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宮崎駿 / 出発点 1979 〜 1996 / その1


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■ アニメーション映画監督・宮崎駿の企画書・演出覚書・エッセイ、講演・対談等90本を収録
■ 「宮崎アニメの33年間!」


 先日、たまたま訪れる事の出来たジブリ美術館において、買い求めた本書。ようやく読み終える事ができました。帯紙に書かれているように、結構濃い内容のもが90本も収録されていいます。基本的にイラスト等は殆ど無く、文章で構築されたものばかり。

 この本を買い求めた理由はいくつかあるのです。
■ 宮崎監督にとってのアニメとは。
■ アニメの製作現場とはいかなるものか。
■ ジブリ作品において、本業の声優ではなく、タレント、芸能人等を活用する理由とは。
■ コミック版、ナウシカを終えた際、宮崎監督が考えていた事とは。
そうした疑問に答えてくれるものがあるのではないかと考えた為です。

 その全てに明確な回答を得られた訳ではありませんが、様々な事柄に赤裸々なまでに語られた本音は非常に興味深いものがありました。意外と分厚い本ですし、言及された時代はもう既に10年以上も前のもの。それでもなお、宮崎監督の監督活動に対し興味のある人間にとって読んで損は無い本であると思いました。

 さて、ネタバレ込みの感想です。これからご自身で本書を読む気のある方は、これ以上お進みにならない方が良いかもしれません。例によって、個人的に編集をしていますので、掲載文書と順序が違うのはもちろん、一語一句同じ表現という訳でなく、勝手に意訳しておりますので、ご了承を。

■ 宮崎監督にとってのアニメとは。

 「自分のやりたいと思う作品、それが私のアニメ」

 自らの子供が3歳の時には、3歳の子供の為の作品を作ろうと思い、小学生になると、小学生向けの作品を、高校生になれば高校生向けの作品を作りたいと思ってきた。子供の為にアニメーションを作るというと建前のように聞こえるが、そうではない。子供にウケるから作るというものでもない。自分が子供時代にみたかったもの。自分の子供がみたがっているもの、つまりその時何が欲しかったのか。というものを作りたい。

 観客と呼ばれる不特定多数の人々の願いは、昔も今もそんなに変わっているはずがない。どんなに時代が移っても、自らが心から感動したような作品と出会えた事で受けた衝撃を今の子供達も求めているはずだ。僕らはリレーをやっているようなもの。

 また、最近の大量生産されるアニメにも危惧を感じている。主人公の自発的な動機の存在しない作品を大量生産し、垂れ流す日本アニメをなんぞ無くなってしまえ!という思いと、それでもそういう作品が無ければアニメーターは食っていけない状況を憂いている。

 受け取る側の人間は、際限なく流れてくるものに慣れてしまい、もっともっと良いものをよこせと要求してくる。しかし作っている人間たちは毎年毎年同じペースでは作れない。一生けんめい作れば作るほど、同じものは作れない。淘汰され、年間に数本しか作られない状況になっても良いのではないか。

 子供というものは目の前に見えたものだけに気を取られるもの。アニメーションみたいな刺激過多なものを子供の前にどんどん流したら、子供は自分で選択するより、そのまま受け入れてしまう。大量生産されたアニメの垂れ流し。その結果が何をもたらすかは、まだ結論が出ていないが、非常に不安定になっていくのはたしかである。その危惧を抱きながら、それでもなお「励み」になる漫画を続けるのが、僕らの毎日である。

 と、いったような事が延々と何度も繰り返し述べられています。ここまで読んで思うのは、この人は富野監督と同じようなアニメ作品の監督でありながら、スポンサーとの絡みに対する発言が少ない事や子供に対する意識の大きさが違う部分が大きいと感じました。これは宮崎氏が多く関わってきた劇場作品や、名作劇場系のものは、所謂TVアニメには必然?ともいえるオモチャ業界からの様々なプレッシャーなど無く、あくまで作品のクオリティを重視してこれた環境の違いなのだろうか?とも感じました。ま、もともとこの業界に対して関わってきた心根の部分が根本的に違うからなのかもしれませんが。ある意味、想像していたとおり。と、言うか、そういった意思は、その作品性からモロに伝わってくるものばかり。
実直でガンコな人柄が伝わってきます。


