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アンコール特別展「世界遺産ナスカ展-地上絵再び」 / 国立科学博物館

■会期  2008年2月5日(火)〜2月24日(日)19日間
■会場  国立科学博物館(東京・上野公園) 特別展示会場
■主催  国立科学博物館 TBS 朝日新聞社

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2006年3月、国立科学博物館で始まり、日本全国9会場を巡回、総動員数85万人を集めたナスカ展が、ついにクライマックスを迎えます。見逃した、あるいは、あの感動を再び味わいたいと いう方々のご要望にお応えして、19日間限定の「ナスカ展」が国立科学博物館に帰ってきます。
国立科学博物館公式HP TBS公式HP wikipedia:ナスカ文明 wikipedia:ナスカの地上絵 google earth:ナスカの地上絵

最近何かと余裕が無くて、記事の更新が滞っており申し訳ありません。ようやくにして、記事をUPする事が出来そうです。3週間程前の事ですが、国立科学博物館でナスカ展を見学してきました。大変興味深いナスカ文明ですが、地上絵以外は意外と知られていませんよね。なので、どのような展示物があるのか大変楽しみでした。

さて、その展示物はやはり土器類がメインでした。ナスカ文化の前身であるパラカス文化(紀元前900〜100年)から原(プロト)ナスカ期、ナスカ前期、中期、後期、移行期の土器の変化と、ナスカ文化の複雑な図像世界と、多彩色絵付けの高い技術水準が紹介されていました。どれもこれも一風変わった造形で、描かれている絵のデザインがとてもコミカルでした。地上絵と同様にシンプルなシルエットを綺麗にふち取りしたその絵は、非常に洗練されたデザインセンスを感じさせます。むしろ色が付いている分、こちらの方がより一層ハイセンスなものを感じさせてくれます。それにどれも物凄く光沢があって、土の中から掘り出されたモノばかりなのに、驚く程に発色が良く、保存状態が抜群なのです。その理由としては、ナスカは年間降雨量が1ミリ以下で、乾燥した気候では腐食や色落ちの原因となる微生物も活動しにくく保存に適していたからなのだとか。また、土器の表面のツヤは古代ナスカ人が磨き石でていねいに磨いて出したからなのだそうです。(そういえば、TBSの「世界ふしぎ発見」で、現在かの地で作られている土器(レプリカ?)を磨く際、人の顔の油を砥石に塗りつけて磨いているのを見た覚えが・・・^^;)

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ホントはもっとカワイイのとか、オモシロイのとかがイッパイ展示されてたのですが、写真禁止の為、画像がありません^^;因みに彼等は幅広く交易も行っており、かの乾燥した地域では住んでいないシャチ、カニ、エビといった海の生き物もモチーフとして沢山取り上げられているのも印象的でした(意外と近い場所に海があるそうなのです)。また、同じモチーフを幾重にも描いた「増殖系」と呼ばれた類のイラストは、まるでキース・へリングのイラストを見ているかのようでした。それに人物の描き方において、クッキリとした目のふちや、分厚つく丸い口びるの描き方は、黒人系の可愛らしいイラストにすら見えました。それこそ舌(ベロ)を出している絵などは「ジャングルくろべえのベッカンコーの神様」であるかのようでしたw

このようにコミカルなイラストが描かれた土器ばかりが並んでいたので、まるで戦争とは無縁の文明かと感じてしまいましたが、実は極めて好戦的な社会だったそうで、敵のトロフィー(首級)を狩る習慣もあったのです。日本の戦国時代にも首級の習慣があるわけですが、ナスカにおける目的は日本のようなステータス性を誇示するものではなかったようです。彼等にとって頭は偉大な力を宿したものであり、丁重にミイラ化して、再生と復活の儀式における神聖な道具として用いていたのだそうです。

また、戦傷により高まった脳圧を下げたり、病気治療目的であろうと考えられる「頭部外科手術跡のある頭蓋」や、地位や民族的帰属の印かファッションの目的で、子供の頭蓋骨にパッドを当てた板を縛り、変形させたと思われる「頭蓋変形」も紹介されていました。このへんは、インカ文明とも似ていますね。

