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犬山城


■ 犬山城



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■ 犬山城


10月にして、夏に訪れた小牧城の記事をUPした勢いにのせ?今度はGW前に訪れていた愛知県犬山城の記事をUPさせていただこうかと。これだけUPするのが遅れた事に、何か理由があるわけではありません。たまたまタイミングを外したといいますか・・・。そもそも、犬山に訪れたのも別の所用があっての事で、犬山城に登ったのも、たまたまの偶然だったため、他の記事を起こす事を優先していたら、タイミングを失ったといいますか・・・。春の終わりのタイミングに訪れていたので、それこそ終わりかけのサクラの花すら写っていますが、来年になってUPするのも気が退けたので、小牧城の記事のUPの勢いに乗せて、このタイミングでUPしてみたいかと・・・(^^;


■ 犬山城

愛知県犬山市、木曽川の南岸に建立された城。国宝指定四城の一つ。犬山城は豊臣秀吉が生まれた天文6年(1537)、織田信長の叔父である織田信康によって創建された。現存する日本最古の木造天守閣。
尾張(愛知県)と美濃(岐阜県)の国境に位置するため、戦国時代を通じて国盗りの要所となり、城主はめまぐるしく変わった。
小牧・長久手の合戦(1584)では、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が12万人の大軍を率いてこの城に入城。小牧山城に陣取る徳川家康と生涯唯一の直接対決をした。江戸時代に入ると、尾張藩付家老の成瀬正成が城主となり、幕末まで続くが、明治維新による廃藩置県のため、この城は愛知県所有となる。しかし、明治24年の濃尾地震で半壊し、その修復を条件に城は再び成瀬家の所有となり、平成 16年に財団法人に移管するまで日本で唯一、個人所有の城であった。(犬山市HPより参照)


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(今年に入って、お笑いタレント・ロンドンブーツ1号2号の田村敦が犬山の観光特使になったのだとか。彼は写真を見ただけでどこの城か当てることができる程の城好きで、全国の城の中でも、犬山城が最も好きな城であると以前から公言していたそうです。実際に、犬山城にも10回は訪れた事があるとの事。彼が適任なのかは判りませんが、彼の言うとおり、この城のシルエットは確かに綺麗ですよね。)

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(そういえば、最近の戦国ブーム?にのって、「名古屋おもてなし武将隊」なるものがニュースで取上げられているのを見た事があります。個人的には、淳よりも、彼らの方に違和感を強く感じます。演技がワザとらしいだけでなく、武将の格好をしてるのに、ヒップホップ系の音で演舞を見せているのか不思議でなりません。)



■ 天守閣からの眺め

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(木曾川が見えますね。ホント、木曽川の真横に建てられているんですよね。こうして見ると、木曽川って本当に広い川なんだなぁと改めて感じます。そういえば、最近木曽川の鵜飼は元気が無いそうで・・・。人づてに聞いた話ですと、鵜飼の船頭は以前は市の職員という待遇だったせいか、やる気やサービス精神に乏しく、人気が落ちる一方となってしまったとか。今は職員という待遇とは異なるそうですが、それでもやる気が見られず、パッとしない状況だとの事。うむ〜せっかくの伝統なので、上手いこと残していって欲しいものです。)



■ 新緑

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(4月の終わり頃の写真なので、緑が青々としています・・・。嗚呼今頃の季節に・・・お恥ずかしい・・・)










小牧城


■ 小牧城




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■ 小牧城



今日の午前、名古屋のTV番組「旅してゴメン」を見ていました。キャイーンのウドちゃんが、地方や田舎の町などを、一日かけて気ままに散歩して、土地の人と交流しながら、観光名所や郷土料理などを紹介するというものです。私はこの番組が結構好きで、時間帯が合えば、よくチャンネルを合せてます。番組全体に流れる空気がノホホンとしていて、気軽に見れるというか、ウドちゃんの優しさや、街の人の温かさが感じられて、なんだかほっとする番組なんですよね。(ホント、ウドちゃんって、芸人らしからぬ謙虚さと、人の良さを感じる人だなぁって思います。)

