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■ 「チームラボアイランド 踊る!アート展と、学ぶ!未来の遊園地」



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■ 会期:2016.11.12-2017.2.12
■ 名古屋市科学館公式HP
■ 特別展公式HP



照明を落とした室内空間や夜間の屋外などの場所において、複数のプロジェクターを用いて巨大なCGを投影したり、インタラクティブ技術によって来場者がそれらのCGを変化させたりする事の出来るデジタルアート。そのデジタルアート展を専門に企画・制作・運営する企業「チームラボ」の特別展が名古屋市科学館で開催されています。

ちなみに、同特別展は、2014年11月から2015年5月まで東京・日本科学未来館で開催した際に47万人もの来場があったのだとか。今回名古屋で開催されている同展も、女性や子供に大好評で、休日ともなると多い日では4,000人/日近くの来場者があるとの事。そこで、私も昨年の年末に訪れてみる事にしました。



■ 感想
正直なところ、どのように評価を下してよいものか、非常に迷う特別展でした。良いと思う部分もあれば、期待外れだった部分もあったからです。それこそ、新しい映像技術による可能性と、その限界を感じたといっても良いかもしれません。



● 良かった点・興味深かった点
大勢で非日常的な映像空間を体験・共有出来る点は良いと思いました。それこそ、四方の壁面をスクリーンとして巨大な映像が映し出されるため、映像空間の中に入り込んだような感覚すら覚える方もいるかもしれません。そんな中で、難しいルールなどを覚える必要なく、直感的に手をかざす事でCG映像が変化したり、自分で色を塗った塗り絵の図柄がCGとなり、スクリーン上を移動してゆくのは子供たちにとって新鮮な体験なのではないかと思いました。

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しかも、そうした非日常的なデジタル映像空間を楽しむ際に、煩わしいヘッドマウントディスプレイなどを装着する必要もないわけですし。また、親御さんや、大人の女性達にとっては、そうした「子供たちが楽しんでいる様子」や、「ちょっと変わった事を友人と楽しんでる自分の姿」をスマホやデジカメで自撮りすれば、SNSの絶好のネタにもなりますよね。そんな感じで、気軽に非日常的な体験を楽しめる点は良いのではないかと思いました。



● 疑問に思った点・いまいちだと思った点
とはいえ、同展で展示されている内容に対して、アートとしての美しさをあまり感じられませんでした。実際、投影されているCGのクオリティはそんなに凝ったものでもなければ、高精細なものでもありません。

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鏡を張り巡らした空間に天井から無数の電飾を吊るし、コンピューター制御で光と色彩をコントロールした作品は一見すると見栄えは良かったのですが、作品を展示してる空間が非常に狭く、スケールとしての迫力はいまいちだったかもしれません。(ひょっとして、名古屋市科学館の会場が狭かったので、縮小展示されていたのかもしれませんが。)

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なにより、何かしらの強い想いやメッセージなどが込められたものでもなく、長時間に渡る鑑賞に堪えるものではありません。もちろん、美しくないわけではないのです。でも、単に美しいだけでは、ギャラリーや美術館などで展示されるアート作品と肩を並べる事は出来ないのではないかと思ったわけです。

また、デジタル遊園地として遊べる場所の内容は、前訪れた事のあるソニー・エクスプローラーサイエンス(体験型科学館)の展示内容との差も感じられませんでした。それに、何度も何度も体験したり、遊びたくなる程の熱中度があるものでもありませんし。

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別の言い方をすると、映像解析技術を用いて、投影するCGにインタラクティブな変化を持たせるものは、一般的なコンシューマーゲーム機で既に販売されているゲームの方が進んでいる部分もあるわけで。また、高度な仮想現実空間への没入度やゲーム性を高めたものを作ろうとすれば、ヘッドマウントディスプレイを用いたVR空間でのゲームの方が勝ってしまいそうですよね。そうした事を踏まえて考えると、遊園地としてリピーターを何度も呼べるものかというと、疑問を感じてしまったわけです。

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● 今後の可能性?

