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前回の記事に誤解されそうな表現があったかも知れませんが私は
単なる“死刑推進派”ではありません。
そんなおぞましいものはできれば無くなった方がいいに決まっています。
裁判で被告は告白しています。
「手の結束が外れたリンゼイさんは浴槽を倒し
声を上げながら玄関の方に這って行った」
殴られ傷だらけのリンゼイさんは足を拘束されたまま
逃げたい一心で懸命に這い扉を目指したのです。
「自分が体で押さえ込んだリンゼイさんは
動かなくなるまでずっと前に進み続けようとしていた」
リンゼイさんはすぐ目の前にある扉のむこうに
元のままの自分、家族や恋人や友達の待つ故郷の輝きが
透けて見えたのだと思います。
どうしても
どうしても
帰りたい、帰りたいの!!
どうしてもあの場所に帰るの!!
その想いを言葉にならない声で叫び続け
必死で手をさしのべたのだと思います。
しかしそんな彼女を残酷にも被告は
世間にばれては困るという自分の都合だけで死に追いやったのです。
最後まで希望を見つめ続けたリンゼイさんの
死の瞬間の
言語を絶する心情を想像すればもはや綺麗事など言えません。
前回の記事は
その想いを代弁したいという気持ちだけです。
(いただいた同調的なコメントもやはり正義感からの言葉であり
決してやみくもに極刑を推進するものではありません)
事件の後
リンゼイさんのお父さんは鬱病となり
お母さんはトラウマでバスタブに入れず
日本行きを認めた自分達を責め続け
クリスチャンでありながら神さえも信じられなくなってしまったそうです。
また周囲から好奇の目で見られることもプレッシャーであるとか。
「部屋に入ったのはリンゼイさんの軽はずみな行為」と
事件の原因のひとつと主張する人もいるようですがとんでもない詭弁であり
強姦や殺人を正当化する理由になどなろう筈もありません。
(巷には被告のファンクラブという信じ難い存在もあるそうです)
ひとつの命を奪うことで
被害者はもちろん加害者自身、そして周りの人々をも悲劇の渦へと投げ込んでしまう。
未来へと続く多くの命も断ち切ってしまうのが「殺人」の結末です。
ただ防御や偶然の積み重ねで死に至らしめた場合と
私利私欲の意図的な行為の挙げ句の場合ではその意味は全く異なります。
そこに裁判の意味があるわけですが…
“命の重さ”を量り分ける天秤は存在せず
ひとつでも複数でもその重さはきっと等しく尊い筈です。
「死には死を以て望む」
その是非を問うならもはやそれは神の領域なのでしょう。
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今回初めてこの重いテーマを取り上げ
それがしばしばタブーとされることの意味が見えて来ました。
そんな重すぎる世界にブロ友さんを巻き込んでしまった事を反省しています(汗
コメントはとても難しくまた勇気のいる事だったでしょう。
それでも敢えてコメント下さった皆さんの正義感に敬意を、また勇気に
大きな感謝を贈りたいと思います。
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最後に
日本を愛し日本人を信じてくれたリンゼイさんに
被告と同じ日本人として深く謝罪し
天国での幸せを心からお祈りします。
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