したいと

部下を励まし移動を続けた。

しかし、途中で米軍に捕捉され追撃を受けました。退避しましたが、進路上に広場があり遮蔽物が無

くなってしまいました。このままでは恰好の標的になってしまいます。大工だった部下が撃たれまし

たが、まだ息はあるようです。

いよいよ突撃か自決かの最後の決断に迫られた時、敵の左翼側面の林から大きな歓声が上がり、日本

語で突撃号令が聞こえた。かなりの人数で銃声や突っ込めぇと確かに聞こえたそうです。その証拠に

アメリカ兵は浮足立ち早々に撤退しました。

米軍の撤退を確認した後、この救援のお礼にと挨拶に左翼の林に副官と一緒に行ってみると、そこに

は生きている日本兵は一人もいなかったそうです。

おそらくは朽ち果てた敵の機関銃陣地と刺し違えたのか、多くの戦死体が横たわっていたそうです。

部下たちの絶望的な表情・・・しかし、彼は気付きました。そういえば、俺の部隊は怪我人と病人

は出したが、まだ全員生きている。

この怪奇な現象は指揮官である自分になにか決断を迫っているのではないか。

彼は副官に言ったそうです。「みんなで内地に帰ろう」のちにこの時、副官の人は強行突撃命令と

誤解し、いよいよ覚悟を決めたと打ち明けたそうです。

イメージ 2


どこからやってきたのか、先ほどの広場に敵の戦車が現れ、撤退した米兵が戻ってきた。

彼は薄汚れたシャツで白旗を作り、軍刀を鞘におさめたまま米軍と向き合ったそうです。

不思議な事に一発も撃ってこない。敵の指揮官は直ぐに降伏を受け入れ、彼の小隊は全員捕虜になり

ました。

命は助かったものの、部下からは「臆病者」「卑怯者」と罵声を浴びせられ、戦後釈放されても部下

と会うことは無かったそうです。

しかし、戦後何年かしてから、戦友会(同窓会みたいなもの)からお誘いの葉書が来た。幹事は料理

屋のせがれの軍曹だった。会場の都内のホテルに行ってみると、一緒に捕虜になった部下たちが笑顔

で出迎えてくれたそうです。

「おまえたちに恨まれているとばっかり思っていた」というと彼らは

「始めは裏切られたと思ったが、あなたの決断のありがたみがこの歳になって本当にわかった」

ということだった。

彼自身もあのとき怪奇な現象とはいえ、英霊が援護してくれなかったら最悪の決断をしており、こう

して生き延びた喜びを語りあうことは無かったと思ったそうです。

彼は既にこの世にありませんが、山本司令長官を崇拝し、毎年、靖国を訪れ英霊に手を合わせていた

そうです。

ある意味怖い飲酒運転

昔扱った事故の話です。

バブル全盛期に陰りが現れたころ、金曜日のことをハナキンって呼んでいましたよね?

ランバダとかジュリアナ東京とかが流行った時代ですよ。
ただ一般道徳や思いやり、マナー、金銭感覚、師弟関係など等、音をたてて崩れていった時代でも
あったように思います。

当時、高速道路の交通パトカーに乗る仕事をしておりました。
自衛隊から移ったばかりだったので、すべてが新鮮でした。しかし、こんなに日本の治安は悪いのか
と思い知らされた転職でもありました。

「金曜、土曜日の夜勤はなにかが起こる」そんな脅し文句を先輩隊員からよく聞かされました。
あながち脅しでもないのです。

「高速中央××から、各移動。○環状北○西近い局どうぞ」

この日、有事待機という事故事案だけ出動する勤務についていました。何も無ければ巡回パトより楽な
勤務ですが、やはり金曜の夜になにもないはずは無かったのです。

分駐所内の固定無線を傍受していて、この一報が入り静寂は打ち消されました。
すぐにホットラインが鳴り出動要請がきました。

無線やり取り
{高速200(仮名コールサイン)から中央××、なか環状北○西事故出向!なお、うちそと方向は
 いかが?どうぞ}

{了解!第二から200あて、現場については内外不明になります。通報は通行車から。車の破片が
 付近に散乱している。このように入電ありましたから、どうぞ}

{了解!200は緊急に移行。以上200}
私たちのPC200号は0号線を下り湾0線に出た。

深夜に緊急走行をするとサイレンの音がひときわ響き渡るのがわかる。。
100km/h以上で疾走しても90系新型ランドクルーザーはカーブでの食いつき、直線加速など
快適な走りを見せてくれる。
MT車の80系(角目)も良かったが、コーナリング性能はタイヤの質やサスペンションを考えると
多少運転技量が必要になる。
やはり時代は変わって行くもんだ。
この90系に乗って新米が天狗にならなければいいなぁと思った。

葛0JCTから環状線内回りに入る。
ジャンクション合流からしばらく進むと緩やかな左カーブがあり、その付近から低速に移行し、
拡声器で注意を促し誘導ランプを窓から出して追越しを禁止した。
予想どおり、白くてデカイ物体が右車線上に落ちていた。

「乗用車のバンパーだなぁ。ひでえや!ちぎれているぞ」といいながら路側帯に一旦排除し、
さらに前進した。しかし、すぐ反対車線外回り方向に大破した車両を発見して、現着報を入れた。
その付近一帯に多く散乱している物はたった一台の車の破片だった。