今後においては、こうした技術はどうなってゆくのでしょうね。勿論、映像面ではより美しく、高精細なものを目指してゆく事になるのでしょう。でも、VR技術を用いずに映像解析技術だけで、集団・短時間で出来る単純なゲームや体験型のアート作品を作り上げようとしても、案外早くその限界が出てきてしまうような気がしました。

そう感じたのは、私の想像力の無さからくるものかもしれません。(それこそ、私ではスクリーン上で集団で遊ぶボールゲーム?のようなものや、陣取り合戦のようなものしか想像できませんでした。)

もしかしたら、投影するスクリーンが平面ではなく、様々な立体を対象としたプロジェクションマッピング技術なども併用する事で、面白いものが生まれてくるかもしれません。寧ろ、そうした私の想像力を遥かに超えるユニークな発想で、より面白く、非日常的な映像体験空間を作り上げてくれる事を期待したいです。



● 余談
そういえば、最近はこうしたデジタル映像技術を水族館で用いるケースがあるそうですね。水槽で泳いでいる魚達の動きをコンピューターが画像認識し、その魚達の身体にCGを投影したりするのだそうで。

個人的にはそういう事は止めた方が良いのではないかと強く感じます。魚達は、横から強い光を浴びる事に慣れていません。それこそ、臆病な魚であれば、そうした非日常的な強い光に対して、ストレスを感じるはずです。それこそ、水族館は貴重な生き物を保護したり、その本来の生態を間近で見るための施設。なぜわざわざ魚の身体に色の付いた光を投影する必要があるのでしょう。

水族館にとっては、集客目的の話題作りのためかもしれませんし、こうしたデジタル技術集団にとっては、その技術のアピールの場だと思ってるのかもしれませんが、その考えは正すべきなのではないかと感じました。



※ 同特別展は、名古屋市科学館で開催されていたものですが、アートとして展示されていた作品もあったため、アート系の書庫で掲載しました。






■ あいちトリエンナーレ2016 その2



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■ テーマ:虹のキャラヴァンサライ 創造する人間の旅
■ 開催期間: 2016年8月11日(木・祝)〜10月23日(日)
■ 公式HP



トリエンナーレの長者町会場・名古屋市美術館などを巡った私は、その足で愛知県美術館に向かう事にしました。

愛知県美術館に入館できたのは、夕方の5時半をまわってからの事でした。幸い、この日は金曜日という事もあって、閉館時間は午後8時まで延長されていまそた。しかし、トリエンナーレのイベントは県美が入っている愛知芸術センターの8F、10F、11F、12F、B2Fといった多数のフロアで開催されており、一つ一つの作品をジックリ鑑賞する時間を持てなかったのが残念でした。

この記事はその1からの続きです。



■ 24コマ:4幕のパラダイム / 2016 /
カワヤン・デ・ギア

エントランスには、フィリピンの芸術家、カワヤン・デ・ギアの作品が展示されていました。フィリピンでは、80年代〜90年代にかけてB級映画が大量に作られ、後に破棄されたのだとか。また、そうした35mmサイズのセルロイドフィルムを利用して、クリスマスや大晦日などの祝祭日に鳴らす角笛を作るのは、貧しい環境でい来る人が生活費を稼ぐ手段の一つともなっているそうです。作者であるカワヤン・デ・ギアは、その角笛を長年買い集め、ヨハネ黙示録の四騎士を想起させる4体の馬を作ったのだそうです。

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■ ベロアナ(貝殻の貨幣)/ 2015 / タロイ・ハヴィニ 

こちらはパプアニューギニア出身の女性によるインスタレーション。空間内に吊るされているものは、様々な材料でできたビーズ(中心が空洞)を繋いだものだそうです。

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■ A型ボツリヌス毒素 / 2016 / デレク・ウインチェスター

