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この本は、知覚心理学、認知神経科学の観点から脳・身体の関係を研究している方によって書かれたものです。最近、ロボット(人工知能)を基にして知能を研究している人達の本を読んだ経緯から、人そのものの知能や意識の話題にも触れてみたくなり、本書を手にしました。(下記の内容は、個人の主観で感想を要約したものであり、本書の項目分けや、記事内容と必ずしも一致しません) ■ 脳は来歴で構成されている
脳は、人は周りの環境と接触し、学習し、記憶し、適応する能力を持っている。その際、生まれた時から備わっている、目、鼻、耳、口、手、足、体を使い、相互関係を理解している。つまり、人間という生き物に備わった器官を通して世の中を理解しているといえる。過去の記憶を現在に反映させる能力と言える。 例えば、人は色彩というものを、光の3原色によって構成されていると感じている。しかし、色盲の犬にとってみれば、色彩は存在していない。同様に、音というものも、人には聞こえる周波数に限界がある。無論、盲目の人や、難聴の人ともなれば、経験している世界が異なってくる。(世に言う錯覚の世界も、人間に元々備わっている生理反応の結果である。)つまり、記憶は自分を取り巻く環境はもちろんの事、それを感じ取り、相互関係を持てる身体があってはじめて構築されるものともいえる。それは、生得的でもあり、経験的でもある事から、著者は、記憶は来歴(物事のそれまで経てきた次第。由緒。由来。)で構成されているとしている。これらの事は、幻肢という症状(事故等で体の一部を失ってしまっても、元々あった手足がまだ残っているような感覚や痛みを感じる事がある)を見ても明らかである。これは、未だ手足が残っているものとして、脳が活動を続けている証拠でもあると言える。 ■ 心を獲得するとは 例えば、子供が「痛み」を学習するというのはどういう事だろう。子供が、お腹を壊してしまったとする。子供の脳は、お腹から強烈な信号を受け、異常な状態である事は分かる。しかし、はじめてその信号を受けた子供の脳は、その信号が何なのか十分理解したり、どのように表現したら良いのか分からないだろう。そのような状況において、親が、「お腹が痛いの?」と聞いてやる事で、子供は「これがお腹が痛いという事なのか」と理解すると考えられる。つまり、その状況を感じ取る身体と、外部の指摘があって、初めて自分の中の感覚が明確に具象化される。自分を客観視出来る要素(社会的な共通認識)が生まれる瞬間とも言える。逆に言えば、明確な主観的感覚は、自分を客観視出来るようになる事で獲得出来るとも言える。これは痛みに限った話ではなく、世の中を理解する方法として基本となるものではなかろうか。これが、自己という意識に繋がっていくのではないか。 ■ 脳-身体-環境の関係と、倫理の問題 歩くのが不自由な老人は、支えとなる杖が身体の一部であるように感じるという。一流の野球選手にとって、バットがそうであったり、F-1ドライバーにとって車も同様に感じるというケースも耳にする。人の脳は手で触れるモノを身体の延長線上として認識出来るだけの能力がある。さらに人の手を離れていても、(ラジコン等)でも同様の身体性を得る人も存在する。人が環境を脳に取り込んでいる証拠ともいえる。また、パソコンはすでに記憶の外部端末といえるのかもしれない。(それと同時に、パソコンに頼ってしまい、脳では記憶する行為を放棄してしまっているとも言える) 同様に、薬も環境の一つであるともいえる。例えば鬱病の薬。口から腸へゆき、消化され、その成分は脳へと伝わる。生来備わっていなかったモノを脳内へ取り込んでいる様子でもある。この薬は、鬱病を患う人に適用するのは問題はない。しかし、この薬を健常者に適用した場合においても、副作用無く、非常に前向きな精神効果を得られるとしたら、積極的に使用して良い物なのだろうか。仮に、副作用無く記憶力が良くなる薬が発明されたら、どうなのだろう。積極的にサプリメントを採っているのと何処が違うと言えるのだろう。また、化粧と整形の問題はどうなのだろうか。それこそ、現代の脳科学、遺伝子工学の世界の発展の方向から考えると、将来的には遺伝子すら操作し、理想を追求する風潮が出て来ても何ら可笑しくない。いや、既にそうした動きは現実化しつつある。 