ここから本文です
最近ブログの更新が停滞しておりますが、ご容赦ください。

書庫博物館・資料館

記事検索
検索

全8ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8]

[ 前のページ | 次のページ ]

愛・地球博記念館


イメージ 1

愛・地球博記念館

■ 公式HP
開館時間:9:00〜17:00(入館は16:30まで)入館無料
休館日:毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は次の平日)及び年末年始(12月29日〜1月1日)
「愛・地球博記念館」は、博覧会の開催を記念し、博覧会の感動を呼び起こすとともにその理念と成果を後世に伝え、未来へとつなげていく施設として会期中は迎賓館・レセプションホールであった建物を活かしてつくられました。展示は外国パビリオンなどからの寄贈物など300点以上の展示物があります。

愛地球博記念公園]に訪れた目的の一つである愛・地球博記念館へ立ち寄って来ました。この建物は万博開催時の迎賓館、及びレセプションホールであった施設を改装したものだそうです。

■ ギャラリー1

イメージ 2

万博公式参加国等から寄贈を受けたエキゾチックな展示品が、国別ではなく、下記6つのカテゴリーに分けて展示されていました。
「敬」performance
「匠」sound of nature
「恵」respect
「採」cherish nature
「奏」naturaltones
「創」creation

高価な工芸品から、彫像・衣類・楽器・鉱石・生活雑貨など、展示物の種類はさまざまでした。部屋全体の照明を極力落とし、ディスプレイのみにスポットライトを当て展示を浮かび上がらせるやり方は、ここ最近よく見かけますね。確かに雰囲気があります。展示品を取り囲むガラスもよく磨き上げられ、その詳細が見渡せました。ショーケースの背後にも回る事も出来て、展示品の後ろ側も見れたのは良かったです。とはいえ、解説が殆ど無かったのは少々不親切な気も。センターに位置するテーブル上のディスプレイ画面に手をかざすと、それぞれのカテゴリーについての解説が表示される仕組みになっていましたが、その説明も大したものではありませんでした。個人的には、インドネシアの木彫りのガルーダ像や、スリランカの魔よけの面の見事な彫りが魅力的でした。また、自然の恵みを表すために置かれた岩塩(白)の結晶が大きくて見事でした。

■ ギャラリー2
開催時に子供たちに書いてもらったエコへの誓いを書いた折り紙を用いた貼り絵が展示されていました。

■ アーカイヴ
万博公式キャラクターを用いたPCでのクイズゲームと共に、万博開催時の各国のパビリオンやその展示品のデジタルアーカイブが公開されていました。ギャラリー1で展示されていた品々の簡単な解説もこの場で検索が出来るようになっていました。ギャラリー1は見た目を重視し、知りたい方はこちらで・・・といった主旨である模様です。また、数々の記念グッズも陳列されていました。

■ ギャラリー3

イメージ 3

こちらでも万博参加国からの寄贈品を万博開催時にグローバル・コモンと呼んだエリアに分けて展示していました。こちらはギャラリー1とは違い明かりがちゃんとついていました。とはいえ、こちらも何故か薄暗いんですよね・・・(^^; ギャラリー1同様に民族色の強い各国の品々や、度々TVの取材でも取り上げられていたスペイン館の外壁を飾っていた6角形のカラフルなセラミックタイルや、環境問題に意識の高いルイ・ヴィトンによる塩のディスク(塩田で海水を蒸発させ、沈殿した塩から作ったお皿状のもの)等もありました。また、パビリオンのアテンダントの制服なども展示されたり、当時の様子を映し出すビデオシアターも備えられていました。

なかなか立派な施設であったかと思います。各国の民族色の強い品々を無料で見れるのは有難い事です。
しかし、解説が本当に乏しいと感じました。生活雑貨や、歴史的な貴重品をポツポツと展示しているだけと言えなくもありません。そのため、それぞれの品々の歴史的背景はもちろん、それぞれの国が地球の何処にあるのか、それらの品々を使って、現地でどのような生活をしているのか、いまいちピンと来るものが無かったのではないかと。

それにギャラリー1での6つのカテゴリー分けもイマイチ意味を為していなかったような・・・。このような寂しい展示になってしまったのは、閉幕時にパビリオン主催国がそれまでの運営費や、自国への運搬費を考慮するにあたり、一般市民に売れるものは全部売ってしまおうという販売活動を行い、寄贈すべきものが殆ど残らなかった事が原因なのかもしれません。

