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佗茶の始まり
創始者 珠光:奈良の人。称名寺→能阿弥に茶を学ぶ→足利義政に茶の湯を指南した。
         大徳寺の一休宗純に参禅し、茶禅一味の境地を開いたとされる。
 
佗茶の精神:古市澄胤(ふるいちちょういん)に宛てた珠光の手紙…「冷え枯れる」精神が必要であり、日本的なものと中国的なものを融合させて一体となった茶の湯を行うべき
 
唐物の青磁茶碗で褐色に発色した茶碗:「珠光茶碗」「珠光青磁茶碗」
 
珠光の茶の湯の後継者:古市澄胤、鳥居引拙、大富善好、十四屋宗伍
 
佗茶の推進
武野紹鴎:堺の人。大黒庵、一閑の号も。
紹鴎の茶=格調高く由緒正しい「名物」茶道具を中心にした茶。
 
茶道具の創作・・・紹鴎袋棚、釣瓶水指、竹蓋置
 
掛け物に和歌を使用→茶会全体が和風化をとげるきっかけに
 
堺衆と禅
大徳寺の一休宗純、養叟宗い(ようそうそうい)らが堺に禅宗を布教。
古嶽宗亘(こがくそうこう):堺に南宗庵
→大林宗套(だいりんそうとう)※禅僧・・・千宗易(利休)、武野紹鴎、今井宗久ら多くの茶人が帰依
 
茶会記の登場
 
『松屋会記』・・・奈良の塗師松屋久政、久好、久重の三代による
『天王寺屋会記』・・・堺の豪商天王寺屋(津田氏):津田宗達、宗及、宗凡の三代
『宗湛日記』・・・神屋宗湛
今井宗久の茶会記
 
↑4種をまとめて古茶会記と呼ぶ場合も。
 
織田信長と茶の湯
 
信長の名物狩り『信長公記』より
「初花」肩衝茶入(大文字屋)
「富士」茄子茶入(祐乗坊)
蕪無(かぶらなし)花入(池上如慶)
桃底花入(江村栄紀)
菓子の絵(津田宗及)
柑子口花入(油屋常祐)
 
「松島」の茶壺、紹鴎茄子茶入(今井宗久)
「つくも茄子」の茶入(松永弾正久秀)
白天目(大坂本願寺)
「洞庭秋月」「遠浦帰帆」の絵(越前の朝倉氏)
 
「蘭奢待」(正倉院の名香)を奈良多聞山城で切り取った。
 
今井宗久・津田宗及・千宗易を茶会に参仕させる。
 
豊臣秀吉と茶の湯
 
茶頭:津田宗及→千宗易
 
天正13年(1585年)大徳寺で大茶の湯を開催『宇野主水日記』
             禁中茶会:正親町天皇の御所
天正15年(1587年)北野神社で北野大茶の湯
 
 
 
 

茶の歴史〜武家の茶〜

唐物の流行
 
金沢貞顕の手紙:喫茶関係の記載が多く見られる。
 
唐物の引き上げ調査:沈没船の引き上げ調査で・・・宋代龍泉窯の青磁鯱耳花入(せいじしゃちみみはないれ)、青磁袴腰香炉、元代の黒秞ルイ座茶入、茶壺、建窯の禾目天目
 
喫茶の場所
 「会所(かいしょ)」:和歌・連歌などの芸能の場→『喫茶往来』
 
佐々木道誉 「六間の会所」に「本尊・脇絵・花瓶・香炉・鑵子(茶の湯の釜)・盆」を」飾り付け、二人の遁世者(とんぜもの=同朋衆)を残して立ち去った。
 
会所での茶:席入り→食事と酒→庭の散歩(中立)→奇殿(後入り)→茶(後座)→酒宴(後段)…のちの茶事の形式の原型
 
足利将軍家の東山御物
 
徽宗皇帝筆「桃鳩図」
牧𧮾筆「観音・猿・鶴図」など35点
馬麟「梅花小禽図」
牧𧮾筆「竹雀図」
 
同朋衆の登場
毎阿弥ー能阿弥ー芸阿弥ー相阿弥
『室町殿行幸御錺記(むろまちぎょうこうおかざりき)』
『君台観左右帳記(くんたいかんそうちょうき)』(相阿弥)
『御錺記』
 
闘茶と茶寄り合い
門前の茶売り:一服一銭『洛中洛外図屏風』
 
 
 
朝廷の引茶
「季御読経(きのみどきょう)」…聖武天皇が春秋二季に奈良東大寺・興福寺などの諸寺から百僧を請じて、三日から四日間にわたって国家の安泰を祈願させる行事。
 
