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ジョン・レノン ラスト・インタビュー

語り:ジョン・レノン&オノ・ヨーコ
聞き手:アンディー・ピープルズ 訳:池澤夏樹 中央公論文庫(い35)

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(本書は『ジョン・レノン - ALL THAT JHON LENNON』(1981年2月中央公論社刊より、一部抜粋したもの)

この本はジョンとヨーコに対し、1980年12月6日にイギリスBBC放送によって行われたインタビューです。それは、ジョンが凶弾に撃たれるわずか2日前に行われたもの。つまり、ジョンにとって、また、ジョンとヨーコの2人にとっての最後のロングインタビューとなったものです。

私的に項目分けすると、おおよそこのようなものであったかと思います。
・出会い
・恋
・2人一緒での音楽作り
・2人一緒での芸術活動
・ビートルズの解散の背景
『ベッド・イン』の背景
・二人の記念碑的な作品である『イマジン』について
・18ヶ月にも渡る二人の別居生活
・エルトン・ジョンのコンサートでの偶然の再会
・愛の確認
・愛息『ショーン』のこと
・ジョンのハウスハズバンド生活
・ヨーコの『女は世界の奴隷か(原題:女は世界の黒んぼである)』発言について
・世界にはびこる男性上位の考え方
・いつまでもついてまわる自身のドラッグの使用問題(政府、FBI、ドラグネットとの対立)
・レコード会社との契約のいざこざ
・5年に渡る、アーティスト活動の停止期間の理由と、これからの音楽活動について

その内容は、決して綺麗事ばかりではないのが良くわかります。にも関わらず、二人はインタビュアーに対し、かなり赤裸々な部分まで語っていました。また、ジョンに対する設問をヨーコが答え、ヨーコに対する設問をジョンがフォローする様子が度々見られる点が印象的でした。それは何も自分に都合の良いよう主張しようとでしゃばっているのではなく、互いに深く理解しているからこそ出来るものでした。実際「ぼくらに隠し事は無い。(過去からの事も含め)なにからなにまで話あっている」といったニュアンスの事を述べていました。いくら長きに渡る夫婦生活があるとはといえ、こうした良好な関係を誰もが築けるものではなかろうと思います。

実際、ジョンの前妻のみならず、ビートルズの他のメンバーにおける恋人や、妻となった女性達は常に一歩身を引き、スタジオレコーディングの場になど現れる事などは無かったとの事。しかし、二人は違っていたのです。ヨーコは既にアーティストとして自立しており、創作活動に対する興味から積極的にスタジオに顔を出し、実際にレコーディングにも参加。ジョンもそうした彼女を積極的に受け入れてゆくのです。こうした事が象徴するように、二人の関係は、互いに対する深い理解と尊敬あってのもの。しかも、常日頃から創作活動等を通じて意見を交換し、互いを高めあってきた事によって、自然となされているものが伝わってきました。正しく、ジョンが名曲『イマジン』を産み出したのも、ヨーコの存在あっての事であり、彼女の詩集『グレープ・フルーツ』に出てくるフレーズである『想像しなさい』が重要なキーになっている。本来は、作者としてのクレジットに『ジョン・レノン/オノ・ヨーコ』と2人の名前を記すべきだったと述べています。

また、ショーンが産まれ、有名なハウスハズバンド時代を体験した(そのような事が出来る財力があったとも言えますが)事により、原題の女性が身を置く立場というものを理解するようになったのも、彼女の存在があったからこそとも言えると思います。実際、このインタビューにおいても、ヨーコによる発言や思想はジョンに多大な影響を与えているのが様々な点で伝わってきました。しかし、ジョンはそれを否定する事もなく、あくまで自然に受け入れ、尊重している様子が垣間見えるのです。無論、ヨーコにとっても、それは同じであり、共にユニークで個性的でもある二人は、夫婦生活を本当に楽しんでいるようでした。