まあ、そうなってしまうのも、事情あっての事なので仕方ないのかもしれませんが、同様の万博を行い、その貴重な展示物を今に残している大阪の国立民族学博物館とはボリュームにせよ、コンセプトにせよ、展示レベルにせよ、雲泥の差となってしまっているのが大変残念に感じてしまいました。逆に国立民族学博物館の凄さを改めて感じてしまいました。あと、展示品に対する写真撮影が禁止されていたのも残念でした。(館内画像はリーフレットのものです)

日本人の心を守れ 岡倉天心・廃仏毀釈からの復興 / その時歴史が動いた

本放送 平成20年5月14日 (水) NHK公式HP
その時: 明治36(1903)年5月1日
出来事: 現在の文化財修理の基本原則となっている「現状維持修理法」にて東大寺仏像修理が成功する

イメージ 1

大勢の観光客が訪れる古都・奈良。出迎えるのは1000年以上のときを経て今に伝わる仏像の数々。しかし今から140年前、それらの寺や仏像は消滅の危機に瀕していた。きっかけは明治維新の最中に起きた仏教排斥運動、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)。仏像は壊され、薪として燃やされてしまう。仏像を救おうと立ち上がったのが近代日本美術の発展に多大な功績を残した岡倉天心だった。
急激な西欧化を批判した天心は、文部官僚として10年間で21万件もの仏像や文化財を調査、文化財保護の法律を作るよう訴えるなど、その保護に力を尽くす。しかし、いよいよ東大寺法華堂の不空羂索(ふくうけんさく)観音像の修理に取り掛ろうとした時、天心は問題に直面する。つまり「仏像は部分が欠けていると信仰の対象となりにくいが、かと言って闇雲な修理をすれば美術品としての価値を損なう」ということだった。
悩んだ末、天心は美術と信仰の両方の価値観を満足させる「現状維持修理」という方法に行き着く。現状維持修理とは、たとえば仏像が手足を欠失している場合でも、現状のままで保存に耐えうる程度の修理しか行なわないというもの。欠失部については損傷移行の恐れがある場合や、構造上不安があると認めらる場合以外は、補作を行なわないことが原則となっている。この「現状維持修理」という概念は彫刻の修理に限らず、すべての文化財修理の基本となっている。ただし、文化財の欠損・亡失部分について、損傷の拡大が予想されたり、保安上構造的に不安がある場合、あるいは信仰上の理由よる場合に限り、補作修理を行なうことがある。
wikipedia: 岡倉天心 wikipedia:廃仏毀釈 wikipedia:神仏分離令 wikipedia:文化財保護法 財団法人美術院 国宝修理所:現状維持修理法

先日放送されたNHKの「その時歴史が動いた」は、私にとって大変興味深い内容でした。日本美術において多大な影響を与えた人物「岡倉天心」。自らが画家としての非凡な才能を持つだけでなく、明治23年(1890年)、27歳の若さにして東京美術学校第2代目の校長に就任し、明治31年(1898年)には自ら日本美術院を上野谷中に発足さた事でも有名ですよね。それこそ、横山大観、下村観山、菱田春草たちを育ててた人物とも言え、近代の日本美術を語る上で欠かせない人物。私も、直接その作品を目にする機会は殆ど無いに等しいものの、その名は何度となく耳にしていました。

しかし「文化財保護」という理念を定着させたのも、かの岡倉天心の功績であったとは知りませんでした。
それこそ仏像等は長年に渡り信仰の対象として大切に奉納されるだけでなく、我々の目を癒してくれる高い芸術性を持つ事から、廃仏毀釈によって痛んだ仏像達の修理をどのように行うべきか大変悩んだそうです。そして、後の修復技術が向上した際に、容易く修復部分を取り外せて、より完成度の高い修復を行えるように配慮した現状維持修理法を編み出したとの事。また、天心がその必要性を唱える以前は、その概念すら日本には存在しなかったという事実にも驚かされました。

それにしても、噂に聞く「廃仏毀釈」運動の実態についての話も凄いものがありました。明治政府が日本の近代化と、神道国教化に向け「神仏分離令」を出した事が発端だとの事ですが、人々はこうも過激な解釈をもって行動に移してしまえるものなのでしょうか。つい先日まで信仰をもって大切に扱ってきたものを、ああも簡単に焼き捨て、破壊する事が出来るものなのでしょうか。それこそ、西洋文化以外は価値など無いとする過激な意見を持つ者すら出てきたとの事。こうした意見は、現代に生きる若者ならまだしも、仏教の影響力が現代よりはるかに強かったであろう当時ですら起きていた事に驚きます。むしろ、人というものは、新しいものに弱いというのはどの次代も同じという事なのでしょうか。また、容易く扇動されやすい存在であるという事なのでしょうか。様々な事を考えさせられますね。

