植村直巳と山で一泊 登山靴を脱いだ冒険家、最後の世間話
■ ビーパル編集部・編
日本人初のエベレスト登頂や、北極点犬ゾリ単独行など、様々な冒険に挑み、挑戦した男 植村直巳。最後の冒険に出かける前の一休み、冒険家はビーパルのスタッフと共に、一泊二日のキャンプを楽しんだ。焚火に顔を火照らせながら、とつとつと彼は彼でしかありえない生きかたを語る。翌’84年冬、マッキンリーで消息を絶ってしまう冒険家にとって、これが最後の世間話になってしまった。
■ 植村直巳 冒険の略歴 wikipedia 植村直巳
・1966年7月 ヨーロッパ大陸モンブラン 4807m 単独登頂に成功。
・同年10月 アフリカ大陸 キリマンジャロ 5895m 単独登頂に成功。
・1968年 南アメリカ大陸 アコンカグア 6959m 単独登頂に成功。
・1968年 アマゾン川6000kmのいかだ下りの冒険を実施。
・1970年5月 アジア大陸 エベレスト 8848m 日本人初のエベレスト登頂に成功。
・同年8月 北アメリカ大陸 マッキンリー 6194m 単独登頂に成功。この時点で世界初の五大陸最高峰登頂者となる。
・1974年12月から1976年5月まで1年半かけての北極圏12000kmの犬ぞり探検に成功。
・1978年 単独犬ぞりで北極点到達。同年にはグリーンランド縦断成功。
・1982年 アルゼンチン軍の協力のもと、積年の夢である南極最高峰ビンソン・マスチフを目指す単独犬ぞリ探検を計画するが、フォークランド紛争勃発により断念。
・1984年2月12日 自身の43歳の誕生日でもあるこの日、世界初であるマッキンリーの厳冬期単独登頂を登頂を果たすも、翌2月13日以降が連絡が取れなくなり、消息不明となる。
世界に名だたる冒険家、植村直巳。その偉業はあまりに有名です。氏は自身の冒険を数冊の本に記載しており、「青春を山に賭けて」は、冒険家:野口健 等に多くの影響を与えた事も知られています。冒険家とはいえ大柄な体格をしている訳ではなく、自己主張が強い訳でもない。かえって物腰は低く、謙虚で、小柄ながらも頑強な男。
そんな冒険家の普段の姿はどのようなものだったのでしょうか。植村氏と気の知れた文藝春秋の湯川氏とビーパルのスタッフが焚き火を囲みながら行ったインタビューが本書となっています。その文体は録音テープをそのまま文字起こししたもので、正に植村氏のぼくとつとしながらも、熱の籠もった口ぶりが伝わってくるものでした。本書の項目を羅列てみると本書内容に思いを巡らせていただけると思います。
■ 僕は魚の頭専門みたいです。(極所での食事)
■ やっぱり人が一番怖いですね(冒険について)
■ 冒険が商売だとしたら、かなり水商売的なものです(植村直巳の歴史)
■ サバイバル技術は生きる基本を知る事(冒険の道具)
■ 東京に帰ってくると、孤独を感じます。(世間話と夢)
とても読みやすい本ですので、興味をもたれた方は是非ご一読ください。以下ネタバレを含みます。
インタビューを行った時期がグリーンランドや北極点等の冒険を済ませた後の事である事から、エスキモー達との生活が多く取り上げられていました。北極圏を犬ぞりで渡る為に、冒険前からエスキモーの村で生活を共にし、エスキモー犬を操る為のムチの使い方から、食事や餌となるものの狩の仕方から覚えようとした様子が事細かに語られるのです。
汗は即座に凍り体温を奪う為、エスキモーはそうした処置には細心の配慮を行うという。それこそ、現代の科学技術をもってして持ち込んだ最先端の化繊類よりも、その土地に古くから生活する先住民の生活の知恵が生み出したモノの方が、その土地の生活に適している場合が多いとの事。植村自身もエスキモー達が愛用するカリブーやトナカイの革の上着を着用した。それこそ、最新の機材を好む訳では無く、手間が掛かっても一度使って極限下でも必ず機能するという安全を確信しているモノを好んでいた。軽量である事はもちろんの事、緊急時には他の目的に代用出来る応用性がある事も重視していたのだという。