因みにナスカの宗教は、魔術やシャーマニズムを中心とした自然崇拝に基盤を置いていたのだとか。彼等が「地上・天空・水中」で最強と考えた生き物は、水と豊穣と生命に影響を与えて人間の運命を左右するとされ「神(神話的存在)」として図像に描かれていたのだそうです。

それこそ、肝心な地上絵も、それら「神」に対する雨乞い等の儀式への利用説が有力であるとの事でした。
ナスカの地上絵は一筆書きになっており、それが雨乞いのための楽隊の通り道となっているのだそうです。(wikipediaによると、ペルーの国宝の壺にもこの楽隊が描かれたものがり、現在も人々は雨乞いのために一列になって同じ道を練り歩くのだとか。)

そうした地上絵に関しては、流石に持って来る訳にもいかず(笑)会場では巨大なスクリーンにナスカの地上絵をCGで再現した空撮映像を投影する形で紹介していました。このスクリーンは本当に巨大で、横幅は30mを越える程のモノでした。その一連のプログラム作品の映像そのものもなかなか綺麗で、現実にかの地に訪れても、保護の為になかなか見る事の出来ない地上絵をクッキリとリアルに表現していてなかなか見ごたえがあったかと思います。会場では時間の都合上、一部の地上絵しか紹介されていませんでしたが、このCG映像データを用いて主要な地上絵を好きに見渡せるPCソフトも販売されていました。

個人的には、モチーフのハッキリしている動物系の地上絵なら、雨乞い説というのも有りかな?とも感じますが、延々と長い真っ直ぐな線や、三角形とかの幾何学模様とかにもその学説が当てはまるのだろうか?とも感じました。というのも、痩せたナスカの土地での寿命は40歳位と短ったのだとか。それこそ、神に祈りを捧げる為にあれだけ広範囲を渡り歩いて作業を行い、海の生き物を詳しく知るだけの交易力(移動力)があるならば、何故そうした資源の豊かな地で生活しなかったのだろうと感じたのです。謎が解明されるどころか、彼等は何故にかの地に拘ったのだろうという疑問が強く心に残った特別展でした。

失われた文明 インカ・マヤ・アステカ展

〜失われた文明 「インカ・マヤ・アステカ」の謎に迫る〜
2007年7月14日(土)〜9月24日(月)
約210点 日本初公開 この夏、世界遺産の宝庫 中南米三大文明の至宝 一挙公開!

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■ 国立科学館HP NHKスペシャルHP
※具体的な展示物の写真はNHKスペシャルHP内のギャラリーが豊富です。

先日のNHKスペシャルで同様の特番が組まれてましたね。それらの至宝を日本に居ながら直接観れるだなんて聞いたら観に行くしかないでしょう!って事で無理やり東京での用事を早々に済ませ、国立科学館へ行ってまいりました。相変わらずの強行軍だったので、訪問したのは閉館1時間半前。時間があまりに足りないと感じつも、興味深い品々を拝見できました。

インカ・マヤ・アステカ・と銘打った展覧会ですが、実際の展示はマヤ・アステカ・インカといった順番で展示がされていました。ちなみに3つの文明とも、モンゴロイドの永きに渡る移動の末の末裔なのだとか。高度な石材加工技術と独特の天文歴をもつ文明といったイメージでしたが、我々と近いルーツをもつのだと知ると、改めて興味深いものがありました。

