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ようやく、東京国立近代美術館の記事を書けそうですw 実は今回の東京訪問に際して、当初は予定に入っておらず、別の施設を訪れる予定でいました。しかし、本来の用事を終えるのが大変押してしまっていたのと、最初から予定に組んでいた[ 科学技術館]の直ぐ側にあったので、こちらに立ち寄る事にしたのです。果たして、その判断は大正解でした。と言うより、科学技術館の訪問時間すら止めて、こちらに全ての時間を割くべきだったと思ってしまった程です^^; そう思ってしまう程、展示内容が充実していたのです。もう、これでもかと言う程見事な作品ばかり・・・。 あの作品も、この作品も、どの作品もが素晴らしい・・・。それこそ、美術の教科書や、TVの美術番組で見た事のある作品が目白押しです。いや、そうしたメディアに取り上げられておらずとも、細かい技法など解らずとも、その素晴らしさが直感的に伝わってくる程のものばかり並んでいるのです。こういっては何ですが、常設展としてのコレクションですら、地方の数々の美術館が束になっても勝てないという程、粒が揃っているという感じだったのです。 展示されるコレクションは、文部省美術展覧会(文展)が始まった1907年前後を近代芸術の時代として捉えられたもの。作品によっては100年以上前のモノもある訳ですが、決して古臭くないのです。西洋画や、水彩画のみならず、いかにも伝統的な性質を帯びている掛け軸や、襖絵、巻き物といった媒体に至るまで、今までに見た事が無いようなアイデアや構図で描かれ、その色彩は驚く程新鮮な艶やかさを発していました。 無論、国立の施設であるという事から、保存や、修復に関して厳重な管理を行われているという事もあるのでしょうが、それにしても見事な作品ばかり。それこそ、これだけ以前の時代において、こうも自由な表現を模索し、それを成し遂げる技術力と精神力を持った人々がいたのだと思うと、驚くと共に、心が揺さぶられる思いがしました。もう堪りません。ずっと見ていたいです。といった感じなのです。 そんな中でも特に気になった作品を・・・と、いつものようにピックアップしたいのですが、気に入った作品が多すぎで困ってしまう程です。無論、ギャラリーガイド(図録)や、絵葉書を購入したのですが、それでも全ての作品が網羅されている訳ではなかったのがとても残念でした。(高価で分厚い図録を購入する手もあったのですが、翌日のスケジュールに際し、手荷物が増える訳にはいかず、今回は断念しました。と言うか、多分この施設には再度訪れるであろう予感がするのですw)そんな状況ではありますが、敢えて印象に残った数点をピックアップしてみたいかと。 ■ 山下新太郎(1881-1966)《窓際》1908年
髪を後ろに纏め上げ、白いドレスに黒いカーデガンをまとい、ベランダで陽の明かりを背に読書をする麗人を描き上げた作品。何と言う特徴の無いとも言える構図でありながら、印象派の影響を受けたであろう優しげなタッチで描かれた女性からは税熟した色気も感じさせます。日常から読書を楽しむ時間を大切にし、落ち着いた佇まいを漂わせる女性を見守る作者の優しさも溢れているようです。素顔を垣間見る事は出来ませんが、きっと美しい人だったのでしょうね。 ■ 和田三造(1883-1967)《南風》1907年 第1回文展で最高賞を受賞した作品との事。どおりで、美術の教科書で、何度も拝見した事がある訳です。既に見知っている作品であるにも係わらず、やはりホンモノは伝わって来る迫力が違いますね。そのヌリの発色の良さは、とても100年前のモノとは思えません。また、その筋肉の描き方は、ギリシャ彫刻であるかのように、余分な肉を一切そぎ落としており、リアルでありつつ、日本人らしからぬ肉体美を追ったものに感じました。 ■ 原田直次郎(1863-1899)《騎龍観音》1890年 この作品も以前NHKの新日曜美術館か何かで見たのですが、とても不思議な作品に感じました。細かい所まで描写した作品なのですが、いかんせん、テーマが独特なのです。嵐の中から出でし龍の背中に、真っ白い衣に身を纏った観音様がすっくと立っているというもの。モチーフは和のものを用いているのに、その描写方法や、テーマの構成はまるで現代の西洋ファンタジー作品であるかのよう。現代の私ですら異様な違和感も感じるこの作品が、100年以上前に世に現れた時、人々は何を感じたのだろうと思いました。 ■ 高橋光太郎(1883-1956)《手》1923年 美の巨人達でも取り上げられた、力強さと繊細さを兼ね備えた作品です。想像していたより、一回り大きかった印象でした。