引茶…甘葛、厚朴、生姜などを入れた茶が僧侶達に振る舞われた。(『公事根源』)
 
嵯峨天皇と茶
 
弘仁5年(814)、『凌雲集(りょううんしゅう)』 嵯峨天皇が皇太弟(のちの淳和天皇)らとともに藤原冬嗣の邸を訪問した際に作った漢詩の一節に喫茶の様子(中国式の団茶)
 
『日本後紀』  近江の韓崎(からさき)に行幸、途中に梵釈寺に立ち寄り、大僧都永忠が茶を煎じて天皇に捧げた。
 
茶の栽培
延暦24年(805)最澄(伝教大師)が等から茶を持ち帰って日吉茶園(滋賀県大津市)に植えたと伝えられる。
 
その他、三河(愛知)にも茶園があり、菅原道真は九州太宰府(福岡)で茶を飲んでいたとされる。
 
抹茶の始まり〜鎌倉時代〜
 
栄西禅師
建保2年(1214) 『吾妻鏡』 三代将軍源実朝に茶を献上…『喫茶養生記』陰陽五行思想
 
抹茶法の広がり
曆仁2年(1239) 大和西大寺叡尊(えいそん)  鎮守八幡に供茶
 
禅院と茶
中国禅院『禅苑清規(ぜんおんしんぎ)』・・・「茶礼」が見えている。
 
道元:福井県に曹洞宗の大本山永平寺を開創
宗蜂妙超(しゅうほうみょうちょう):大徳寺を開創
喫茶の始まり
 茶の木の原産地:インドのアッサム地方、中国雲南省、四川省とされる。
 
 中国の『僮約』…『茶を煮る」「武都で茶を買う」との語
           葉茶を団子状に固めた「餅茶」が販売されていたことを推測させる。
 茶を飲む風習…唐の時代に大流行:長安で喫茶店が繁盛
 
 陸羽『茶経』(760頃)…「茶の効用は、味がいたって寒であるから、行いすぐれ倹の徳のある人が飲むのにもっと                もふさわしい」
 ※陸羽=復州竟陵(ふくしゅうきょうりょう)県の人。龍蓋寺(りょうがいじ)の智積(ちしゃく)禅師に拾われたという。
       のちに竟陵の太守、李斉物(りせいぶつ)に見いだされ、顔真卿(がんしんけい)に仕え、辞書『韻海鏡源       (いんかいきょうげん)』の編纂に従事したこともあったらしい。
 
茶の点じ方『茶経』…釜に湯を沸かして、茶の粉末を入れ、泡だったところで碗にくんで飲んでいた。
         ↓
       『茶録(ちゃろく)』…茶一銭(3.7g)を匙ですくって茶碗に入れ、黄金製の湯瓶から少し湯を注ぎ、む            らのないようにかき混ぜて、さらに茶碗四分目ほどまで湯を足して、黄金の茶匙で泡立てる。
         ↓
      『大観茶論(だいかんちゃろん)』…「静面点」茶に湯を少し加えて軟膏状にしておき、さらに湯を注いで              泡が立たないように「茶筅」を軽く振る方法。
                           「一発点」茶を入れた茶碗に一気に湯を入れ、茶筅でかき混ぜる方               法。
      『茶具図賛』(審安)
 
『茶経』の日本への影響
  江戸時代  1774『茶経詳説』(京都相国寺の僧・大典顕常(だいてんけんじょう)による注釈書)
 
  『南方録』…「茶は南方の嘉木也」(『茶経』冒頭)から
 
  その他、釜の湯の沸く音六音の基になる。

公式テキストの目次

茶道文化検定の公式テキスト(一・二級用)には、「茶道についてのやや高度な知識」が網羅的に記述されています。監修は(財)茶道文化振興財団です。
 
あくまでも概略なので、奥の深い:茶道の世界への「インビテーション」的な意味合いもあるのかもしれません。
 
「茶道を学ぶ 日本を知る」というキャッチフレーズの通り、茶道経験、流儀等の区別なく、どんな人でも茶道・日本について造形を深められるための検定であり、テキストなんだろうと思います。
 
テキストの目次は
 
一章 茶の歴史
二章 茶事・茶会
三章 茶道具
四章 茶と禅
五章 茶席の花
六章 懐石
七章 菓子
八章 茶室・露地
九章 茶業
 
の構成となっています。
 
とりあえずは、この公式テキストに沿って、順番に自分なりのまとめをしていこうかと思います。

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