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一休みした吉川師匠と、隆史と奈緒の3人を前にして、真希は一生懸命薄茶点前をした、つもりだった。
点前の順序は一つも間違えず、茶碗の中で振った茶筅もいつになく軽く、きれいに細かい泡が立ったお茶を点てることが出来た。 お湯がたぎっている釜から水を一杓汲み、茶碗にあけてから湯杓の合を釜の口に置く。 そのまま右手の親指をくるりと回して手のひらを伸ばし、すうっと柄の端まで持ってきて、親指と人差し指とで柄をつまんで静かに下ろす、「引き柄杓」。いつもはうまく出来ずに苦手な意識を持っているこの動作も、今回はうまくできた。 吉川師匠は、黙ったまま真希の点前を見ていた。 隆史と奈緒も、師匠に習って黙ったままだった。 道具をしまいつけ、建水・湯杓・蓋置きを水屋に持っていって、茶道口に座り、 「失礼致しました」 と、真希は真の礼を深々とした。 茶室の一同も、真の礼で答える。 「武田さん、だったかの?」 一呼吸おいて、吉川師匠は真希に話しかけた。 「は、はい!」 真希は、顔をあげて師匠の顔を見た。にこりと優しい微笑みをたたえている。 「きれいなお点前でしたよ。あんたさん、お稽古を初めてどれくらいかね?」 「はい、ええと・・・5ヶ月、です」 ほう、と感心した息をついて、師匠はしばらくの後口を開いた。 「5ヶ月でこれだけ出来ればたいしたものじゃ。・・よいかな、今から私が言うことは、あんたさんがこれだけ出来ているから言うんじゃよ。」 何を言われるんだろう・・真希はちょっと背筋を伸ばした。 師匠はまっすぐに真希の目を見て言った。 「武田さん、あんたさん、茶を点てるだけなのになんでこんな面倒くさい点前をせなならんのかと思うとらんかね?」 真希のびっくりした目を見て、吉川師匠はいたずらっ子のような顔になった。 「なんでお点前なんかあるのかねえ・・・答えは、自分で見つけることじゃよ。自分で、腹の底から感じることじゃよ・・そうすれば、もっとお茶を愉しむことができろうて・・」 狐につままれたような真希の顔、隆史、奈緒の顔を交互に見て、師匠はいかにも愉快そうに呵々と笑った。 「『茶の湯をば心に染めて眼にかけず 耳をひそめてきくこともなし』 目的を間違えてはいかん。・・自分のために、お客様のために。精進しなされや!」 「は、はい!ありがとうございます!」 師匠の言われた言葉はどういう意味だろう、と考えながらも真希は頭を下げた。 「・・とはいえ、若いモンに心配してもらうとは、私も修行が足りんのぅ。本日は、誠にありがとう。よいお席でした。」 吉川師匠は深々と若者たちに頭を下げた。 午後になって明るさを増した秋の日差しが、静かに茶室にも暖かさを運んできていた。 |
GIRLS, CHA CHA!
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高校の茶道部で指導されている方のブログからインスパイアされました(笑)!!茶道版「スウィングガールズ」!?
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真希は、静かに水屋から出て「とん」と音を立てて襖を閉めた。 「私はしばらく茶室から離れています」 という合図のつもりだった。 真希と隆史と奈緒、3人は玄関から建物の外に出て、門の近くにあるベンチに腰掛けた。 「ご協力ありがとうございました!すみません、私の勝手な思いつきに引っ張り込んじゃって…」 真希は隆史と奈緒に向かってぺこりと頭を下げた。 「いや、とんでもない。こっちこそ、ありがとうな。」 隆史は優しい微笑みを真希に向けた。 「多分、こういう機会でもないとうちのばあちゃんずっと頑ななままだと思うんだ。 茶室の中で二人、何を話しているのかはわからないけど・・もしかしたら一言も話してないかもしれないけれど・・・。同じ空間の中で二人、お茶を点てる者と飲む者と・・・その時間を共有していることって、あの人達にとってすごく有り難いことだと思う。 だから・・ありがとう。君のお陰でいい贈り物ができたよ。」 奈緒も頷いた。 「うん。おじいちゃんと開発先生が、別れてからのそれぞれの人生は、間違っていたとも思わないけれど・・現に私達が生まれているからね。それでもやっぱり、おじいちゃん達は何かお互いに伝えたかった気持ちは持っていたと思うよ。私もおじいちゃんになにかしてあげたいなと思っていたの。ありがとう、武田さん。」 「ううん・・・私こそ。開発先生や吉川師匠に大切なこと、たくさん教えてもらったから…」 真希は照れ笑いをして向こうの木々に顔を向けた。 穏やかな秋の日。色づき始めた公園の木の葉っぱを、風がそよと揺らしていた。 開発先生と吉川師匠のこの時間が、二人にとってかけがえのない一時になりますように・・・ 「・・・まったく。先生にお点前をさせる生徒なんて、初めて聞きましたよ。」