さて、その番組で、今朝は愛知県小牧市が取上げられてました。それを見て、そういえば8月のお盆前後に、メナード美術館に訪れた際、小牧城にも立ち寄ったなあ・・・って、いうか、メナード美術館他、まだ色々とアート系のネタをUPできていない・・・と思い出してしまいました(^^; (っていうか、春の訪れた犬山城の記事すら起こしてないのを思い出してしまいました・・・)ってなわけで、まずは小牧城に訪れた時の様子から記事にしてみたいかと。


■ 小牧城

愛知県小牧市、濃尾平野の東部に独立して存在する標高85.9mの小高い山 「小牧山」 の山頂に設けられた城。織田信長が永禄6年(1563)に築城した小牧山城、その城跡を天正12年(1584)に改修した小牧・長久手の合戦の陣城の古城跡。江戸時代には、尾張藩の手厚い保護を受け、良好な状態で城の遺構が残されている。現在は、木々が生い茂り、都市部の中で貴重な緑のオアシスとなり、小牧市民にとってはシンボル的存在となっている。
現在の山頂には、外見的に小牧城を再現し、中を資料館とした小牧歴史資料館が建てられている。この資料館は、1967年、名古屋市に住んでいた実業家、故平松茂さんが私財を投じて建設して、小牧市に寄贈したもの。入場料は大人100円で、天守閣からは、景観を楽しむ事が出来る。(小牧市HPより参照) 

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■ 尾張徳川家十九代 徳川義親氏の像

小牧山は、昭和5年10月尾張徳川家十九代徳川義親氏により、小牧市に送られて以来、自然公園として広く一般市民に親しまれてきた。小牧山が贈られて満53年、しかも氏政施行30周年の意義深い機械をとらえ、徳川義親しのご厚志に報い、この像を昭和60年に建立した。

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■ 城からの景観
● 南

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(左の地平線の際に、3〜4つ程の細長い建物が突き出ているのが見えます。あれがJR名古屋駅のツインタワーや、ミッドランドスクエアなどの建物です。つまり、南から南東にかけてが、名古屋の中心地の方角というわけです。この写真には写っていませんが、この場所から南東の方角に、県営名古屋空港(旧・小牧空港の滑走路があります。これらの写真を撮っている間も、なんども小型〜中型のジェット旅客機などが離着陸している様子が見えました。)



● 東

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(正面に見える山は、猿投山なのだそうです。こうしてみると、豊田や瀬戸方面と意外と近いといいますか。こんな位置関係なんだなぁと感じさせられます。)



● 北


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(犬山市がある方角ですね。この春に、犬山城には、ホンのちょっとだけ立ち寄る機会があったのですが、明治村、日本モンキーパーク、リトルワールドなどの観光施設までは行けませんでした・・・。)



● 西

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(北西や、西側の方面が、一宮や、岐阜の方角という事になるわけですね。西から南西にかけて、うっすらと地平線際に見える山々は、養老山脈です。大垣市とかの方角ですね)


私は今回初めて小牧城に訪れました。というか、後に記事のしようと思っているメナード美術館の展覧会を見にいったついでに立ち寄ったのです。それも、メナード美術館で鑑賞した後に、時間の余裕があったので、ついでに立ち寄ったといった感じなわけです。

この城は、遠めからでも目立つので、近くに寄れば直ぐ駐車場が判るかと思ったのですが、これが意外と判り辛いのです。っていうか、駐車場にしても、駐車場から天守閣に通じる道にしても、道路標識や、説明をする看板が全然見当たらないのです・・・おかげで、車を入れるにもウロウロ。車を入れてからも、遠回りで山頂へ行く事となり、結構時間を食ってしまいました。おかげさまで、この城を中心とする小牧山の裾野には、芝生の公園が広がっていたり、ちょっとした登山道はトレッキング気分を味わえたり、気軽に自然と歴史を楽しめる場所なのだという事は体感でしましたw 

(まあ、ゴテゴテで派手に目立つのは景観を損ねますが、観光スポットなのだから、もうすこし判り易い場所にそうしたモノを用意していただけると嬉しいものです・・・。それに、資料館の内部は写真撮影不可だったのが、残念でした。)