また、とかく政治運動的な部分がクローズアップされがちな二人ですが、当然ながらそればかりに注力していたのではなく、音楽の面ではレゲエの要素をいち早く取り入れたり、セクシュアルな要素すらさらけ出すような純粋性(前衛性)を表現したり、ロックとしてのルーツに回帰するなど、様々なチャレンジを行い、刺激的であったといいます。

とはいえ、そのような二人も互いに完璧な存在というわけではありません。二人とも離婚暦があり、それぞれに既に子供もいました。また、結婚してからも、別居していた時期もあります。(実際、映画『イマジン』において、前妻と、その子供であるジュリアンが登場する様子を見ました。そのジュリアンが、ジョン、ヨーコ、ショーンとの良好な親子関係と自身との境遇のギャップに戸惑う姿は、気の毒に感じる部分も・・・。)また、ジョンとヨーコはドラッグ問題などや、互いの政治運動によって、様々ないざこざに巻き込まれ、決して平坦な生活ではありませんでした。世間から特別の存在として見られ、時には奇異な存在としてもみられてきたわけです。

しかしなお、二人はそうした経験すら乗り越えてこれた。特別な存在として見られがちなお互いだからこそ、お互い心の痛みが判り合え、通じ合えた。繊細で、クリエイティブでユニークな二人だからこそ支えあえた。正しく二人でなければ、互いの心の隙間を埋める事など出来ず、互いの存在無しの人生など考えられない状況だったという事が深く伝わってくるものでした。また、当時製作中のアルバムや、今後の音楽活動に思いを馳せる様子はとても楽しげでした。

にもかかわらず、このインタビューのたった2日後にジョンは凶弾に倒れてしまうだなんて・・・。あまりに惨いというか、気の毒であるとしか言いようがありませんでした。そう、今日12月8日はジョンの命日です。ジョンの冥福を祈ると共に、二人が願った平和な世界に一歩でも近づけるように努力していきたいものです。

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技術の創造と設計 / 畑村洋太郎

「この本は,私の思索と実行の集大成である.」人の真似でなく,人から教わるのでもなく,自分だけで考えて新しいものを作る.失敗学の提唱者である著者が,独自に到達した創造のための具体的手法を解説する.大学や企業の創造性教育,技術開発プログラムに使えば大きな効果を発揮する教科書.

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岩波書店

「失敗学のすすめ」で有名な畑村氏。先日読んだみる わかる 伝えるに引き続き、本書を読んでみる事に。

本当に価値のある創造とはどういうものか。そしてそれを設計図に落とし込むにはどうすればよいのか。これらの目標を追求する過程で、かの「失敗学」が生まれたという。しかし、最終目標は、あくまで価値ある創造と設計。筆者が40年もの歳月をかけて構築してきたのが本書であり、筆者の集大成といえるものが本書であるとの事。その内容は専門的な用語を極力排除し、文系の人間にも読みやすい内容で構成されていました。工業技術に携わる者のみならず、創造的な活動に携わる者や、高校生にも読んでもらいたいと感じる良書でした。

■ 「失敗」の内容を知りたがる学生たち
成功の方法はそれぞれの時代において、ニーズや技術が異なり、全てが当てはまるものではない。むしろ、新しい事への発想やチャレンジというものは、自らの知恵で行いたがる。しかし、失敗から学んだ教訓というものは、時代によって色あせる事は無い。むしろ失敗事例を予備知識として学んでいれば、余分なリスクを背負う事もなければ、時間の無駄を省く事も出来る。個人としての問題だけでなく、企業の技術者として業務に当たる際も、会社に負担をかける事もない。その事を意識しているのか、筆者が大学で講義を行う際、学生は技術の成功例よりも、失敗例に食いついてくるという。

■ それでも「失敗」は伝わらない
「失敗」。それは恥であり、見せたくない、伝えたくないとする風土が日本にはある。仮に伝えるにしても、従来における事故報告書は、事故を起こした個人の責任追求するような使われ方になりがちだった。事故を防ぎ、今後の設計においてどうするべきなのか、誰にでも判る形で横展開され、建設的に使われるケースは少ない。

