|
普洱茶廠は1975年4月に設立されました。雲南省で、最も早く人工発酵のプーアル茶の輸出を手がけた四大茶廠の一つです。(ちなみに昆明茶廠、モンハイ茶廠、下関茶廠、普洱茶廠の4つです。)
普洱というとかつてお茶の市場があったことで有名で、中国ではお茶の産地としてはあまり知られていませんが、板山の茶山をはじめ、優良な茶葉がとれる茶園が数箇所あります。茶葉の生産地の総面積は約3000ヘクタールほど、そのうち茶園は約800ヘクタールです。
厳密に言うと、かつての国営の普洱茶廠は民営化され、すでに存在していません。
あえてタイトルを「普洱茶廠」としたのにはわけがあります。
民営化後、雲南普洱茶(集団)有限公司と名前を変更していたので、この会社のことを書こうと思っていました。ネットで「普洱茶廠」を検索すると、まず出てきたのは「思茅市永年茶業有限公司」の名前。思茅市のローカル新聞の記事の紹介で、「この会社の前身は普洱茶廠で1975年の設立、30年の歴史をもつ・・・。」と書いてあるのです。
改めて、雲南普洱茶(集団)有限公司の公式サイトを見ると、ここにも「この会社の前身は普洱茶廠で1975年の設立、30年の歴史をもつ・・・。」と書かれているのです。
不思議に思ったわたしは、普洱茶廠に以前勤めていたお茶屋さんの楊さんに事情を聞いてみました。
楊さんの話によると、普洱茶廠の民営化は2004年の1月から12月を準備期間として進められたそうです。この準備期間の間は、趙華琼さんという女性の元工場長がそのまま雲南普洱茶(集団)有限公司の代表を務め、2004年10月に香港の長泰実業有限公司の鄭炳基さんが会社を購入後は、鄭炳基さんが代表を務めるようになったのです。
もともと国営時の普洱茶廠に勤めていた多くの社員の人は、あてがあるとよそに行ってしまったそうです。国営時には医療保険や年金などの福利厚生が充実していたのが、民営化すると受けられなくなると、いった事情があるようです。また、知らない新会社にそのまま残るよりは、知り合いの会社をあたるか、能力がある人は自分で新たに茶廠を立ち上げたほうがよい、と考えたひとも少なくなかったようです。
元工場長の趙華琼さんもそのひとりで、「思茅市永年茶業有限公司」を立ち上げ、社長兼工場長を務めています。(濮女というブランドを立ち上げました。省外、海外が主な販売先のようで、昆明の市場ではほとんど商品を見かけません。)
楊さんによると、この女性元工場長が普洱茶廠を去る際に、工場の倉庫にねむっていた良いお茶を社員に売りさばき、鄭新社長には一つたりとも残さなかったという話があるそうです。この話の真偽のほどは
わかりませんが、いままで心身をそそいできた工場が民営化の名の下にいきなり人の手に渡るのですから、その気持ちもわからないではありません。「この会社の前身は普洱茶廠で1975年の設立、30年の歴史をもつ・・・。」と書いてあるのも、「ハードはあんたがもっていったけど、ソフトはわたしのほうよ。」といった感じなのでしょうか。(上記の文は思茅市永年茶業有限公司の正式なホームページには見当たりません。おそらく、この会社で「雲南・普洱茶廠」の商標登録を取得しているようなので、ネットで「普洱茶廠」と検索すると、この会社のほうがよくヒットするようです。)
民営化への移行期間中の製品は微妙で、2005年5月のものは以前の製造方法、以前のラベルが使用されていますが、2005年8月のものは新しく移行した会社での製造方法(原料はさだかではありませんが)、新しいロゴのラベルが使用されています。市場の価格は、3ヶ月違うだけで前者が後者の3倍ぐらいです。商品自体の市場の評価は、工場長の趙華琼さんのほうに軍配があがっているそうです。
ただ、雲南普洱茶(集団)有限公司も、会社の管理・製造現場等の合理化・現代化、販売の拡大を進めており、その商品の評価も徐々にあがっています。(価格もですが。)
2者の戦い(ってわたしが勝手に言っているだけですが)をこの先も見守っていきたいと思います。
|