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■ 愛知の土人形



 
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■ 豊田市民芸館 第75回企画展

■ 期間:2010年2月27日(土)〜6月6日(日)
 

先日、豊田市民芸館へ行ってきました。今回の展示は「土人形」であるとの事。正直な話、私はそんなに馴染みがあるわけではありませんが、ポスターに乗っている武者人形の写真を見て、どんなものなのか覗いてみたいと思ったのです。


■ 企画展の主旨

土人形は「粘土製の人形」の総称で,愛知県内では主に名古屋、一宮、犬山、碧南、半田、田原、豊橋、豊川などでおおよそ昭和の中頃まで盛んに作られていました。特に碧南の辺りは瓦の産地でもあり、鬼板師と呼ばれる鬼瓦職人が土人形の型の原形を制作したこともあったため、この地域は土人形の産地として興隆を見せました。今回は愛知県とその近隣の土人形を中心に、型の展示も併せて館蔵品より約200点展示いたします。(公式HPより) 



■ 土人形の型

土人形の型は「雌型」ともいい、型の原型である「雄型」に対してそう呼ばれる。型は、その雄型を制作してから雌型を作る方法と、「孫型」を作るという方法もある。孫型とは、既に完成した人形に直接粘土を被せて作るというもので、半田市(乙川)の土人形は、伏見人形から孫型をとって起こったといわれている。

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■ 土人形の作り方
1・土人形の型には、表面、裏面を作る型があり、そこによく練った粘土を細部までしっかりと埋め込む。2・表・裏ごとに出来た本体を抜き出し、「とろ」と呼ばれる糊で張り合わせ、陰干しする。3・窯で焼き上げ、全体に膠で溶いた胡粉(白い顔料)を塗り、乾いてから、再び膠で溶いた顔料で彩色する。



■ 外題もの

江戸時代末期、棚尾(碧南市)出身で、地方歌舞伎俳優の石川久八が歌舞伎を題材にした人形を作り出した。当時、この地方は、歌舞伎などの芝居興行が盛んで、外題もの(歌舞伎の演目の事)の人形が数多く作られた。 注) 展示場には人形ごとに細かい解説があったわけではないので、カテゴリー分けの仕方を誤った状態で写真を掲載している可能性があります。その際はご容赦ください・・・(^^;

● 「今川義元」 桶狭間 禰宣田佐太郎 大浜(碧南市)
武将としての荒々しさがよく表されてますよね。、 

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● 「太閤」 太閤記 岡本開太郎 棚尾(碧南市) 
「天晴れ!見事である!」って感じなのでしょうか?

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● 「花魁 娘」
土人形とあなどる事なかれ、といった感じの堂々たる立ち姿。丁寧に塗られた衣装は、豪華絢爛さを見事に表してますよね。

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● 「静御前」
会場では、幾つもの静御前の人形が展示されていました。当時において人気が高かったのでしょうか・・・。

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● 「弁慶・牛若丸」
程度が良いのか、作られたのが比較的新しいからなのかわかりませんが、色艶が非常にハッキリ・クッキリしていました。

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■ 縁起もの

五穀豊穣・大量追福は「恵比寿・大黒」、安寧長寿には「高砂」、商売繁盛には「招き猫」、子孫繁栄には「梅、牡丹、ねずみ」などの人形を、縁起ものとして親しんできた。

● 「恵比寿・大黒」

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● 「福助」 禰宣田章作

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■ 伏見人形

伏見人形は、京都の伏見稲荷大社付近で作られる人形で、全国各地の土人形の源流となっている。
江戸時代の初めに起こり、文化・文政頃(1804〜1829)頃に愛知でも作られるようになった。

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この下に掲載した赤子?の人形・・・けっこうインパクトありませんか・・・? 姿形はお地蔵さまみたいにおおらかなんですが、色がちょっとエグイ感じといいますか・・・眉毛が妙に長いのと、口元に紅が入っている事から、全然赤子に見えないといいますか・・・・w

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個人的に一番気に入ったのが、このお猿さんの侍姿の人形です。「エッヘン!」って感じの面構えで、可愛いですよねw

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次に気に入ったのが、この犬の人形です。異様に目がパッチリしてますよねw それに睫毛が異様に長いしw 口元も可愛かったりします。ちなみに後ろでトグロを巻いているのは、う●こではありませんw 蛇ですからねw

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この老夫婦の人形は、妙に現代的なデザインセンスを感じてしまいました。他のお客さんにも人気のようでした。

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この犬も良い表情してますよねw

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一応、今年の干支でもある虎にもご登場願います・・・という事で・・・