仏の手を思わせるような、凛とした強い意志と、思わぬ抵抗に抗う緊張感を感じさせますね。 ■ 岸田劉生(1891-1929)《道路と土手と堀(切通之写生)》1915年 この作品も教科書等でよく見ますよね。何気ない風景に対しても、驚く程の描写力をもってして、魅力ある画を生み出した事で有名な人物かと思います。本物を見る機会は今回が初めてでしたが、この作品に関しては、そうした描写力よりも、作品の発色の良さというか、気持ちが良くなってしまう程の色の明るさに驚きました。 ■ 平福百穂(1877-1933)《荒磯》1926年 この作品に限った事ではないのですが、ここの美術館に納められている屏風画はどれもこれも古臭く無い事に驚きました。デカデカと茶色の牛を描いていたり、荒々しいまでの雪景色を描いていたり。古臭いシガラミに捕らわれないモチーフ新鮮さや、絵の具とその塗り、発色の良さに驚かされます。この作品の波の青と、塩や鳥の白のコントラストは本当に見事で、惚れ惚れする程のものでした。 ■ 小茂田青樹(1891-1933)《虫魚絵巻》1931年 この巻物には本当に驚きました。一巻の長い巻物が、いくつかのパートに別れ、それぞれの部分において、別々の虫や魚を描いた作品なのですが、その表現力が多彩かつ斬新で、とても70年以上前の作品とは思えません。現代人が巻物に自由に画を描いて良いと言われても、こうも見事に美しく挑戦的な方法で描く事は早々出来ないのではないかと感じさせます。それこそ、巻物なのに、こうも黒い闇を表現していたり、幻想的な雰囲気を持った物があるとは思いもしませんでした。正に和の領域に現代アートが入っている感じで、それこそ、一体どうやって描いたのだろう?どんな感覚を持った人物だったのだろう?と感じさせる程でした。 ■ 靉光(AIMITU)(1907-1946)《眼のある風景》1938年 この作品も有名ですよね。以前から見たくて仕方の無い作品の一つでした。TVや雑誌で見た時は、暗くドロドロした感情が強く伝わって来る感じでしたが、実物を見ると、そうしたモノと一緒に、熱く激しい物も強く伝わって来る感じでした。混沌の世において、どれだけ虐げられ、この身が滅びようと、私はこの眼を閉じる事が出来ない。誰かに恨みを持っている訳ではない。悲しんでいる訳でもない。しかし、私はこの目を閉じる事が出来ない。真実を知るまでは、いや、真実を知った以上は、この場所から立ち去る事は出来ないのだ。そんな意思が込められているかのようでした。 ■ 鶴岡政男(1907-1979)《青いカーテン》1964年 この作品もTVで見た事のある作品でした。なんだかヘンテコな構図で、とてもユーモラスです。はずかしながら、何をテーマにしているのか解りかねるのに、なんだか気になるのです。今後もこの作者の事を色々と知りたくなってしまいました。 ■ 岡本太郎(1911-1996)《燃える人》1955年 何時ものように気になる人物、岡本太郎氏の作品です。この作品のテーマも、明日の神話と同様に原爆が扱われています。あの作品と違い、この作品では再生の部分が描かれていません。本来は無垢な存在でありながら、使う者の意思によって莫大な破壊力を持つ原爆の凶悪さを感じさせます。 ■ 福田平八郎(1892-1974)《雨》1953年 この作品は知人が持っていた絵葉書によって以前から知っていた作品でした。なんだか可笑しいですよね。瓦がモチーフの絵だなんて。でも、この何でもない絵が不思議な魅力を感じさせるのですw シンプルでどれも同じように見えるんですが、ちょこっとずつ違うように描き分けられていたりするのです。なんだか、屋根側に残る雨の雫の様子を見て、天気の様子を伺っているのが伝わって来るというか、むしろそうした雫の跡の変化がこれから見れる事を作者が心待ちにして、ワクワクしているかのように感じました。 ■ アントニー・ゴームリー(1950- )《反映/思索》2000年 はい、以前の記事でも取り上げて、勝手に画像加工して楽しませていただいた作品のオリジナルです。あまり綺麗に写っていませんが、やはりホンモノを取り上げないのは失礼かと思いまして^^; 何度見ても、不思議な魅力を感じますよね。 これ以外にも本当に魅力的な作品がイッパイ展示されていました。作品の展示や、距離感やライティングも流石といった感じで、施設そのものに対する不満は何もありませんでした。さらに凄い事に、係の方に申請すれば館内のどの作品も撮影可(Flashは無し)であったという事実!! もう時間が無いのが残念で、残念で仕方が無かったです><; それこそ、この施設に対し残念に感じたのは、閉館時間が早い事。(これは時間に余裕が無い状況で訪れた私も悪いのですが)お願いですがら、17時の閉館ではなく、20時位まで開館していただけると、県外から訪れた者にとってはとても助かる次第です^^; あと、展示スペースの関係上、所蔵作品の全てが展示されている訳ではなかったのが悔やまれます。