仮に同じ人が同じ感情を表現するにしても、美容整形に用いられるボトックス注射の術前と術後では、表現や見た目にどのような変化が生じるのかを撮影したものなのだそうです。これがアート作品なのかというと疑問ですが、なんだか面白そうですよね。可能ならば、この作品を長く見ていたかったのですが、時間の余裕が無かったため断念せざるを得なかったのが残念です。

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■ Echoes Infinityー永遠と一瞬 / 2016 / 大巻伸嗣


450㎡という広大な空間に、50cm四方の白いフエルトのマットを1800枚敷き詰めた後、コンピューターで計算したうえでカッティングしたステンシルシート(型紙)を用いて、日本画の顔料(岩絵の具の粉)を丁寧に振り落として作り上げた作品だそうです。

岩絵の具は塗り固められていないため、手で触れると崩れてしまいます。しかし、会期の後半においては、来場者がこの作品の上を歩く事が許可される予定なのだとか。それにより、いずれは消えてゆく儚さも表現したいようです。

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スケールからくるインパクトや華やかさなどから、このイベント会場で最も目を引く作品だったと思います。ただ、照明がもう少し明るくても良かったのではないかと感じました。それに、見学用の導線となるように置かれたコンクリートブロック(見学時はその上を歩く)が小さいため、ちょっとでも混雑すると、満足に鑑賞できないのではないかと心配になりました。

■ It is an apple / (制作年は未確認) / 愛知県内に住む盲学校の生徒


これは、松原慈によるプロジェクトによって生み出された作品。愛知県内に住む盲学校の生徒を、愛知県陶磁資料館のワークショップに招き、生まれて初めて触った粘土を用いて様々なものを作ってもらったのだとか。これはアップル(リンゴ)を形作ったものなのだそうです。

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■ 高度.フリークエンシーズ.触媒-THEM / 2014 / オスカー・ムリーリョ

彼は、世界各地に住む子供たちに彼の本や無地の布などを貸し与え、それらを使って、何の制限なく自由に絵を描いてもらうというプロジェクトを展開しているとの事。これは日本の子供が描いたものであるようです。

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無条件に何を描いてもいいのに、何故か「すごろく」のような構成の絵にってますね(笑)絵柄などから、数人の女の子たちによって四方八方から描かれたように見受けられます。また、台詞のようなものもいっぱい書き込まれているのも面白いですね。ちなみに描かれた人物には名前が付いているものがあるのですが、女の子を描いたものなのに「●●マン」と、ヒーローであるかのような名称になっているのが可笑しかったです。子供って、本当に縛りがなくて自由ですね。

■ パブローブ/ 2016 /  西尾美也+403architecture [dajiba]

これは、衣服を通じてコミュニケーションを図る西尾と、リノベーションを中心として活動する建築ユニットの403architecture [dajiba]による、衣服を使ったコミュニケーションプロジェクトだそうです。不要となった服を一般の人に持ってきてもらう。その服は誰でも試着したり、借りる事が出来るようにする。会場内のミシンなどを用いて好きにリメイクしてもらう。といった内容でした。

ちなみに、それらの服には元の持ち主による説明タグも付いてました。服を買った時の思い出などが書き込まれていたので、一つ一つ手に取って読んでみたかったのですが、時間の余裕がなく断念せざるを得ませんでした・・・。

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■ おわり / 2014 / 田附勝
 

東北地方において鹿猟・漁業などに従事する人たちを取材した写真集を出している方だそうです。東日本大震災以降、原発事故の影響や、過疎・高齢化などの影響もあって鹿猟を継続する事を断念した猟師の最後の狩りの様子を追った写真などが展示されていました。

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会場では、猟師が鹿を仕留める様子、撃たれて血・涙を流しながら息絶えてゆく鹿の様子、直後に解体する様子など、生々しい写真が展示されていました。それは、一見すると残酷な行為にも見えるかもしれません。しかし、古来から、そうした狩りによって私たち人間は生きてきた側面を持っています。また、そうした命のやり取りをする仕事を生業としているからこそ、猟師の方々は、よりいっそう命の大切さや有り難さというものを理解されているのではないかと思います。それこそ、誇りをもって生業とされてきたのではないでしょうか。