とにもかくにも、仏像等の文化財は、天心なくしては今日有り得ないものなのかもしれないわけですよね。博物館や美術館が好きな私としては、感謝してもしきれません。また、番組の最後で伝えられた天心の言葉も素晴らしいものがありました。

「昔から日本には外国からの思想が殺到してきたが、日本人は伝統を尊重し、自らの個性を大切にしてきた。」
「われわれは今後もさらに西欧化していこうとしているが、世界から尊敬を得るには、われわれ自身の理想に忠実であることを忘れてはならない。」

国際化が益々進む現代においては積極的に異文化を理解しようとする必要もあろうかと思います。また、そうする事で新しい世界が開けていくものだと思います。しかし、そんな時代だからこそ、自らのルーツというものも大切に守っていきたいものですね。

重要文化財の高精細複製を北野天満宮へ奉納

■ 重要文化財「雲龍図屏風」の高精細複製を京都・北野天満宮へ奉納
京都国際文化交流財団(以下、財団)とHP(ヒューレットパッカード社)は、京都に残る国宝や重要文化財を高精細のデジタル画像として保管し、高品質の複製を製作するデジタルアーカイブ事業の一環として、安土桃山〜江戸時代の画家、海北友松作の重要文化財、「雲龍図屏風」の高精細複製を制作し、京都・北野天満宮に奉納しました。

イメージ 1

日本の文化財には木や紙などが密接に関わっており、朽ちやすい芸術品として捉えられていました。
しかし、最先端のテクノロジーにより、現状を保存し、いつでもデータとして取り出すことを可能にしました。また、宮司・橘重十九氏は「たくさんの文化財を所有している当宮が、これを機に海外に日本文化を紹介する先駆けとなりたい。同時に、感謝、慈悲、思いやりなどの大和心(やまとごころ)も伝わればと思います」と語られています。これまでは貸し出しだけでなく公開にも規制の厳しかった原画の代わりとして、今後は複製を教育機関等へ積極的に貸し出し、日本文化に触れる機会を増やしていきたい意向を発表しました。
■ ヒューレットパッカード社公式HP 京都国際文化交流財団HP

ここ数年、文化財や絵画のデジタルアーカイブ化が進んできていますね。実際、様々な美術館・博物館・科学館でそうした展示を見かけるようになってきています。無論、そうした展示物には「複製品」とか「レプリカ」とした表記がきちんとされています。また、こうしたデジタルアーカイブを製作している会社は、HP社以外にも多数存在しています。

確かに日本画に使われる紙や顔料は、西洋画等に比べて劣化しやすいもの。どれだけ細心の注意を払おうと、将来において程度が良くなるはずもなく、現状における最良の状況を出来る限り忠実にデジタルデータとして保存しておく事は、資料的な意味合いとして大変に価値のあるものだと思います。また、常時展示するモノをレプリカにすれば、保存や展示にかける手間は減り、万が一の事態においても安心かもしれません。他の施設における美術展や企画展の為の貸し出し時に、『身代わり』として展示するケースも増えて来るかもしれません。とはいえ、せっかく機会を設け、お金を払い、現地まで赴いたのに『本物』に出会えないケースが今後増えていくのだとすると、少々寂しいものがありますよね。

また、先日放送されたNHKの番組によると、こうしたデジタルアーカイブの著作権は、作品を主有する者ではなく、制作する会社側が有する事になるのだとか。その為、本物の作品の所有者に無断でコピーを作成・販売をしてしまうケースが起きてしまい、一部でトラブルも発生しているそうです。逆に、その作品の良さを知ってもらおうと所有者が了承し、公式に実物大のコピーが販売されるケースもあるのだとか。
その気になれば、大量複写も可能なワケです。それこそ、とある老人ホームにおいては、国宝級のレプリカを購入・展示し、なかなか外に出かけられない人たちに向けての癒しとして活用しているのだとか・・・。また、ある作品は、とある企業の応接室かどこかの天井に飾られたりしているのだとか・・・。現状ではコストも掛かり、大変高価なものであるそうですが、なんだか引っかかる部分も感じてしまいますね。

ちなみに、独立行政法人 国立文化財機構が運営する各国立博物館のHPでは、展示されている作品のデジタルアーカイブが無料で公開されているケースもあります。ただし、一般公開されているデータは、それなりに高精細とはいえ、画像データは小さく、あくまで一市民が普通に閲覧して楽しめるレベルのもの。逆にこうしたデータの公開は、文化施設の地域格差の是正にも繋がり、大変有難い事です。

