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正午の茶事
 茶事の基本。四季を通じて一般的に行われる。午前11時から12時頃の案内隣、4時間ほど要する。
 風炉の時期・・・<初座>席入り→懐石→初炭→中立ち<後座>濃茶→後炭→薄茶
        ※火をおこす前に懐石を出すのは、少しでも暑さを感じさせないため。
 炉の時期・・・<初座>席入り→初炭→懐石→中立ち<後座>濃茶→後炭→薄茶
 
朝茶(朝茶事)
 現在は初夏から暑中にかけて催す。早朝6時頃の案内。
 懐石の前に炭を置き、釜に水を加える。
 懐石は、軽快淡泊を旨とし、向付に生ものを避け、焼き物を省略する。
 後炭も省いて続き薄茶にし、午前9時頃に会を終わらせるのが望ましい。
 
夜咄・夜会
 厳冬の12月から2月いっぱいの夜長を楽しむ。午後5時頃の席入り。
 初入りのあと、薄茶(前茶)で暖を取って貰い、初炭、懐石となる。
 懐石では温かいものをお出しする。蓋向も喜ばれる。
 後座の床には花は飾らず、セキショウを植えた鉢を置くこともある。
 続き薄茶
 最後に亭主は箱炭取りを持ち出して、炭火を直し、しばし語らう。=止め炭
 ※迎え付けにて、亭主と客の手燭の交換
  短けい、手燭、膳燭、行灯などの照明具
 
暁・夜込
 別名「残灯の茶事」。深夜から明け方の風情を楽しむ会。
 案内は、寒中の午前4時頃。
 約3時間の間に、前茶、初炭、懐石、中立、濃茶、つづき薄茶の順で進める。
 初炭の時、釜を勝手に持って入り、井華水(暁のうちにくんだ水)を満たし、濡れ釜にして持ち出す。
 夜の明けるのを待ち、行灯を勝手に引き、天井の突き上げ窓を開ける。
 
飯後の茶事
 別名「菓子の茶事」。一年を通して、炉・風炉とも行う。
 朝食あるいは昼食後の時刻に案内する。定例の飯時をはずした時刻に案内するので「時外れの茶事」ともいう。
 食事のもてなしは略して、「吸い物・八寸」だけにする。
 菓子は菓子椀に盛り、吸い物膳に乗せて出す。縁高を用いてもよい。
 
跡見の茶事
 一年を通じて行う。
 一会の茶事のあとにその茶事の風情を拝見したいと、客から所望があった場合に招き入れる茶事。
 できるだけ前の茶事の姿のままであることが要。
 茶入れを仕服にいれず、そのまま水指の前に飾ることも。
 懐石は必要なし。吸い物・八寸で一献程度にする。
 
臨時・不時の茶事
 不意の客をもてなす。
 案内の時間は一定しない。前礼はなく、定法はない。
 
口切りの茶事
 立冬の頃、炉を開き、今年詰めた茶を出すため、茶壺の封を切って新しい茶を賞味する会。
 茶事の手順は炉の正午の茶事に準じる。
 案内は早めの時刻。
 席入り後、茶壺の拝見。
 「御茶入日記」を拝見に回す。
 初炭の炭取りは新瓢が喜ばれ、菓子に祝儀の意味で柿や栗が添えられることも。
 
名残の茶事
 10月中旬から11月初旬に行われる。
 茶壺に残った最後の茶の残りを惜しむ風情。
 風炉正午の茶事と同じ流れ。
 新しいものを使わず、万事控えめに整える。
 「破れ風炉」「板風炉」、藁灰など。
 花には残花や返り咲きのもの、「よせ香」など。
 
一客一定の茶事
 別名「独客の茶事」。
 懐石、濃茶、薄茶とも亭主が席中で相伴する。
 
立礼の茶事
 点茶盤(裏千家十一代玄々斎創案)を使う。
 風炉を使うが、茶事としての季節は問わない。
 床には、掛け物は高めの位置にするか、横物をかける方がよい。
 亭主と客の間を取り持つ給仕役(半東、後見)が必要。
 