しかしながら、福島、岩手、宮城といった地域では、東日本大震災による原発事故によって拡散した放射性物質の影響で、野生鳥獣肉の出荷制限が続いています。それ故「食べられないなら、殺したくない」との思いで、猟師さんは廃業を決意されたのだとか。なんだか切ないですね。



■ 名古屋会場(長者町・市美・県美)を巡っての感想

正直なところ、今まで2度開催されたトリエンナーレに比べて、作品の質・量共にボリュームダウンしていたのではないかと感じてしました。特に、名古屋市美術館はトリエンナーレに対して力を入れて取り組んでいるように感じられなかったのが残念でした・・・。(普段の名古屋市美術館は、特別展・企画展共に、質の高い展覧会を開催されているんですけど・・・なぜなんでしょうね。)また、今回のトリエンナーレは「旅」がテーマのようですが、そうした事を感じる要素も少なかったように思います。(ほとんどの作品にテーマとの関連性が無いのは毎度の事ですけどね・・・。)

もちろん、それなりに楽しめた作品もあります。しかし、何年か経過してから「2016年に開催されたトリエンナーレで印象に残った作品を思い出してみて」と尋ねられた際、どれだけの作品を記憶から呼び起こす事が出来るのだろう?という疑問にも似た思いが、今の段階から感じてしまっているわけで・・・。

また、長者町会場・中央広小路ビル・旧明治屋栄ビルにせよ、一部の展示作品に政治的・社会的な批判が強く含まれている作品が存在していた事に疑問を感じました。というか、アート作品というより、社会運動や反戦キャンペーンなどを開催した際の展示ブースのような印象を受ける個所もあったほどです。

世界には様々な国家的・歴史的・政治的な対立が存在します。それは日本の国内でもそうです。それに対し、様々なメッセージを込めた作品を作り出したり、広報活動に取り組んでいる方もいます。そうした個々の主張を行う事は自由であり、尊重されるべきなのだろうと思います。しかし、入場料を取ったり、多額の税金を使って運営される「アートの祭典」において、そうした性質を強く感じさせる作品を展示作品として選ぶのは、適切な事なのだろうか・・・とも感じました。個人的には、誰もが、気持ちよく作品を堪能できたり、素直な気持ちで笑ったり、驚いたりできる芸術の祭りであった方が良いのではないかと思うわけです。

あと、後日耳にした事なのですが、損保ジャパン日本興亜名古屋ビル会場で展示されている作品は見ごたえがあるとの事です。ちなみに私は、その作品を見る事ができていません・・・。愛知県美術館での鑑賞時間を少しでも多く作ろうと思っていたため、その作品が展示されている長者町エリアの外れまで足をのばす事を断念してしまったのです。

勿論、そうした魅力ある作品を見逃す事がないよう、会場で案内をされている数名のボランティアに「今日は時間が無い中で会場を歩いているのですが、お勧めはありませんか?」とか聞いたりしたんですよ。でも、その作品を見る事を勧めてくださった方は一人もいなかったので、わざわざ見に行くのを断念してしまったんですよね。残念な事をしてしまいました・・・。

こんな感じであったため、今回巡ったエリアに関しては、そんなに大きな満足感を得られませんでした。








■ あいちトリエンナーレ2016 その1 



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■ テーマ:虹のキャラヴァンサライ 創造する人間の旅
■ 開催期間: 2016年8月11日(木・祝)〜10月23日(日)
■ 公式HP



3年に一度のサイクルで、愛知県内の様々な場所で国内外の現代アートの作品を展示する、都市型のアートイベント「あいちトリエンナーレ」が今年も開催されました。今回は3度目の開催という事で、名古屋市・岡崎市(2回目から追加)に加え、豊橋での開催も追加されています。