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■ 節句飾り

高価な衣装雛を買うことが出来なかった多くの一般家庭では、おおよそ昭和30〜40年頃までの桃の節句に土人形を飾っていた。男の子の初節句にも、同様に武者像などを飾ったとの事。

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遠巻きに、パッと見ると判らないかもしれませんが、親王(男雛、女雛)以外の人形は・・・色々な姿をしていたりします・・・こういう雛飾りも趣があって、結構悪くないですよね。

● 「市原土人形」 内裏雛 (中央2体・岐阜)

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庶民に愛され、親しまれてきた土で出来た人形、「土人形」。その素材故に、細かい凹凸の再現が難しいものがあろうかと思うのですが、そのハンデに負けず、様々な姿形に挑戦しているのが伝わってきますよね。また、豪華さや、見た目の楽しさを演出しようと、彩色に強く拘っているのも伝わってきました。特に武将や、花魁などの衣装の塗りが凄いですよね。無論、高価な人形と比べると、見劣りする部分もあるのでしょうが、これはこれで味がありますし、こうした人形を自らの子に与えようとする親の愛情が十分伝わってきました。

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■ 期間 11月21日(土) → 2010年1月17日(日)
■ 岡崎美術博物館公式HP

三河の禅林 ―臨済禅と武家の心

先日(と言っても年始の話なのですが・・・)、岡崎市美術博物館へ行ってきました。

■ 禅とは
禅(禅宗)は、達磨がインドから中国に伝えて成立したとされる大乗仏教の一派。単に禅という場合は一般に禅宗を指すが、文脈や場合によって禅那を指す。不立文字を原則とするため中心的経典を立てず、教外別伝を原則とするため師資相承を重視し、そのための臨機応変な以心伝心の方便など、種々の特徴をもつ宗派である。
臨済宗においては、言葉や経典に頼らず、師家から出された公案(悟りを開くために課題として示される祖師の言葉や事跡)に座禅や作務を通じて取り組み、禅問答を繰り返すなど、師との厳しい精神的な修行を通じて悟りを開く事を目指す。そして師は法を正しく継承した弟子にその証として、自らの袈裟や、墨蹟、頂相(肖像画に賛を書いたもの)を与えた。特に頂相いは単にリアルに模写するだけでなく、師の高い精神性をも表現した迫真の肖像画である事が求められたという。
日本には鎌倉時代に伝えられた。禅宗は武家政権の篤い支持を得て、なかでも臨済宗は鎌倉、京都そして全国へと広がっていった。また禅は、日本人の精神に大きな影響を与え、鎌倉から室町時代にかけて多様な文化を生み出した。禅は戦に身を投じる武士たちの精神的な支柱として、朝廷貴族の伝統的な文化に対する武士の新たな文化として積極的に受け入れられ、禅宗寺院は異国情緒あふれる禅文化の拠点として栄えた。
三河においては、足利一族等の進出にともない、実相寺、天恩寺などの臨済宗寺院が次々と建立された。これらの寺院は、足利氏・吉良氏・今川氏・徳川氏などの地域の有力武士からの庇護を受け、多くの宝物が奉納されている。今回の展覧会では、天恩寺(岡崎市)、永源寺(滋賀県)、実相寺(西尾市)、花岳寺・華蔵寺(幡豆郡)、長興寺(豊田市)、東観音寺・太平寺(豊橋市)などの三河の臨済宗寺院の至宝約100件を一堂に展示している。 *)wikipedia、公式HP及び、美術博物館発行誌アルカディアの解説記事より一部転載・編集。

■ 重文<無為昭元像>鎌倉時代 豊田市・長興寺

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■ 重文<仏涅槃図>室町時代 豊田市・長興寺

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■ 市文 紺紙金治法華経普門品 平安〜鎌倉時代 豊橋市・東観音寺

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■ <半身達磨図>白隠筆 幡豆群吉良町・華蔵寺

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■ <百華競妍 三・四>山本梅逸筆 江戸時代 岡崎市・天恩寺蔵

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この美術館は、地方にありながら、とても内容の濃い企画展を開催する場所で、私のお気に入りの場所の一つです。しかし、今回の訪問は別用を兼ねて岡崎へ訪れた都合上、あまり時間に余裕が無い状況での見学となってしまいました。そう、1時間程しか見学の時間が持てなかったのです・・・。しかも、展示会場では、後半になればなるほど美術品として見応えのある展示品が並んでおり、全ての作品をじっくりと堪能する事が出来ませんでした。