 
茶事と茶会の違い
「茶事」・・・茶を媒介にして人が茶室に集い、飲食を楽しむ会。
       日時を定め、客組を定め、炭手前、懐石、濃茶、薄茶を順に行う事が正式の茶事となる。
 正午・・・最も正式で基本の茶事。
 朝茶・・・夏期の朝の涼しいうちに催す。
 夜咄・夜会・・・冬期の夜長の頃、灯火のもとで行う。
 暁・夜込・・・夜明けの風情を楽しむ、ごく早朝の会。
 飯後・・・朝または昼の食事後に案内する。
 跡見・・・一会の茶事のあと、客からの所望により会後の趣を楽しむ。
 臨時・不時・・・突然の来客を迎えて催す。
 その他
 口切・・・十一月に炉を開いたあと、茶壺の封を切り、新茶を味わう。
 名残・・・十月中旬から十一月初旬の風炉の時期に、茶壺の残りの茶を惜しんで催す。
 一客一亭・・・亭主一人に客一人の会。
 立礼・・・主客とも椅子に雑誌手行う。
 
「茶会」・・・茶事の要件の一部を欠く集まり。多くは薄茶だけの会。
 
茶事の流れ
 
前半 初座(前席) 
中立ち
後半 後座(後席)
維新後の茶道
 
井上馨(世外) 「八窓庵」移築披露茶会(明治20年):衰退していた伝統文化特に茶道が復興するきっかけとなる。
 
和敬会の発足
 平戸藩主松浦詮(心月庵)伯爵が中心となって発足。
 石黒况翁、安田善次郎、益田鈍翁、馬越化生、高橋箒庵、三井高保、団琢磨ら
 
岡倉天心と『茶の本』
 わび茶の美意識と歴史、茶室、茶花などについて
 
近代の数寄者たち
 
益田鈍翁:「大師会」(弘法大師の命日に開く。)西の光悦会と並ぶ2大茶会
 
高橋箒庵:茶道ジャーナリストとして執筆活動。
       茶会記『東都茶会記』『大正茶道記』
       名物茶道具集『大正名器鑑』
 
高谷宗範:平井貯月庵より遠州流宗鳳派を学び、のち遠州流小堀宗舟を迎えて遠州流茶道保存会を結成。
       大阪の数寄者の集まり「十八会」の会員
       京都に「松殿山荘」を建設。儒教的礼儀・道徳としての茶道の振興を求める。
 
同時期の数寄者:根津青山、原三渓、小林逸翁、畠山即翁、野村得庵、五島慶太 茶道具を収集、各自の美術館に収めた。→根津美術館、逸翁美術館、畠山美術館、野村美術館、五島美術館
茶道具が使われることなく保存される→数寄者の茶の終わり
 
女子教育と茶道
 明治8年跡見花蹊創設の「跡見学校」で点茶の科目が設置
 京都府高等女学校 裏千家12代又玅斎が茶道の教授に当たる
 
大衆の茶の湯の時代
 献茶の定例化 京都の北野神社で命じ13年に初めて献茶 以降定例化
 
 昭和北野大茶の湯:昭和11年 根津青山、鴻池善右衛門、野村得庵ら
 利休350回忌:昭和15年
 
わび茶の再編
 
元文5年(1740):利休150回忌
 茶道人口増大化の時代
 表千家如心斎宗左、裏千家一燈宗室、川上不白らにより※「七事式」が考案される。
 ※茶カブキ、廻り炭、廻り花、且座、花月、一二三、員茶
  八畳の広間で一度に五人以上の稽古を原則とする。
 