そこで、名古屋市の市街地開催エリアである長者町へ向かい、その後、名古屋市美術館、最後に愛知県美術館へ訪れる事にしました。

※ 会場では、一部の作品(映像作品など)を除き、写真撮影が許可されていました。そこで、ほんの少しではありますが、展示されていた作品をブログで紹介したいと思います。



■ 長者町会場へ

長者町は名古屋市の中心部にあるエリアです。繊維問屋街として古くから栄えてきた場所ですが、国内繊維産業が衰退してしまうという時代の流れに伴い、多くの問屋は倒産してしまいました。仮に問屋の建物は残っていても、シャッターが閉じられているという状況が近年まで続いていたわけですね。そこで、地域活性化の足掛かりにならないかと期待され、トリエンナーレの市街地会場として選ばれています。



■ アートラボあいち長者町にて

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この細長いビルの壁面に描かれた「梯子を上る人」の絵は、以前のトリエンナーレからあるものですよね。今日においても綺麗な状態で残っていました。とはいえ、この町に少しづつアートが根差しているのかな・・・と思うのは早合点というもの。正直なところ、長者町エリアの作品は、質・量ともに、以前よりボリュームダウンした印象が拭えない状況でした・・・。



■ 八木兵錦6号館にて

八木兵は、このエリアに複数のビルを所有している大きな洋服問屋だそうです。その建物の1つが、今回のイベント会場として貸し出されていました。

こちらはその会場で展示されていた今村文の作品の一つです。現実には存在しない植物の姿を創造(空想)し、色を塗った紙を花や葉の形に切り貼りして、押し花などのような雰囲気に仕上げた作品が展示されていました。

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同じビルの別のフロアはこんな感じになっていました。これは佐藤翠の作品です。(作品名は確認しきれませんでした。)鏡をキャンバス替わりとして、アクリル画材と油絵具で色を載せています。そのようにして描かれているのは、沢山の洋服が吊るされたクローゼットのようです。問屋街という場所で開催されているイベントだという事から、こうした作品を描こうというインスピレーションが出てきたのでしょうか。

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■ 伝馬町ビルにて

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こちらの会場のビルでは「この土地は私のもの」というテーマを軸に、複数のアーティストによる共同作品が展示されていました。主に映像作品が多く、様々な人種・言語・メッセージが入り混じった映像と音声を投影しているものが多かったです。

この建物に立ち寄った後、小休憩を目的に、喫茶店「クラウン」に立ち寄り、アイスコーヒーをいただきました。(クラウンは店内を、初回開催の時からトリエンナーレの会場として開放している喫茶店です。)店主のおばあさんが今も元気そうにされていて、なんだかホッコリしました。



■ 中央広小路ビルにて

建物としては古くなりつつも、現在も通常に営業(運営)されているビルの2階(現在はテナントは入っていない)を間借りして?イベント会場として運営されていました。ちなみにこのビルの場所は、会場で配布されている案内地図を見ただけでは非常に判りづらく、見つけるのに少し手間取りました。

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ここはイベント期間限定で定期的に発行される「大愛知なるへそ新聞」の編集部だそうです。新聞は手書き・モノクロ印刷であるため、小学校の学校新聞であるかのような雰囲気になっています。記事の作成・編集作業は、イベント企画者のみならず、誰もが自由に参加できるのだそうです。(1回の編集作業に対し、5~6名くらいの参加者が居るのだとか。)

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その新聞の編集作業のためだけに、これだけの家具・調度品をわざわざ集めたようです。まるでドラマのセットですよね。なんだか、新聞の発行費用より、こうした場所の賃貸料や家具類を用意する方に費用が掛かってしまってそうですね・・・(^^;



■ 旧明治屋栄ビルにて

端聡の作品。光と熱を発する大きなライトをテーブルのように設置。その上にわずかな水滴をすこしづつ落とす事で、水蒸気と化してゆく様子を延々と見る事が出来るという作品でした。「水の記憶」や「物質とエネルギー」をテーマにしているとの事です。