感想は2へ続きます。

風の谷のナウシカ


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■ wikipedia:風の谷のナウシカ

風の谷のナウシカ

 宮崎駿による有名な漫画です。商業的なスポンサーが付くような内容ではないにのに映画化され、当時大ヒットとなり、後の宮崎アニメのブームの火付け役となったのはご承知の通り。無論、私も映画を拝見し、気に入りました。しかし、あのアニメはあくまで原作2巻までの内容のものであり、どこか満たされぬものを感じていました。そう、やはり私はナウシカといえば原作である漫画を中心として考えるべきものだと思うのです。

 原作は全7巻に及び、映画の話とは異なる点が多いのです。土鬼(ドルク)・森の人とよばれる物語の重要な位置を占める種族が出ないどころか、ストーリーとしての終着点が根本的に違うと言ってもよいのではないか。と思うのです。アニメの場合、身を呈してまで王蟲の暴走を止めようとしたナウシカは、その行為に心を開いた大蟲達によって助けられる(復活させられた。と言うべきでしょうか)という感動的なシーンで終わりを見せるワケですが、原作はあそこからこそ、本当のストーリーが始るといっても良いくらいなワケです。そう、あれからさらなる話はさらに混迷と、波乱とを含み、人の、文明の業を掘り下げていくのです。

ラストに関するネタバレがおもいっきりある感想です。未見の方は十分にご注意ください。

 エンターテイメントとしての冒険ファンタジーを好む『宮崎駿』。自身の関わった殆どの作品においてファンタジーを扱い、殆どをハッピーエンドとしての大団円に収束させる作者。にも関わらず、この漫画のエンディングは、決してそういう類のものではありませんでした。ナウシカは、今を生きる者(人間だけでなく、腐海に住む全ての生命を含む)の代弁者として、墓所に巣食う旧世界の知恵に対峙し、これを無へと還すのです・・・。

 私は少し戸惑いにも似た感覚を覚え、このラストをどう理解すべきか少し迷いました。ナウシカがあのような判断に至ったのは何故なのでしょう。(原作者:宮崎駿は何故あのようなエンディングを描いたのでしょう。)確かに、もしもあそこでナウシカが旧世界の知恵の意見を受け入れていれば、今までの人生、現在を生きる全ての生命を否定してしまうものなのかもしれません。

 墓所の意見を受け入れるくらいであれば、今ある命の意味を本当に見つめ直すべきだ。生きるという事は決して綺麗事ではない。生命というものを守ろうとするあまり、変に生命をいじくりまわす事は、結局生命を弄んでいる事に変わりない。大儀名分の下であろうと、決して褒められる事ではない。いや、むしろ忌むべき行為である。生き物は自らの責任において生と死に責任をもつものであり、そうした意味で自由でなければならない。いや、だから自由であり、生きる事に価値があるのだと。

 それこそ環境問題・文明衰退・宗教戦争と様々な問題はあろうとも、それらをも総括して、全ての問題を産んだのは、こうした人間の思い上がり=『エゴ』である。いくら崇高な理想論で構築された意見であろうと、あくまで人間本意のもの『エゴ』であり、全ての生命の総論ではない・・・。故にナウシカは、これ以上この世界への冒涜行為であり、混乱の連鎖を生んだ存在を排除すべく、旧世界の知恵を無に還した。歪んだ『エゴ』の塊をこの世から消し去ったのだ。そういう意図で、このエンディングが導かれたのだろうとは思います。今ある生命を尊重した判断ではあると思います。

 しかし、その判断によって、一つの大きな可能性を永遠に失ったともいえるのです。その可能性は、ナウシカ自身の可能性というものではなく、今を生きる全ての生命に関する可能性である訳です。それこそ、その行為も一種の独断=『エゴ』ともとれるのでは? 今まで多くの生き物に対し、融和と慈悲の心を示してきたナウシカであれば、そうした広い心をあの判断の場でも示す事もありえたのではないか?とも感じる部分も・・・。生きる事とは、戦う事であり、このように綺麗事ではない。と、ナウシカの行為を含めて示しているという事なのでしょうか・・・。実際、墓所の言うとおりとして、ナウシカが初代神聖皇帝のようになるのか・・・と、言うと、これまた物語が違う方向へ行ってしまいます。が、1人の少女に負わせるにはあまりに重い判断だとも感じます。

 正直なところ、心地よい気持ちで読み終えたというものではありませんでした。そう、第1巻を始めて読んだ時のような、小気味良さという感じではありませんでした。それこそ作者は、もともとこのエンディングを描きたくてこの漫画をスタートしたのでしょうか?

