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先日、地元にある猿投神社へ参拝しに訪れました。特に宗教を信仰する訳でも信心深い訳でもない私ですが、初詣のみならず何気に訪れる場所だったりします。この地方の神社としては比較的大きく、長い歴史がある神社だそうです。 ■ 猿投山の名の由来
この神社のある猿投山の名の由来は、「景行天皇が伊勢国へ赴いた際に、可愛がっていた猿が不吉な事を行ったので、海へ投げ捨てた。その猿が今の猿投山に籠もって住んだとされることから、"猿投"と呼ばれるようになった」のであるとか。他にも「猿逃げ→猿投」になったとか、諸説あるようです。 まあ、その事の詳細は判りませんが、私の通っていた小学校の遠足コースの一つであった事から、子供の頃から親しみを感じる山であったりする訳です。(まあ、非常にローカルなエリアなわけですw) ■ 左鎌の絵馬と、この神社の由来について この神社の特色の一つとして、願掛けの絵馬?に左鎌が描かれているものが納められる事があげられます。日本神話上でも有名な日本武尊(小碓命)と双生児であり、この神社の祭神として祀られている大碓命が左利きであった縁と、この地方を開拓した御神徳を慕う意味を込めて、開拓に使ったであろう鎌を「左鎌」として奉納し、所願成就を祈祷する特殊な信仰があるからだそうです。また、鎌によって、災難を断ち切り、豊作・病気平癒等の祈願成就を祈るという目的もあるのだそうです。 さて、今回訪れたのは、とある願掛けをしたかったからのですが・・・果たしてその願いは叶うのでしょうか・・・。あ、そういえば今回はおみくじを引いてくるのを忘れてしまいました^^; ■ 棒の手 ちなみにこのエリアは、昔から棒の手が盛んなエリアだったりします。この神社は勿論、私が実際に住んでいる町にある小さな神社においても、秋のお祭りの際に棒の手の演舞を奉納する習わしがあります。棒の手の起源は定かでないものの、農民が自衛目的で身につけた武術が、五穀豊穣祈願のための奉納演舞に変質していったもののようです。子供の場合は、長い棒や、木刀を用いているので比較的安全なのですが、大人の演舞ともなると実際に刃の付いた草刈鎌などを使う事から、一歩間違えると大怪我をしてしまうケースもあります。たまにTVとかでも報道されるので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんね。 それこそこの猿投神社の直ぐ近くに、猿投棒の手会館なる建物が作られており、ちょっとした資料館のようになっています。実際の演舞は奇声にも近い掛け声とかもあり中々の迫力があるのですが、資料館となるとあまり面白みのある内容ではない為か、訪れた際にいたお客さんは私だけでした^^; 少々寂しく感じつつも、こんな彫像があったので、写真に収めて帰ってきました。 |
ランドマーク・観光地
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こんな所にもお茶室がありました。お茶室に出会うのは久しぶりです。折角なので立ち寄ってみました。豊田市美術館にあるお茶室の童子苑のように日本庭園を見渡す構造ではなく、桜生い茂る公園をそのまま見渡せる構造になっており、開放感がありました。
ちなみにこの民芸館のある場所は、矢作川の勘八峡にあり、豊田市の中でも有数の桜の名所にもなっています。訪れた日はとても暖かな陽気に包まれ、桜が見事に咲き誇っていました。(とはいえこの茶室の窓辺は桜が満開に咲いている方向とは微妙にずれていたのが残念でしたが^^;) さて出てきたお抹茶とお菓子はこんな感じのものでした。お菓子には桜の花が可愛らしく乗せられていました。ちなみに器は、加藤唐九朗氏によるものだそうです。 |
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■ 井上家 西洋館
この建物は現在地に移築される以前は、市内の井上町井上家の所有であり、当初は明治時代に名古屋で開かれた博覧会の迎賓館として竣工しました。その後、名古屋のある角地に移築され銀行として利用された後、昭和の初めに当地における井上家の初代、故徳三郎氏により現在井上町に移築されました。現在、豊田市においては、明治時代に遡る洋風建築が全く残っていなない事から、現在地に移築し保存を図っています。 この建物、実は子供の頃に元の井上町に立っているのを見た事があります。雑木林がある程広大な井上家(大地主です)の敷地内に建てられており、誰も使用していなかった事から子供ながらモッタイナイと思っていた事を思い出します(笑)(というか、小学生時代、その雑木林でかくれんぼした思い出があるのです^^;)何時の間にかその井上家の周辺も区画整理され、こちらの建物を見かけなくなっていた事から、さらにモッタイナイって思っていたら、こんな所に移築されていたのですね。明示時代の雰囲気を感じる貴重な建物であると同時に、個人的にも懐かしさを感じました。 |