淡々と音もなく水蒸気が登ってゆく様子は、綺麗というよりは無機質な感じで、無骨な現代アートというより、無人の薬品工場であるかのように感じてしまいました。例えとしてはあまり良くないかもしれませんが、仮に誰も見ていなくても、機械的に一定のサイクルが繰り返されてゆく作品を眺めていると、そんな寂しい感じがしてしまったのです・・・。

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こちらは寺田就子のインスタレーション作品の一部を写したものです。建物が古くなり、もう使われなくなってしまった元バレエ教室の部屋において、様々なガラスや遊具などが設置されていました。

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■ 名古屋市美術館にて

こちらはジョアン・モテのネットプロジェクト。美術館のエントランス前に植えられている木々の枝と枝の間に、様々な色の毛糸が結ばれています。市民参加型のイベントという側面も持っており、その毛糸は誰もが自由に追加して結ぶ事が可能となっていました。

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折角なので私も毛糸を結んでみる事にしました。そして記念として撮影しておこうと思ったわけです。ところか、ショルダーバッグからカメラを出そうとホンの数秒間目を離しただけで、自分が結んだ糸がどれだったのかわからなくなってしまったのです。記憶の曖昧さを実感させられただけでなく、勝手に自分のものだと思っていたものが、急に手元から離れていってしまった寂しさのようなものも感じてしまいした。

ネットプロジェクトに参加した私は、その足で名古屋市美術館の中へ入ってゆきました。幸いな事に美術館の館内もトリエンナーレ関連作品は撮影が可能となっていました。しかしながら、それらの作品は特に興味を抱くものがなく、カメラを向ける事はありませんでした。そういう感覚を覚えたのは私だけではなかったようで、名古屋市美術館の会場は他の場所に比べて観客の滞在時間が短く、早々に別の会場に向かわれる方が多いように見受けられました。



記事はその2へ続きます。





■ デトロイト美術館展 大西洋を渡ったヨーロッパの名画たち / 豊田市美術館




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■ 豊田市美術館公式HP
■ 開催期間:2016年4月27日[水]−2016年6月26日[日]



自動車メーカーの本拠地として有名な豊田市は、GM・フォード・クライスラーのビッグ3が本社を置くデトロイト市と、姉妹都市提携を結んでいるとの事。その姉妹都市提携55周年の記念として、デトロイト美術館から貸し出されたゴッホ、モネ、ルノワール、ゴーギャン、セザンヌ、モディリアーニ、マティス、ピカソなどの名だたる巨匠達の作品が展示されていました。



■ 感想


私はこの展覧会に訪れるのを、結構楽しみにしていました。というのも、私の地元にある豊田市美術館では、こうした西洋絵画の作品を展示する機会は、そんなに多くないからです。しかも、PRポスターには私の好きなゴッホが採用されているではありませんか。さらに、巨匠と言われる芸術家の作品が複数持ち込まれるとの事。ひょっとして、魅力的な作品に出合えるのではないかと期待していたわけです。そのように思っていた方は、私以外にも多数いらっしゃったようです。私が美術館に訪れたのは平日であったにも拘わらず、非常に多くの来場者で賑わっていました。

しかしながら、今回の展覧会で十分な満足感を得る事が出来ませんでした。主な理由は2つあります。1つは、「魅力的に感じる作品があまりなかった」からです。本当にこのように書くと失礼な事かもしれませんが、私個人が魅力的に感じた作品は、公式HPにも掲載されているゴッホの自画像、ルノワールの裸婦くらいだったのです。もう一つの理由は、「来場者の観覧マナーが気になってしまった」からです。