ちなみに標高85.9mというと、大したことが無いように思われますが、小牧山は平地にぽつんと盛り上がっている山なので、周りの視界を遮るものが殆ど無く、気持ちよく景観を楽しめます。防衛拠点として、周りの動向を見渡すのにうってつけであるのが一目で判りました。

とはいえ、ご覧いただいたように、この日は晴れていながらも、至る所に暑く重々しい雲が流れている様子がお判りいただけるのではないかと思います。それもそのはず、確かこの日は、午後から夜にかけて、台風が中部地方をかすめていった日だったのです。(もう2ヶ月位前の話なので、うる覚えですが・・・)それこそ、天守閣では、ただでさえ風を遮るものが無いのに、強風が吹いていたので、携帯電話のカメラで撮影しようとするとあわや飛んでいってしまうのではないかと思った程でした(^^;





瀬戸本業窯


■ 瀬戸本業窯



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■ 瀬戸本業窯
■ せとまるっとミュージアム 


先日、愛知県瀬戸市にある北川民次アトリエと、瀬戸市美術館に出向いた足で、瀬戸本業窯も覗いてきました。これは瀬戸市の有形民族文化財となっている古い登窯で、昨年訪れた窯垣の小径のそばにあります。昨年このエリアに訪れた際は、車を止めた駐車場の閉門時間の都合上、この場所を見ることが叶わないでいましたが、今年はなんとかその機会を得る事が出来ました。

ちなみに瀬戸市は、瀬戸蔵ミュージアム瀬戸市美術館などのハコモノだけでなく、市街地に点在するこうした有形文化財なども含めてぐるっと街中を散策してもらう事で、「瀬戸物の街」の歴史文化を理解してもらいたいと考えたのだそうです。そこで瀬戸市は町全体がミュージアムのようなものであるという構想をたて、それらを総称として「せとまるっとミュージアム」と名称し、観光資源としてPRしているのだそうです。


■ 窯垣の小径

近くの場所に用意してある無料駐車場に車を止め、窯垣の小径を通り抜けながら瀬戸本業窯を目指しました。窯垣とは、不用になった窯道具や、廃物扱いとなった陶器の破片などで作った塀や壁の総称。その昔、この小道のある洞町と言われる界隈には、複数の焼窯は勿論の事、多数の工房や、窯職人の住まいが立ち並んでいたのだとか。つまりこの小道は、人々が行き交う産業道のようなものであったのだそうです。(とはいっても、約400m程度の小道の区間において、窯垣が現存しているのは数箇所だけですけどね)

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有効活用と言えば聞こえが良いのですが、生活に余裕が無い人達の知恵というのが正直なところ。それが現代社会においてはモノ珍しくなり、何時の間にか観光資源となってしまった・・・。と、土地の方はおっしゃっていました。地元の方が仰るくらいなので、たしかにそうしたモノなのかもしれませんね。 また、今では中国などをはじめとする他国の安い輸入品に押され、周辺の工房や窯は、殆ど閉鎖してしまってい、このエリア全体として見ても、寂れた感が無いわけではありません。でも、今でも昔の「瀬戸物の街」の名残が感じられる貴重なエリアだと思います。



■ 窯垣の小路ギャラリー

窯垣の小径の途中には、「窯垣の小路ギャラリー」や、「窯垣の小路資料館」といった建物や、現代系の陶器作家の個人的なアトリエなども点在しています。そこで「窯垣の小路ギャラリー」に立ち寄ってみました。ここは、複数の現代系の陶器作家の方が有志で集まり、古民家を借り、自分達の作品を展示・販売するギャラリーとして運営している施設でした。(GWに訪れたので、鯉のぼりが掛かってます。っていうか、ようやくその頃のネタに着手できている状況が悩ましい限りです・・・)その中は「ちょっと現代的センスの入った陶器」とか、「現代的な招きネコ」とか、「ノベルティグッズっぽい陶器」など、色々なタイプの陶器が、作家さん毎にコーナーに分けられ展示されていました。

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また、御茶所のように、アイスやお茶なども頂く事が出来るようでした。北川民治のアトリエに訪問してから、缶ジュース1本しか口に入れていない私は、この雰囲気のある縁側で小休憩をとり、お茶をいただこうかと思ったのですが、今年も夕方に訪れており、駐車場の閉鎖時間が心配であったため、先を急ぐ事に。