しかし、そんな中でも興味深かったのは、なぜ北条氏や足利氏等の武家政権が、こうした禅に惹かれ、支持をしていったのかという話でした。彼らは、厳しい修行を通じて自らと向き合い、悟りを開く禅僧達の姿と、戦いに身を投じ、自らの力で道を切り開いてゆく武将の姿を重ね合わせ、禅の教えを精神的な支柱とし、朝廷貴族の伝統的な文化に対する武士としての独自の文化として取り入れていったからなのだそうです。また、そうした時代背景をもって、この三河地方において禅が広まり、私の住んでいる豊田市に現存するお寺にも、そうした文化が今尚引き継がれているという事が、興味深かったです。

岡崎むかし館

岡崎むかし館

先日(といっても実は昨年末・・・)、所用があって岡崎市に出向いた際、岡崎市図書館交流プラザ・リブラの中にある「岡崎むかし館」という施設に立ち寄ってきました。

■ 岡崎むかし館とは
岡崎市の歴史資料のほか、人々の暮らしの移り変わりや祭り、岡崎の偉人の功績などを紹介・展示している施設です。小中学生が授業で学習する内容を中心に、学校と密接に協力し、博学連携・融合の実践の場として作られたのだそうです。言ってみれば、リブラという総合文化施設の中にある、ミニ郷土資料館といった感じの場所なわけです。無論、無料で見学する事が出来ます。

■ 館内の様子
左右にある入り口(兼、出口)の左側から入ると、このように一昔前の一般家庭の生活環境を再現したディスプレイに出くわします。最近こうしたタイプの展示が増えてきましたよね。それこそ、以前訪れた名古屋市博物館とか、見学に行っていながら、まだ記事にしきれていない、豊田市近代の産業とくらし発見館だけでなく、サツキとメイの家とかでも類似した展示を見る事が出来ます。ちなみにこの展示の左側には、昔ならではの、重くて丈夫な自転車などの展示も行われていました。

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館の広さは正直言って大きくはありません。小学校の教室1つ分あるか、ないか位の部屋が1つだけあるだけです。部屋の奥にはこのようなガラスケースも設置されています。

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■ ゆたんぽ
そんな岡崎市は、むかしから「ゆたんぽ」の生産では日本有数のエリアなのだとか。特別に寒い地方ってわけでもないのに「ゆたんぽ」が隠れた名産品と聞いて驚いてしまいました。

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■ 中国茶
この街は中国とのお茶の取引もあったようで、お茶の葉を固めた不思議な固形物が幾つか展示されていました。そういえば、最近名の売れている中国出身の現代アーティストが、紅茶の葉を固めた巨大な固形物を削ってオブジェを作っているという話を聞いた事があります。何やら凄く良い匂いがするのだとか(笑)

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■ 唐箕
風力を利用して(右側円形部分が風車になっている)穀物を精選する農具だとの事。「とうみ」と呼ぶのだそうです。元禄時代に齎され、一部上層農家が使い出したものだとの事。江戸時代には一般に普及し、岡崎でも昭和30年代位までは使われていたのだそうです。

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岡崎は城下町として古くから三河地方で栄えた街ですよね。それこそ、今では豊田市とか刈谷市辺りの周辺の街が、自動車産業の影響で発展してきていますが、この地における商業や文化の中心は、古くから岡崎が中心であったわけです。この周辺の塩の取引の拠点でもあり、八町味噌などの地場産業も栄えていたんですよね。今でも岡崎城や、東岡崎駅周辺を見回すと、そうした名残を感じる場所を良く見かけます。

このところは郊外店などに押され、駅前にあった百貨店の松坂屋岡崎店が38年の歴史を閉じたという事でニュースにもなってましたが、私の住む豊田市なんかよりも遥かに長く深い歴史を感じる街だったりします。ちなみに外車のディーラーが至る所にあるのが印象的です。つまり、外車などを楽しむ事の出来る豊かな文化が育っている街であり、かつ、そうした車を帰る所得層が沢山住んでいる街でもあるというわけです。(それこそ、豊田市には外車のディーラーなんか無いのです。日産、ホンダのディーラーはあったりしますよ。念のため。)

私の大好きな岡崎市美術博物館もありますし、それこそ、この施設のあるリブラなども新しく作られたりして、駅前の再開発が進められていて、岡崎って歴史の深さと新しさが共存していて良い街だなぁ・・・などと感じてしまいました。

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内田修ジャズコレクション

先日(といっても実は昨年末・・・)、所用があって岡崎市に出向いた際、岡崎市図書館交流プラザ・リブラという施設に立ち寄ってきました。この施設は岡崎市の中央図書館や、市民総合支援センター、岡崎むかし館(ミニ博物館のような施設)や、音楽演奏などに向けた貸し出しホールや、録音スタジオ、等様々な文化活動を行える施設です。特に興味があったのが、今回ご紹介する 「内田修ジャズコレクション」というコーナー。一昔前、岡崎に住んでいらしたジャズマニアの方がコレクションしていた、ジャズ・レコード等を無料で聴ける施設だというのです。TV等でも紹介された事もあり、その存在は以前から耳にしていたので、近くに寄ったついでに覗いてみたかったのです。