会場で一番目立っていたのは、ルノワールの「座る浴女」だったと思います。ふくよかな女性を描いたこの作品は、肌の色彩表現が素晴らしく、健康的で若々しい生命感を感じさせるものでした。それこそ、体温を感じるというか、どこか艶っぽいのです。それこそ、数週間前に見た藤田嗣治の透明感のある(しかし冷たさを感じる)「乳白色の肌をした裸婦」とは対極をなすもの。女性の美しさを表現するにしても、感受性や方向性によって色彩表現が大きく異なるのは興味深いものがありますよね。

もう一つ印象に残ったのは、ポスターにも採用されていたゴッホの自画像です。ちなみにその作品は、高さ30cm 横幅20cm程度の大きさしかない、非常に小さな作品でした。無論、キャンバスの大きさで作品の良し悪しが決まるものではありません。寧ろ、それだけ小さな作品であろうとも、ゴッホ独特の筆のタッチが感じられる作品は、他の作品に負けない強い個性と存在感が感じられました。

しかしながら、それらの作品の前は常に人だかりの山で、作品に近づく事は容易ではありませんでした。しかも、今回のデトロイト美術館展は写真撮影が許可されていたんですよね。そのため、殆どの作品の前で観客によるスマホでの写真撮影会が開催されてしまっていたのです・・・。

それこそ、作品の良し悪しに関係なく、全てのを撮影しょうとしている方が大勢いました。それどころか、作品の横でピースサインをしながら自撮りの記念写真を撮っていた方まで出現。さらに驚いたのは、そうした撮影した直後に、その場でスマホをダラダラといじり出して、SNSか何かに写真をUPしようとしている方まで居たんですよね。これだけ混んでいる美術館の中で、いくらなんでもそれはないでしょう・・・。

しかもそういう人たちは、日頃からアートを親しんでいるような感じではなく、単に「有名な芸術家の作品が沢山来るらしい」という理由だけで来館しているような感じの方ばかり。そんな人たちに囲まれていると、じっくりと作品を見る気になれず、会場を一巡した後、早々に帰宅してしまいました。

かくいう私も、撮影許可が出てる展覧会で沢山の写真を撮影し、ブログにUPしてきたクチです。なので、撮影する事の楽しさや、人に伝えたい欲求は十分理解できます。それに、SNSなどで展覧会の情報が広まれば、集客のための宣伝材料になる事もあると思います。それ故、写真撮影は悪い事だとは思いません。

但し、周りの来場者の方の迷惑にならないよう、非常に気を使って撮影するくらいのマナーは必要なのではないかと思います。それこそ、周りから人が居なくなるまでカメラを構えるのを待つくらいの事は心がけるべきだと思うのです。また、今回のように混雑している場所では、撮影する事を断念するのも仕方のない場合もあるのではないかと思います。

もちろん、私も完璧な人間ではありません。私もカメラで撮影する事に夢中になりすぎて、作品を直接眺めているより、カメラを通じて作品を見ている時間の方が長くなってしまう事が過去に何度かありました。そういう時って作品を見た時の印象があまり頭に残らず、会場に訪れた意味が薄れてしまう事になり、後から自らを反省する羽目になるわけで。(これは風景写真を撮りにいった時にも陥ってしまう罠ですよね。)

それに、デジカメなどで多数の写真を撮影しても、全ての画像を見かえす機会ってそんなにないのが現実ですしね。(私の場合は、ブログに写真を掲載する目的で整理する時くらいです。)また、立体物やその場でしか設営されていないインスタレーション作品を撮影するならともかく、絵画作品を全て撮影するくらいなら、図録を買った方が良い画質で鑑賞できるだけでなく、解説も読めるわけで・・・。(といっても、そんなに図録を読み返す機会もないかもしれませんけどね(苦笑)。)

そうした私自身の過去の経験や反省なども踏まえた上で、鑑賞する際のマナーは大切な事だなぁと、改めて感じさせられた展覧会でした。








■ 生誕130年記念 藤田嗣治展 東と西を結ぶ絵画 / 名古屋市美術館



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■ 名古屋市美術館HP
■ 開催期間:2016年4月29日(金・祝)〜7月3日(日)