■ 業務マニュアルの落とし穴
マニュアルは効率よく業務を伝えてゆくうえで非常に便利なもの。とはいえ、最低限のルールしか書かれていないのに、何時の間にかマニュアルそのものが完全なルールであると勘違いするようになる。失敗に対する対応策について書かれていても、”その失敗”しかリスクが無いと思い込むようになり、それに書かれていないエラーが発生しても、因果関係や、対応ができなくなる。それこそ、「私はマニュアル通り動いていただけです」等という輩を生み出しかねない。

■ 暗黙知を伝承する必要
これらを防ぐには、暗黙知を伝えていく努力が必要である。これぐらい、業界にいる者なら知っていて当たり前。それは、この設計方法では、●●のような故障が起きるリスクがある。というような情報も含まれる。設計図を見てもそれは明らかだ。完成図が見事に描かれていても、どのような経緯でその素材、形状、機能、製造方法が決定されたのか明確でないものも多い。それこそ、他の案はどうだったのか。なぜその方法が選ばれたのか。他の素材や形状では何故駄目なのか。そこに大きなリスクが存在するのか、一目で判るものは少ない。設計した担当者が側にいれば尋ねる事も可能だし、時代のニーズや、設計思想等の時代的背景というものも暗黙知として了承している部分もあるだろう。しかし、そうした暗黙知を知る者が高齢になり、人事異動や退職等によって居なくなってしまったらどうなるのだろう。結果として、本来伝わるべきリスクが伝わらず、2度手間を生んだり、更なる失敗や事故を招き入れてしまう。そのような事が起こらぬよう、暗黙知を伝えるべく、一般には出回るためでなくとも、様々な裏情報を書き入れた図面「裏図面」のようなものを積極的に残し、情報を伝達してゆく必要がある。

■ 必要なのは省察である
「反省しろ」「責任をとれ」ではいつまでたっても失敗はなくならない。必要なのは反省ではなく、省察である。失敗は発明の母であるという言葉が示すように、失敗を見つめ、省察し、伝えてゆく事は、発展的な創造や、設計を行っていくうえでも必要な事である。

日本は失敗を恥とする文化が根強いですよね。業務の引継ぎ等を受ける際も、上司や先輩社員にそれらのリスクや危険性について尋ねてもろくに説明が返ってこないケースも多いのでは。それこそ、不具合報告書を読め。とか、残ってる現場の人間に聞けとか。やっているうちに判る。其の時になったら説明する。とか。確かに一部についてはそれでまかなえる部分もあるでしょう。しかし、危険や不具合は何時発生するのか判らぬもの。そんなあやふやな引継ぎや教育しか出来ないようでは、その人の危機管理能力そのものを疑ってしまいますよね。

しかし、世の中の流れは、こうした危機管理の問題において、芳しくない方向に向いているように感じられます。世間ではアウトソーシングと称し、業務を外注化する流れが加速しています。結果として、業界の暗黙知を知らぬ人間が、上辺だけの知識で業務をおこなっているわけです。それこそ、製造業の生産ラインにおいては、下手にラインを止めたとなると現場責任者から責任追及をされる事から、あえて見て不具合を見てみぬふりをする者がいても可笑しくはないわけです。ましてや、アウトソーシング業界は、所謂非正規雇用が多い業界。待遇面で恵まれず、雇用も流動的である事から、責任感や帰属意識も高まりません。となれば、現場における教育や暗黙知の伝達も、問題が起きやすいのではないでしょうか。

日本経済は、高い品質の工業製品を生み出し、海外に輸出する事で成長してきました。しかし、このままでは新しい技術を生み出す以前に、とんでもない不具合や、事故が発生してしまっても可笑しくないように感じます。また、アウトソーシングは製造業や設計方面のみならず、警備・清掃・飲食・案内業務・等、様々な方面に広がっています。果たしてこのようなことばかりやっていて、経済競争に勝ち残ってゆけるのでしょうか。