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実際、昨年同様に時間に余裕は無く、「窯垣の小路資料館」においては、立ち入る事が出来ませんでした。(っていうか、15時の時点で既に閉館って、閉めるの早すぎです・・・)

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ちなみにこの小道の道沿いには、沢山の花が咲いていて、とても気持ちが良かったりします。私はついついカメラを向けながら、この道を歩いていました。そると、道中にある古民家から、なにやら楽しげな声が聞こえてみました。何気に立ち寄ったところ、そこは現代陶器の作家さんのアトリエで、陶器教室を行っている最中なのだとか。色々話を聞いていると、アトリエの主人である女性に「よかったら、今から陶器の製作体験をやって行かれませんか?」と言われてしまいました。どうしよう、凄く楽しそうなんですけど・・・。でも、そんな事をしだしたら、今年も本業窯にたどり着けなくなってしまう・・・というか、今から作り始めたりしたら、駐車場の閉門時間が過ぎて出れなくなってしまうという心配もあり、泣く泣くお断りして先を急ぐ事に。



■ 瀬戸本業窯

そんなわけで、ようやくにして瀬戸本業窯に到着です。ここでは、現在においても古き良き伝統と文化を守りながら、瀬戸物を作り続けている老舗の工房(窯元)さんが、その昔使っていた登窯が市の文化財に指定された事に基づき、大切に保存し、一般にも公開しているのだそうでう。また、陶芸教室を開いたり、隣にあるギャラリーにおいて、陶器類の販売も行っているのだそうです。

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■ 瀬戸本業窯とは

瀬戸本業窯は、愛知県瀬戸市において、平成7年に市指定有形民族文化財に指定された連房式の登窯の事。本業窯は、登窯の一種で、本業製品(陶器)を焼成する窯として、江戸時代後期から使用されてきた。磁器を焼成する丸窯とともに、瀬戸を代表する窯である。この本業窯は、この窯の上段にあった13連房という巨大な本業窯である、「奥洞窯」の窯材を使い、昭和24年に再構築されたものである。3つの炊口、胴木間、捨間、製品を焼成する4つの部屋、煙道(コクド)から成る。この窯では昭和54年まで、水甕(みずがめ)、水鉢、こね鉢、紅鉢などを年数回焼成していた。当時の姿をとどめる本業窯は、この本業窯と、同じく「奥洞窯」の窯材を使い築造された「一理塚 本業窯」との2基のみであり、大変貴重なものである。

●建造年 昭和24年 / 形式・構造 連房式登窯(4連房) / 規模 全長14m、最大幅7m 
(瀬戸市教育委員会の資料参照) 

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形状が判りにくいと思うので、昨年訪れた瀬戸蔵ミュージアムにある模型の写真も掲載しておきます。左側に展示されているのが、この本業窯の模型です。(右のは別のものです) 下部に3つの焚口。斜面の横の部分に、焼き物を出し入れしたり、燃料を追加投入する出入り口が4つ並んでいるのが、なんとなくお判りいただけるのではないかと思います。

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この施設の様子を遠巻きに眺めていると、この瀬戸本業窯の八代目後継「半次郎」という若旦那が出てきてくださり、詳しい説明をしていただけました。(有難うございます。) ちなみに、六代目は、「民芸」の活動家である濱田庄司や、バーナード・リーチとも交友があり、伝統工芸品としての焼き物を残そうと尽力された方なのだそうです。



■ 焚口

一番下の場所にある焚口です。まず最初に、此処に燃料を入れては燃やし、入れては燃やしを繰り返し、高温のガスを溜め込むのだそうです。そして、高温のガスを作りした後に、実際に焼物が入れられている部屋(一の間から四の間)へ、下から順にその高温のガスを送り込み、段階を踏んで徐々に上の部屋に移動させてゆく事で、ゆっくりと焼いてゆくのだそうです。