開発先生は、骨ばった細い指で茶碗を洗いながら、真希に向かってぼそりと言った。 「すみません・・・。」 茶巾をたたみながら、真希の返事も思わず恐縮して小さくなる。 真希が頃合いをみて水屋にもどった時、ちょうど開発先生がお点前を終えて茶室から出てきたのだった。 茶室の中の吉川師匠は躙り口から庭に出て、隆史達と休憩してもらっている。 「でも・・・」 茶碗を洗い終えた開発先生はタオルを取って丁寧に拭き始めた。 「まあ、よい時間を過ごさせてもらいました。お陰でね。」 一瞬だけふっと微笑んだ開発先生の横顔は、真希がはっとするほど美しい表情だった。 が、ドギマギしている真希に向かって振り向いた次の瞬間には、もういつもの厳しいガイコツ先生だった。 「さ、今度こそしっかりお点前しなさいよ!なんですかそのたたみ方は!」 |
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開発先生は水屋で1人、真希がお菓子をお客様に出して戻ってくるのを待っていた。
お点前をする者の補佐、つまり手伝いをする人のことを「水屋」と呼ぶこともある。水屋となった者は点前をする「亭主」がスムーズに点前を運べるよう、頃合いをみて適宜お道具などの準備をしなくてはならない。むしろ点前をするよりも熟練した気遣いが必要な役でもある。 だが、その「水屋」役を1人で受けもった開発先生は、茶道口から戻ってきた真希の顔を見て思わず声をあげそうになった。 真希の顔は、苦しそうにゆがんで絶え絶えに息をはいている。 「せ・・先生・・」 真希はしゃがみこみ、小さな声で苦しそうに開発先生に訴えた。 「ど・・・どうしたんですか。武田さん」 開発先生もひそひそ声で真希に問いただす。 「お腹が・・・急に痛くなって・・・。どうしよう、もうお菓子も出してしまったのに・・・」 真希は腹の辺りを押さえてうずくまってしまった。 仕方ない。茶室の中にいるお客様に事情を話して・・・ 開発先生が立ち上がって茶道口へ向かおうとすると、真希は先生の着物の裾をつかんだ。 「お願いです、先生・・・今回私の代わりにお点前してもらえませんか・・?」 「何を言っているんです。あなたのお腹が・・」 「私ならしばらくすれば大丈夫です・・・お願いします。失礼なことを頼んでいるとは十分わかっているんですが・・・先生にお点前して頂きたいんです」 真希は真っ赤な顔をしながらも、先生の前に茶碗を差し出した。 金の継ぎ目がすうっと入った、あの牛の絵唐津茶碗だ。 「武田さん・・・!」 真希は精一杯の力を込めて、開発先生の目を見た。 開発先生は一瞬迷っていたが、やがてあきらめたように頷き、牛が描かれている唐津の茶碗を持ち上げた。 茶室への入り口である茶道口に座り、茶碗を右膝の前に置いて深々と一礼した開発先生が顔をあげたとき、 「!?」 茶室の中の様子を見て、動きが止まった。 開発先生が茶室の中に見た客は・・・吉川師匠1人のみだった。 思わず水屋に座っている真希の顔を見る。真希は、「お願いします!」という目で返事をした。 その瞬間、この老婦人には真希の意図がわかったようだった。 ちょっと赤くなったような、すねたような顔を一瞬真希に向けると、茶碗を手のひらに乗せて茶室へ入っていった。 水屋に残った真希は、静かに長いため息をついた。 なんとか・・・行ってくれた・・・。 その時、廊下側の襖が開いて、隆史と奈緒がそうっと顔をのぞかせた。 「OK?」 隆史がささやいた。 真希はにこっと笑って親指と人差し指とで○を作って見せた。 |