このままでは、日本は、せっかく自らが築いてきた信頼を、自ら崩してしまう事になってしまいかねないように感じます。そうならないよう、失敗を見つめ、省察し、伝える方法論を構築する必要があるのはもちろんの事、それを取り巻く労働環境や、企業としてのモラルやポリシーを含めた運営体制も見つめなおす必要があるのではないかと感じました。

(上記の内容は、本書の感想を独自にまとめたものであり、必ずしも本書の内容と一致しません。また、本書の全てを要約したものでもありません。本書には、創造性ある設計を行う手法論等について、具体的な記述もされています。感心を持たれた方は、是非とも本書をご一読なさってみてください。)


みる わかる 伝える / 畑村洋太郎

物事を観察し、理解し、人に伝える。人の活動は全てこの基本動作が中心になる。本書では「みる」「わかる」「伝える」について深く検討し、その答えを図と文章で紹介。観察力、理解力、伝達力が身につく1冊。

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畑村創造工学研究所
wikipedia:畑村洋太郎

「失敗学のすすめ」で有名な畑村氏。その畑村氏をフィーチャーした、NHKの番組「知るを楽しむ」の「だから失敗はおこる」を拝見し、是非ともその著作を読んでみたいと思っていました。そこでAmazonで氏の著作を検索した所、気になった本が数冊ありました。本書はその1冊です。

■ わかるとはどういう事か
わかるとは、「要素の一致」「構造の一致」「新たなテンプレートの構築」の3パターンに分けて説明できる。
・「要素の一致」頭の中のテンプレート(雛型、定型書式、データベース)と、目の前の事象の要素とが一致する事。
・「構造の一致」複数の要素が連なって出来た構造と、頭の中のテンプレートが一致する事。
・「新たなテンプレートの構築」今までのテンプレートに無い情報を解析し、理解しようとする事。これが学習である。

■ 伝えるとは、伝える人と、受け取る人の頭の中のテンプレートが一致する事である。
伝える側の人間が持っている情報の要素・構造からくみ上げられた情報のテンプレートと、受け取る人のテンプレートが一致する必要がある。一致しないという事は話がかみ合っていないのと同じであり、受け手側に、それらにまつわるテンプレートが存在しないなら、それを作ってやる(伝わったか確認する)必要がある。

■ 伝える事で重要なのは、「どう伝えるか」ではない。「相手にちゃんと伝わったかどうか」である
授業のカリキュラムやマニュアル通り手順を進めれば「伝わるはず」と思い込んでいる人は多い。本当に伝わったかどうか見守る事こそ、教育の本質。それこそ、生徒に「伝わったのか」確認をしないで進めてゆく事から、伝わっていない生徒が生まれる。

■ 本当に「この知識が欲しい」と思うようにならなければ、人の脳は能動的に働かない
一方的に、これを覚えれば仕事がスムーズに出来る。と伝えても、相手はその半分も覚えられないのが普通。その問題を克服し、生徒自らが知識を欲するシチュエーションを生む必要がある。最初から完成されたマニュアルを読ませるのではなく、まずは各々個人でマニュアルを作らせると良い。すると、生徒は不完全な知識しか持ち合わせていない事を思い知り、完成されたマニュアルの有難さと、そこに存在する差を自ら吸収しようと欲するものである。

■ マニュアルは守るための物ではある。されど、変えるためにある。
マニュアルを作ったばかりの時期であれば、それを作るに至った経緯や、その製作の過程における数々の失敗事例等も覚えている者もいるだろう。しかし、人事異動・世代交代・等により、それらの事情を知らぬ者ばかりとなってしまった場合、再びマニュアルを作成する必要に迫られた場合、2度手間となったり、再び同じ失敗を招く可能性もある。

人は見たいものしかみない。それと同時に、危ない事を見たくない人は、その危険のサインも受け取る事が出来ない。本来は守るべき基準や、倫理をルール化したものだが、いつの間にか杓子定規にマニュアルを守る事が目的となったり、マニュアルに書かれていなければ、リスクがある事も無視されてしまうようになってしまう。(例:法律関連などが良い例。法さえ犯してなければ、悪事を行っていても、つかまらない。だからやってしまえ・・・)