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その手間はかなりものもので、この4連の窯を燃やすのに約20人で11日近くの労力が必要であったのだとか。また、人件費のみならず、燃料となる蒔や石炭も高価になってしまい、採算性が取れなくなってしまい、遂には使用を中止せざるを得なくなったのだそうです。それで、今ではガス釜を新設し、そちらで焼かれているのだそうです。ちなみに、この焚口には空気を入れるための通風孔などが見受けられないので、酸素不足で物が燃えないのでは?と、伺ったところ、土で出来ている窯なので、目に見えない小さな穴が窯全体にある。というか、乾いて硬く固まっているとはいえ、土の壁自体が空気を含み、呼吸しているような性質があるので、問題は起きない。との事でした。ちなみに、斜めに作られた窯の下部に、上記の焚口が3つならんています。

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■ 傾斜に作られた登窯 

下の画像は、焚口を右側に回ると見えてくる光景です。商品である焼物を入れる「一の間」から「四の間」といった部屋への入り口が見えます。先にも記したように、一番下部にある焚口で石炭などの燃料を燃やす事で作られた高温のガスが、傾斜に儲けられた「一の部屋」から「四の部屋」まで、徐々に登ってゆく構造なので、「登窯」と言われているそうです。また、高温のガスは、一気に四の部屋まで送ってしまうのではなく、一の部屋の焼物が焼けたら、次に二の部屋を焼くといった感じで、段階を追って送ってゆくのだそうです。(携帯のカメラの画角が狭くて全体が綺麗に入ってないだけでななく、性能が良くないので屋根が完全に白飛びしちゃってますが、ご勘弁ください)

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■ 三の間

商品である焼物を入れる「一の間」から「四の間」といった部屋への入り口は、このような感じでした。この奥に棚を並べて、沢山の焼物を入れていたわけですね。

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■ 四の間

最上部にある四の部屋には立ち入る事が可能になっていました。その部屋の壁は、ガラス質のように、ツルツルになって光っています。これは、灰釉が何度もかかったために自然と変質したもののようです。その光景は、不思議な落ち着きを感じさせる空間でした。ちなみに、この記事のTOPに掲載した写真はこの部屋の内側を撮影したものです。

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その奥にある小窓からは、陽射しが差し込んでおり、とても印象的でした。また、最盛期においては赤々と燃えたぎっていたであろうこの窯が、このような静寂な空間と化している事に、感慨深いものを感じました。

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■ 瀬戸物を取り巻く現状

このように、窯全体の話を伺った後、八代目後継「半次郎」さんに、瀬戸物を取り巻く現状をちょっと伺ってみる事にしました。すると、返ってきた答えは、やはり現状は大変厳しいという内容でした。中国・アジアの安い製品に押され、近隣の工房も、つい先日閉鎖してしまったばかりなのだそうです。

とはいえ、これだけ大きな窯が保存されていたり、市の観光案内のHPやリーフレットなどでも、この場所は積極的にPRしているので、私のような素人からすれば、こちらの本業窯さんは調子が良いのではとも感じたのです。それに、最近では瀬戸市は現代アートのような若手の陶芸家の育成を行い、瀬戸市美術館などでも紹介しているように見受けられます。そこで、それらによって、古き良き伝統と新しい風によるシナジー効果で、活性化が起きたりしていないのか伺ってみました。

すると、現代アート風の新しいタイプの陶芸家は、形状やパッと見ばかり追いかけて、技術的な向上心が殆ど見られないので、残念かつ心配でもあるのだとか。それこそ、その口ぶりから察するには、こうした伝統的な工房との交流も特に無い様子でした。また、本業窯としては、注目していただける事はあるものの、決して楽な状況ではなく、むしろ四連窯は文化保存の指定を受けてしまったので、無闇に手を入れる事も出来ず、手間ばかり掛かってしまっているのだそうです。無論、その名誉と、歴史的な重みは十分感じているため、きちんと守っていかなければならないと強く感じていらっしゃるのだそうです。そのためにも、大量生産される品物とは異なり、伝統を守りつつ技術と表現力を磨いていかなければならない・・・と考えているそうですが、それが今の現代アート的な作品を生み出す人にはまるで伝っていない・・・。といった状況であるようでした。