やはり、再度訪問し、もっと時間を掛けて作品を堪能する機会を設けないといけなくなりそうですw |
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ああああああああ・・・。
行こうと思えば、行ける距離にありながら、いつも指をくわえている私には、
東京在住の価値は無に等しい・・・・・。
高村光太郎・光雲父子の作品はいつ見ても、その品格に背筋が伸びるような気がします。
福田平八郎《雨》は私も好きです。几帳面に並んだ瓦なのになぜかユーモアを感じるんですよね(^^
そして、先日ご紹介いただいたアントニー・ゴームリー《反映/思索》。
2000年の作品なんですね!では、私が見た事があると思っているのは何かの思い違いでしょう。
しかし、この既視感・・・・・・不思議です・・・。
2008/1/20(日) 午後 9:28
そしてそして、開館時間の件は同感です。会社帰りにも寄れるようになれば断然良いのに。
平日だけとか、週に3日とかでも大変にありがたいです。
(それでもなかなか行けないでしょうが・・・・ね。)
2008/1/20(日) 午後 9:36
《虫魚絵巻》がすごく気になります。行こうと思えば十分行けるのだから見に行かなくては(苦笑)。
[ ちいらば ]
2008/1/20(日) 午後 11:37
私も「虫魚絵巻」がき気になりました。行こうと思っても簡単に行けないのですが、いつか行かなくては(笑)
[ ミツコ ]
2008/1/21(月) 午後 7:43
高村光太郎の『手』は印象的ですよね!
私も実物をみてみたい*
(結構想像より大きな作品のようですね)
2008/1/21(月) 午後 8:30
こごとさん、こんにちは。
そんな、価値がないだなんて申しませんが、せっかく近くに良い施設があるのですから、是非ともお立ち寄りなさってくださいw
さて、「雨」はイイですよね。
何でもないあんな画が何であんなに惹き付けられるのか不思議です。
だれもテーマとして扱ってないからという事もあるのでしょうが、やっぱりユニークですよね。
それにしても、開館時間は本当にもう少し配慮して欲しいものですよね。
それはこの施設に限った話ではありませんが・・・
少しは民営の森美術館の開館時間を見習ってもらいたいものです。
2008/1/21(月) 午後 9:03
ちいらばさん、こんにちは。
「虫魚絵巻」は巻物という事もあり、UPした画像以外にも高度なテクニックで幻想的に描かれた虫や魚が存在しますよ。
しかもそのどれもが別の技法で描かれているという凝り様です。
全部の画の絵葉書がなかったのが悔やまれる程でした。
個人的にはかなりオススメです。
2008/1/21(月) 午後 9:06
mitukoさん、こんにちは。
mitukoさんも「虫魚絵巻」が気になられましたか。
そもそも漆黒の闇をバックに蜘蛛を描く事ですら巻物としては意外なモチーフであるのに、ピンクの花を添える事で決して暗くなっていないどころか、かわいらしさというか、優しげで幻想的な雰囲気を醸し出しているのも面白いですよね。
機会があれば是非ご覧になってみてください。
2008/1/21(月) 午後 9:12
Mielさん、こんにちは。
高村光太郎の『手』は下手な全身像や胸像とかよりも、印象に残りますよね。
TVで見た時は、ホンノちょっとだけ実物の手より大きいくらいかな?と思っていたのですが、案外しっかりとした大きさがありました。
でも、これくらいしっかりとした大きさが無いと、力強さや迫力が伝わってこないものかもしれませんね。
(写真だと、かなり寄って撮ってるので、実物よりもさらに大きく見えてしまってるかもしれませんが)
2008/1/21(月) 午後 9:16
アントニー・ゴームリ《反映/思索》って、ものすごく気になりますね。これ、彫刻ですよね?なんだかものすごくリアルです。東京国立近代美術館って行ったことなかったです(涙)。そんなに素晴らしい内容とは!
2008/1/22(火) 午前 2:07
Mepoさん、こんにちは。
この2体の人形、妙に気になりますよねw
何の動きもなければ、細かい表情もないのにw
間にガラスを介在しているのがミソなんでしょうね。
相対する存在は、ガラスに映った自分なのか。
それこそ、世の中で出会う存在は全てが幻か、それこそ、自分自身を投影したものなのか・・・そんな事に想いをめぐらしてしまいます。
ホント、この美術館は、上記に記した作品以外にも素敵な作品がイッパイありましたよ。
2008/1/22(火) 午後 0:16