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先日の日曜日、テレビ東京系列の番組「ソロモン流」で、杉本彩が出ていました。離婚会見の際、セックスレスが原因だったとのたまい、ロンドンハーツ等でも歯に衣を着せぬ発言で、そのセクシャリティをオープンにさらけ出している事はご承知の通り。最近は、映画においてフルヌードをも披露し、女性の目から見たセックスシンボルとしての地位をも獲得しています。 実は、先日の岡本太郎氏の本、「自分の中に毒をもて」を読んでいて、私はこの人の事を思い起こしていました。本当にこの人は自らの中に潜む熱き思いに対し、果敢に挑戦する人だと思います。 単にエロティックなもの、欲情というものを利用して、売名行為を行なっているのとはワケが違うと思います。自らの中に潜む本質、仮にその存在が自らの中に蠢いている事に気づいていようとも、普通であれば羞恥心ゆえひたすらに覆い隠す部分。そうした一種タブーな領域とも受け取られかねない自らの本質に対して真っ向から向かい合い、自らの魂を何処まで解放できるのか、さらけ出す事が出来るのかに挑戦すらしているかのようです。 また、当然ながらそうした行為が単に下品なものとして終わらせるのではなく、一種恍惚感にも似たアートにすら通じる領域にまで高めようとしていると思います。ヌードになっているから、単に身体つきがセクシーだと言うつもりはありません。そういう事ではなく、そうした自らを高めてゆく探究心が彼女を美しく魅力的な存在にしていると思うのです。 とは言え、彼女の本質はそうした一流の大人の女というスタンスだけではないと思います。魅せる領域として鍛え上げられた部分とは異なる、ふと見せる弱い少女の部分。そうした狭間で見せる、ほんのちょっとした恥じらいの部分。そうした部分にこそ、彼女の本質が見えるような気がするのです。強い女の中に見えかくれする、弱い女の部分、個人としての素の部分。そのギャップの大きさ、恥じらいがあってこそ、その色香というものがさらに艶やかさを増しているように思います。 そう、ただ単に露骨に色気を押し売りしている叶姉妹等とは全く違うように思うのです。実際、私は彼女の裸に強い興味があるというワケではありません。普段テレビで見せているような部分を端的にさして、彼女を理想の女だと思う気も言う気もありません。また、世のあらゆる女性が彼女のようになる必要など全くないと思います。どちらかというと、この番組で見せている、普段着に近いラフな彼女の方が外見的には魅力を感じる程です。 もしかしたら一流の大人の女である事を極めるために、ワザワザここまでのセクシャリティをさらけ出す必要などないのかもしれません。しかし、それをやってこそ杉本彩である。そうした強い自負が見てとれます。また、そうした自らの行動にここまでのプライドを持つ人は男女の垣根なく考えてもそうそういないと思います。ただ単に安っぽく全て(裸を含めて)をさらけ出すのではなく、”互いが刺激的である為の色香を醸し出す”という事に、これほど立ち向かえる人は、男・女含めて、なかなかお目にかかりませんね。そうした唯一無二の存在として、杉本彩という人間に対して興味を抱かざるを得ません。 ちなみに、結婚観に対する意識に関しても岡本太郎氏と似ていると感じる部分がありました。太郎氏も生涯独身を通していました。太郎氏は言います。恋愛とはかならず片思いであり、両者の思いが完全に対等のレベルであるという事はありえない。場合によっては片思いでも良い。いや、恋愛というものは常に片思いなのだ(どれだけ肉体関係があり、結婚すらしていようとも)。対等だと信じていると、変に束縛したり、束縛される事を嫌だと感じてしまうのだと。そう、ある意味互いの自由を尊重し、自らの思いに忠実であるとうスタンス。刺激を覚える意見ですね。
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