■ マヤ
マヤ文明は、紀元前4世紀頃、熱帯雨林を中心とした地域に誕生した。現在のメキシコ、グアテマラ、ベリーズ、ホンジュラス、エルサルバドルの中米5か国にまたがる地域で、ユカタン半島北部のサバンナ地域やグアテマラ南部の高地もその範囲に含みながら2000年にもわたり栄え続けた。8世紀の終わりごろ、マヤでは60〜70ほどの都市やセンターが独立国家として共存し、方言の違いがあるとはいえ、言葉も文字も共通でありながら一度として統一されることはなかった。
「マヤ」とは、マヤ語という言語、またはマヤ語を話す言語集団をさしている。マヤは、高度な建築技術、現代科学に匹敵する天文学技術、複雑な絵文字の体系をもっていた。一方で金属器をもたない新石器時代の文明でもあった。また牛や馬などの役畜もいなかったため、ピラミッド建設や遠距離交易などもすべて人力で行われていたと考えられる。宗教は多神教で、恵みや災いをもたらす神々に生贄を捧げた。領土を拡大する為の戦争は無かった。とはいえ、国々の支配・従属関係は存在し、貢納・資源の確保・生贄に捧げる捕虜を獲得する為のものはあった。

マヤ文明の展示物で印象的だったのは、今展覧会の目玉の一つであろうヒスイの仮面でした。写真で見かけた事はありますが、こうして実物を観てみると、意外と小さい印象。ヒスイの塊を削り出したのではなく、木か何かのベース素材の上に細かくカッティングしたヒスイを貼り付けていのだと判りました。目玉の部分ががくり貫かれている訳ではないんですね。そんなヒスイの仮面が、1つのみならず、複数展示されていました。時代が新しくなる毎に、仮面のサイズが少しづつ大きくなり、加工技術が高くなってきているのが判りました。

また、土器類も印象的でした。器のみならず、人型のものもあります。その人型の土器を見ていると、顔の作り・・・特に目のくり貫き方が、まるで日本の埴輪の戦士像であるかのようでした。赤・こげ茶・茶・黒といった色彩からして、縄文時代を思わせる部分も。さらに、今回の展示の為に、大きな石碑がいくつか運び込まれていました。何か固定の石質に拘って掘り出されていたりするのかな?と思ったのですが、花崗岩・凝灰岩・玄武岩と、何でもアリだった模様です。

■ アステカ
アステカ族は、北方からメキシコ中央高原に移住してきた人々であり、伝説によると100年あまりテスココ湖畔を放浪したのち、1345年、湖上の島に首都テノチティトラン(現在のメキシコシティ)を築いた。湖を利用した漁業・農業が発達。カヌーによる移動が行なわれた。その後、メキシコ中部からグアテマラの海岸部にまで勢力を広め、14〜16世紀まで、アステカ王国として栄えた。社会は最高神官兼軍事司令官である王(トラトアニ)を頂点とする身分制社会で、厳しく統治されていた。支配階級は聖職者と軍事司令官をかねる貴族で、一般市民は、親族集団や職業別に共同体(カルプリ)を形成していた。農民は低い身分にあったが王国の経済を支える礎だった。
アステカ族は、自らの部族伝統の神々に加え、伝説のトルテカ族以来中央高原で信仰されてきた神々を受け継いであがめ、人間の心臓を神に捧げるという生けにえの儀式も行っていた。アステカの暦は、2つの体系から成り立っていた。太陽の運行の観測にもとづいて作られた365日周期の暦(シウポワリ)と、260日周期の暦(トナルポワリ)の組み合わせで作られており、この2つの周期が完全に一致する52年が、いわば世紀のような意味をもっていた。365日暦は、20日間の月18か月と残りの5日で、260日暦は、1〜13の数と20個の記号の組み合わせで構成されていた。一方、アステカ族の言語はナワトル語と言い、隠喩を多用する詩や散文が作られた。
アステカの神話では、人間も創造も自然界の秩序も神々の自己犠牲の上に成り立つと考えられていた。自然界が再生を繰り替えし、農作物、ひいては人の誕生から死まで循環する為には、人間にとって最も大切な命・その象徴たる心臓と血を生贄として神に捧げなければならないと考えれれていた。ちなみに死後の世界は複数ある。・戦争で死んだ→太陽神トナティウイチャン ・水に関わる死→アメの神の楽園トラロカン ・普通に死んだ→8つの地下世界を巡った後、第9番目の地下世界ミクトラン
へ行くと考えられていた。

