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■ Chiharu Shiota: Breath of the Spilit ■ 開催期間:7月1日〜9月15日 ■ 公式HP 過去の展覧会 塩田千春(1972年大阪生まれ)は、ベルリンを拠点に国際的に活躍する美術作家です。京都精華大学洋画科卒業後、1996年よりドイツに活動の拠点を定め、ブラウンシュバイク芸術大学にてマリーナ・アブラモヴィッチに師事しました。以来、糸を展示室に張り巡らせるインスタレーションや、旧東ベルリンの解体されるビルや廃屋から集めた多数の「窓」を組み合わせたインスタレーション、さらには自らの身体を用いた映像作品など、多様な表現を展開し、これまで数多くの国際展に参加してきました。また、日本国内では、2001年に開催された第1回横浜トリエンナーレに、泥の付着した巨大な5着のドレスからなる作品《皮膚からの記憶》を出品したことで大きな注目を集めました。その後も、2006年の第6回光州ビエンナーレや2007年の神奈川県民ホールギャラリーでの個展など、国内外で発表が続き、2007年度には咲くやこの花賞と芸術選奨文部科学大臣賞新人賞を続けて受賞しました。 塩田の作品には、絡まった毛糸、くだけたガラス窓、履き古された靴、焼けたピアノなどが主として用いられています。それらは、不穏なおぞましさを喚起する一方で、時間の経過とともに堆積された過去の記憶を提示しているようにも感じられます。普段、何気なく目にする日常の事物に、死の恐怖と生の迫力とを同時に付与した塩田の作品は、その両義性ゆえに見る者を魅了してやみません。本展では、国内において初めて発表される、靴を使ったインスタレーション作品の他、ベッドと糸のインスタレーション、泥のついたドレス、鉄枠の中に糸を張り巡らせた作品、映像、写真も加えながら、塩田千春の作品世界を紹介します。 塩田千春 精神の呼吸 / 国立国際美術館偶然訪れたタイミングで大阪に訪れた際、時間を有効に使おうと立ち寄った国立国際美術館で、「塩田千春 精神の呼吸」展が開催されていました。正直言って、この作家さんの事は詳しく知らなかったのですが、非常に興味深いインスタレーションの数々を拝見する事が出来ました。■ トラウマ / 日常
四角いフレームに縦横無尽に張り巡らされた黒い糸。その中央には、子供服や、靴、注射器、鍵盤等が宙吊りとなって据えられていました。服などは、その生地に針を通すかのように貫通して糸が通されており、それこそ、宙吊りでディスプレイされていると言うより、痛々しく吊るされているような感覚を覚えました。捨て去りたくても、それが出来ない。染み付き、深く絡みついた、しがらみとも言うべき記憶の数々。愛着と言うよりも、因縁めいた思い出。そんなものを思い起こさせる物が、誰の人生にもあるものなのかもしれません。とはいえ、このディスプレイの仕方は、非常に痛々しい感じがして、何だか観てられませんでした。 ■ 大陸を越えて 何と言っても、赤い糸が非常に印象的。広い空間に張り巡らされたその糸が、宙の一点に集約されているだけで、不思議な美しさがあります。それこそ、この赤い糸の放射線だけの作品であったとしても、前衛的なアートとして十分通用しそうな感じです。さらに不思議なのが、その糸が括り付けられていたのが、履き古された靴だったりするのです。その靴は、塩田氏本人の呼びかけによって、様々な思い出が綴られたメッセージと共に全国から送られて来たものなのだとか。実際、その靴には、それらのメモが添えられていました。 大量生産によって生み出された何の変哲も無い古びた靴。しかし、刻まれた傷の数々は、持ち主と共に様々な場所へ赴き、歩んできた歴史そのものとも言えます。その靴との出会いは偶然なのか。それとも必然なのか。赤い糸は、そうした持ち主との運命・絆を表しているのでしょうか。(※ 画像は同様のインスタレーションである2004年日本美術技術センター(クラフグ、 ポーランド)での「DNAからの対話」。) ■ After That - 皮膚からの記憶 3つの巨大なドレス。まるで、エジプトや、中国の巨大な石像の前に出会ったかのような存在感。不思議な迫力があります。これらの巨大なドレスを目の前にした私は、大人の人を見上げていた幼少期に戻ってしまったかのようでした。(写真は5着ですが、本会場では3着のみ展示されていました)2001年第1回 横浜トリエンナーレに出品した5着のドレスからなる「皮膚からの記憶」を、再構築したものだとか。