その答えを聞いて、成る程なあと感じました。こうした問題や、各作家さんのスタンスというものは、何も陶芸の世界だけでなく、色々な世界に存在しますよね。それこそ、アートの世界では、よく目にする光景といいますか・・・。アートとしてみれば、その表現は全くもって個人の自由。テクニック云々ではなく、作品そのものの面白さや、メッセージが重要視されます。とはいえ、瀬戸物の場合は、その存在価値が一個人の趣向性や技術にのみ集約されるものではなく、古くからの伝統工芸としての側面も備えているのも事実。どちらが正しい、どちらが過ちであるという訳ではありませんが、この厳しい時代において共倒れになる事なく、良い意味で交流を深め、少しでも多くのユーザーに受け入れられる品々を生み出していただきたい・・・そんな風に感じました。






■ 松平郷 その2 高月院



 
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■ 
豊田市観光協会公式サイト(松平東照宮)
■ 松平観光協会公式サイト
■ wikipedia:松平郷


先日、松平郷へ出かけてきました。現在の愛知県豊田市の東部の山間に位置し、徳川家と縁がある松平東照宮などがあるエリアです。この記事は「その1」の続きになります。


■ 松平園地
その1の記事にした松平東照宮から、高月院までは歩いて5分から10分程度。その間の緩やかな傾斜道は、手入れの行き届いた農村風景や、庭園風景となっていました。何やら豊田市は、1993年に「親氏公600年祭」を行い、松平信盛から松平郷松平氏に至る居館であった松平館近辺を「松平郷園地」として公園整備を行ったようです。



● 天下池(龍池)
高月院へ至る途中にはこのような池や、ちょっとした散策道も設けられており、その脇には蕎麦などの軽食も頼むことが出来るちょっとした御茶屋さんんも設けられていました。(これにはちょっとビックリ)

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天下池の横には、高月院へ至る舗装路が設けられています。その多少曲がりくねった舗装路の横には、綺麗に垣根が設けられており、それに沿って何種類もの桜が植えられていました。 

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● 松平親氏

この人物が、この地を開拓した松平親氏(まつだいらちかうじ)公なのだそうです。この像、結構大きくて、台座を含めると4.5mはあったのではないかと思います。

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■ 高月院

元々は、1367年に足助重政が建立し、建立当時は寂静寺と呼ばれていた寺。1377年に松平親氏が堂、塔を寄進してから高月院となり、以後松平氏の菩提寺となったのだそうです。 1602年には、徳川家康より100石下賜され、明治維新までの間、江戸幕府の保護を受けるようになったとの事。 山門と本堂は徳川家光の命により1641年に建てられたものとされ、境内には松平親氏の墓もあるのだそうです。



● 山門


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正面の門をくぐると、このようなちょっとした通路を抜けてゆく事になります。

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さらにその奥にもう一つの門があり、その階段を登ると本堂へ至ります。

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● 本堂
本当には本尊阿弥陀仏が祭られているそうです。 この本堂の左奥に、松平親氏などのお墓もあるのだそうです。 

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● 元信訓(徳川家康公)御手植 枝垂れ桜
この本堂の目の前に、家康が植えたと示された、大きな枝垂れ桜がありました。訪れたのが、ちょうど春の時期だった事もあり、見事に咲き誇っていました。この桜は、豊田市名木指定 第71号となっており、 胸周り1.7m 根周り4m 樹高8m なのだそうです。

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● 夕暮れの枝垂れ桜
この日は朝から市内の色々な場所に赴いていたのですが、この場所に来た頃には、あたりはすっかり夕景色になっていました。

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徳川家ゆかりの「松平郷」。子供の頃から何度もその名を耳にしていながら、この高月院まで訪れたのは今回が初めてだったのではないかと思います。(子供の頃に来たのは、東照宮までだったように思います)そんなわけで、このように手入れの行き届いた緑地公園のようになっているとは知らず、驚いてしまいました。

昔ながらの里山の風景という感じとはちょっと違って、観光スポット化していると感じる方も、もしかすると居るかもしれませんね。でも、途中で見かけた茶屋なども、決して目だってるわけではなく、騒がしく営業しているようなお土産屋さんがあるわけではないので、色々と気を配りながら昔ながらのこの地を守ってゆこうという心遣いもされているのだなあと感じました。