このところ記事の更新が滞ってましたが、久々にアート関連の記事を幾つかUPしたいと思います。

まずは、 数か月前に訪れた藤田嗣治展から。展覧会の構成は、「パリの画壇に受け入れられエコールド・パリの時代の寵児となった時期」「第二次大戦時の日本の従軍画家として苦悩に満ちた日々を送った時期」「傷心のままフランスに戻った後、そのまま日本に戻らず晩年を過ごした時期」といった感じの構成で、多数の作品と共に、藤田氏の人生を辿るものとなっていました。



■ 感想


非常に良質で、見ごたえのある展覧会でした。藤田嗣治の作品は過去に何度も見た事はありますが、これほど多くの作品を一度に眺める事はなく、質・量ともに圧倒されました。また、テーマや作風も時代によって色々と変化していた事も判り興味深いものがありました。

そんな中で、やはり強く印象に残ったのは、藤田氏の代名詞とも言える「乳白色の肌の裸婦像」の作品たちでした。やはり、あの「乳白色の肌」は独特のものがありますね。透き通るような透明感が美しかったです。しかも、他の色彩を殆ど用いていない作品も多かったりするわけで。(これは意図的に他の色を用いなかったのでしょうね。)そのため、否応なく肌の色に意識が向けられてしまうわけです。

また、予想に反して等身大に近い作品も多く、作品を目の前にした時の存在感は大きなものがありました。色彩の影響もあるのでしょうが、大理石で出来た彫像を見ているような印象に近いものがあったかもしれません。

でもその色彩ゆえに、冷たくヒンヤリとした印象を受けたのも事実。さらに、明確な光源や陰影を描いてはいないため、奥行きが感じられるものでもありませんでした。それこそ、立体感を表す要素は、身体の起伏を表すために用いられた、乳白色の肌の濃淡だけだったりする作品もあるわけで。

それこそ、そのような作品を見ていると、非常にイラストチックだと感じたのも事実です。(例えが悪いかもしれませんが、まるで現代の時代において、ペンとスクリーントーンで丁寧に描かれた、ツートンカラーのイラストや漫画の絵を見ている感覚に近いものがあったわけです。)

とはいえ、その作品は決して安っぽいものではありません。また、見る者に媚びているようなポーズや表情で描かれているわけではありません。そのため、裸婦だというのに、卑猥な印象は全くありませんでした。その乳白色の肌の透明感は、ただただ、美しいといった感じなわけです。それ故、当時の人々は、男性のみならず、女性ですら魅了されてしまったのたかもしれませんね。(ちなみに、藤田氏はプレイボーイというか、非常にモテたご様子ですね。)

でも、そうした作品を存分に描けていたのは、エコールド・パリの時代だけ。日本に帰国しても、パリでの評価・名声など無視されるどころか、裸婦を描いていたと罵倒されてしまうわけで。

ならば、日本に対する愛国心を示そうと、不本意ながら従軍画家として戦争の悲劇を描いた作品を手掛けるものの、今度は日本の画壇から戦争行為に協力したと非難されてしまう。自分という存在を正当に評価してもらえず、価値観や表現手法の違いに大きなギャップばかり感じた藤田は、傷心のままパリに戻るわけですよね・・・。

そんな藤田氏は、パリにおいてカトリックの洗礼を受け、「レオナール・フジタ」と改名。カトリック教会などに収める宗教画を手掛ける機会が増えていったようですね。それは、かの地において、フランス人として生まれ変わり、カソリック教徒として生涯を全うする決意の表れであったのだろうと思います。それこそ、「私が日本を捨てたのではない。日本に捨てられたのだ」と語っていたそうで・・・。

とはいえ、彼は日本に滞在していた際に生活していた家のミニチュアモデルを自ら作成し、生涯大切に保管していたのだとか。日本には二度と戻らぬ(戻れぬ)と決めたが故に、より一層募る想いがあったのかもしれませんね。その気持ちを察すると胸が痛みました。






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