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15年前の今日午前5時46分、 淡路島北部沖を震源地とした地震、 阪神淡路大震災(正式名称:平成7年兵庫県南部地震)が起こりました。 今日1日、ニュース等で様々な映像や取り組みが紹介され、 皆さんも見られたとは思います。 私はその時京都にいましたが、 その時の揺れは体感した中では一番凄く、家中がきしみ、 「このまま下敷きになるのでは」という「死の恐怖」というものを、 初めて感じたことを今でも鮮明に覚えています。 京都でそういう状況でしたから、 神戸や淡路島では相当な恐怖だったと思います。 神戸の系列病院に医療支援隊として、 震災1週間後に神戸の街に入りました。 私は震災前から神戸という街が好きで、 「アホの一つ覚え」のようにデートコースにしていました。 そして震災後、初めて神戸の街に入ったときは完全に言葉を失いました。 このときには既にTV等で街の状況が映し出されていたので分かってはいたのですが、 いざ神戸に着いて目に飛び込んできた光景は、 画面や写真で見るのとは大違いでした。 倒壊した建物、横倒しの阪神高速、火災跡の焦げたにおいと白煙… そして病院に着いてからもショックの連続でした。 震災直後から支援に入っていた先発隊から「まるで野戦病院や」との報告を受けていたので、 覚悟して入ったのですが、1週間経って状況は変わってました。 運び込まれる被災者の容体が、 今までは「生きている状態」の被災者が圧倒的に多かったのですが、 私達が入った頃からは、すでに呼吸停止・心停止状態の方が多くなって来ていました。 今までの人生の中で一度にあれだけの数のご遺体を見、運んだという経験はありませんでしたし、 これからももうないと思います。 そして現場では、人の命を救いたくて医師・看護師になったのに、 流れ作業のように臨終を宣告して行かなければならない。 それでも「仕事」をしている間はいいのですが、 交代時間になってフッと気がゆるんだ瞬間、 感情があふれ出してしまうのか、 建物の死角でかみ殺したような泣き声が聞こえてくる状況は、 私の心に今でも突き刺さっています。 そんな中で1人でも多くの被災者を救おうと奮闘している医師・看護師たち。 その殆どが同時に被災者でもあり、 中には家族を失っているにもかかわらず、 それを押し隠して救護にあたっているその姿は、 今後どんなことがあっても忘れないです。 神戸の街並を見ていると何となく復興したように思えます。 しかし、震災前から神戸の街が好きでよく遊びに行っていた私から見て、 三宮周辺や繁華街は震災前の姿を取り戻した感がありますが、 そこから少しでも離れると、 駐車場や空き地になっているところが所々にみられ、 やはり街並は変わったという印象を持ちます。 消えていない状況が一方であります。 国・地方自治体の政策として、耐震強化・震災復興等のハード面はもとより、 被災者の医療・生活面、特に震災後の心のケアといったソフト面の充実を、 積極的に実行してほしいと願って、私の独り言を終わります。 (Pigmon)
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神戸の学校に通い卒業後も「アホの一つ覚え」みたいに神戸に遊びに行っていた者です。
救援物資を積んだトラックなどで何十回も神戸中を走り回りました。
忘れられませんね。
2010/1/18(月) 午前 8:47 [ こまちょふ♪ ]
こまちょふさん、コメありがとうございます。
心ならずも亡くなられた6400人以上の被災者の方たちの為にも、
あの震災の現場に立ち会った私たちが、
生き残った方々と一緒になって、
「阪神淡路大震災」を風化させることなく、
語り継いでいかなければいけないのかなと、
強く感じています。
(Pigmon)
2010/1/18(月) 午後 0:57