また、とある美術館で見かけたデジタルアーカイブは、敢えて高精細の液晶ディスプレイを通じて古い資料を自在に見れるようにしていたものもありました。こうした方法であれば、見る側に誤解を与えず、有効な手段だと思います。

まあ、どれだけ色彩感や精密度において忠実なコピーであろうと、素材感・質感の再現は不可能な話。あくまで貴重な作品の最良の資料として保存し、活用していって欲しいものだと感じてしまいます。また、原寸大のデジタルデータの取り扱いは、十分議論され、厳重に管理していって欲しいものですね。

現代の民芸 -日本民藝館収集作品から- / 豊田市民芸館

期 間 平成20年3月1日(土)〜5月25日(日)
時 間 午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日 毎週月曜日 ※ただし5月5日は開館
場 所 第一、第二民芸館
入場料 無料

イメージ 1

東京の日本民藝館で毎年開催される公募展「日本民藝館展」の優品を収集品から展示紹介します。日本民藝館展では、伝統的な手仕事の新作や新しい生活工芸品が出品されています。今回はそれらの選りすぐりの優品を展示し、くらしに役立つ健やかな「現代の民芸品」ともいうべき工芸品を紹介します。
■ 公式HP

豊田市民芸館に行ってきました。豊田市の矢作川沿いの「平戸橋いこいの広場」に隣接する建物です。

■ 第一民芸館
第一民芸館の外観はこんな感じです。印象的だったのは、木綿の染め着類です。現在の科学染料で染め上げた感じと違い、色が渋くて深いのです。私は着物や浴衣などは着ませんが、これらの生地を用いたシャツとかがあったら、相当お洒落だろうなぁと感じました。また、民芸品と共に円空像まで展示されていました。円空像は、生前に本多静雄氏によって愛蔵されたものだとか。撮影は許可されていたのですが、光量が足りず、私のボロイ携帯電話カメラでは上手く収める事が出来ませんでした。

イメージ 2

■ 第二民芸館
第二民芸館の展示はこんな感じです。この壺、紋様が沢山彫られてて、どこか現代的な感じのするものでした。無論、これ以外の物も沢山展示されていました。

イメージ 3

■ 第三民芸館
当日は第三民芸館において豊田市民藝館講座作品展も開催され、ガラス細工や、絞り染めの布、車箪笥(たんす)等が展示されていました。印象的だったのは、大きな囲炉裏の前に広がる外の風景です。室内の落ち着いた雰囲気と、外に広がる春の陽気のコントラストが眩しい程でした。

イメージ 4

■ 兼近一号窯
豊田市高崎町に所在した古窯で、昭和55年に卸売市場の建設に伴い、現在の場所に復元されたそうです。猿投山から西南に伸びる丘陵一体に大量に築づボされ日本の古代窯業の一つの時代を画した「猿投窯」の一つであるとの事。こうした窯を用い、初心者から、常連さんに向けた様々な民芸講座を年間を通じて開催しているそうです。ちなみに当日は藍染めの講座が行われていたようでした。

イメージ 5


実はこの場所、私の住んでいる場所から結構近く、側を歩いた事が何度もあったのですが、恥ずかしながら立ち寄ったのは初めてです。たしかに子供の頃や、20代の頃に見ても、いまいちピンと来なかったかもしれません。やはり派手か地味かというと、明らかに地味な世界であるわけで。しかし、こうした民芸品においても、明らかに品位を感じたり、出来の凄さを感じさせるものもありました。それこそこんなに立派な窯があったなんて全く知りませんでした。これで焼き物を焼いている様子を見てみたいものです。また、別の記事にてレポートしますが、ここは豊田市の桜の名所の一つなのです。そうした事もあり、たまに訪れてみるのも悪くないなと思いました。

トヨタ鞍ヶ池記念館

イメージ 5

トヨタ鞍ヶ池記念館

トヨタ鞍ヶ池記念館は、トヨタ車生産台数累計1,000万台達成を記念して、昭和49年(1974)9月に竣工しました。トヨタ自動車では、「第二の創業期」を迎え、各種の構造改革に取り組んでいます。この機会に、長年にわたり皆様にご高覧いただいた展示室を「トヨタ創業展示室」として内容を刷新するとともに、トヨタ自動車の創業者・豊田喜一郎の生前の別荘を当記念館の一角に移築修復し、当時を偲んでいただくことといたしました。わが国における本格的な自動車工業の確立に挑戦し、幾多の困難に立ち向かい、それらを乗り越えていった喜一郎とその仲間たちの活動の足跡をたどりながら、トヨタ自動車創業期のチャレンジ精神ならびにトヨタグループのモノづくりの心を感じていただければ幸いです。
公式HP
鞍ヶ池公園

