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窯垣の小径


先日、瀬戸市美術館瀬戸蔵ミュージアム瀬戸市新世紀工芸館に訪れた足で、こちらのエリアにも立ち寄ってみました。「窯垣の小径」とは、「洞地区」において江戸時代に数多く存在した登り窯に対し、荷車や天秤棒で陶磁器を運ぶ際、不安定な山道を登り窯で使用した棚板や陶柱などを補強材として使った生活道路だそうです。

現在残っている距離は約400mといった程度で、そんなに長い距離ではなく、しかも陶器類が埋められている場所に出会うのはポツポツといった感じでした。とはいえ、場所によって壁や塀に埋められている陶器の種類も違えば、その埋められ方も異なっており、統一性が無い分、それぞれの家の個性が感じられて面白かったりします。実際、こうした場所は瀬戸市でも殆ど残されておらず、TVや雑誌で何度も取り上げられている場所なのだそうです。

■ 窯垣の小径
TOP画像に用いた光景が、一番陶器が沢山埋められている光景でした。それこそ、写真の右の家の土手一面にビッシリと陶器類が埋められてますよね。というか、これだけ埋まっている場所は、この一軒だけだったりします(^^; 夕方という事もあってか、ちょっと風情を感じますよね。ちなみに、この緩やかな坂を登ると、こんな感じの光景です。

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また、その上部にも、丸い形の花や、文様をあしらったタイルのような陶器が、規則性をもって埋められていました。

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規則性をもって埋められいる場所ばかりではなく、こんな感じで、結構何でもアリ的な感じの場所もあったりしますw

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この場所は、丸い形のものが綺麗に並んでますよね。写真だと大きさや高さが判りにくいかと思うのですが、この塀というか、土手は結構低かったりします。(それこそ、膝位の高さだったかと・・・)

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この付近には 窯垣の小径資料館や、窯垣の小径ギャラリー、そして現在も使われている登り窯もあったりするそうですが、私がこの場所に訪れた時は既に夕方で、閉館時間を過ぎてしまっていました。さらに駐車場の閉門時間も迫っている状況であったため、残念ながらじっくりと散策する事が出来ませんでした。(先に訪れていた瀬戸市美術館や、瀬戸蔵ミュージアムの展示内容が面白くて、当初の予定よりも時間が押してしまったのです・・・)

でも、この満ち沿いには至る所に花が咲いており、窯垣の小径だけでなく、それらの花も楽しむ事が出来たので、それだけでも満足でした。それこそ以前UPした著莪(シャガ)の写真は、この満ち沿いで撮ったものだったりします。とはいえ、今度訪れる機会があれば、資料館や、ギャラリー、そして窯も見てみたいですね。

大須観音

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大須観音

大須観音(おおすかんのん)は、名古屋市中区大須にある真言宗智山派の別格本山。本尊は聖観音。
寺号は「北野山真福寺宝生院(ほうしょういん)」と称し、宗教法人としての公称は「宝生院」であるが、一般には大須観音の名で知られる。日本三大観音の1つとも言われる観音霊場である。名古屋七福神の一である布袋像を安置する。寺内に、『古事記』の最古写本をはじめとする貴重書を多数蔵する「真福寺文庫」がある。wikipedia:大須観音より。

先日、ちょっとした用事があって、名古屋市大須方面に出かけて来ました。大須と言えば、中部地区を代表とする家電販売店街である「大須アメ横」、格安質屋の「コメ兵」が有名。また、最近ではアメカジ系のショップも数多く立ち並び、若者が多く訪れる街になっています。

とはいえ、大須はやっぱり昔ながらの下町情緒の匂いが強い街である事に変わりはありません。それこそ大須といえば、この大須観音こそが、街のシンボルと言えます。ちなみに名古屋土産で有名な「大須ういろ・ないろ」もこの地で産まれたんですよね。そんな訳で、あまり余分な時間は無かったのですが、折角なので大須観音に立ち寄って来ました。

■ 仁王門
これは南に位置する仁王門です。門の左右に仁王像が収められています。他にも西門があるだけでなく、東側からも敷地に入れます。

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■ 本堂
「聖観音(しょうかんのん)」(観世音菩薩)がご本尊となっています。