マヤと比べ、生と死というものがより濃厚に感じるものがありました。それもそのはず、生贄に関する事柄が増えるからですが・・・。ちなみに多神教であり、様々な神や戦士の姿を形どった土器や石碑が展示されていました。そんな中で、等身大に土器で作られたワシの戦士像や、死の神ミクトランテクートリ神像の大きさには驚きます。よくもあれだけ大きな土器を作ったものです(とはいえ、腰から上下別のパーツであったようですが)さらに、その死の神は、内蔵が飛び出ているように作られていたりします。死の神だからっていっても・・・スゴイ話です。その生贄の行為といい、独特の死生観がありますね。

また、他の神像で特徴的なのが、異様に大きく出っ張ったキバ。深海魚にありがちな異様なバランスすら感じさせる程のモノも多かったです。そんな中で、力の象徴であり、畏敬の対象でもあったジャガーを形どったものを観ていると、どこか沖縄のシーサーというか、狛犬にも似たような印象を感じたりもしました。

■ インカ
インカ文明は、現在のペルーのクスコを首都に、南米大陸の西側を貫くアンデス山脈、さらには山脈西側の海岸部や東斜面のセルバ(熱帯森林の入り口)をも含む広い地域に栄えた。15世紀末ごろには、北はエクアドル国境近くのコロンビアから南はチリ中部まで、南北4,000kmにわたる長大な国家に発展した。80の民をわずか50年で統一した。首都クスコを起点に、海抜0メートルの灼熱の砂漠から6000メートルの極寒のアンデス山脈まで、「インカ道」と呼ばれる通行路が国中に張り巡らされていた。太陽の子を名のる皇帝は、神の化身としてあがめられた。中でも第9代皇帝パチャクティは、大帝国建設に着手しただけでなく、優れた手腕で国を統治し、賢く公平な王と称えられた。地方貴族とインカの皇女の間に生まれたワマン・ポマが残した年代記には、飢饉の際には食料や衣服が、国家の土地を耕すときには農具や食料が国から無料で支給され、病人や老人も安心して暮らせる福祉国家だったと記されている。
インカは、今も謎に包まれた文明である。それは文字を持たなかったためで、文明を知る手がかりといえば、インカの末えいやスペイン人が植民地時代初期に記した年代記によるところが大きいからだ。また、スペインによって多くの遺跡が破壊され失われてしまったことも大きい。それでもインカを象徴する都市・マチュピチュが発見されるなど、研究が進み、徐々にではあるが文明の謎が解き明かされつつある。インカはミイラの文明でもあった。非常に感想した地域な為、エジプトのように丁寧な加工等しなくとも、自然にミイラ化してしまう風土であった。

山の神に対して生贄とした捧げられた少女のミイラや、砂漠で死んだ為にミイラ化した犬も展示されていました。ちなみに王や王妃は死後ミイラ化され生前と同様に王宮に住み、服を着替えさせられていたとか。また、祭り事の際は御輿に乗せられ街をねり歩き、民にかしずかれていたとの事。

調度品としては、黄金が見事です。一体どれだけ黄金があったというのだろうと感じる程です。羽をモチーフとし、扇状に広げられたかのような装飾品に目を奪われます。また、妙に細長い印象を与える、動物を形どった黒い像も。筒型に上に伸びた王冠や、細長い動物像、ミイラ等、なんだかエジプト系の文明に近いものを感る部分も。遠く離れ時代も違う文明だというのに、どこか似たような部分があるというのが面白いですね。

また、頭部(脳?)の外科手術も行なわれたり、人工頭蓋変形と言う強制的に頭を細長くする矯正も行なっていたとの事。そんな進んだ面?を持ちつつも、インカは文字を持たない文明だったとの事。
その代わりとして、キープと呼ばれるすだれ状の紐の結び目で遠方との連絡事項を確認したというのも面白いですね。