これらは皆、自らを理想に近付けようとする行為。これは周りの環境を非常に意識した行為であるといえる。しかし行き過ぎた行為は、自らの来歴を大幅に変えてしまうという事でもある。それは、従来の自分では無くなってしまうという行為と言えなくもない。これら全てに対して、良い悪いという事を簡単に述べる事は難しいが、急速に進むこれらの動きを注視してゆく必要はある。 本書は1999年に書かれたものですが、今の時代に読んでも中々興味深い内容でした。感想としては取り上げていませんが、錯視・錯誤といった話題にも多くのページが割かれており、大変興味深いものがありました。また意外だったのが、人工知能のみならず、バイオエンジニアリングや、ブレインエンジニアリングの話題が出てきた事。まさに、ラメズ・ナム著の 「超人類へ」に通じる動きが、この時点で強く懸念されていた点でした。これは、著者がマサチューセッツ工科大学心理学科を修了しているという経歴も影響しているのかもしれません。それこそ、脳だけを取り出して、生理食塩水が満たされた容器で生かし、コンピューターで身体信号を受送信したらどうなのか、とか、他人の体に脳を入れ替えたら?コウモリの体に入れ替わるとはどういう事か?といった話題も出てきた程です。正に、BMIというか、正にサイボーグ関連のネタに通じるような話ですよね。(とはいえ、そんなにSFじみた感じではありませんが) ちなみに、イナゴが匂いを感じる際の神経パターンの研究によると、同じ匂いでも、別の固体では知覚的同定(認識)を示す発火パターンが異なるのだとか。人間での筋肉を動かす信号「筋電」も違うそうで。なので、著者は明言していませんが、ブレインマシンインターフェースを使い、世界中の脳をネットで接続し、情報のみならず、感覚や感情までも交換するなどという事は、相当にハードルが高い事なのだと改めて感じた次第です^^; |
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知能の謎 認知発達ロボティックスの挑戦瀬名秀明と9人の知能・ロボット研究者が人間の知能をさぐる。人間のような知能を持ったロボットを通して「知能」の探求がこれから始まる。周囲の環境と関わり、学習・発達しながら人間のような知能を持ったロボットを生み出す、それが「認知発達ロボティクス」である。「人間らしさとは何か」という究極の問題に挑む知能・ロボット研究者が見つめている先に何があるのか、最先端のロボット研究を通して垣間見る。
けいはんな社会的知能発生学研究会編 著者:瀬名 秀明, 浅田 稔, 銅谷 賢治, 谷 淳, 茂木 健一郎, 開 一夫, 中島 秀之, 石黒 浩, 國吉 康夫, 柴田 智広 講談社ブルーバックス刊 この本を編集した社会的知能発生学研究会では、ロボットという媒体をあえて用いる事で、従来に無い人工知能の研究をしているとの事。しかも、そうした研究をロボット工学専門で行ってきた研究者のみならず、赤ちゃんの成長過程や、脳科学の専門家が積極的に取り入れようとしているそうです。大変興味深く感じ、手にとってみました。(下記の記事の項目分けは、本書を読んだ感想を個人において独自にまとめたものです。本書は研究者毎に項目わけされており、内容は必ずしも一致しません) ■ ロボットで知能を探る意義
「知能」それは、道具や言葉を操り、様々な新しい環境に適応しえる能力。人類はその能力を獲得したからこそ、文明を築き上げ、今日まで発展する事が出来た。しかし、その知能はどのように獲得出来たのか、今もなお解らない事が多い。そんな知能を探る手段として、従来から、哲学や、脳科学によって研究がなされてきた。しかし、それらは分析や推論は可能であっても、なかなか対象実験(一方の機能を残し、もう一方の機能を除いて比較する)を行う事は出来ない。また、生きたままの脳を用いた実験は、倫理的な問題に抵触する場合もある。 そこで、ロボット(人工知能)を研究するのが有効なのではないかと考えられている。知能に対する仮説をたて、ロボットを作って動かし、仮説を検証し、その過程から人間の知能を逆に推測しようというわけである。それが認知発達ロボティックスである。対象を細かく分析をする事からはじまるのではなく、先にモノを作って、その後から動く原理を分析するような、「ちょっとばかり荒っぽいやい方」でもある。 これを、「構成論的アプローチ」と呼んでいる。 ■ AI(人工知能)を探る上で、なぜロボットなのか 今まででも、チェスの世界チャンピョンを破る実力のあるディープ・ブルーというAIは存在した。しかし、それらは特定の目的に対して膨大な情報をスピーディーに扱えるコンピュータに過ぎない。仮にこれらのコンピュータに、様々な知覚センサーを備えて、そのセンサーに映し出される情報を事前データとして「シンボル(記号)」化しておいたとする。しかし、その状態では「シンボル」の価値はあくまで人が設定しただけであり、シンボル化していないデータに出会った際、そのままでは十分な対応が出来ない事を示している。そこには自らの能力を自覚し、自らの意思で環境に適応し、環境に相互に影響を与えるような、本当の意味での学習能力や知性はない。 では、どうしたら、真の学習能力や、知性を生み出す事が出来るのだろう。それは自らの力で、対象を「シンボル」化し、対象に自らの能力で相互作用を与える事で得た反応結果によって、自らの評価を定義出来る能力が必要だという事になる。つまり、自らの能力で対象を「抽象化できる能力」、と、それを独自に結びつけ、新たな価値を創造できる直観力、「創発(エマージェンス)」が必要である。ここでいう評価は、対象の名称、大きさ、性質、能力といったものだけでなく、自らの行動目的(現行での計算処理・志向性)に対し、「今は必要な情報」 「今は不必要な情報」 「時間の経過によって物事に変化が生じる」 などを判断出来るなど、様々な評価が含まれる。(知覚センサーが拾った情報全てを処理していては、CPUがパンクしてしまう) それこそ人間は、見たもの全ての事を覚えているわけではない。記憶を凡化し、「推測する能力」を身につけ、「適応力」を身につけてきた。人工知能にもその能力を自ら獲得させるには、固定の場所でデータ待ちをしているのではなく、能動的に動き、「相互作用のデータを自ら獲得出来る能力」(手や足)が必要不可欠であると考えられている。また、周りの環境と自立的に対峙するには、自らの能力の限界を認知したうえで、問題解決に対する自らの行動結果を「予測」をする必要性があると考えられる。それは「自分とは何か?」を意識する事に繋がり、人間的な個性「存在感」すら獲得出来るのではないか?とも考えられつつある。実際、アルゴリズムの組み方でロボット毎の個性(反応性の違い)は既に生まれている。エマージェンスに関わるこうした発想は、従来のAI(人工知能)の研究に無かった発想でもある。 つまり、従来のAI系コンピュータは、「ナンバーワン」の処理スピードを目指していたに過ぎない。人間のように個性を持った独自のAIを生み出したいなら、「オンリーワン」を目指す方法を探ろうという事である。 ■ コンピューターに学習をさせる方法 現在のレベルでは、ロボットに学習を行わせる際、行動目的を設定し、目標達成に近づいた時や、達成した時に「評価」を与える「強化学習」などが行われている。現段階では、迷路の中で出口を探すネズミや、サッカーボールをゴールに入れるような形で実験が行われている。無論、最初から難しい目標を立てても上手くいかない。最初は簡単な課題を用意し、その「基本的なやり方」を獲得させる必要がある。つまり、子供に学習させると同様に、人間側がある程度相手(ロボット)の立場になって環境を整えてやる必要もある。また、将来人と同じレベルを目指すなら、今後は知覚センサーのモジュール(構成単位)を小さくしていく必要があると共に、それらから得た多数の抽象的なデータを、運動的な意味で統合するだけでなく、語学分野も統合する必要性がある。 ■ ロボットに志向性は持たせられるのか 人間には言葉のラベルが貼られる前の、原始的な感覚と言えるクオリアが存在すると考えられている。それらは、五感から随時脳に送られてくる信号であるといえる。人間は、それら多数の信号の内、どの信号に意識を向けるかという志向性があるといえる。つまり、「○○に向き合っている私」という心の動きである。ロボットに明確な行動目標が設定されている場合は、そうした志向性も、「今は必要な情報」「今は不必要な情報」とて評価できるかもしれない。しかし、その行動目標事態をロボットが自ら「創発」出来るのだろうか。命令された事ではなく、自主的な志向性は持たせられるのだろうか。今の所は何も解っていない。 ■ 現段階で社会性を感じさせられるロボットを生み出す事は出来るのか 現段階では、真の知能は生み出せてはいない。あらゆる状況に対応できるロボットを生み出すには、まだ時間が掛かってしまう。それこそ、人間とコンピューターのアルゴリズムは一致せず、本当に人間のような知性が生み出す事が出来るのかは、まだ解らない。とはいえ、人間同士は他人の頭の中など解らないのに、「あの人は知性的」、「あの人は頭が良さそう」などと評価している。つまり、アウトプットされる情報で人は知性を感じ取っている(推測している)といえる。 であるならば、実際に高度な知能は持っていなくとも、かなり人間的な反応性を示すロボットを作った場合、我々人間はどのように受け止めるのだろうという事も研究されている。特定の状況に的確に反応するようなパターンを、あらかじめ複数用意し、それらの反応を複合的に繰り出す目的のアーキテクチャともいえる。それが、「アクトロイド」であり、「 ジェミニノイド」や「CB2」を生み出す経緯へ繋がっている。ある意味、ディープブルー的やり方といえ、チューリングテスト的な問題も絡む世界であるといえる。とはいえ、現時点でのAIの限界をきちんと自覚し、あえて社会性を得る方法を目指している点がそれらとは決定的に違う。 人の知能や学習過程などを探る手段として、積極的にロボットを作って研究すようとするというのは、非常に面白いですよね。以前読んだ進化しすぎた脳で、体が脳の機能を決めていると表されていましたが、人工知能を語る上でも、そうした観点が重要なポイントとなるようですね。単に周りの環境がどうのこうのというだけでなく、その周りとの相互関係をどう解釈するかで、自分という存在が確立してゆというのは、非常に納得できますね。 無論、そうした抽象化を行ううえでのベースとなる評価手段のアルゴリズムは、ある程度人間が用意しなければいけないような気がします。というか、そうした能力が無の状態から生まれるわけが無いで。 しかし、そんなアルゴリズムを果たして生み出す事が出来るのか・・・非常に難しい問題のような気もします。それこそ人間自体にとっても、どのように抽象化を行い、どう創発しているのかも、まだ良く解らない部分も多いわけですし。とはいえ、この2つの分野が互いに刺激しあう事で、今まで解らなかった事が互いに具体的になっていく部分も多そうですね。それになんといっても、人工知能なんて作れれば面白そうですしね。 日本は産業ロボットの分野は強くとも、人工知能の分野は、欧米に遅れをとっていたわけですが、最近はこうした認知発達ロボティックスの分野で、目覚しい成果をあげているそうです。そうした状況を伝える本書はなかなか刺激的でした。とはいえ、各研究者に対して割かれているページ数に制約があったためか、その内容を把握しにくかった部分も無かったわけではありません。また、各研究者の主張もまとまっていないどころか、思いっきりぶつかり合っている部分もあります。逆に言えば、まだ生まれて間もない、(今までに無かった)学問であるといえます。 「学問というものは、あらかじめ与えられるものではなくて、自らの興味や関心に合わせてダイナミックに作り上げていくものだ(今だから、それが解る)」
と本書で瀬名氏が述べていましたが、正にそれを有言実行している皆さんの姿に魅了されてしまいました。 |
ロボットの現在と未来 ロボット業界最前線の28人が語る世界トップのロボット先進国、日本を熱意と情熱で支える研究者、エンジニア、メーカーが、ロボット業界の現状と未来を忌憚なく語る珠玉の対談集。
監修:石田晴久 著編:鴨志田英樹 エクスメディア刊 このブログにおいて、何度も取り上げてきたロボット。ホント、最先端のロボットといっても本当に様々な形、様々な機能がありますよね。ホンダのアシモ、ソニーのアイボといったポピュラーなものから、サッカーロボットや、レスキューロボット、そして愛らしいコミュニケーションロボットまで。 本書は、そうしたロボットの開発に携わる研究者に直接インタビューを行い、開発に至った経緯や、それに懸ける情熱を伝えるものでした。面白いのは、一言でロボットの研究開発に携わっていると言っても、それぞれの目的や着眼点が千差万別である点でした。(下記の記事の項目分けは、個人において独自に行ったものです。本書は研究者毎に項目わけされており、内容は必ずしも一致しません) ■ ロボットであろうと何であろうと、技術はニーズに応えてナンボである