また、アザラシの内臓を取り出した皮下脂肪の塊に、アパリアスという鳥を羽の付いたまま詰め込み、発酵させる『キビヤック』という保存食は客人に対する最高のもてなしであるのだとか。しかし折角のもてなしであっても、その料理は唯でさえ強烈な異臭があるだけでなく、羽が付いたままの鳥の肛門から、発酵した内臓を啜るように食べる姿は、外界から訪れた者には苦痛以外の何物でもないのだとか。実際、植村も最初は吐き気を催したが、慣れてくると、かえってこれが大好物になったとの事。痩せた極寒の地ではそうした生肉や保存食が貴重な蛋白源・ビタミン源あり、そうしたものが自然と食べられるようになるというか食べなきゃ生きていけなくなると肌で感じたという。
もうね、流石と言うしかないですよね。業に入りては業に従えという事を地で行っている人とでも言うのでしょうか。特に『キビャック』の件はインパクトが強いですよね。それだけの事をしてまで土地に受け入れられようとし、土地の伝統を重んじ、その土地で生きるノウハウを肌で感じようとするとは。登山家のイメージが強い方もいるかもしれませんが、正に冒険家であるという事が少しは感じていただけるのではないかと思います。エスキモーの村でやっかいになっていた一家では狩などの生活を助けてきた事から、本当の息子と同然に受け入れらていたのだとか。しかもこれだけの事を行ってきていながらも、少しも偉ぶる事は無く、ぼくとつと話す口ぶりには、こちらの頭が下がる思いです。
そんな植村氏は世間の評価と自身の感情にギャップを感じていたようです。(注:表現の一部を省略しています)「自分は読み書きは嫌いだが、肉体的には意外と自信がある。 そして僻地へ出かけて行く事、未知の人たちの生活を知ることには凄く好奇心というか、興味がある。 フォークとかスプーンとかを使わないで食事をする人々が何を食べて暮らしているのか、そういう事に凄く好奇心がある。 そういう事情が自分の中にまずあるような気がする。 しかし、自身を高く評価してもらっているのは、世界最高峰に登ったとか、単独で北極点に立ったとか、あくまで記録から出たもの。 それはそれで有りがたいが、ちょっと違うと感じる部分もある。 確かに自分は記録を求めているところはある。 しかし、さらにそれよりも、まず自分に遣り甲斐のあるものを求めている。 終わってから、ああ遣り甲斐があったと自分で思う為にまずやっている。」
成る程、正に未知なるものを求め、探求したいという衝動が全ての源であり、それを実際に行動に移して来た根っからの冒険家という事のようです。そんな植村氏も、恐怖心は大切であると述べています。「自分が不安に思う。 それが漠然とした不安のもとだとしたら、不安というものはあってはならない。 しかし恐れというのは常に必要だと思う。 行動の中ではいつでも引き返せる体制が絶対になくてはならないものであり、その判断は、やはり恐れがあるからだろう。」しかし、こうも言っていました。「一日一日の体験はやっぱり未知の中にあるものだと思う。 しかし簡単にはシッポを巻かないで進んでいく事は その中に凄い充実感があると思う。」
成る程、考えようによっては、極地でなかろうと、我々一人一人が未知なる人生を歩む者。その心意気と生き方によっては、充実感を持った人生を送る事が出来るのかもしれませんね。これだけの事を実践し、サバイバルに長けた植村氏でありながら、ついにこの日本の地に帰って来る事は出来なかった事は悔やまれますが、その人生は充実したものであったのに違いないのでしょうね。
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