堂島米市場跡碑・・北区堂島堂島米市場
江戸時代米の取引きは、当初蔵屋敷の連なる土佐堀川沿岸の、
北浜の路上で行われていた。
これを開いたのが豪商淀屋の2代目个庵(こあん)といわれ、
そのため「淀屋の米市」と称されていた。その後、
交通妨害になることや、当時開発されたばかりの堂島新地の振興もあって、
当地に移された(元禄 10年、1697)。この移転は、
淀屋の幕府によるとりつぶしの関係も考えられるが、
いずれにしても公認のものではなく、米商人の自主的取引きであった。
その後江戸商人による公認の市場開設などあったが、
享保(きょうほう)15年(1730)公認の帳合米市場が発足し、
ここでの相場が全国の基準となった。
大阪の堂島米市場では享保15年(1730年)には
現代の基本的な先物市場の仕組みを備えた、
世界初の整備された先物取引市場であったらしい
昔の大阪で先物取引が生まれたとは
さすが商人の町大阪ですね
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2011年04月09日
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