正直な話、私はジャズはそんなに聴いているクチではありません。ミュージシャン等にしても、メジャーなプレイヤーのメジャーな曲しか知らないクチだったりします。ジャズ関連のCDも10枚程度しか持っていません。(クラッシックもその程度で、後はポップスやロック等がメインだったりするわけです)ジャズってロックとかポップスより敷居が高そうな印象が強いですし、普段そんなに耳にする機会が多く無いせいか、自分のツボにハマル曲ってなかなか見つけられないって感じですよね。(そんな事を書くと、ジャズ・マニアの方に怒られてしまうかもしれませんね(^^;)

でも、たまに本格的なコーヒー専門店などに立ち寄った際は、何故かジャズが流れていたりすると、気分が良くなってしまったりする人間です。(まあ、そういった演出に弱いステレオタイプなところがあるわけです。)それこそ、ジャズって曲を知るより、渋いイメージが漂う独特の「スタイル」(格好)から入っていく人も多いくらいじゃないかなぁ・・・などとも感じていたくらいです。いえ、それが悪いわけではありません。私も格好から入っていって、好きになってしまった趣味やスポーツはいくらでもあるクチです。寧ろ、その渋い世界を覗くのに、良い手段は無いものか・・・と感じていた程なわけです。そんなわけで、日本有数のジャズ・レコードのコレクションが公共施設内に保存され、無料で視聴できるというこの施設に興味を持っていたわけです。

■ 内田修ジャズコレクションとは
内田修氏は岡崎市に生まれ育ち、外科医として病院を開業する傍ら、ジャズの愛好家としてヤマハジャズクラブを設立し、日本人ジャズアーティストの活動を支援するとともに、多くの新人を発掘してきた人物です。
平成5年に内田修氏はレコード、プライベートテープ、書籍、オーディオどのコレクションを岡崎市に寄贈。その内容は、ジャズ界では世界有数のものとうたわれています。このコレクションは、ものとしての価値ばかりではなく人とのつながりを持ち、岡崎市では様々なジャズ事業が開催され、多くのジャズアーティストが活躍しています。
展示室には、かつて内田修氏が開業していた病院にあったドクターズ・スタジオの再現をはじめ貴重なレコードのジャケットの展示コーナー、ジャズアーティストからのメッセージ視聴コーナー、岡崎でしか聴けないジャズアーティストたちの未発表音源を聴くことができる試聴コーナーなどを配置します。
平成14年より岡崎市シビックセンターの資料室で紹介してきた内田修ジャズコレクションは、2008年11月1日、岡崎の中心市街地康生地区に開館した生涯学習複合施設:岡崎市図書館交流プラザへ移設・展示されるようになりました。(公式HP等から編集・転載)

■ 外観
外観といっても、「リブラ」の館内にある施設なので、エントランスホール側から、ジャズコレクションの施設の入り口を撮影したものです。本当は中も撮影してみたかったのですが、撮影不可との事でした。(館内の様子は、リンク先の公式HP等からご覧ください。)

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実際に訪れて見ると、その綺麗で豪華な展示室に驚いてしまいました。受付嬢がいるだけでなく、至る所に無料の視聴機が置かれています。しかも、レコード屋さんと同様に、チェンジャーシステムが装備され、複数のアルバムを聴く事が可能なのです。さらには内田氏の自宅にあった音楽スタジオまで再現された空間まであったのです。そのスタジオは、通称「ドクター・スタジオ」と呼ばれていたのだそうです。それは、内田氏が運営する内田病院の一角に設けられたスタジオ兼リハーサル室兼レコード鑑賞用オーディオルームだったからなのだとか。

ジャズの曲をちょっとでも耳にして、気に入るような曲でも見つかれば良いな・・・位の軽い気持ちで訪れた私にとっては、個人でコレだけのモノをコレクションし、スタジオまで作り上げていた人が居たという事の方に驚かされてしまいました。しかも先に記したように、そのコレクションのディスプレイの仕方に結構お金が掛かっていて、下手な博物館より豪華に見えてしまう程だったのです。このコレクション施設があるリブラという施設にも録音スタジオ等が用意されているのですが、それはこの内田氏のコレクションや、ドクター・スタジオの存在に影響を受けて設けられたものなのかもしれませんね。