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■ 鐘楼
此方に収められた鐘は「華精の鐘(女人梵鐘)」と名づけられているそうです。昭和41年に、子達お成長を祈る「母の愛の鐘」として婦人会を中心に、女性のみの寄進で建てられたのだそうです。

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■ 鳩・鳩・鳩
この観音寺には鳩がイッパイいます。この写真の軽く10倍は居るのではないかと。(もっと居るかもw)何かの拍子で鳩達が飛び立つと、一瞬視野が覆われてしまう程でした。

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私にとって大須は、強い親しみを感じる街だったりします。中学の頃から友人と名古屋に出かけるとなれば、必ずと言って立ち寄っていたエリアです。何を買うって訳でなくとも、何時も何かしら新鮮な刺激があって飽きなかったんですよね。

最新家電や、新型パソコンがイッパイ並んでいるかと思いきや、中古オーディオも豊富だったり。格安のユーズドジーンズや、ミリタリー系ファッションのショップがあるかと思いきや、お婆ちゃんが細々とやってる和服屋や、お好み屋とか、だんご屋とかもあったりするのです。

また、訪れる客層も幅広く、そのファッションも千差万別。HIP-HOP系の兄ちゃん、革ジャンのバイカー、イマドキの女子高生、サラリーマンやOLも居るかと思いきや、ご近所のお爺さん、お婆さんも、普通に歩いてるんですよね。それだけでなく、外国からの観光客も結構多くて、そうした人達を見ているだけでも飽きないくらいです。

そんなごった煮であっても違和感が無い。古さと新しさ。古くからの下町情緒と、最新トレンドがイイ感じで調和してるのがこの街なんですよね。そんな街を古くから優しく見守ってくれているのが、この大須観音のような気がします。それこそ、これだけごった煮な街であれば、何かしらトラブルとかあっても可笑しくないと思うんですが、「観音様の前でアホな事をしとったら、バチが当たる」と感じて自重してしまうのかもしれませんね(笑)

実際、栄とかの繁華街だと顎を突き上げて歩いてそうな若者も、この街においては、この街を昔から支えて来たご老体達をリスペクトしているように見受けられます。(実際、街を歩いてると、いつの間にか御香の匂いとか漂って来るような街ですしね。)

そんな大須を歩いたのは久しぶりでした。立ち並ぶお店が幾つか様変わりしたり、入れ替わっていたのですが、大須独特の下町情緒の雰囲気は変わっておらず、良い意味で、懐かしさを感じました。

豊田スタジアム


豊田スタジアムは、豊田市が市制50周年記念事業として建設したもので、2001年7月に開場しました。設計は、建築家・黒川紀章氏によるものです。ちなみに、この豊田スタジアムの真横にある「豊田大橋」も黒川氏が手がけたものです。

■ スタジアム外観
・正面エントランスです。ガラス張りの部分に、レストランがあり、通常日でも営業されています。写真には写っていませんが、室内スポーツジムも運営されていますす。(こちらは、現在改装中)

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側で見上げると、やはり大きいですよね。

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屋根を吊り上げる巨大な柱がこのように剥き出しで聳えています。観客席において視界を邪魔する柱を排除する目的で、このような吊り上げ式の屋根構造を選択したのだそうです。

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このスタジアムの屋根は開閉式で、雨天時に屋根となるテフロン加工された布地は、通常は蛇腹状に折りたためられています。

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■ スタジアム内観
特にイベントの無い日は、一定のエリアまでは無料で見学する事ができ、このように中の様子も見る事ができます。蛇腹に折りたためられた屋根と、モニタースクリーンが見えますね。

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中に入っても日の光を感じられるのは悪くないですよね。

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屋根が開かれている場合、一部の観客席では、完全に屋根が無い状態にもなります。

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当日はフィールドの手入れが行われていました。

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■ 豊田スタジアム全景
遠くから見ると、こんな感じです。4本の尖った柱と、屋根の曲線のカーブが特徴的ですよね。