何時も訪れさせていただいている、鞍ヶ池アートサロンは、トヨタ鞍ヶ池記念館の中にあります。(その鞍ヶ池記念館も、鞍ヶ池公園の中にあるというか、隣接しているわけですが。)実は小学生の頃から何度も訪れている施設です。その間、リニューアルを重ね展示内容は多少変遷して来ていたかと思います。(それこそ、以前はトヨダAAとかトヨペットクラウンなんか置いていなかった時代もあったわけで)個人的にはある程度見慣れてしまっていますが、折角なので、取り上げてみたいかと。

■ プロローグ
トヨタのルーツは、豊田佐吉翁が生涯をかけて発明に取り組んだ「織機」にあります。そして「紡織機から自動車へ」と想いを継承発展させていった父佐吉・息子喜一郎のプロフィールを紹介しています。

イメージ 1

歴史の教科書にも出てくる豊田自動織機です。トヨタの源流ですね。それこそ、現在の豊田市も、自動車産業が栄える以前は挙母町と呼ばれていたのが、改変されて現在の名称になったのです。(それだけ影響力があったという事ですね)まあ、今の豊田市も世界に名だたる企業がある街でありながら、都会的な雰囲気は殆ど無く、相変わらず田舎な感じがあったりするわけですが^^;

■ トヨダAA型セダン
昭和11年(1936)に発売された、トヨタ初の生産型乗用車。スタイルは、当時としては画期的な流線型をしています。

イメージ 2

いいですよねこのデザイン。この頃の自動車というものは、現在とは比べ物にならない程の貴重で高価なもの。それはユーザーの立場のみならず、技術者、生産者の立場においても同じ事であり、正に夢そのものであったのでしょうね。ちなみにこの時代はトヨタではなく、トヨダの名が付けられています。(この展示車両は復刻車です。オリジナルは世界の何処にも現存しないそうです。)

■ トヨペットクラウン(RS型)
昭和30年(1955)に誕生した、わが国初の本格的国産乗用車。喜一郎の夢はこのクルマによって受け継がれ、この年を境にわが国の国産乗用車時代が始まりました。

イメージ 3

このデザインも良いですよね。大変グラマラスで、貫禄と気品がありますね。今のオジサンクラウンとは雲泥の差です。トヨダAAと同じく、所謂観音開きでドアが開くのも興味深いところ。他の国産自動車メーカーが外国企業と提携を結び、技術開発を行っていた時代において、国産技術に拘って生み出されたと聴きます。

■ トヨタ創業展示室
これらの乗用車意外にも、創業の歴史を綴る展示資料や、トラック類の模型、そして15分程度の解説映画が見れるスクリーン等が備わっています。そういえば昔、映画「遥かなる走路」も上映されていたような気が・・・。(間違っていたらゴメンナサイ。)

イメージ 4


ご覧のように、この施設は基本的にトヨタの創業の歴史が無料で公開されています。当日は隣接する旧豊田喜一郎邸(洋館)も撮影しようとしたのですが、雨が降って来てしまったので断念せざるを得ませんでした。ちなみに展示されている自動織機や、トヨダAA、クラウンRSは動態保存されています。イベント開催時はデモンストレーションや、無料試乗会も開催されています。

ちなみに、豊田市に隣接する長久手町のトヨタ博物館においては、国内外の100台以上の名車・旧車が展示され、自動車の歴史100年が判るようになっています。(トヨタ博物館は、トヨタの車両しか展示されていないと思われる人もいるかもしれませんが、決してそんな事はありません。)また、製造現場における生産技術の発展の歴史を展示する産業技術記念館や、現在のトヨタの最新技術や、未来図を展示するトヨタ会館という施設も存在します。(博物館・産業技術記念館は有料。トヨタ会館は無料です)それぞれの施設の距離が結構離れており、それこそ自動車でもないと移動が辛いところですが、それぞれ興味深い施設だと思います。ご興味がある方は、是非足を運ばれてみてください。

全8ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8]

[ 前のページ | 次のページ ]

Shiny Sky
Shiny Sky
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント

その他のキャンペーン

みんなの更新記事