その結果、失敗は伝承されない。だから失敗は起こる。そのため、マニュアルや設計図は完成図だけでなく、その完成形を決定するに至った裏設計(判断基準)、やってはいけない事、やらないとどうなるか等も記録するとよい。また必要があれば、全て作り直すくらいの考えを持つべきである。

言われてみると、特別に目新しいわけではなく、その殆どが当たり前に「その通り」と感じる事ばかり。しかし、それを実社会で適応出来ているか?というのが問題なのでしょうね。特に「相手にちゃんと伝わったかどうか確認する」とか、「まずは各々個人でマニュアルを作らせる。」というのは当たり前のようでいてなかなか出来ない時もありますよね。特にマニュアル関連を敢えて自分で作らせるのは、時間的制約や物事の流れの都合上から、難しい場合もあるのでは。

しかし、何が能力として、知識として欠けているのか。という点でいえば、これほど簡単に判らせる方法もないのも事実。実際、「本当に『この知識が欲しい』と思うようにならなければ、人の脳は能動的に働かない。」とか、「人は見たいものしかみない。」というのは正にその通りであるわけすよね。私もついつい、伝えたい想いが先行してしまいがちなのですが、相手の事を本当に考えるのであれば、その辺を上手くコントロールしていかなければなりませんね。

それこそ人はそれぞれ、立場も違えば、年齢、性別、経験、職業も違っており、その来歴が違っており、各々の既存のテンプレートが異なれば、この本において私が興味を抱いた所と、他の方が興味を抱く所も違っていて当然。ちなみに私は、このブログでのこうした記事を、自分自身の理解力・編集力・伝達能力・等の確認と向上が出来れば・・・という思いで作成する事があるのですが、制約の殆ど存在しないこの程度の行為でも、上手く伝わらない事や、伝えきれない事が多く、もどかしさや難しさを感じる事があります。

それが社会での仕事や、安全衛生の問題ともなれば、尚更の事その違いがあっては困るわけですよね。それこそ、友人や、親子、恋人、夫婦の間でも、100%その考えや想いを伝える事は難しいくらいですから。だからこそ、伝えるべき事は、その意識と確認行為をもって、ちゃんと伝える努力を互いにしていかないといけないのでしょうね。

はじめての海の科学

はじめての海の科学

「はじめての海の科学」は、JAMSTECが刊行する海と地球の情報誌「Blue Earth」(隔月刊)に発表された記事を元に再編集したものです。JAMSTECが有する一般には入手困難な情報を中心に海洋のすがたや、その探査の手法、私たちの日々の生活と海の関わりなどについて、わかりやすくまとめました。

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■ 海洋研究開発機構JAMSTEC公式HP

先日、洞爺湖サミットが開催された事や、不都合な真実を見た事から、海から見た地球温暖化という本を読んでみたくなり、市営の図書館の目録をネット検索してみました。しかし、図書館の蔵書としては収められてはいない様子でした。ところが、このブログでも今までにも何度か話題に取り上げて来たJAMSTECが幾つかの書籍を発行しているという事が判ったので、借り出してみる事にしました。それが、本書「はじめての海の科学」と、「潜水調査線が観た深海生物」です。

はじめての海の科学では、JAMSTECが今まで探索してきた海洋・深海・海溝などにおける様々な調査活動における最新鋭の機器や、それらによって持たされた成果が紹介されていました。全ページフルカラーで写真や図解も多く、まるで雑誌ニュートンの別冊といった趣でした。私はJAMSTECの活動には以前から感心を持っていたせいか、その掲載内容に特に大きな驚きがあった訳ではありませんが、私のような素人や、中高生レベルでも十分理解出来るように解説された内容は、非常に読みやすいものでした。夏休みの自由研究の資料に使えそう・・・というか、この内容を使って、地方の科学館や水族館での巡回展を行うと面白いのではないかと感じました。