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■ 豊田大橋
独特の曲線と、吊り上げるワイヤーが特徴ですよね。この橋は、夜になるとライトアップされ、なかなか綺麗だったりします。この橋は、市街を流れる矢作川(やはぎがわ)に架けられています。

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東から、西へ向かっていくと、こんな感じに見えます。

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無論、歩行者もこの橋を渡る事ができます。このアングルだとお判りいただけるかと思いますが、緩やかなアーチが2つ並んでいます。

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立派な建物ですよね。側に寄ると、その巨大さに圧倒されます。特に、四方に聳える巨大な柱と、緩やかな屋根の曲線が特徴的だと感じます。また、周辺は市街を流れる「矢作川」と田んぼしか無いため、遠くからでも非常に目立つ施設です。ちなみに夜になると、四方に聳える柱の頂上付近が点灯し、結構綺麗だったりします。

今までにも、黒川氏が手がけた建築物としては、「国立民族博物館」や、「名古屋市美術館」等に訪れた事はあったのですが、この施設に訪れるのは今回が初めてでした。黒川氏本人が全てのデザインを手がけるというのではなく、デザイン事務所におけるチームで手がけるのだろうと思いますが、wikiedia等で調べると、そのレパートリーに圧倒されますね。

国際的に活躍する建築家ともなれば、他の建築家によるデザインと異なるというだけでなく、自身の手がけた作品においても、きちんと個性がある。誰しもが一見しただけで、その施設のイメージを焼き付ける事の出来る明確なインパクトを持ち、公共施設としての機能性や、耐久性といったものを考慮しつつ、現代建築技術の頂点としての美しさも目指す必要に迫られ、高い技能とセンスが要求される世界であろうと思います。その要求に対し、それだけ応えてきた黒川氏は、流石と言えますよね。(まあ、東京都知事の選挙に出馬された事には、違った意味で驚かされましたが・・・)

とは言え、この施設は基本的にサッカースタジアムであるため、当初は開催される試合やイベントが偏ったものになりがちで、税金を大量に投入して何でこんなに贅沢なモノを作ったんだと、当初は物議を醸したりもしました。そもそも、名古屋グランパスのホームになれる訳でもなく・・・。(グランパスには別の市である「名古屋市」の名が付いています。つまり「豊田市」が支援する為に、此処まの設備投資する必要があるのか?という事です・・・。)2002年の日韓ワールドカップの試合誘致にも失敗し、どうせなら雨天でも使える野球場にしていた方が、中日ドラゴンズの試合を呼び込めたのではないかという意見とかもあがったり・・・。最寄の豊田市駅から歩いて行くには、15分以上かかる距離なので、コンサートやイベントを等を開催するにしても、アクセスがそんなに良くないのも問題とされてきました。悪く言えば田舎者が大都市に憧れて、無駄に税金をはたいてしまったモノとしての象徴にも見られていたかもしれません。

それでも、最近は、B′zのライブとか、少し前にはモー娘のライブとか開催され、少しずつイベント会場としても認知されているように思います。まあ、そうした大型のイベント等が頻繁に開催されずとも、市民が気軽に使えたり、周辺の公園部分で憩える事が出来れば、段々と地元に愛されるランドマークとして定着してゆくものなのかもしれませんね。実際、私が訪れた日は、エントランス手前に設けられた芝生の広場で、子供向けのフットサル教室が開かれ、賑やいでいました。やはり、こうした公共施設を作る事で、プライドやステータスを維持する必要はおおいにあると思うのですが、決して見栄だけ云々で建築されるべきではなく、多くの人に親しまれてこそナンボでもあるような気がします。特にスポーツ系施設は尚更だと感じますね。

ちなみに私は長年この地で生活していますが、豊田市って、本当に目立ったモノが少ない街なんですよね。それこそ、以前駅前に出店した百貨店の「そごう」も、経営不振で撤退してしまった程ですし・・・。
(紆余曲折の後、今は松坂屋がその後を引き継いでくれていますが・・・)最新のブランド品や、気の利いたモノを買おうとすると、名古屋まで行かないと手に入らない場所だったりするのです。