 もともとアニメーションに出来ないくらいの内容のものを作り上げようとして、取り上げてきた現実の世界でも起きている社会問題・環境問題、そして宗教戦争。それらの問題に対する疑問や感情を、ある意味真剣に取り扱ううちに、ファンタジー(普通の夢物語)として終わらせる事が出来なくなった。そういう終わらせ方では、作者自身が納得できなくなってしまった。単なるファンタジーで終わらせてしまっては、今まで描いてきたナウシカというキャラクターの存在意義が逆に可笑しくなってしまう。安っぽくなってしまう。その結果、作者の心で考えたというよりも、本当にナウシカならどうするのだ?あの状況なら、彼女なら何を考える?そうキャラクターに問いかけるような部分も少なからずあったとも思えます。その結果、あのようなラストに導かれた部分もあるのだろう。と感じました。

 ネットで調べると、終盤にかけての制作時期に、ソ連崩壊、ユーゴ内戦と歩調をあわせて進んでいたため、そのことが作者の心理にも、色濃く影をおとしたとも言われているそうです。人はどれだけ愚かな惨劇を繰り返しても、それに懲りず繰り返してしまうものなのだと。当時の宮崎氏は感じていたようです。

 宮崎氏はこの作品において、現実社会でも起きている問題を目の当りにし、エンターテイメントとして理想論的な物語を描く事に限界を感じてしまったのかもしれません。逆に言えば、全ての宮崎作品の中で、もっとも重く、救いの無い話になったという事は、逆に言えばそれだけ宮崎氏のこの作品に対する真摯な態度が見えるようにも思えます。だからこそ、と言うべきか、この作品は色々と考えさせられました。それが故に、私にとって、とても大きく大切な作品の一つとなっています。


PS) 最大の疑問として、巨神兵に何故知恵が授けられたのか?という点が気になっています。この点はきちんとした説明が成されていないと思います。墓所の知恵いわく、旧世界の人間は、必要とあれば、それこそ神をも作ったとありますが・・・。これは裁定者として、一種の予定調和であったと解釈すべきなのでしょうか? それともナウシカ言うところの、全ての生き物には生きる権利がある・・・という事、つまり巨神兵(生物兵器)すら、生命があり、世界を感じ、意思を持ち、自らの行動を決める権利がある。と言う事でしょうか?

2006/10/1一部加筆修正しました。

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なぜ『ガンダム』は売れるのか!?
富野由悠季が自ら語る
創造論としてのガンダム的思考!
■ 富野由悠季
■ 機動戦士ガンダム
■ 講談社・ガンダム者
■ 雑誌・KINO

KINO Vol.2 思考としての『ガンダム』

 原作ものの無いTVアニメ(アニメオリジナル企画もの)としては多分日本最強のキラーコンテンツと化したガンダム。大人になってからの私は、作品の世界より、この作品がいかに生み出されたのかに興味をいだくようになりました。

 そこで私は以前、講談社の『ガンダム者 ガンダムを作った男たち』という、ガンダムの企画・製作に関わった主要人物のインタビュー本を手にいれました。その本では、キャラクターデザインや作画監督として有名な安彦良和氏をはじめ、メカデザインの大河原氏や企画、脚本、美術、のそうそうたる面子によって、当時の状況(苦しい台所事情、スポンサーがらみの制約、食っていくための手段としてのアニメ、ドラマのある作品製作への思い、監督とのやりとり、自身の実力、等)が赤裸々なまでに紹介されていました。この作品に興味のある方はもちろん、そうでない方でも、集団でのモノづくりとはこういう事だ、という観点で観ると、誰にでも本当に面白い(興味深い)本だと思います。