以前の記事でも取り上げた東京工業大学 広瀬茂男教授や、東北大学の田所諭教授などは、実社会で役に立つレスキューロボットを作ろうとしています。特に田所教授は、自身が阪神大震災の被災者でもあり、災害救助の際、瓦礫の下に埋もれてしまったような人を見つける方法はないか?という思いで手がけるようになったそうです。しかし、この2人は、必ずしもロボットという手段に固執する事は危険な部分があるという事も十分理解している方々でした。 開発中のレスキューロボットは、人では行けない場所へたどり着く能力があります。とはいえ、また、開発コストが掛かるだけでなく、独特のコントロール方法やメンテナンス方法を学ぶ必要があります。また、試験運用目的でヘリコプターにこのロボットを乗せて運ぼうとすると、ロボットと、操縦士(研究者)の2人分のスペースが必要になってしまうわけです。正直な話、性能面としても、その道のプロであるレスキュー隊員2人に乗ってもらった方が、遥かに生存者を発見出来る可能性が高いわけです。 それこそ、人が手で運べる「電磁波を使った小型の探査装置」の方が、現段階では実用性としては優れているのが現実です。実際、そちらの方が全国の消防署等に普及させやすく、遥かに多くの人命救助に役立つであろう事は明白。であるならば、技術者は自分のやりたい事(ロボット)にのみ拘るのではなく、実際のニーズに応えてこそ、ナンボのもの。社会に役立つモノを産み出してこそ、価値のある技術者であるのではないか。問題を解決するには、何がベストなのか、謙虚に受け止める必要がある。場合によっては、普段は別の目的(シロアリ点検ロボット)で多くの場所で使え、緊急時にはレスキュー目的で運用出来るようなロボットを普及させるのが健全なやり方なのではないか。と御二人は述べていました。 こうした意識の重要性は、何もロボットの世界だけの話ではないと思います。ついつい独りよがりになってしまいがちなこうした業界において、「現場ありき」、「実用性ありき」と謙虚に現実を受け止め、場合によっては、柔軟性をもって対応するという考え方は、非常に重要な事だと思います。それを、あそこまで苦労を重ね、独創的なレスキューロボを自ら生み出した研究者が自ら述べているという事に、感銘すら覚えました。 ■ 社会がロボットを受け入れるために必要な事 それこそ他の多くの研究者も、現在開発が進む介護やコミュニケーションロボットが発売されるようになっても、初期段階はなかなか導入が難しいだろうと述べていました。 例えば介護ロボットの場合、人を世話し、場合によっては、運んだりするとなると、かなりの大きさや重さが必要になります。という事は、一般の家庭に導入したくとも、ロボット自体が動き回れるだけの空間や調度品の耐久度が必要なわけです。それこそ、工業ロボットがこれだけ普及出来たのは、生産ラインの方をロボットが快適に作業が出来る環境に向けてに構築し直したからだと言えるわけです。これは自動車にも言える事。自動車が快適に走れるよう、道を整備し、信号、ガソリンスタンド、駐車場を設け、それを扱うための免許制度や、車検整備等のメンテナンス面も整えられているわけです。つまり、ロボットを受け入れるには、それなりのインフラの整備が必要だという事です。 確かにそうした面すら含めれば、将来的に市場規模7兆円の時代が来るという予測も、もあながち嘘ではないのかもしれません。まあ公共性の高い病院等で実験導入されてからの話でしょうし、ユビキタス社会の方が現実度が高いのではないかという意見もありました。 とはいえ、少子高齢化の時代において、生産労働力の低下や、介護福祉の現場の支援問題は現実の問題として存在しています。本誌で紹介されていたわけではありませんが、パワーアシストスーツとして有名なHAL-5 や、ホンダが開発中の高齢者向けの歩行支援装置等は、こうしたロボット技術から産み出されたもの。出来る限り、ユーザーの立場(それこそ、介護が必要な人程、お金がない)を考慮して、一般家庭でも使えれるような実用性の高いモノを産み出していただけると嬉しいですよね。 ■ ホンダのASIMOは觔斗雲だった? ホンダのアシモを生み出す切欠は、ホンダという自動車メーカーが、創業時代に戻れるような活力のある自由闊達な研究をしようとするのが目的だったのだとか。ホンダは既にバイク・車・飛行機といった移動機械を産み出してきました。