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きれいに打ち水されている玄関から中に入ると、吉川師匠はすぐ横の小さな部屋へ案内された。 部屋の真ん中に赤い毛氈が2枚並べて敷いてある。 床には、菊の絵が描いてある色紙。 ほどなく襖がすうっと開いて、汲み出し碗をお盆に乗せた隆史が一礼した。 「お湯を召し上がりましたら、本席の方へどうぞ。」 手のひらの中にすっぽりと入る小さな茶碗から一口お湯をすすると、ふと顔を上げて師匠は隆史に尋ねた。 「今日の客は私1人かね?」 「いえ、準備をすませたら僕と奈緒さんもお相伴させて頂きます。ばあちゃ・・いや、開発先生に水屋に入って頂けることになりましたので。」 隆史は師匠に向かってにっこりと笑顔をみせ、そのまま奥へ下がっていった。 茶会を催し客にお茶を呈する為には、招いた側は様々な準備をしなければならない。お道具の準備はもちろんのこと、火の用意、お茶・お菓子の用意、玄関や待合い、茶室、床を整える・・・など、初心者が1人ではとうてい無理である。 見たところ、諸々の準備などは隆史や奈緒が受け持って済ませたのだろう。二人が仕事を終えて客役になったとしても、開発さんが水屋にいてお点前さんを補佐するのなら大丈夫だろう・・・。 吉川師匠はお湯を飲み干すと、一呼吸おき、お床の色紙を再度拝見してからやおら立ち上がった。 師匠が待合いを出て庭の飛び石を伝い歩いている頃。
茶室の隣にある水屋では、真希が開発先生に点前の準備を見てもらっているところだった。 奈緒はお菓子を菓子鉢に盛りつけ、水で湿らせた2本の黒文字を菓子鉢に渡した。 襖が静かに開き、隆史が汲み出し碗を盆と共に持ってきた。 「師匠、出られました。」 開発先生は、隆史の方をみて頷き、 「こちらはもう結構ですよ。あなた達はお席の方へまわって頂戴。」 静かに、きびきびと言った。 隆史と奈緒は顔を見合わせ、「では。」と立ち上がった。 隆史は部屋を出る間際に、真希に向かって小さく頷いた。 真希も隆史に目で頷き返した。 二人が出て行ってしまうと、水屋には真希と開発先生の二人きり。 点前の準備もすっかり出来た真希は、先生と二人、じいっと息を詰めて茶室の中の音に耳をすませていた。 ぎし、と躙り口の開く音、続いてしゅっ、しゅっ、と衣擦れの音。師匠が入ってこられたらしい。 静かな足音がお床へ向かっていることを知らせる。 続いて、1人、また1人と入ってくる音。隆史と奈緒だろう。 中の足音が落ち着いた頃を見計らって、開発先生が真希に小さく指示した。 「お菓子を。」 真希は頷き、わずかにふるえる手で菓子鉢を持って茶室の入り口に座った。 |
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「おす。ばあちゃん迎えにきた。」 爽やかな声とともに表れたのは、若様だった。 「隆史さん、お疲れ様です。今日は早かったですね。」 「ああ、講義が休講になったから。ついでにこっち寄ってみた。どう?みんな稽古進んでる?」 外は暑かったのか、額にかかる汗を拭きつつ若様は浅井さんと話していた。 若様が和室に来ると、心なしか部屋の中が浮き立ったような活気あふれる雰囲気になる。部員がみんな(男子も女子も)開発先生のお孫さんであるこの好青年を慕っているのがわかる。 真希は、若様の周りから人がひいていった頃を見計らって、小さな声で思い切って声を掛けた。 「隆史さん。」 「おう。久しぶり。どうだった?お点前。」 「お陰様で・・・大分慣れてきました。それで・・あの。ちょっと相談したいことがあるんですけど・・今、いいですか?給湯室の方で・・」 隆史は「?」という顔をしたが、真希の顔を見てにこっと頷き、立ち上がった。 真希はドキドキする胸を押さえながら、和室を出て廊下の給湯室へ向かった。 給湯室のドアを開けると、そこには吉川奈緒が立っていた。 「お待たせ・・」 真希が言うと奈緒は黙って頷いた。 真希と奈緒と隆史。 3人が揃ったところで、真希は口を開いた。 「相談というのは、お点前の予行練習のことなの・・」 残暑も和らぎ、秋の気配が街中の木々や日差しにも表れてきた9月下旬の日曜日。
からっと晴れた青空の下、吉川師匠は公園の中を悠々と歩いていた。 過ぎゆく季節を惜しむかのように、単衣の着物を装い、その上に軽やかに十徳を羽織っている。 公園の中には散歩中の犬を連れた親子連れ、ジョギングをしている若者、みなそれぞれ秋晴れの休日を楽しんでいるようだった。 このかくしゃくとした老人が向かった先には、市の所有する茶室がある。 吉川師匠は茶室の前に着くとしばらく立ち止まり、まぶしそうに茅葺きの屋根を見上げた。 玄関から、奈緒がついと出てきた。 「あ、おじいちゃん。いらっしゃい。ちょうどそろそろ準備が出来たところ。」 「刻限は早めに、な。」 おじいちゃんは孫娘に向かってにっこりと笑った。 奈緒から茶席の招待を受けたのは2週間前だった。高校の茶道部から地区大会の学茶席に披露するお点前の予行練習として、本番さながらに稽古をつけて欲しいという。 これまで何百人もの学生に稽古をつけてきた師匠にとって、若者の席に招待されるのは何よりも嬉しいことであった。 |