 しかし、肝心の監督:富野由悠季氏のインタビューの内容は非常に理解しにくいものでした。これはインタビュアーが悪いのではなく、富野氏の思考がちょっと特殊(話の話題・論点が飛びまくる)で、焦点がボケやすく、理解しにくく感じていたのです。この人は、本当に一体何を考えているのだろう?何を伝えたいのだろう?と思う程でした・・・。

 それから時が経ち・・・先日、東京に出かけていた際、ホテルのチェックイン前に暇つぶしの本はないかと何気に本屋に寄った際、この本に出会いました。今更ガンダムのマニアックな本を買う気など無かったのですが、富野氏のインタビュー3本勝負!と出ており、何気に立ち読みしてしまいました。あの判りにくい富野氏の話を改めて読んでみようと思ったのです。そしたらこれがまた読みにくいのなんのって・・・(苦笑)で、立ち読みではなく、ちゃんと読もうと思い、つい購入までしてしまいました(苦笑)(失礼ながら、富野氏のインタビュー以外、大した興味は無かったのですが・・・)

 さて、その富野氏が京都精華大学での講演での際、学生に対してなかなか面白い事を言っていたので、その内容を私的に解釈してみたいかと。(あくまで個人的解釈の総論です。私の文章はインタビューでの会話順でもありませんし、富野氏の言葉そのものではありません。また、この他にも多くの事柄を述べています。)

 この方は、TVアニメは基本的にエンターテイメントである。あるべきだ。と考えているようです。

■ 富野監督インタビュー概略

 TVアニメーションは皆のもの(観客、そしてスポンサーのもの)である。TVアニメーションとはエンターテイメントでなければならない。エンターテイメントとは、誰でもが楽しめる要素”普遍性”のある作品の事だ。それこそ神話・伝説等が長く語り継がれるのは、誰でも理解しやすい”普遍性”があるからだ。

 自分はこうだ、自分ならこういう作品を作りたい。そういう一辺倒な思いで作られた作品は段々内側に入り、一般性・普遍性を失う事となる。皆が満足出来なければ客やスポンサーは離れる。スポンサーが離れれば、製作費は出ない。メシは食っていけない。芸術作品として作りたいなら、いっそ芸術家の道へ行け(一人で行け)。TVアニメとは、(良くも悪くも)あくまで集団製作でのエンターテイメントである。
エンターテイメントと言っても漫画や小説などとは違うものだ。自分が本当に好きなもの、作りたいものを作れ。と、言われても作れない。逆に自分の部屋からそうしたものは出したくないくらいだ。

 ガンダム以前は、子供向けロボットアニメは、子供が見るべきものとして、どこかスポンサーや製作サイドも馬鹿にしていた風潮があった。もともとロボットアニメを作りたかったワケではなく、普通の映画を作りたいと思っていた。そこで、子供が見ても十分楽しめるドラマのある作品(ロボットアニメ)を作りたいと考えた。そうして産まれたのがガンダムだった。主役ロボットに関してはスポンサーがらみの制約がある。なのでそれ以外の面で製作サイドの思いをぶつけた。ロボット同士の戦闘シーンが無くとも話が成立する(ドラマがある)ように作った。ドラマ(物語)がある。それがガンダム以前と、以降の作品の一番の違いである。

 ドラマがあるから、敵キャラ等が魅力的に映り女性や大人にも受けた。ドラマ性のあるシーンが記憶に残っているため、キャラクタークッッズ等がより魅力的に見え、マーケットが出来た。本来のアニメのシリーズものは、主人公が続けて出るものだが、ガンダムはリアリズムを目指した為、年齢・世代のしがらみが足かせとなり、それが出来なくなった。逆にもともとオモチャメーカーの意向で、ロボットありきでスタートした企画。ロボットで繋ぐ世代ものとしてシリーズ化していく事となり、このような状況に繋がった。シンボライズな存在として、ガンダムというロボットが普遍性を得る結果となった。