こんな感じで、数多くの興味深い品々が展示されていました。時間に余裕を持って訪れる事が出来なかった事が残念でなりません。とはいえ、少々展示内容に対し、残念に感じる部分も・・・。これら文明を代表する石造建築物の数々の面白さや凄さを堪能するには少し物足りないと感じたのです。

そうしたモノに関しては、NHKスペシャルの方がそれぞれの遺跡の凄さ・国家レベル・文化レベルというものを上手く伝えてくれていたように思います。まあそうしたものは、正に現地に行かなければ観れないもの(映像でしか伝えにくいもの)が多いので、互いの得意分野によってこの情報を補完していると思えば問題ないのかもしれませんが。ちなみに、NHKのスペシャルのHPを見ると、その力の入りように驚きます。なにやらフランスのTV局と合同で今回のスペシャルに向けたHPを企画・構築を行なったのだとか。
見に行った後にその充実ぶりを知って、ちょっとショックでした(^^;

でも、やはり本物を直接観れたというインパクトは、何よりも変えがたいものであり、充実した時間を過ごせたように思います。

国立民族学博物館

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国立民族学博物館

本館における展示は、地域展示と通文化展示からなっています。地域展示では、世界をオセアニア、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、それに日本を含むアジア各地域に分け、オセアニアを出発して東回りに世界を一周し、最後に日本にたどり着く構成をとっています。日本の文化を世界各地の文化との関連の中で理解できるように配慮したものです。民博では、創設以来、世界の民族文化に優劣はなく、すべて等しい価値をもつという認識にもとづいて、展示をつくり上げてきました。それぞれの文化に見られる違いは、人類の営みの豊かな多様性を示すものとして展示されています。また、世界の人びとの暮らしがよくわかるように、衣食住などの生活用品を中心とした展示になっているのも特徴のひとつです。一方、通文化展示とは、特定の地域単位でなく、特定のジャンルを取り上げて広く世界の民族文化を通覧する展示で、現在は音楽と言語についての展示を常設しています。
■ 公式HP国立民族学博物館

ようやくにして常設展について書けそうです。この施設、本当に凄く広くて驚いてしまいました。建築物としても内外装共に綺麗です。世界の民族文化に優劣はなく、すべて等しい価値をもつという認識するという事は、それらの品々を国や地域を代表する大切な品々として展示するという事なのでしょうが、それにしてもその立派さには驚く程。展示は世界中のあらゆる地域・国々から集められた民族衣装・狩猟・農耕用具、生活道具、楽器・宗教・祭りと芸能関連の品々が所狭しと並んでいます。失礼ながら、地味で大した事の無い施設では?小汚く、安っぽい施設なのでは・・・と、心配して訪れたのですが、良い意味で大いに裏切られました。大変に素晴らしかったです。

もう、どの展示コーナーも見ていて飽きる事が無いのです。もうその展示の品々の数に圧倒される程。それこそ何でこんなモノまで並んでいるの?といったものまで。その広さ、その物量、(お金の掛け方)たるや、流石は国立といった所。その物量や、展示スペースの広さ、内容の濃さは、東京の国立博物館の軽く2倍は越える”濃さ”を感じました。世界を実物の品々で紹介するともなれば、そうなって当たり前なのかもしれませんが。

どれもこれもが見ていて飽きる事が無いのですが、その中で特に私の気をひいたのは、オセアニア地域やアフリカ地域や、南東アジアでの宗教観や祭りと芸能に関わる品々。当たり前の事ですが、その土地で手に入るものを使って、目に焼きついているもの表現する。それらはその土地の季節、気候、食べ物、そういった日常ものまでも感じさせるような、正にその土地ならではのカラーというものが伝わってきます。特に念願のアボリジニに関わる品々を直接この目に焼き付けれる事が出来たのは嬉しかったです。やっぱりなんともいえない暖かさを感じるというか。有名な虹色の蛇に関する展示もあって、なんだか嬉しくなってきます。

