世界平和の鐘世界平和の鐘
当時の国連加盟国である60カ国から提供された コインと銅とで鋳造された物で この鐘は、日本から平和な世界をとの願いを込めて、 1954年ニューヨーク国連本部に贈られた。 それと同型の物をワールド・ピースベル・アソシエーションから寄贈されました 世界平和の鐘の説明板です 鶴見緑地公園の国際庭園の中に有ります
世界平和の鐘のある場所
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大阪散歩・壱
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堂島米市場跡碑・・北区堂島堂島米市場
江戸時代米の取引きは、当初蔵屋敷の連なる土佐堀川沿岸の、
北浜の路上で行われていた。
これを開いたのが豪商淀屋の2代目个庵(こあん)といわれ、
そのため「淀屋の米市」と称されていた。その後、
交通妨害になることや、当時開発されたばかりの堂島新地の振興もあって、
当地に移された(元禄 10年、1697)。この移転は、
淀屋の幕府によるとりつぶしの関係も考えられるが、
いずれにしても公認のものではなく、米商人の自主的取引きであった。
その後江戸商人による公認の市場開設などあったが、
享保(きょうほう)15年(1730)公認の帳合米市場が発足し、
ここでの相場が全国の基準となった。
大阪の堂島米市場では享保15年(1730年)には
現代の基本的な先物市場の仕組みを備えた、
世界初の整備された先物取引市場であったらしい
昔の大阪で先物取引が生まれたとは
さすが商人の町大阪ですね
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四代目桂米團治・東成区役所四代目桂米團治の顕彰碑
昭和期に活躍。大阪の道頓堀に生まれる。
明治45年、三代目桂米団治に入門、二代目米之助を名乗って初高座を踏んだ。 昭和11年、五代目笑福亭松鶴の主宰する「楽語莊」に参加「中濱静圃」の筆名で 「上方はなし」の編集を担当、同誌に「近世落語家伝」をはじめとして すぐれた読み物や小説を発表。
昭和18年、四代目桂米団治を継ぎ、21年に襲名披露が行われ後援会がバックとなって 大阪と京都で「米団治を聴く会」を開催した。
昭和13年に代書人の資格を取り自宅で代書屋を開業、その時の経験から、 昭和落語の傑作「代書」を創作した
昔は字の書けない人がけっこういて代書人に頼んだのですね
四代目桂米團治
1896年9月3日 〜 1951年10月23日
1938年に代書人(現在の行政書士)の資格を取得、
大阪市 東成区役所近隣(現在の区役所敷地内)の
自宅にて「中濱代書事務所」を開き、
その経験 から新作落語『代書』を創作した.
桂米團治
現在は米朝一門(米朝事務所)の事実上の止め名。
なお、4代目の弟子である3代目桂米朝は5代目を継がず、
50年以上途絶えていたのを4代目の孫弟子に当たる
3代目桂小米朝(3代目桂米朝の弟子、実子)が継いだ。
YouTubeに桂米朝の代書が有りました
米朝・代書 01の初めに四代目桂米團治の事を語ってます
01から05で1時間以上あります
聞きたい人はどうぞ〜
米朝・代書 01.wmv
米朝・代書 02.wmv
米朝・代書 04.wmv
米朝・代書 04.wmv
米朝・代書 05.wmv
四代目米團治三十三回忌追善での桂米朝が語る
まじめでりちぎでづぽらな人だそうです
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レンガ積みの下水道・中浜せせらぎの里中浜下水処理場内の中浜せせらぎの里
大阪市城東区中浜1-17-10 レンガ積みの下水道
レンガ積みの下水道は、明治27年に始まった「中
央部下水道改良事業 」の一環として、明治30年
5月から11月にかけて、南区 (当時) 北桃谷町
南桃谷町、田島町、谷町7丁目に延長約200m
にわたって建設されたものの一部で、底部コンク
リートで、レンガをアーチ状に積み上げ、暗渠の
外側に粘土を詰め込んで固定してあり、内のりで
高さ約1.35m、幅約0.90mです。
このレンガ積みの下水道は谷町7丁目附近に
約80mのこされたものの一部です。
小川に架かった橋の向こうにレンガ積みの下水道の展示物が見えます
レンガ積みの下水道は谷町7丁目附近に
約80mのこされたものの一部が展示されてました |
リサイクルベンチ・中浜せせらぎの里中浜下水処理場内の中浜せせらぎの里
大阪市城東区中浜1-17-10
リサイクルべンチ・テーブル
リサイクルべンチ・テーブルは、平成2年
に鶴見緑地で開催された、「国際花と緑の博覧
会 」で、下水汚泥の有効利用のPRのために、
各自治体が提供した下水汚泥の有効利用品に
よるリサイクルスポット(休憩所的な小広場)
として出展されたものの一部で、溶融スラグ
(汚泥を高温で溶岩状にし、冷却したもの)に
より造られたものです 大理石では有りません、 汚泥を高温で溶岩状にして
リサイクルベンチなどになるんだよ 重量感が有って丈夫そうですね 座り心地の良さそうなベンチですね |