 物語の普遍性を手に入れる為に、スタジオワーク(スタッフの存在)がいる。はっきり言って、シナリオライターの原稿を殆ど手直ししてしまう事などしょっちゅうある。スタッフから嫌われる事などしょっちゅうある。ならばシナリオライターは不要か?というとそんなワケはない。そうした多くの意見(ボツ案)があって、初めて普遍性というものが作品に投影される。意見が最終的に採用される、されないに関わらず、その存在が必要だと考えられているからこそ、そのスタッフは作品に参加させられているのだ。(参加できているのだ)。ボツにされたからと言って、スタッフが自らを卑下する必要など全くない。

 逆に最近のアニメはそうしたスタジオワーク的な動向(どこまでディスカッション・ブレインストーミングされているのか)が疑問に感じるものが多い。最近の宮崎アニメは、シナリオを他人の手に任せた瞬間が無いための辛さが見て取れる。それで独善に陥っている部分が、本来傑作にすべきベースを自分で踏みにじっているかもしれないという気配を感じる。

 この人の意見を目にし、色々な点で成る程と感じました。一見華やかなアニメ業界と言えど、スポンサーあっての事業であり、クリエイティブな業界でありつつも、組織で働くサラリーマンと同様にバランスで動くものであると。いや、そうでないと、まわらない世界なのだと。自分の思い通りにならない一種足かせともいえる難題ばかりを押し付けるスポンサーに対し、怒りを感じつつも、その要件をクリアしてナンボノであると言いたいのだな、と。

 そして、この人は、そうした力関係に敏感な世界で、様々なバランスを操るプロフェッショナル(立場としての監督)としてプライドを保ってきたのだな。と。逆にそれが良くも悪くも骨の髄まで染み込んでしまっている人なのだ・・・とも感じました。職業人としてのプライドは凄いものを感じると共に、常に自分の立ち居地を考えている人だと感じました。またそれは世間一般のイメージでいう、映画作品製作に熱意をかける監督といったイメージとはちょっと違う人だと感じました。

 ただそうした職業人としての意識に関しては、この雑誌の対談で出てくる杉井ギザブローというTVアニメの監督さんも同様の事を言っている為、TVアニメの業界で生きていくにはこうしたバランス感覚が必要というか、そうでないとやっていけないのかもしれませんね。ま、こうした感覚は決してアニメの製作現場だけの話ではなく、サービス業や、業務請負業・等、多くの業種・職種で当たり前の話ではありますが・・・。

 また、最近の宮崎作品に対する意見はもっともですね。先日、ハウルを見た時、男の子と女の子の恋愛を素直に描けるようになったのかな?子供に見せたい、子供にこういう作品を見せなければならない。という意識ではなく、自分の作りたいものを作っているようにもかんじつつ、どこか楽しくないというか、説明不足という感があったのは、こういう事なのかもしれないと。強烈なカリスマによるオリジナリティの高い世界は、それはそれで魅力的であったのですが、現在に至っては作品世界の広がりが乏しかったり、何か偏ったものを感じる部分もあります。

 こうしたことは、力あるトップの権力やカリスマ性が強すぎるため、若手が意見を出しても聞き入れてくれない。聞き入れる体制が失われてしまてっている為なのかもしれません。また、トップに立つものも、個人的なオリジナリティへの渇望の為、意識せずとも独善的な行動に繋がってしまっているのかもしれません。そして最近は鈴木プロデューサーの行動がそれに該当してきているのかもしれません。また、押井作品のイノセンスという作品にも同様の事が感じられますね。(そう言えば、イノセンスも鈴木Pがプロデュースしているのですね・・・・)

 とは言え、監督の独善性そのものは、この富野氏も十分持ちえているという気がするのですが・・・。実際、私は初代ガンダムは好きですが、Zガンダム以降は、面白くないというか、殆ど見ていないというか・・・(作品の名前すら知らないものが殆どです。)ちなみにZガンダムという作品は、初代のガンダムのスタッフは殆ど関わっていないそうです。監督の強い意思・統率力・カリスマ性も当然必要なのでしょうが、周りのスタッフの協力(強い意見具申、製作への強い意志)があってこそ、普遍性が産まれ、名作は生まれるのかもしれませんね。


PS)ちなみに、この本でも富野氏のインタビューはしょっちゅう話が飛びまくり、論点がみえにくく理解しにくかったです・・・。私が偉そうに言える程の者ではありませんが・・・それにしても・・・って感じでした(^^;