しかも、このリブラは、このジャズコレクションホールや図書館等を含めは、朝9時から、夜の9時までと、結構夜遅くまで利用でき、公共施設としてはかなりサービス性を意識した運営がされている施設だなあと関心してしまいました。

無論、折角視聴機の席が空いているのだからと、幾つかの曲を視聴してみました。残念ながら、この日に用意されていたアルバムでは、知っているプレイヤーは少なく、しかも別の用事のついでで立ち寄ったような状況でもあり、あまり多くの曲を試す事が出来なかったのが残念でしたが、機会があればまた立ち寄ってみたいと思いました。

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■ 会期:2009年9月8日[火]〜11月29日[日]
■ 豊田市民芸館HP
質・量ともに優れた濱田作品が残されている東京・駒場の日本民藝館から代表作約150点を選び展示します。用に即した力強い作風を作り上げた近代日本の陶匠、濱田庄司作品の魅力を紹介します。日本民藝館所蔵の棟方志功作品も併せて展示します。本展は2008年に没後30年を記念して日本民藝館、大阪日本民芸館で開催された展覧会を再構成したものです。

陶匠・濱田庄司 豊田市民芸館

先日、豊田市民芸館へ訪れました。

■ 民芸運動
民芸運動(みんげいうんどう)とは、1926年(大正15年)、柳宗悦(思想家、美学者、宗教哲学者)、濱田庄司、河井寛次郎らによって行われだした日本独自の工芸運動。
「民芸品売り場」「民芸調の家具」など、現代日本語の表現として定着している「民芸」という言葉自体が、柳らによって使い始められた造語である。当時の美術界では無視されていた日本各地の日常雑器、日用品、無名の工人による民衆的工芸品、朝鮮王朝時代の美術工芸品、江戸時代の遊行僧・木喰(もくじき)の仏像などの中に真の美を見出し、これを世に広く紹介する活動を指す。柳らによって収集された工芸品は、私有せず帝室博物館(現在の東京国立博物館)に寄贈しようと考えていたが、博物館側から拒否された。そこで、実業家大原孫三郎(株式会社クラレ、大原美術館、大原社会問題研究所などの創設者)による経済面の援助を得て、1936年(昭和11年)、東京・駒場の自邸隣に日本民藝館を開設した。
豊田市民芸館は、その一環として派生した施設であり、民芸品を保存、展示する博物館である。(第一民芸館は、旧・日本民藝館の一部を移築して造られている。)*wikipediaより参照・編集。

■ 濱田庄司
1894年(明治27年)現在の川崎市にて生まれた陶芸家。
東京工業高等学校(現・東京工業大学)時代に、2級上の河井寛次郎と知り合う。京都市立陶芸器試験場に入社。その時期に、イギリス人陶芸家バーナード・リーチや、柳宗悦とも親交を結ぶ。1920年に帰国するリーチと共に渡英。3年に渡る英国での生活により「よき仕事」の背後にある「よき生活」の重要性を意識するようになる。関東大震災の知らせを聞いて日本へ帰国。その頃に日常品の中に美を見出していた柳や河合と共に、日本独自の工芸運動「民藝」を展開させてゆく。
「私の仕事は、京都で道をみつけ、英国で始まり、沖縄で学び、益子で育った」と語るように、彼は様々な時代や地域で生まれた造形物から美の生命を感得し多様な技法を体得していった。 *チラシより参照・編集

民藝運動って、何処かで聞いた事がありながら、実はあまり良く知らないという方は多いのではないでしょうか。実は私もそのクチです。それこそ、何度かこの民芸館に訪れているわりに、この施設が設立した歴史的背景も知らなかった程でして・・・(^^; そんなワケで、今回の展示は、そうした歴史と共に、民藝運動を立ち上げた濱田氏の作品が多数展示されたものとなっていました。

とはいえ、今回の展示には、もう一人の作家の作品も目立つように展示されていました。それは棟方志功の作品です。版画家として有名な棟方氏ですが、書も手掛けていたようで、数点の作品が掲げられていました。それはそれで興味深かったのですが、何故「濱田庄司」展に棟方氏の作品があるのでしょう。不思議に思い、施設の方に尋ねてみると、棟方氏は、民藝運動を展開した柳氏らにその才能を認められる事によって、世に出てきた人物なのであるとの事。そこで、日本民藝館の本館から、今回の「濱田」展の作品を借りる際、縁もあり、多くの人に人気の高い棟方氏の作品も借りてきたのだそうです。成る程・・・といった感じで、色々と興味深いものがある企画展でした。(とはいえ、今回の展示は撮影が禁止されていたのが残念でした)

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