もう一方の、「潜水調査線が観た深海生物」の方は結構分厚い写真図鑑でした。その分厚さゆえに、物凄い数の深海生物がこれでもかというまでに網羅されています。その生き物達の形がこれまた凄いんです。
先日紹介したTHE DEEPの写真なんて目じゃありません。っていうか、あのように綺麗で幻想的なものではなく、もっとウネウネ、ニョロニョロ、ヌメヌメしてて、超絶にグロテスクなのが、イーッパイ出てくるのです(笑) よくもまあ、これだけの「へんないきもの」がいたものです。さらに名前が付けられただけで、生態等がよく判っていないものが多いというのも凄い話ですよね。というか、最近の高性能な潜水調査船によって、ようやくその存在が判ってきたばかりという話なのだそうです。でも、この本はページをめくっていてもそんなに楽しくなれないというか、そのグロテスクさにヤラレテしまうばかりでした^^; それこそ、人がイメージで考え出した空想のエイリアンなんぞより、よっぽど気持ち悪いくらいでした^^; ちなみに本書は、学術的な資料保存の意味合いで発行されたもののようで、一般書籍として流通している類のものではありませんでした(でも、取り寄せて購入する事は可能です)。

そんな2冊を眺めて改めて感じたのは、やはり「海は広いな大きいな」(笑)といった感覚でした。ちなみに海というものは、下記のようなものであるわけです。

■ 地球の表面積の70.8%は海である
・海の水は地球上に存在する水の97%。
川や湖、地下水などの水を集めても僅か3%にしかならない。
・さらに、汚染されていない生活水として利用できる量となると・・・人間が使える水の量は地球全体の水の0・01% しかないという説もある。

■ 地球温暖化を考える上で、海の存在は無視できない
・地球に降り注ぐ太陽熱は、大気そのものも暖めるが、その大気を暖めているのは、太陽熱によって暖められた地表熱と、海水温である。地球の表面積に占める海の比率を考えれば、海水の温度や、それの変化によってもたらされる複雑な気候変動を無視する訳にはいかない。(例:エルニーニョ現象)
・海には多量の植物性プランクトンが生息し、大気の二酸化炭素を吸収してくれている。また、海(水)そのものも、二酸化炭素を吸収してくれる性質もある。そうした事実にもっと目を向け、地球温暖化問題を考える上でも海洋研究を積極的に行う必要性が高まっている。その量は、地球上の森林と比べられない程、大量な量を吸収してくれている。

そんな海洋や大気の変動の予測を立てられるようになったのは、スーパーコンピューター「ちきゅう」等によるシミュレーション技術がここ最近になって確率してきたからだとか。確かに大気や海洋の問題は、一つ国や、一部の地域だけの話ではなく、全地球的な循環の中で複雑に絡み合った話。もっともっとグローバルな視点で、我々の住む地球という環境を考えていく必要があるのでしょうね。


考える脳 考えるコンピューター

「脳の働きを明らかにしたい。そして、その働きを人工の装置の上で実現したい」――。本書は、米Palm Computing社の創業者として、数々のPDA(携帯情報端末)や携帯電話を世に送り出してきたJeff Hawkins氏が、いわく「第2の情熱」として長く資金や時間を費やしてきた人工知能の研究について綴ったものである。

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原題:On Intelligence
著者:ジェフ・ホーキンス / サンドラ・ブレイクスリー 翻訳:伊藤 文英 ランダムハウス講談社刊

非常に刺激的で、大変面白い内容でした。最近の人工知能に関する話題において、取り上げられる事が多のも頷けるものがありました。コンピューター分野における成功をバックボーンに、脳に関するあらゆる書物、論文を読み漁り、2002年にレッドウッド神経科学研究所を立ち上げるに至った人物です。

従来から知能を考える手段としては、神経科学のみならず、心理学、哲学、そして人工頭脳を研究する工学面からアプローチがされてきました。しかし、殆どの研究は、視覚・聴覚・等の特定の機能や、ニューロン単位での局所的な「ニューラルネットワーク」の研究に終始してしまっており、脳全体としてどのように機能しているか、あまり言論されてこなかったそうです。そんな「木を見て森を見ず」のような現状に対し、「脳の統一理論」適な普遍の考えを導き出し、AI研究に活かしたいとして記したのが本書だそうです。