トムとジェリー

トムとジェリー


懐かしいアニメを思い出していたら、つい、この作品も取り上げてみたくなってしまいました(^^;ご存知、トムとジェリーです。

この漫画も皆さんご覧になっていませんでしたか?はっきり言って、イタズラばかりのこの漫画、教育上良い番組ではないかもしれません。でもみんな大好きでした(笑)毎回毎回同じようなイタズラばっかりやってるのに、観てて飽きないんですよね〜(笑)憎めないっていうのか、なんと言うのか(笑)

主要キャラのトム、ジェリーやブルドックのスパイク(こんな名前だったっけ?ブルおじさんの方のイメージが強いなあ)はもちろん、トムの従姉妹の不良のネコとか、ジェリーのおじさんや甥とかいろんな個性的なキャラクターが繰りなすドタバタが楽しかったですね。

個人的には、ジェーリーのおじさんとか好きでしたね〜。テキサスからやってきて、ギターを弾きながら、長いヒゲを揺らして歌うんですよね。で、弦が切れてしまうと、トムのヒゲ引っこ抜いて弦に使うんですよね〜。そんなおじさんにはトムもタジタジ、、ってのが可笑しかったんですよ。

あと、トムが従姉妹や悪友達と街に繰り出している時に、綺麗なお姉さんネコが、腰をくねらせてモンローウオークが如く通りかかると、電柱とか柱越しに顔をそろえて出して「フゥユゥウゥ〜〜〜〜♪」って口笛を吹くシーンも、学校で真似たりしませんでしたか?(笑)でもやっぱり一番印象に残るのは、あの 「穴の開いたチーズ」 かもしれませんね?(笑)

PS)
この記事を読まれた女性の方へ質問です(あ、男性でも良いんですけれどねw)小学生高学年や、中学生位になると、今までトムトジェリーが可愛い、面白いって言っていた女の子達が突然ディズニーファン(ミッキーファン)になっていくのは何故なんでしょうか?

当時なんかTVでディズニーなんか放映してすらいなかったし、コミックもなければ、ビデオソフトなんかもあったワケでもないのに・・・。ちょうどその頃、ディズニーランドが出来きたかどうか?って時期のせいだったのかもしれないけれど・・・。どこでミッキーが可愛いっていう印象を持ったのか全然理解できなくって、凄く不思議でした。っていうか、女心の移ろいやすさってのを、最初に感じた瞬間だったかもしれません・・・w。

ディズニー映画や、ディズニーランドってそんなに面白いのでせうか??ハローキティあたりにも同じ疑問を感じてしまうのですが・・・?(ディズニーファンの方へ・・・別にディズニーを馬鹿にしているワケではありませんからね。)

アルプスの少女ハイジ


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1974年 全52話
原作:ヨハンナ・スピリ
アニメ制作: ズイヨー映像
wikipediaアルプスの少女ハイジ

アルプスの少女ハイジ


懐かしいアニメという事では、この作品を避けては通れぬでしょう?(笑)って、事で、アルプスの少女ハイジです。(何時の間にか、昔のアニメばかりUPしてしまってますね、、)これも皆観ていましたね〜。もう、いっぱい覚えていますよ!

ヤギのチーズが食べたい!!
白パンも黒パンも食べてみたい!!
おじいさんと一緒にワラのベットを作ってみたい!!
ペーターの作ったソリで雪上ダウンヒルレースに出てみたい!!
ユキちゃんと一緒に牧場を走ってみたい!!
ヨーゼフの背中に乗っかりたい!!
クララが立ち上がるのを皆で喜びあいたい!!
ロッテンマイヤーさん、そんなに怒らないでよ!!(笑)

って、誰もが思いませんでしたか??本当に、子供に見せたいアニメの筆頭なのでははいか?って感じですね(笑)そういえば、宮崎駿が画面構成・等でスタッフとして参加していた事でも有名ですね。

ちなみに、私は、ヤギの鳴き声が出せます。(笑)あ、あと、ヨーゼフの似顔絵もかけますよ(笑)(この拾ってきた絵のヨーゼフは、目が開いていて、全然ヨーゼフらしくありませんねwww)

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