であれば、もうひとつ次元が上の新たな移動機械(3次元移動機械)を生み出す事を目標にしたいと考えたそうです。その際、觔斗雲(きんとうん)のように、自由に動き回れるナニカ?を最初はイメージしたのだとか。しかし、それではイマイチ抽象的というか、ピンと来ない。そこで、究極の移動機械として、鉄腕アトムのようなもの、というイメージが示された事で、ロボット開発にベクトルが向くようになったのだそうです。面白いものですね。 ■ ロボットで学べる事 最近TVメディアでも多く取り上げられる、ロボカップの話題も取り上げられていました。ロボット工学とひと言で言っても、それはさまざまな分野の知識が必要な世界。機械工学・電気回路・センサー系の情報処理・自立行動させるための人工頭脳のプログラミング技術。もしも複数のロボットで目的を達成させるのであれば、同調技術も必要となる。それは、重心や釣り合い、てこの原理や比率計算、2次関数や座標、ベクトルといった数学的知識のみならず、高い工作技術も必要な世界。つまり、理系における様々な要素を学べる絶好の教材であるとしていました。理系離れが懸念される現代において、様々な事を楽しく学べるというのは悪くないですね。とはいえ、コストも結構掛かってしましそうなのが頭が痛いところです・・・^^; ちなみに、ロボット開発に様々な要素が絡むのは、プロの世界ともなればなおの事。それこそ、世界中の多くの人々受け入られるには、安全面、デザイン、インフラ、コスト、宗教、倫理等の面まで考慮する必要も出来ます。そうした意味で、ロボットは、技術レベルを底上げする力があるだけでなく、その応用技術で新たなモノすら産み出す力となる可能性を秘めていると言えるのかもしれませんね。 この本では、上記以外にも様々なロボットに携わる大勢の研究者が紹介されていました。研究目的は違えども、皆さんが非常に情熱的に取り組んでいる事が伝わってきます。(一部、夢ばかり語ってるという感じの人も居なかったわけではありませんがw)本書は2005年の12月発行のものですが、大変興味深いものがありました。とはいえ、人間らしいロボットを決定付ける要素になるであろう、「人工頭脳」に関する話題は殆どありませんでした。今度はそうした話題を扱った本に目を向けてみたいと思います。 |
科学者になる方法 第一線の研究者が語る科学者を目指す/知るためのみちしるべ。野依良治、中村修二、毛利衛、浅島誠をはじめ、34人の現役科学者たちが語る、研究者としての生き方と、研究内容。
編集:科学技術振興機構プレスルーム JST 科学技術振興機構 先日、理系白書、白書2を読んだ影響もあり、現在の科学者とはどんな人達であるのか垣間見たいと本書を手にとりました。JSTが研究を強く支援する『環境』『情報通信』『ライフサイエンス』『ナノテクノロジー・材料』の最先端の分野で活躍する科学者34名を取り上げ、どのような子供時代を過ごし、どのような経緯をもって現在の道に進み、どのような境遇で研究に勤しんでいるのか本人に語ってもらったものでした。 ちなみにこの本では、日本人初の宇宙飛行士である毛利衛氏、青色発光ダイオードの開発者である中村修二氏、『iPS』細胞で話題の山中伸弥教授といった我々一般の人にも聞きなじみのある方をはじめ、様々なジャンルで活躍している科学者達が登場しています。こういう書籍に取り上げられる事もあり、皆さん輝かしい実績ばかりです。でも、そうした方々も一筋縄の人生ではなかったという方が殆ど。しかし、諦めず続けて来た事が成功への道であったと感じているようです。 この本を通じて、多くの科学者が言っている「科学者への道の心構え?」は、大体こんな感じでした。 ■ 研究は体力勝負
実験は失敗の連続。挫折の繰り返し。毎日、長時間、同じ事の繰り返しで、根負けしてしまいがち。 ■ 失敗しても諦めない 逆に失敗の理由を追求する精神が、意外な発見を生む。 ■ 学校の成績だけが全てではない 子供の頃はそんなに成績が良い人ばかりではなかった。むしろ、その分野が好きである事が何より大切。 研究は失敗の連続。むしろ粘り強さや、この分野が好きだから、他を犠牲にしても仕方ないという性格の人の方が残っていきやすい。それこそ変に頭が良い人は、実験をやる前から失敗する確立ばかり考え、手が動かなくなってしまう場合もある。無論、高確率である事に越したことはないが、実験はやってナンボ、数をこなしてナンボの部分もある。