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「僕は水の匂いを感じ取れる。さあ行こう」
そこには見渡す限りの蓮が輝く緑色の丸い葉を
無数に広げていました。
淡いピンク色の蕾や咲き匂う花弁がゆらゆらと
柔らかな風に揺れ騒ぎ
澄んだ水は明るい空に染まっています。
「これが……蓮の泉!!」
MIUは叫びました。
「やっと…やっと辿り着いたのね!!」
「いや、ちょっと違うんだけどね…」
蟻とロンがかたわらですまなさそうに言いました。
一体どういう事なのでしょうか。
「よく見てごらん、蓮の葉っぱを」
沢山の光る水玉がキラキラコロコロと転がっています。
それが葉の中心でひとつになった時。
「ホラ、これがもう少ししたら…」蟻が囁きます。
やがて綺麗な水玉に透ける
葉っぱの中心の小さな穴からはプクプクプクプク…
まるで真珠の首飾りの様な泡が立ち昇り始めたではありませんか。
「なんて美しい…」
MIUは目を輝かせながらじっと見入りました。
「お天道様があたためた空気がね、長い茎の中から湧いて来るんだよ。
まるで小さな泉さ」
しかつめらしくロンが締めくくります。
そしてそこそが探し求めていた
「蓮の泉」だったのです。
「MIU、小さくなって」蟻が言いました。
「その泉に飛び込んで葉っぱの穴に入るんだ」
けれども溺れた事のあるMIUは深い水が
ひどく怖いのです。
「MIU、ここからは一人だ。LUNAに会いたいんだろ、さあ
勇気を出して!!」
ロンが力強く言いました。
小さくなったMIUは思い切って水の玉に飛び込みました。
鼻をつまんで。
必死の思いで穴に入ると…。それはまるで
緑いろの長い長い滑り台でした。
ずっとずっと…ずーっと滑ったMIUの体はふわりと
広い空間に投げ出されました。
そこは見渡す限り…
遥かな天空まで淡い虹色に光る雲が渦巻く中、無数の
煌めくカケラがゆったりと行き交う不思議な世界でした。
そのカケラのひとつに子猫のLUNAを発見して
MIUは叫びました。
「待って…待ってよLUNA!!」
MIUがカケラを追って走り出そうとした時です。
後ろで優しい声が響きました。
「ボクはここにいるよMIU、とても元気そうだね…」
振り向くとそこに立っているのは…
懐かしいLUNAでした。
「ずいぶん歩いたんだね」
その声はあたたかいいたわりに満ちています。
「LUNA…!!」
彼らはしっかりと抱き合いました。
あの幸せな午後の様に。
「MIU、ここは記憶の星雲だよ。過去のすべてがあるんだ」
星の様に煌めくカケラには確かに様々な
LUNAが見えます……。
迷い猫だったLUNA。
まだ慣れない部屋である夜、遠く響いた
子猫を呼ぶ母猫の声に向かって走って行きました。
壁をジグザグに走る忍者になったり
いつの間にか「おすわり」を覚えていたり
お隣から煙草の吸殻をくわえて帰ったり
外出帰りのMIUの胸に飛びついて来たり
入浴中のMIUを真冬の
冷たい洗濯機の上で待っていたり
新しいサイフを猫パンチで迎えたり
去勢手術の麻酔でしっぽがススキになったり
来訪者が手渡す物を夢中で受取ろうとしたり
MIUがため息をつくと彼もため息をつき
それから…
数え切れない記憶のカケラが
MIUの周りでグルグルと飛び交いました。
無数の季節の流れの中
彼は太陽と月の光の様に…大自然の一部の様にいつも
そこにいたのです。
それから…
それから突然具合を悪くして。
「あと数日」の宣告を
宇宙の果てまで蹴っ飛ばしたかったMIU。
病院からの帰り道
冷たく凍った風の固まりを全身で受け止め
LUNAをしっかりと胸に抱えながら夕陽に染まる長い橋を渡りました。
逝こうとする彼に
夕焼けやコスモスや光るさざ波や一番星や
もっともっと沢山の美しい「今」を見せたかったから。
その美しい瞬間を一緒に生きて欲しかったから。
少しでも長く抱き締めていたかったから。
「もっと……」
「もっと一緒にいようよ…」
じっと見上げるLUNAをの温もりを感じながら
ポロポロ涙がこぼれ落ちます。
何も出来ない無力な自分がそこにいました。
「LUNA…」
MIUはそっと言葉をつなぎます。
「どうしても…
どうしても謝りたかったんだよ」
「…なぜ?」
柔らかくLUNAが問います。
「あの点滴をしなければもっと自然に…
眠る様に逝けたんだと思う。あれがLUNAの苦しみを
長引かせたんだと思う」
「…点滴で少しは元気になったボクを
もっと元気にしたかったんだろ」
「そう。きっと良くなると信じてた、でも」
MIUは気付いていたのです。
もっと生きて欲しい、ここから離れないで。
それはつまり私の身勝手な願いであり
押し付けがましい愛だったんだ。
4日目の朝。
溢れる朝の白い光にくるまれてLUNAはMIUの膝から
静かに旅立って行きました。
「…何が正しいかなんて誰にも分からない。
信じて選ぶしかないんだ。
どんな結果だって自分を責めちゃいけない。
きちんと受け止めて
また前に進むしかないんだ。
それに。
完璧な愛なんて……神様でなきゃ無理だよ」
LUNAはMIUの顔をのぞき込みました。
「さあ、笑って」
そして彼は続けます。
「ボクはいつでも側にいるよ。なぜなら
記憶の星雲は誰の心にもあるものだからね」
MIUは驚きました。
「じゃあここは…私の心?」
答える変わりにLUNAは静かに微笑みました。
アリスの猫より
チャーミングな笑顔でした……。
MIUが出会った彼らは
実のところ
生まれ持った強さがあります。
たとえ何が起ころうと、そして突然終わりの時が来たとしても
その身ですべてを受け入れる強さ。
もう庭に
あの雀たちは来なくなりました。
チューリップは枯れ、花の季節は終わってしまったからです。
大自然に寄り添い、彼らはいつも逞しく生きています。
「もっと強くならなくちゃね。
きりりと生きるキミたちみたいに」
MIUは透明な夕空の茜を見上げました。
天の深みで輝き始めた星の一つひとつに
LUNAとそして
蟻やヤギのプチ、猫のシロ、水色のインコ、それから
ハツカネズミに犬のロン、彼らの姿が淡く
重なって見えます。
LUNA、そしてみんな……
ありがとう。
すると天空の彼らはキラキラと
優しく瞬きました。
( 完 )
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