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祖母は、よく「おばあちゃんは、若い頃は、とっても綺麗だったんだよ」
と言っていた。私は、子供だったので、そうかな、とあまりピンとも
来ずに、その言葉を聞いて、祖母をしげしげ眺めたものだった。
しかし、いま、少し客観的になって思い出してみると、なるほど、その頃
70歳を越えていたにもかかわらず、祖母の目はパッチリと大きく開いていたし、
睫もパサリと音がしそうなほど長かった。瞼が下がることもなく、
目の下に袋をぶる提げることなく、それほどたるんだ感じもなかったの
である。頬は、やや下がっていても、かえって福福しく、老人に出るシミ
なども、なぜか少しも目立たなかった。そして眉間に刻まれたシワはなかった。
難しい顔をしているようなことはなかったのである。
いつも、どちらかといえば飄々として、涼しい顔をしていた。
一生を通じて、化粧などしなかった人である。農園(りんご園)で
腰巻一丁で働きながらも、日に焼けたようなあとも、なぜかなかった。
そんな祖母に思いをはせる。美貌、という点、祖母のように小作りな
顔立ちではないので、私は負けている。ただ肌が明るいのは似ている
かも知れない。首もとがスッキリとしているのも似ているだろう。
天才肌ともいえるくらい偏屈、子供嫌い、自己中心的だった祖母に比べると、
私は、かなり平々凡々としていて、まだ人のことを考えるほうだろうか。
しかし、血は争えないという気もしている。
だから、祖母のことが知りたくなった、ということなのだ。
私も、やはりマイペース。まだ人のことを考える、と書いたが、
あまり人の思惑は気にしない。世間の慣習やら、平均的なことには、
まったく気がまわらない。何より頑固である。そして気前は良いほうである。
何か自分にあって、分けてあげられるものがあれば、自分が困っても
人に分けてあげたいたちである。
祖母の人生で一番幸せだったのは、蚕糸研究所の研究員として働いた頃
だろうか。ひとり結婚するために満州の大連へ旅立ち、長男をもうけた頃
だろうか。いや、りんご園で采配をふるっていた頃ではないか、とも考える。
なんとなく、そんな祖母の人生の「像(イメージ)」を私自身が追いかけて
いるような気がする、この頃なのである。
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