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先日、名古屋の小学校で教師が生徒に過激派組織・ISIL(イスラム国)が殺害したとされる、 湯川さんの修正されていない画像を見せた事がニュースになりましたが、 その後も愛知県春日井市の小学校や栃木県さくら市の中学校でも、 教師が生徒に画像を見せるという事が相次いで報道されました。 画像を見せた教師達は、 「報道の在り方を学ばせたかった」、 「非人道的な行為をしないでほしいという思いで見せた」等と言っているそうですが、 私にはその意味がわかりません。 彼らの言い分なら他に幾らでも方法はある筈で、 湯川さんや後藤さんの殺害されたとされる無修正の画像を、 小中学生に見せる必要性は全くありません。 私はISILがYouTubeで流した直接の画像を見てしまいましたが、 二度と見たいと思わないし、 それが普通の感覚だと考えます。 しかし彼らはその動画を保存し子どもに見せています。 子どもに見せる事もそうですが、 そもそも殺害現場の画像を保存する行為そのものが、 倫理観がマヒしていると思わざるを得ません。 捜査関係者が殺人事件の証拠の為に画像を保存するならまだしも、 捜査する必要のない人間が殺害現場の画像を保存する必然性がありません。 保存するという事は繰り返し見る為としか考えられず、 倫理観だけでなく人として感じる嫌悪感もマヒしていると感じてしまいます。 今回問題になった教師の年齢は20代・40代・50代と世代は関係ありません。 現代社会は利便性を追求する中で技術発展し、 様々な情報ツールが構築された結果、 情報が洪水のように溢れています。 その情報は善意・悪意それぞれが入り混じっています。 しかし今回の教師のように子供に見せる人や、 画像を保存してネット上で拡散する人がいる様に、 「情報の洪水」に流されるがまま、 善悪の判断を「放棄」している人々が増え続けています。 だからこそ私たち『見る』側が情報の善悪を見極める力を、 しっかりと見につけることが重要になっているのではないかと痛切に感じています。 以上、私個人の一考察でした。 (Pigmon)
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2015年02月11日
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