そんな街ではありますが、豊田市には建築家・谷口吉生の最高傑作との評価も耳にする「豊田市美術館」もあります。そうした意味では、こうしたランドマークは、貴重な存在でもあり、都市としてのレベルを底上げする牽引役であるのかもしれません。それこそ徐々にでも、こうした施設の存在が違和感を感じる事の無いよう、街全体がブラッシュアップしていってくれると嬉しかったりします。

挙母神社

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挙母神社


最近は気持ちのよい秋晴れが続きますね。昼間などは、いまだに暑さを感じる時もある程。そんな日に、ふと出かけたくなり、挙母(ころも)神社へ訪れました。

この神社は豊田市のほぼ中心と言える場所に存在し、名鉄の豊田市駅からでも歩いて10分〜15分程度で訪れる事の出来る神社です。そもそも、この地方の名称は、現在の豊田市になる前は、「挙母市」という名称だったのです。しかし、自動車産業が本格的に軌道に乗り始めた1958年、商工会議所から市宛てに市名変更の請願書が提出され変更されたそうです。理由は、挙母市が全国有数の「クルマのまち」に成長した点と、地名の「挙母」が読み難いという点であったのだそうです。ちなみに「挙母(ころも)」は、三河国加茂郡の挙母郷に由来します。そんな事もあってか、この土地に長年住んでいる方は、「挙母」という名称に強い親しみを感じている方も多く、この神社はその象徴の一つとして捉えられていると感じます。

■ 鳥居
この神社の鳥居は、道端から一歩奥まった所に設けられています。

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■ 挙母神社のクスの木
豊田市指定第五号天然記念物だそうです。根回り9.5m 目通り6.5m 樹高約25m 樹齢650年 なのだとか。

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■ 神輿殿
10月18日19日に、この神社の「挙母まつり」が控えていたせいか、御神輿が準備されていました。この「挙母まつり」は、多数の山車が豊田市の市街の中心部を練り歩くもので、結構賑やかだったりします。

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■ 子守大明神
*TOP画像です。神社の創建については諸説あるものの、一般的には文治五年(一一八九)源義経の家臣鈴木重善(善阿弥)が、奥州の義経のもとに向かう途中、この地で義経討死にを聞きここに留まり、その後大和吉野より「子守明神」を勧請して祀った、といい伝えられているのだとか。江戸時代は「子守大明神」といわれ、歴代の挙母藩主が敬い、またこの地方の庶民崇敬の中心となっていたそうです。明治四年県社として現在の「挙母神社」と改められたそうです。ちなみにこの奥に、本当の本殿があります。また、その左右にも、小さな社が設けられていました。しかし、お賽銭箱は、管理運営上の配慮からか、この場所にだけ設けられていました。

■ 稲荷社
真っ赤な鳥居が幾重にも並んでますね。この神社において、最も「色」を感じる場所かもしれません。

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この神社に訪れるのは久々の事でした。正直言って、本殿等の建築物は、もっと大きな印象だったのですが、写真に収めようと改めて意識して見てみると、意外にも小ぶりに感じました。稲荷社などは、可愛らしいと感じる程でした。記憶というのはあやふやなものですねえ。とはいえ、この神社はこの地方においても、結構な歴史のある存在。これからもこの地で愛され続けていっていただきたいものですね。

厳島神社

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厳島神社

wikipedia:厳島神社

先日の「美の巨人たち」で日本の建築シリーズ第4弾として取り上げられていましたね。私も数年前に訪れた事があり、その時事を思い出して見ていました。

フェリーに乗って海上を移動し、いつの間にか現れた島の袂に、あの赤い鳥居を見た瞬間、昔の人は本当に凄い物を作る技術と、情熱を持っていたのだなあと、驚きと感動を覚えました。台風等の被害に度々逢いながらも幾年の年月に耐えうるその構造。外観のみならず、内側から見渡す際にも感じる、景観の美しさ。見事ですよね。しかも、番組によると、神社が建てられた場所は元々は海ではなく、2つの川の河口に挟まれた土地を掘って、海にしてしまったらしいとか。改めてその凄さを感じました。

写真は当時「写るんです」で撮ったものです。
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