うんむまじどの『イスラムな気持ち』

シリア危機(「内戦」ではありません)−アサド政権の「テロとの戦い」は続きます

祖母、菊女ノート

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最近、私は、「超」がつくほど個性的だった祖母の人生に興味を感じて、81歳の伯母に話を聞いています。
伯母から引き出した、ちょっと尽きない祖母の話を聞いてください。
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祖母は、よく「おばあちゃんは、若い頃は、とっても綺麗だったんだよ」
と言っていた。私は、子供だったので、そうかな、とあまりピンとも
来ずに、その言葉を聞いて、祖母をしげしげ眺めたものだった。

しかし、いま、少し客観的になって思い出してみると、なるほど、その頃
70歳を越えていたにもかかわらず、祖母の目はパッチリと大きく開いていたし、
睫もパサリと音がしそうなほど長かった。瞼が下がることもなく、
目の下に袋をぶる提げることなく、それほどたるんだ感じもなかったの
である。頬は、やや下がっていても、かえって福福しく、老人に出るシミ
なども、なぜか少しも目立たなかった。そして眉間に刻まれたシワはなかった。
難しい顔をしているようなことはなかったのである。
いつも、どちらかといえば飄々として、涼しい顔をしていた。

一生を通じて、化粧などしなかった人である。農園(りんご園)で
腰巻一丁で働きながらも、日に焼けたようなあとも、なぜかなかった。

そんな祖母に思いをはせる。美貌、という点、祖母のように小作りな
顔立ちではないので、私は負けている。ただ肌が明るいのは似ている
かも知れない。首もとがスッキリとしているのも似ているだろう。
天才肌ともいえるくらい偏屈、子供嫌い、自己中心的だった祖母に比べると、
私は、かなり平々凡々としていて、まだ人のことを考えるほうだろうか。

しかし、血は争えないという気もしている。
だから、祖母のことが知りたくなった、ということなのだ。

私も、やはりマイペース。まだ人のことを考える、と書いたが、
あまり人の思惑は気にしない。世間の慣習やら、平均的なことには、
まったく気がまわらない。何より頑固である。そして気前は良いほうである。
何か自分にあって、分けてあげられるものがあれば、自分が困っても
人に分けてあげたいたちである。

祖母の人生で一番幸せだったのは、蚕糸研究所の研究員として働いた頃
だろうか。ひとり結婚するために満州の大連へ旅立ち、長男をもうけた頃
だろうか。いや、りんご園で采配をふるっていた頃ではないか、とも考える。

なんとなく、そんな祖母の人生の「像(イメージ)」を私自身が追いかけて
いるような気がする、この頃なのである。

Page 26. 裁縫の師匠

りんご園の仕事が少なくなる農閑期には、菊女は裁縫を教えている。
菊女の手先の器用さ、仕立ての良さは世に聞こえ、弟子をとるほど
の腕前であった。

私が覚えている祖母、菊女は、よく裁縫をしていた。が、私たち孫の
ために浴衣であるとか、何か作ってくれたということは全くなかった
ように思う。それは、まだ当時の私などが菊女の相手にならない半端な
子供だったからに相違ない、といろいろ話を聞いた今になると、
そう推察できる。

しかし、この菊女は、今際(いまわ)の際(きわ)には、その時、
身を寄せていた娘、俊江の娘(孫、もう当時成人していた)に着物を
仕立てている。

着物を仕立て終え、最後の糸を切ったところで、そのままの姿勢で、
脳溢血を起こし昏睡状態に陥った。

意識不明のまま10日間の後、その生涯を閉じた。享年82歳。

Page 25. 髪を梳く母

身なりも、なりふり構わない、家の掃除もしない。
菊女は、綺麗好きでは、まったくなかった。
銭湯は行くが、その当時、髪を洗えば別料金がついたので
菊女は、銭湯では髪を洗わなかった。

月に一度くらいは、たらいにお湯を入れて縁側で髪を梳く母を
貞江は、よく覚えている。そして髪を梳いたあとの母がまことに
さっぱりとして美しかったことを。

母、菊女に「おまえはいらぬ子」だと言われて育ったのは、
三女の貞江だけではなかった。

菊女は昭和7年、42歳で四男となる英行(私の父)を出産している。

そして、この英行も「おまえはいらぬ子」と言われ続けたという。
貞江は父、平八に擁護されて育った記憶があるが、この英行はどうだったのか。
しかし貞江のみならず、英行も、いつも養子に出される不安を常に感じて育ったのだ。
そして、英行は弱かった。気が病んで、小学校時代に不登校になったという。

そんなときも、「学校へ行ってくんろ」と、先生から呼ばれれば、
貞江が菊女に頼まれて学校に行っている。

菊女にとって、子どもに関わることは、ただただ面倒なことであったのだ。
ここまでくると菊女の母業怠慢は疑いようがない。

母、菊女には「おまえはいらない子」と言われ冷たくされた分、
貞江は、父の平八には、とても可愛がられた。

銭湯に行けば、いつも平八といっしょに男湯に入って
父に体を洗ってもらっていたのである。

しかし、ある日、お風呂屋のおばさんが、

「貞江ちゃんは、もう大きいから、今日からあっち」

女湯を指して言うのであった。
貞江は、そのことにとても衝撃を覚えた。

しかし、いくつになっても平八と一緒に男湯に入る貞江に、
風呂屋のおばさんは、見かねたていたのだろう。
かといって、それから母、菊女と一緒に連れ立ってお風呂に
入った記憶は貞江にはない。それからは、友達といっしょに
銭湯へ行くようにしたという。

寝るときも貞江は、いつも平八といっしょだった。
母は、姉の俊江と下の弟、英行といっしょに寝ていた。

父の平八は、鶏を屠れば、「これは体にいいから、貞江が食べな」
などと内臓の部分を取って口に運んでくれたり、と何くれとなく
気遣ってくれた。

軍属の横須賀の看護学校へ行くことを、実は平八は反対した。
「進駐軍がどんなことをするか知っているからね」

それでも貞江は、その道に進んだ。

父が亡くなった翌年、昭和22年。平八の命日に貞江は結婚している。

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