こうして様々な国々の品々を見ていると、世界各国に先祖から伝わる深い歴史、土着の宗教感がある。一神教、多神教、偶像崇拝の否定、色々ありますが、本当に1つの神しかこの世にいないのであれば、なぜこうも多様な宗教感が各地で生まれるのでしょう。それぞれに違いがあれど、それは他の存在を否定するものではなく、それぞれにおける文化なのだと強く感じます。また、それぞれに違いがあるからこそ、こうして世界は面白いのではないか。そんな気にさせられました。

ここの展示はそれなりに解説を用意も用意されていますが、流石に全てには解説があるわけではありません。また、これだけの広いスペースのそこら中に案内嬢や学芸員を配置する訳にもいかないでしょう。
それに対応すべく、みんぱく電子ガイドという、携帯型の展示解説装置の無料貸し出しや、ビデオテークと呼ばれる映像ライブラリーの閲覧スペースが実に豊富に用意されていました。しかもそれらの装置が真新しく、立派なのです。

それらを試したくて仕方なかったのですが、案内の方に聞いたところ、電子ガイドを使用して装置に設定されている解説を全部聞くだけで、最低半日近くかかるようでそれに捕われていると、限られた訪問時間では一通り巡回する事すらままならないと判断し、今回は使用を諦めることに・・・。(両方とも体験してみたくて仕方なかったです、、)とはいえ、据え付けられている解説や、圧倒的なまでの展示品の数々を見ているだけで、その地域、国々の特徴が判ってきます。ホント、時間が経つのを忘れてしまう程の興味深さです。

この日の来館者は、然程多くなく、静かに見ることが出来たのも個人的には良かったです。スタッフの方に伺うと、観光バスで団体で来る方は1時間〜1時間半程度で飽きてしまう人も多いようですが、好きな人は1日ではとても足りないといった感じで観ていかれるとか。私にとっても1日ではとても足りない施設でした。

万博記念公園自体、本当に広く、ノンビリとしていて太陽の塔を観ながら日向ぼっこすると、さぞかし気持ちイイのだろうなァと感じました。とは言え、万博後どこまでこの広大な施設が有効活用されているのだろう?と思ったりしていました。実際、公園に入るだけで入園料が必要というのはちょっと考えものかもしれません。(施設に利用料が掛かるのは問題ないのですが)しかしその分綺麗に維持されていると思います(自治体としては大赤字かと思いますが)これらの施設のその面白さをもっとPRして、その価値が知られる事となり、多くの人が楽しんでもらえれば。そう思う次第です。個人的には、また機会を作って是非とも訪れたいと思います。

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PS)愛知のリトルワールドと、この施設が併設されてでもいたら、この手のものが好きな人は興味深くてヤバイ位かもしれません(笑)

「臺灣資料展 一九三〇年代の小川・浅井コレクションを中心として」/ 国立民族学博物館企画展

東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所 臺灣資料展
一九三〇年代の小川・浅井コレクションを中心として
会期/2006年9月21日(木)〜12月12日(火) 会場/国立民族学博物館 常設展示場内
国立民族学博物館、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所共催

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アジア・アフリカ言語文化研究所が所蔵する、小川尚義と浅井恵倫の収集による「台湾資料」には、台湾の言語と民族に関する1,000種類を超える膨大な文書と資料(手稿原稿、孔版文書、地図、語彙カード等)をはじめ、22,000枚にも及ぶ写真や録音レコード、映画フィルム等が含まれています。本展では、これまであまり知られる機会のなかったこれらの資料を公開し、1930年代を中心に日本人の言語学者が行ってきた台湾原住民研究と、当時の台湾社会の諸相、そして、日本の統治が今日の台湾社会とその文化にどのような影響を与えているかをご覧いただきます。小川・浅井両教授の残した資料は多岐にわたりますが、今日では漢民族化が進んだために既に消滅したあるいは消滅の危機に瀕した台湾原住民の言語資料、民族資料が多数含まれており、学術的に大変貴重です。また、当時の山地の警察によって書かれた原住民言語の教科書、原住民の風俗習慣を記録した画像などから、日本植民地期の台湾社会の変容の様子などを知ることができるでしょう。
公式HP臺灣資料展 台湾 中華民国 台湾

