|
今日は、太平洋戦争の終戦記念日ですね。多くの犠牲者が出てしまった、悲惨な戦争。目の前の敵を殺す事でしか自らの命を守る事が出来ない世界。兵士として亡くなっていく者。誰一人、望んで出兵した者などいないと思います。兵士を支える力として、亡くなっていく民間人。何も民間人が亡くなったのは、原爆による被爆者だけではありません。民間人が、兵器・物資の生産・供給に参加する事で、戦争に加担していたとも言えます。全てが加害者であり、被害者である戦争。なんと愚かな行為なのでしょうか。 そういった加害者・被害者という存在は、日本だけにとどまりません。日本にとって対戦国であった国々はもとより、植民地化していったアジア諸国に対する様々な戦争行為における被害者は存在します。今日という日において、そういった愚かな行為を二度と起こさぬよう反省し、日本を守ろうとして亡くなられてしまった方々と共に、諸外国における被害者の霊を含め弔いたいと思います。 さて、小泉首相、本日靖国神社へ参拝しましたね。戦没者・英霊に対する弔いの思いと、二度と戦争を起こさぬよう反省の思いを国歌の代表として行ないたい。そういう事だと言います。また、これが選挙公約でもあり、いつ参拝しても、国内外からの批判を受けるのなら、別に今日参拝しても同じだろう。という皮肉でもあるのでしょうね。これに対し、早速韓国・中国が声明を出し、その参拝に対する強烈な抗議が発せられています。 こういう諸外国(韓国と中国)からの声に対し、小泉首相曰く、内政干渉はいかがなものか。と、言う意見は理解できます。また、戦争で亡くなられた方を弔いたいという気持ちは理解できます。が、しかし、イタズラに諸外国を刺激する要因となっているのは事実であり、諸外国との関係の悪化をどれだけの国民が望むというのでしょうか。そもそも、首相が靖国神社に参拝する事を望んでいる国民がどれだけいるというのでしょうか。参拝する自由はあると思いますが、このような状況下において、国を代表とする総理大臣として公式参拝する必要はあるのでしょうか? A級戦犯の合祀問題が取沙汰される中、そちらの問題をクリアにしないまま、このような行為をする事は問題をこじらせているだけなのではないかと感じます。 また、この問題になると、そもそもA級戦犯問題として東京裁判の合法性が取沙汰されます。あれは連合国・アメリカの一方的な行為であり、公平な裁判ではないと。敗戦国が、一方的な形で裁かれ、勝利国には戦争犯罪者はいないのか?と、いう意見が必ず出てきます。しかし、あの裁判を受け入れなければ、国際社会における日本の復興はありえなかったとも言われます。そういった事柄に関して、詳細な説明や教育というものは、戦後の義務教育では触れられてこなかった現実。諸外国からの指摘がどれだけ正当なものなのか。政府の言う通り、既に謝罪は済んだといえるものなのか。これらの批判は、韓国・中国政府による不当な国民教育(一種の洗脳)による政策による影響なのか。そもそも戦争行為に至った歴史や、その責任が誰にあり、きちんと戦争責任が問われたのか。仮に首相の靖国参拝が中止され、A級戦犯が分祀されれば、これらの問題は本当に沈静化するのだろうか。それこそ、この手の話題がエスカレートすると、経済や安全保障の名の元に今尚アメリカの思うままにされてしまっている実態にまで話が飛躍します。 戦後の責任追及行為を誰しもが棚上げにしてきた為に起きていると言われるこれらの事柄。TVの特番を観ても、誰しもが感情で批判するばかりで、何を信じれば良いのでしょう。これらの問題は、今日のような終戦記念日に関わらず、ワイドショーレベルのメディアでイタズラに扱うのではなく、国として明確に国民に説明をすべき時期に来ているのではないか。そう感じます。 「勝てば官軍、負ければ賊軍。」「歴史は勝者によって作られる。」そういう言葉があります。逆に言えば、日本は敗戦国としての「業」を、今なお背負っているのだという事を否応なく感じさせられますね・・・。 Wikipedia:極東国際軍事裁判 追伸)
この記事を書いた後、総理は記者会見を開き、こう述べました。参拝の立場については、「総理大臣である人間・小泉純一郎が参拝している。職務として参拝しているのではない」と。私としては、あの様子のどこが個人参拝なのか?公式でなくて一体何なのか?理解に苦しみます。 |

>
- 政治
>
- 政界と政治活動
>
- その他政界と政治活動