■ 松平郷 その1 松平東照宮




■ 松平観光協会公式サイト
■ wikipedia:松平郷


先日、松平郷へ出かけてきました。現在の愛知県豊田市の東部・三河地方の山間に位置し、徳川家と縁がある松平東照宮などがあるエリアです。


■ 松平郷とは

松平郷(まつだいらごう)は、三河国の戦国大名から江戸幕府の将軍家へと発展する松平氏・徳川氏の発祥地。巴川(足助川)東岸の山地の中の小集落で、三河国加茂郡に属し、現在の愛知県豊田市松平町にあたります。一帯は松平氏遺跡として国の史跡に指定されています。(以下、公式サイト及びwikipedia等を参照・編集)



■ 八幡神社 松平東照宮
松平東照宮は、徳川家康と、松平氏の始祖松平親氏(まつだいらちかうじ)をまつる神社。それこそ、松平親氏がこの地に居を構え、氏神として若宮八幡を勧請したのがはじまりなのだそうです。現在の社殿は、昭和初期に松平家の館跡へ境内を拡張し新築されたもので、それにともない旧社殿は奥宮となっています。特にこの場所を有名にしているのは、その奥宮に「産湯の井戸」と呼ばれる井戸があるからのようです。

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● お祭神
誉田別命(ほんだわけのみこと)
徳川家康公(とくがわいえやすこう)
松平親氏公(まつだいらちかうじこう) 他6柱



● 手水舎
参拝する際に、手や口を清める場所ですね。円形の水盤を4人の人?が支えています。私は今までこういった丸い形をした手洗い場を見た記憶がなく、変わっているなあという印象を受けました。ちなみに、蛇口の付いた水道から水が注がれるようになっていましたw

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● 拝殿


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流石は徳川家と縁のある東照宮。お賽銭箱をはじめ、至る所に葵の御紋が入ってます。 

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● 奥宮

旧社殿であった奥宮は、その名のとおり現在の拝殿の右奥にあります。こちらは奥宮の門です。

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こちらが奥宮です。目の前にある石段がちょっと斜めになってますね。(この場所自体が、ちょっと斜めの場所にあるためだと思われます。この袂(右側)に、産湯の井戸があります。)

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● 産湯の井戸
奥宮には、松平家が代々その水を産湯に用いてきた「産湯の井戸」があります。境内地(旧松平家館跡)にあった7つの井戸のうちのひとつで、この地に館を構えた当時に造られた最も古い井戸といわれているそうです。

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1542年(天文11年)12月26日、岡崎城で松平(のちに徳川と改姓)家康が生まれた際、松平太郎左衛門家7代当主・親長がこの井戸の水を竹筒に詰めて速馬で運び、産湯に用いたという記録が残っているそうです。
毎年、例祭日の前夜(土曜日)には「お水取り」の神事が行われ、井戸水の水位によって農作の吉凶が占われるのだとか。私が訪れた日においては、井戸の様子を直接垣間見る事は出来ませんでした。



● 松平郷館
拝殿のすぐそばに松平郷館があり、松平家と徳川家ゆかりの品々(鎧兜や、家系図など)が展示されています。開館時間が10:00〜15:00と短いので、訪れる際は注意が必要かもしれません。

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● 堀の中の鯉
元々が旧松平家の館があった場所という事で、周りの一部はお堀が設けられています。そこでは結構大きな錦鯉が泳いでいました。

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愛知県の中央部のエリアを、三河地方といいます。豊田市や岡崎市とかも三河に該当します。そんな三河の代表というと、今ではトヨタ自動車あたりを上げる人が多いかもしれませんが、徳川家康を輩出した土地柄という意識を持っているご年配は、今の時代でも結構多いのではないかと思います。 

無論、この東照宮は有名で、子供の頃からその名を聞いていましたが、自ら足を向けたのは今回が初めてだったかもしれません。(子供の頃に連れられてきた事はあるように思うのですが、小さすぎて、あまり記憶に残っていないのです)

訪れてみると、そこそこ広い駐車場があるだけでなく、この東照宮のさらに奥にある高月院へ至るエリアは、公園緑地のように、結構整備されている事に驚かされました。過去にNHKの大河ドラマなどで徳川家などが扱われた事もある事から、全国から大勢の観光客が訪れているのかもしれませんね。

記事はその2へ続きます。

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