台湾。日本の隣国。一時、日本の植民地でもあった地域。現在は中華民国として統治されている場所。その名を幾度となく口にしてきたというのに、その実態、その歴史を殆ど理解出来ていないのだと思い知らされました。(私なんぞの無知な男が上手く解説などできないので、その歴史の詳細はリンク先に委ねるとして・・・。)

この台湾、元々はいくるもの部族、いくつもの言語、風習のあったエリアであったとの事。しかし、その地域は様々な勢力、国家による統治、植民地政策を受けてきた。日本が清国から譲り受けて植民地として統治していた時代、日本語教育を行い、名前も日本語風のものに変えさせようとしたとか。しかも太平洋戦争時、兵として駆り出され、二度とその地を踏む事が無い者も多かったとか。

それが、日本が戦争に敗北し、台湾から去った後、中華民国政府の政策のもとで、台湾原住民は今度は中国化を迫られることになり、原住民の戸籍登記は、漢族風の姓名に変えることが求められ、教育は中国語で行われることに。

現代の台湾に生きる若者は、先祖が名乗っていた名前、先祖が喋っていた言葉を失い、そのアイデンティティに悩み、苦しみを訴える者もいるとの事。気の毒な限りです。

失礼な言い方になってしまうかもしれませんが、失われた言葉というのは、この地域、この時代に限った事だけでなく、ありとあらゆる時代、ありとあらゆる場所においてあるのだろうと思います。それこそ何かと話題の北朝鮮、韓国の歴史も様々な力関係によって今日に至るもの。歴史は勝者によって作られる。という事なのでしょうか・・・。人類とは戦いの歴史、戦争の歴史しかないのだろうか。そしてうした本質から現代においても抜け出る事はないのだろうか。そんな寂しさを感じました。

「世界のおくりもの─こどもとおとなをつなぐもの─」/ 国立民族学博物館企画展

2006年10月12日(木)〜2007年3月21日(水・祝) 会場:国立民族学博物館 常設展示場内

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こどもが一人前になるまでに、おとなたちは色々なものをおくります。おくりものはどんな時、どんな理由でおくられるのでしょうか?・・・そこには世界に共通するある思いがこめられているのです。
公式HP 公式HPその2

ここの施設は凄いですね。企画展が3つも同時に展開されています。こちらは常設展示場内で開催されているその内の1つのもの。それでもなかなかの展示スペースをとられています。(と、言うか、常設展示のスペースが凄く広くて比較になりませんが)

親が子供を見守る思いは万国共通のもの。すくすくと元気に育って欲しい。病気や怪我、災いに巻き込まれぬよう、縁起を担ぎ、お守りを身に付けさせる。国が変われば、それぞれのお守りの姿形や衣服の装飾等が替われども、それらに込められた願いは同じものである。そういった事を再確認出来るような展示でした。

ちなみに展示の仕方が一風変わっていました。1m四方位の木製のコンテナを幾つか重ね、それらに小窓(スリット等)を設け、こからコンテナ内の展示物を見学するといったもの。イチイチそのコンテナを覗かなければならないのは、ちょっと面倒に感じつつ、子供の目線で覗き込めたりするように出来ており、展示に工夫を感じられたりしました。

それこそ、物資の無い国では、プラスチック製の注射器を紐で繋げて、子供へのお守りにしているのを見て、思わず泣けてくるものがありました・・・。貧しかろうと、子供にかける願いは同じ。先進国に生まれ、過保護に育てられる子供も、貧困にあえぎ、病に苦しむ世界で生きる子供も、皆その命の価値に代わりは無いはず。そうした子供たちにも、明るい未来が訪れるよう願わずにいられません。それこそ、私自身がこの世に生まれた事に感謝し、親という存在のありがたみを改めて感じた次第です。

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