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以下は交響曲俯瞰年表作成中の覚書
ロシア
チャイコフスキの期間 並行してRコルサコフとボロディンがロシアを支えていると見られがちだが 実はチャイコと同時代肩を並べたシンフォニストは チャイコと同数の番号付き交響曲を書いたルビンシュタインだった。
その後 世紀をまたがる短い間 バラキレフとラフマニノフ そしてスクリャービンが支え
ラフマニノフの傑作2番の年1907年に1番を書いたミヤスコフスキ 10年遅れてプロコフィエフ1917 さらに約10年遅れてショスタコ1925が目覚め ロシアが大きな潮流になってゆく。
ストラヴィンスキも重要で 1番はミヤスコフスキの1番と同年。 その後1945年まで筆は断続的に続く。
ショスタコの後半以降 派生する作曲家が多く出るが 幹はカバレフスキ イヴァノフ カンチェリ エシュパイ によりロシア交響曲は支えられる その後シュニトケなどが引き継ぐ。
イギリス
この国は他国から遅れたが 知られざる交響曲王国であった。
すでにブラームスの1番の年 スタンフォードが1番を書く。82年にはパリーが追随し 彼らが衰える1908年 エルガーがついに傑作1番を書く。マーラーが8番を書いた翌年のことだ。
早くもその2年後ヴォーンウィリアムスが さらに2年後にはバックスが活動を開始する。10年を置いてブライアン ブリテン(BAX BRIAN BRITTENを俺はイギリス3Bと呼んでいる)と続き
ラッブラ&ロイド&ジョーンズー>アーノルド& ブリテンー>ティペット&Mデイビス と主流が引き継がれてゆく。
ロシアと同じく多くの派生作家が輩出する。
ドイツ
マーラーの時代 ツェムリンスキ コルンゴルド レーガーが亜流として伴走する
その後ハルトマンとヒンデミットが流れとなるが その間 シュルホフプ フィッツナー 時代錯誤のブルックナー的作家シュミット シェーンベルク そしてフルトベングラー(5曲の交響曲を持つ)が不定期に茶々を入れるし ヒンデミットもハルトマンも大作曲家からは外れているため潮流は混乱しているしそれは現代まで続いている。
ヒンデミット(1950年代)以降 ヘンツェとグラウンケが交響曲作家として幹の役目を果たす。その後はリームか?
北欧
シベリウスとまったく同時期にニールセン(デンマーク)とアルヴェーン(スェーデン)が作品を生み続ける。
20世紀にはいると スェーデンのローゼンベリ アッタベリが
1930年代からトービン(エストニア)ニーストレム(スウェーデン) ホルンベー(デンマーク)が加わり(ローゼンベリとアッタベリは非常に長期作品を出すため その後半は30年代の作家と時期重複する)
1950年代から エングルンド(フィンランド)ペッタション(スェーデン) ラウタヴァーラ (フィンランド)コッコネン(フィンランド) デンマークではベンツォンが支える
さらにその後スメラ(エストニア)アホ(フィンランド)と続く。
俯瞰すると シベリウスの伝統を持つフィンランドが交響曲王国の様相を呈する。
(ベンツォンとラウタヴァーラは長寿でありこの時期でも作品を生み続ける)
スイスでは ラフが1861−1880までに 11曲作曲
イスラエルではタルが重要。
イタリアでは マリピエロ(1930−70)とニーノロータ(1940−60)が交響曲作家といえる
チェコは
ドヴォルザークの後50年くらいめぼしいシンフォニストは出ず マルティヌーとパヌフニクが1940からの50年を支える
ポーランドではペンデレツキとタンスマンとワインベルクと ルトスラフスキが幹
アメリカは未分析だが マーラー時期の作曲家アイブズを基点に多くの交響曲作曲家が輩出する
フランス
ブルックナーが出た頃 1871年ダンディが最初の交響曲を発表するが
その後65年間は なんとダンディとツルネミールとルーセルでほそぼそとフランス交響曲を支える。
その作品数わずか17曲。(その間サンサーンスのオルガンシンフォニー1886 が出ているが。)
1930−60はオネゲルとミヨーがフランスを支える。
フランスには交響曲の多作家が見当たらない。マルティノン(4曲)ランドウスキ(3曲) ディティユ2曲)ジョリベ(3曲)
フランス人は暑苦しい交響曲に興味が薄い。
日本 未分析
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