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『自分しか証人のいない試練』
自分を試練にかけよう。
人知れず、自分しか証人のいない試練に。
たとえば、誰の目もないところで正直に生きる。
たとえば、独りの場合でも行儀よくふるまう。
たとえば、自分自身に対してさえ、一片の嘘もつかない。
そして、多くの試練に打ち勝った時、自分で自分を見直し、自分が気高い存在であることが分かった時、
人は本物の自尊心を持つことができる。
このことは、強力な自信を与えてくれる。それが、自分への褒美となるのだ。
ニーチェ『善悪の彼岸』より。
いい言葉だ。いい言葉だけれど、私にはまだ実践できそうにない。自分で自分を陥れる行動しかできない。それは、自分がいやしく最低な人間であるということを、自分に分からせたいのかもしれない。落として落として、奈落の底まで落としこんで、這い上がることさえも許さず。ズタズタにボロボロに。
誰よりも幸せになりたいのに。誰よりも愛されたく必要とされたいのに
『だから、私は愛されないのだ。だから、私はダメなのだ』と言い訳するためなのか??
私は何を求めているのだろうか??幸せになりたくないのか??
幸せになるための行動はわかっているはずなのに、出来ないのはなぜなのか??
私の幸せは何だったのだろう。??
自分にもともと自信がないのも、今までの自分の行動が自分の理想とかけ離れているからなのだろう。。。
理想は誰よりも高いのかもしれない。
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最近思うことがあります。
誰かから必要とされたいと思うことは大事なことかもしれないけど、それは誰かのためではなく自分の存在意義を誰かに求めてしまっているだけのなのではないか?、と。
誰かから必要とされている間はいい。
でもそうでなくなってしまった、自分の存在意義を失ってしまいかねない。
それはとても危険なことです。
最近は誰かから必要とされたいと思うのではなく、共に笑って楽しく過ごせるような時間を共有したいと考えるようにしています。
自分から笑いや喜びを提供出来るように…
それは結果として誰かから”この人となら楽しい時間が過ごせる”ということで必要としてくれるのではないかと思います。
これも理想論だし、そう簡単に考え方は変わらないと思いますけどね
2012/7/3(火) 午後 11:12 [ nao ]