■ 注目すべきは大脳新皮質
大脳新皮質は脳の外側を覆っている部位で、哺乳類にのみ存在し、特に人間は大きく発達している。1978年神経科学者ヴァーノン・マウントキャッスルは、「大脳新皮質の構成原理」という論文で、大脳新皮質は、聴覚や、視覚を司る部分も、言語を操るブローカー野も、運動野も、全てが見た目も構造もほぼ均質に出来ている事から、同じような原理で情報が処理されているのではないかという仮説を打ち立てた。つまり、たまたま視覚や聴覚からの神経が、その場所に繋がっているだけで、入ってくるそれぞれの情報は同一の計算手段で処理されているのではないかという事である。これは、神経のリワイヤード実験によっても確かめられている。であれば、この大脳新皮質において、あらゆる情報処理において共通の仕組みを解明すれば、人工知能を構築する上での新しいアルゴリズムを生み出せる可能性が高いのではないだろうか。


■ 情報はシーケンスとして記憶される
6層構造をもつ大脳新皮質において、ニューロンの伝達情報は、末端器官から情報を受け取る下位階層から、五感を統合する上位階層に順を追って上がりながら処理されてゆく。新皮質に入力される情報はパターンとして分類され、パターンのシーケンス(連続的、順序的な情報の流れ)として記憶されていると考えられる。何度も同じパターンが入力される事で、そのシーケンスは強化され、僅かな入力情報でも強い反応ができるようになる。これが記憶されるという事である。コンピューターのように、個別のテンプレート(ひな形)に細かく区分けされて収められているわけではない。

ちなみに人間は過去の事を思い出そうとすると、その出来事の一連の流れを思い出そうとする。(例)歌や曲などのイントロを聞いただけで、曲全体を思い出す。つまり同じパターンが何度か入力されると、空間的、時間的流れの一連の塊(シーケンス)として保存されているといえる。例えば、曲のキーとなる音階がずれていても、音階の変化やリズムパターンに同一性を感じれば、どの曲か判断できる。これは、人の言葉の聞き取りにも当てはまる。人は性別、年齢、個人の差によって、声質が異なるにも関わらず、言葉を聞き取れる。これは、ひとつひとつの音を拾っているというよりも、音の空間的、時間的流れのパターンを認識していると言える。また、聞き取りにくかった会話も、無意識のうちに、おおよその見当をつけて判断する事も行っている。入力されてきた不完全な情報パターンに対し、類似性が高いシーケンスを当てはめ、情報を補完しているといえる。

この事は、大脳新皮質内で、一連のシーケンスによるパターンの再入力「自己連想」を行えるという事を示している。これは過去のシーケンスを、現実世界から来るシーケンスと照らし合わせる事、つまり「予測」が出来るという事である。これは、視覚、触覚など、全てに当てはまる。同様に体を動かす運動野においても、その行動はシーケンスが生み出す一連のパターンとして指令が出ているといえる。


■ 知能とは予測できるという事である
現実世界を理解するという事は、絶えず変わり続ける入力情報の中に、普遍性と異常性を見極める事でもある。我々は、普段見慣れた風景の中で、見慣れないものや、異常性があると、瞬時にそれをを感じ取れる能力がある。そこで筆者は以下の仮説を立てた。

脳は無意識下においても、絶えず入力される信号の「予測」を行っているのではないか。無意識下において、視覚・聴覚・触覚などのあらゆる予測を随時行なわれているため、我々はそれに気づいていないだけではないか。普段からあまりに当たり前に予測が行われているため、予測が裏切られた瞬間=異常が発生した時にしか、その信号が意識上に上がって来ないのではないか。逆に言えば、これだけ環境に適応できるのは、こうした予測能力が常に働き、記憶との相互のやり取りが働いているからである。であるならば、予測能力こそ、知能といえるのではないか。