同級生にレベルの高い学生が居た事からという理由で、博士課程には進まず、企業に就職しつつも、その道で地道に基礎研究を行った結果、今の研究機関に所属するような人もいる。仮に遅咲きになろうとも、諦めない事が重要。 ■ 問題を解決する能力こそが必要 現代っ子は誰かに教わる事に慣れすぎている。しかし研究者たらんとするならば、自ら感心をもって、自主的に調べていくような探究心こそ必要。誰も手を付けた事の無い分野に挑む際、豊富な知識は問題解決を行う材料になるが、とことんまで行う探究心や想像力が無いと、その先には進めない。専門外の知識を積極的に取り入れたり、風呂場でも常に研究を考えているようなタイプの方が成果をあげやすい。 ■ 異分野への進出・交流に積極的であれ 今の研究は多種多様に細分化されているのと同時に、さまざまな分野の力を総合的に組み合わせる必要がある。先人達が失敗して放り投げた研究を、現代の技術と発想で掘り起こす事で、新たな発見に繋がる可能性もある。先入観に縛られ、狭い世界にだけ入り込んでいると、新しい発想が生み出せなかったり、受け入れにくくなり、時代から取り残されてしまう。海外等に出ると、研究分野以外での交流の際に、自国の文化や、相手国の文化を知らないと、良い交流ができない。古文、国語等は不得意でも、英語は出来た方が良いという人は多い。 ■ 子供の頃に受けた影響は根強く残る 子供の頃に野山を駆け巡って、生物に興味を抱いた。日本初のノーベル賞受賞者の誕生や、アポロの月面着陸、鉄腕アトム、等の夢のある話によって、化学分野に感心を抱いた。子供の頃、苦手だった理数系を詳しく教えてくれる良い先生にめぐり合えて、開眼した。 ■ 研究職は厳しくも平等な世界 ポスドク等の有期雇用の立場では、成果を出さなければ次は無い。また評価を得ていく過程で、自らの研究目的や、成果を誰にでもわかりやすく説明出来るプレゼン能力も必要。しかし、学生・ポスドクといった立場であっても、世界初の発見・発明に対しては、個人として評価される。仮に、多少なりとも自分のキャリアや感心と違う研究を行う必要があったとしても、そこで成果を残せれば、次にチャンスが巡ってくる事もある。 ■ 誰も見たことの無い世界に挑める興奮 研究職は決して恵まれた立場の職業ではないかもしれない。しかし、好きな事を追求出来る数少ない職業の一つ。他の職業では味わえない、世界初を垣間見るチャンスがある。その興奮を一度でも味わうと病み付きになる。その成果が世界中で使われたり、人の役に立った時に、「ありがとう」と言ってもらえるのは、何よりも嬉しい。 これらの事を拝見し、科学者という職業が特異な世界ではなく、数多くある職業の一つであると感じました。むしろ、スポーツの世界や、芸能界といった、個人の資質やスキルが求められる世界と似ているというべきでしょうか。無論、高度に専門的な知識が必要という点は、他の分野を大きく引き離していると思います。しかし、最終的には知識よりも問題を解決する能力の方が求められているというのは、変化のスピードの激しい市場経済においても同じ事。とことんまでその分野に向き合えるかどうかが、最終的にその人の資質と職業の相性を決めるというのも、全ての業界に言える事のように思いました。 むしろ、一般サラリーマンの職種では、そこまで向き合えるような魅力的な仕事が殆ど無いというのが問題に感じる程。そうした意味では、例え苦しい境遇があろうとも、研究職という仕事は大変魅力的な仕事の一つであると感じました。また、大学受験目的の詰め込み教育一辺倒の中高の教育体制はやはり見直すべきポイントがあるのかもしれませんね。 また、ロボット工学等に手を染めていなくとも、子供の頃に読んだアトム等の漫画に強く影響を受けたという方が非常に多かったのも印象的でした。そうした意味では、湯川秀樹氏のような天才科学者の存在はもちろん、手塚治のように正しいベクトルの夢を与える人や、身近に科学を感じさせる科学館の存在、身近に居て親身に相談に乗ってくれる先生の存在が、非常に重要なのだと改めて感じさせられました。今後の社会においては、どんなモノに影響を受けて科学の世界を目指す子供が出てくるのでしょうか。こうした本がその一端を担えると良いですよね。
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