とはいえ、横浜において、ドレスに泥水をかけて着色をするパフォーマンスを行っていた事から、既に布が腐ってしまっており、半分以上を作り直ししたそうです。 (※ 画像は2001年横浜トリエンナーレのもの。) ■ 眠っている間に 黒い糸がいたるところに張り巡らされた空間。それは壁のみならず、天井や床にも及び、部屋全体を覆っていました。フロアの中央には20台に及ぶ真っ白なベッドが据えられ、それらを黒い糸が覆っていました。さらにその周りを糸で作られたトンネルで囲むような構造となっており、その中を歩きながら鑑賞出来るようになっていました。まるで、先に見た作品「トラウマ」の中に、自らが入り込んでしまったかのようです。脳内に縦横無尽に張り巡らされた糸は、ニューロネットワークにも思えなくもありません。設営には、スタッフ9名で10日間も要したのだとか。 ベッドに横たわっている時間でさえ、押しかかってくるストレスを表現しているかのようであり、日々の悪夢が生み出す無音のノイズが共鳴しているかのようにも見えました。もしかしたら、既に我々に染み付いてしまっている空間をビジュアル化してしまったと言えるのかもしれません。でも、不思議と嫌な感覚がありません。むしろ空間としての面白さを楽しむために、ずっと浸っていたいという感情も沸き起こってきました。(※ 画像は2004年聖マリア・マドレーヌ協会(リール、フランス)でのもの。今回の展示では、オープニングイベント時以外、ベッドで人は寝ていないようです。) 一人の作家による、これだけの規模のインスタレーションの数々を見た経験は今まで無かったので、非常に強いインパクトを感じました。実際、「大陸を越えて」などは、B2フロアの1/3の大きさを占める程大きく、展示フロアへ降りるためのエスカレーターからでも、視野に飛び込んでくる程でした。 そもそも、「糸」というごく身近な素材を用いて、これだけの表現を行ってしまう発想力にも驚かされますよね。いや、こうした表現は、此処までの完成度ではなくとも、糸でモノを結びつける事を覚えたばかりの幼少の頃だったら、誰でも持っていた発想のような気がしないわけでもありません。でも、糸は服やボタンを縫う為のモノという価値観に染まってしまい、こうした自由な発想が失われてしまうような気がします。そうした意味で、これだけの完成度で作品を作り上げる技量と感覚は、流石という気がしました。 とは言え、作品によっては、非常に強い負の感情を感じるものもあり、最初は素直に受け入れにくい印象を受けたのも事実でした。特に今回の展示作品の中では小さな作品である「トラウマ」や、上記に紹介していない写真の作品等の展示物には、個人的な負の記憶というか、ネガティブで歪んだ感情を隠すことなく晒しているような感じがして、あまり気持ちの良い印象を受けませんでした。作者の内面や、心理に一体何があったのだろうと、少々心配になってしまう程でした。 ところが、「眠っている間に」や、「大陸を超えて」等のように部屋全体を使った作品となると、不思議とこれらの作品が生み出す異空間としての面白さが目立って来るようでした。何というのか、糸と糸が密度する事で凝縮されていた作者の念が、巨大な作品になる事で良い意味で緩和されるのです。囲われている事で、本来は閉鎖間が生まれるはずなのに、巨大な空間が内側に広がるインナースペースに入り込んだかのような感覚でしょうか。それこそ、よくぞこれだけ糸を張り巡らしたものだという素直な感動と、不思議な空間に入り込んだ面白さを素直に楽しめる余裕が出てくるといった感じでした。実際、これらの設営は、生みの苦しみより、作る楽しさの方が大きそうな感じですよね。こうした感覚は、写真や絵画では味わえないインスタレーション作品ならではのものかもしれませんね。そうした意味で、この展覧会は非常に興味深く、大いに楽しめるものでした。 |
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す、すごいですね。
とっても拘束感があります。どこからでも繋がれてるというか操られているというか…
よくこんなこと考えますよね。やっぱり芸術家はちがうな〜
2008/9/28(日) 午前 11:40
クララさん、こんにちは。
本当に凄いですよね。
インスタレーションでこれだけ大掛かりなものを観たのは初めてで、美しいとか云々とか言うよりも、まずその迫力に圧倒される部分がありました。
それに糸という素材を通して、これだけのイメージを構築出来るセンスも凄いですよね。
この作家の作品は、是非とも再び観てみたいと感じました。
2008/9/28(日) 午後 4:37