■ 知能は全ての生物に存在する
生物は遺伝子を使い、情報を記録し、次の世代に有効に使えるように伝達している。これを記憶と、予測とするならば、学術的に知性と言えるのではないだろうか。たまたま人は高度な予測能力を手にしただけで、植物や微生物にも知性があると言えるのではないだろうか。そもそも異なる身体性を持つ生物の思考パターンは、各々の種において全く異なっていても可笑しくはなく、生物の知能の有無を人間の価値観で分ける事は出来ないのではないか。


■ 真の人工知能を生み出す事は出来るか
従来のAI研究は、テンプレートにデータを詰め込むタイプのものが主流だった。しかしそれは上手くいかなかった。今後は、仮説に基づき「記憶に基づき、予測を行い、活用できる」ものを生み出す方向に研究のベクトルを向ければ、真の人工知能を生み出す事が高い確立で可能になるだろう。とはいえ、完全に人と同様の思考を持つ人工知能を生み出す事は、技術的にもコスト的にもハードルが高い。しかし、人型にこだわらなければ、据え置き型センサーを数多く配置し、ユビキタスのような形で外部からの情報を入手する方法はいくらでもある。身体性が異なれば、思考方法は人間とは異なるだろう。逆に、人間の考えが及びもしない高次元の宇宙に対する思考実験を行わせる事で、新発見をもたらすなどの成果も生むかもしれない。

常に予測が行われる事で、知能を生み出している。ですか。その予測が、常に当たり前に行われているため、普段の我々は意識上に気づく事すらない。というのは非常に面白い発想ですよね。確かに一連の解説に基づけば、説得力を持っているように感じられます。自らの中にある既存の価値観(固定概念)を、最新の情報と照らし合わせ、相互関係を常に更新してゆく行為は、環境に適応してゆくうえで非常に重要なポイント。この分野の研究を推し進める価値は高いものがあるように思います。

しかしこの仮説は、学会で公式な論文として発表されたものではありません。(所謂ピアレビューには晒されていません。)著者の目的は学会で認められる事ではなく、あくまで真の人工知能を生み出す事にあるため、より多くの人の目につく一般書として発表したのだとか。(まあ、本人が神経科学のドクターではないという事もあるのでしょうし、仮説を実証する有効な手段も今は存在しないという事なのかもしれません)そうした意味で、脳科学の分野における仮説の部分における真偽は、私では判断できません。

しかし、AI研究の分野において、「全く新たな知的存在を生み出すアイデア」として持ちいる事に関しては、何ら問題ないのではないかと思います。ちなみに、先日読んだ「知能の謎」でも予測に関する研究は取り上げられていました。今後のAI研究の主流のテーマになるのかもしれませんね。

ここで、ちょっと疑問。人間とは異なる思考パターンを持つ高度な人工知能が、我々にとって思わぬ回答を出して来た時に、我々はどのような対応をするのでしょう。その回答が人工知能にとっては「正常」だったらどうするのでしょう。我々にとって「正常」な答えを導くために、人工知能の思考を訂正させる事は、人工知能にとって「異常」を強要する事にはならないのでしょうか。それともそれが「教育」として、問題なく成立するのでしょうか。また、表面的に現れない無意識が生まれていたり、嘘をついてきたらどうするのでしょう?それを確認する手段はあるのでしょうか。それを調べるのもまた、新たな課題になるのでしょうか。そんな意地の悪い事も想像してしまいました。

とはいえ、この本は読みやすさを重視し、専門用語が極力排除されいるにも関わらず、刺激に富んだものであった事は確かです。当然ながら、上記の内容は本書のごく一部。特にタイトルからすると、AIの話題が多いように思われるかもしれませんが、8章のうち7章は人間の脳について、真摯に向き合った内容になっています。実際、「創造性とは何か」といった事にまで言及されており、非常に面白かったです。ご興味をもたれた方は是非、ご一読なさってみてください。


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