川上不白
 紀州の人。江戸と京都を往復し、如心斎宗左のもとで茶の修行をし、駿河台に「黙雷庵」を営む。
 江戸の神田明神内に「蓮華庵」「花月楼」を築く。
 
藪内5代不住斎竹心
 京都西本願寺に参仕
 千利休のわび茶への回帰を主張
 『源流茶話』『茶道霧乃海』『茶道朱紫』『真向翁』
 
松平不昧
 出雲松江7代藩主。
 江戸に別邸「大崎園」、松江に「菅田庵」、「明々庵」などの茶室
 大徳寺狐篷庵を再建、「喜左衛門井戸」を寄進
 茶道具収集:「油屋肩衝」など宝物をふくむ839点
 『古今名物類聚』
 
豪商達の茶の湯
草間直方 『茶器名物図彙』
竹川竹斎「射和文庫」総計2万巻の書籍を収めた。
      近郊の豪商達と「益友社」を結成し茶の湯を楽しむ
      万古焼きの復興にも尽力
 
幕末の茶の湯
 
井伊直弼:茶人井伊宗観
       石州流片桐宗猿門下の真野善次に学んだ
       『彦根水屋帳』『東都水屋帳』『茶の湯一会集』
 
玄々斎宗室
 裏千家11代
 三河奥殿藩の松平家に生まれる。文政2年(1819)に10代認得斎の婿養子となる。
 公家・武家・豪商とも幅広い交流を持った。
 慶応元年(1865)八朔、孝明天皇に宮中献茶。
 明治5年(1872)第一回京都博覧会にて、点茶盤で茶を点て外国人にふるまった。
 
 
秀吉と利休
 
利休:1522年堺生まれ
    北向道陳に茶の湯を学ぶ。南宋寺の大林宗套に参禅。津田宗及の父宗達とも茶の交わりをもち、天王寺屋グループの一角に位置する。
    天正3年(1575年)信長に参仕→「ほう筌斎」という号を使い始める。
 
   秀吉の茶頭となり、大徳寺大茶の湯・禁中茶会・北野大茶の湯などで活躍。
 
利休の茶 =「わび」に徹した最も簡素な形にしようとしていた
  茶室の変革  二畳敷の茶室妙喜庵「待庵」:室床、躙り口
  長治郎の楽茶碗、竹の花入れ、竹中節茶杓、与次郎作の釜など
  現在生きている人物の書を茶室の掛け物とした。=大徳寺古渓宗陳の墨蹟
  →禅の精神を中心に置こうとする
 
山上宗二とその伝書
  利休の弟子、天文13年(1544年)生まれ。薩摩屋、瓢庵。
  秀吉の勘気を被り小田原で没した。
  『山上宗二記』
 
大名茶の始まり
 
古田織部・細川三斎など「利休七哲」
 
古田織部の茶
 美濃出身の武将。織田信長→豊臣秀吉→徳川秀忠
 慶長年間(1596〜1616) 『多聞院日記』に『茶の湯名人」として登場。
 「数寄屋御成(すきやおなり)」
 「ひずみ」の茶碗を好む。
 
千少庵・宗旦の茶
 少庵・・・千家再興が許されたあと、「不審庵」「残月亭」などの茶室
 宗旦・・・後水尾院の中宮東福門院へ自作の竹花入れを献上
      「今日庵」(裏千家の一畳台目)、「又隠」(四畳半)
 
金森宗和の茶
 飛騨高山の領主金森可重の子として生まれる。
 野々村仁清を指導して御室で優美な焼き物を作らせた。
 
小堀遠州の茶
 近江(滋賀)の出身。徳川家康に仕え、作事奉行として伏見城、大阪城、仙洞御所などの建設に活躍。
 「中興名物」の選別
 
わび茶の拡大
 
小堀遠州→片桐石州
石州:片桐石見守貞昌・・・片桐且元の弟貞隆の子として摂津茨木(大阪)に生まれる。
楽茶碗の使用=わび茶の色彩の濃いもの
将軍家茶道師範
『石州三百箇条』
 
三千家の始まり
 宗旦→三男江岑宗左:紀州徳川家へ→表千家
     四男仙叟宗室:加賀前田家へ→裏千家
     次男一翁宗守:高松松平家へ →武者小路千家
 
 
  

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