無線やりとり
{高速200から××あて、逆行より現着、乗用1、路側帯から左車線にかけて横向きの状態、
 現時間で左一車線規制、詳細のち一報どうぞ}

{××了解}

無線担当の相方が携帯無線と発炎筒を数本かかえて中央分離帯を越えて、徒歩で調査に向かった。

現場には数台の停止車両があり運転者が降りて大破した車に集まっていた。

相方の携帯無線からの報告が入る。

{00から××あて、事故の経緯は運転者不在の為、不明。3台が接触し巻き込まれた模様。
 接触を受けた○運(←運転者の事「マルウン」)によりますと、左右に激突しながら、ぶつかって
 きたが、はじめから無人だった。このように言っておりますから、どうぞ}

{××、了解、○運が行方不明でよろしいか?どうぞ}

{現時点ではそのとおり。00は一旦PCに戻りますからどうぞ}

{高速200から××、無線傍受、なお車両破損状況から、○運は投げ出された様にも思慮されます。
 船0橋ターンを行い路面調査しますから、どうぞ}

再びPCを発進させ、緊急走行に入ると他のPCも応援に向かっていると一報を受ける。

内回りを200〜300mも走ったところで反対車線にまた停止車両を数台目撃した。

今度は立ち寄らずそのまま進み船0橋ターンで外回りに進入した。

先ほどの数台の停止車両の位置に到着して今度は私も車を降りて話を聞きに行くと、
ひどい悪臭がただよっていた。

飲酒した者の体臭と汚物、嘔吐のまじった耐え難い臭いだ。

その発生源は静かに横たわっていました。

顔はひどい擦過傷で腫上がり、右足は曲がるはずのない方向に曲がり、汚物はたれ流れて血の混じった
嘔吐をしていた。

立ち寄っていた通行車の運転手はもう死んでいるだろうから、救急車は呼んでいないとのことだった。

しかし、死亡確認を取らなければならない都合があるので私は無線で救急を要請した。

{至急、至急、高速200から第二あて、事故の○運と思われる当事者発見、意識不明、呼びかけに
 反応無し重体と思われる。大至急、救急要請願いたい。}

{了解、意識不明・・怪我の状況いかが、どうぞ}

{顔面と頭部から出血、頭部には陥没も見られる、手足の骨折、なお汚物を上下から垂れ流しの状態、
 アルコール臭があることからかなり飲酒していたと思われる。○運であったかは現時点では不明です
 から、どうぞ}・・・同乗者という可能性もあった。

無線交信のあと、救急車が到着した。
扱わないと思ったが、脈がまだあるということで、ストレッチャーを下ろしてきた。当事者の搬送を
見送り、付近の調査を開始した。

接触痕は最終停止地点まで4箇所でした。

バンパーなど破片に直撃し、停止していた車両は内外周り含め計7台であった。
いずれも幸い損傷軽微ということで、事務処理を簡単に行い帰ってもらった。

結局、この事故は原因不明である。

当事者はそれ以後、植物状態となり我々の記憶からも消えていった。
判明した事実は、シートベルトをしていなかった為、車外に投げ出された事。お酒を含めかなり飲食
していた事。60km/h規制の道路を100km/h以上で走行していた事。

もはや社会復帰は出来ないという事である。

原因はなんであれ、起こるべくして起きた事故である。
シボレーコルベットのガブリオレを乗り回していた、この50代の男性は自分の人生がこんな風に幕を
閉じることになる事を予想していただろうか?

イタリア製のスーツが血と汚物で染まり、左右の手の指に宝石のついた指輪がはまっていたが、
腕は折れて手の色が変色し親指が折れて反対に向いている。

シャープで精悍な顔立ちのチョイ悪オヤジ、車も女も金も思いのままだったのかもしれないが、
私の足元に横たわっていた人はすべてを失っていた。

シャープであったはずの顔は腫上がり、前歯が無くなり、免許証の写真とは別人のような変わり
ようだった。

施設被害報告と当事者不在の実況見分を終え、規制を解除した。

セーフティローダーに積まれた事故車が虚しい。

この後、例の事故車置き場に一時保管となった。

先日、18歳の男の子の教習を担当しました。学科教習で飲酒運転の怖さ、許されない社会的責任に
ついて学び、今まで捕まらない事をいいことに平然と飲酒運転を繰り返している40代の両親に厳
しく注意したそうです。

立派です。

こんな子が今後の交通社会を守っていってくれることを期待して、少しでも我々は彼の
ような若者のお手伝いが出来れば、幸せってもんです。

イメージ 1

これは運送会社に勤めていた知り合いに聞いた話です。

入社したばかりの時、助手として東北方面に向かうトラックに同乗したことがあったそうです。

高速道路を走行し、集約を通過して岩槻までの直線道に差し掛かった時、妙に車が小さく蛇行し始めたので、運転手を見てみるとハンドルがガタガタと震えていたそうです。
運転手も怪訝そうに、「パンクとは違うなぁ」と首をかしげていました。

シミー現象という操行装置の不具合がありますが、そうではなく
よくみると運転手の腹のあたりから小さな白い手がはえていてハンドル操作を邪魔していたそうな。

運転手さんには見えないようで、冗談ぽく「この辺は出るから気をつけろって、よく言ってるやつがいるんだよなぁ」と新人の知り合いにこぼしていたそうな。

いやいや・・・今出ているよ・・・とは言えなかったそうです。

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