道頓堀のグリコの看板初代グリコの看板 大阪ミナミの道頓堀で夜空に輝くグリコネオンは、
はじめて点灯したときから
大阪の街の象徴として、 たくさんの人々に愛されてきました
大阪には、おもろいもんがいっぱい有るんやで〜 5代目のグリコの看板です
背景が夜に変わってます
グリコの看板が色々と変わって行く所も良いですね
道頓堀のグリコの看板が川の水面に映てます
逆のグリコの看板も水の波で揺れていますね
川の水面に映てるグリコの看板も綺麗ですね
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大阪散歩・壱
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大阪管区気象台跡顕彰碑
大阪管区気象台は昭和8年から
35年間も気象災害から大阪を守って
第2室戸台風の時も的確な防災耐応が
大阪市民を高潮の被害から守り
大阪市民文化賞を受賞 しました 大阪には、おもろいもんがいっぱい有るんやで〜 この気象台も、昭和43年8月に中央区の大阪合同庁舎に移転され、
生野区での業務を終了することとなり、
その跡地に現在の御勝山南公園ができました
気象で大阪を守ってた大阪管区気象台です
現在の御勝山南公園には、
昭和8年から35年間、大阪管区気象台がありました。
特異な 外観の地震計室や日本初の気象レーダーを備え、
幾多の気象災害から府民を守る役割を 担ってきました。
昭和の3大台風(室戸・ジェーン・第2室戸)も経験して
第2室戸台風の際には的確な防災対応が市民を守り
大阪市民文化賞を受賞 しました |
大阪城の残念石
大阪城・残念石
大阪城の天守閣の前に石柱に
残念石と書かれた両脇に大きな石が有りました
大阪城の石垣に、なれなかった残念石 だしい 大阪には、おもろいもんがいっぱい有るんやで〜 大阪城の石垣に、なれなかった残念石 石に付いてるノミの跡が歴史を感じますね
右側の大きな石です、石を割るためのノミの跡が残ってます
大きな石は、筑前黒田長政の石切丁場でみつかりました
左側の小さな石です、ここのもノミの跡が有りますね
小さな石は豊前細川忠興の手になるものです
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豊臣秀頼・淀殿自刃の地跡『豊臣秀頼、淀殿ら自刃の地』の碑
豊臣秀吉が亡くなった後の約15年間は、
徳川家康が実質上天下を取り、
秀頼・淀君に次第に圧力が迫ります。
とうとう大阪冬の陣・夏の陣を迎え、
真田幸村の奮戦むなしく侍従30人あまりとともに
自刃を遂げた秀頼・淀君の碑が
大阪城天守閣の西にひっそりと立っています
二の丸跡には、豊臣秀頼、淀殿自刃の地に
ひっそりと碑が建っていました
ここに、お参りする人もいるようで
お茶とかジュースなどが供えて有りました
淀殿は、信長の妹お市の方と浅井長政との間に
生まれて波乱万丈の運命に生きて
我が子秀頼と運命を共にしました
大阪には、おもろいもんがいっぱい有るんやで〜 豊臣秀頼・淀殿自刃の地跡 淀殿は我が子の秀頼との自刃の地跡です
織田信長の妹、お市の方が江北の武将、浅井長政の許に嫁ぎます。
言わずと知れた政略結婚ですが、
お市の方は長政との間に3人の女の子をもうけます。
その長女が茶々、のちの淀殿です
1615年(慶長15年)5月8日、
秀頼とその母淀殿を始めとする主従約30名は
落城直後の大阪城内で自刃した |
大阪城の2階の金の鯱鉾と金の伏虎のレプリカ大阪城の2階の展示物には
金の鯱鉾と金の虎「伏虎」の
原寸大のレプリカが有ります
まじかで見る黄金に輝く
金の鯱鉾と金の虎は
たとえレプリカでも
堂々と迫力の有る物ですね
大阪には、おもろいもんがいっぱい有るんやで〜 金の虎「伏虎」が、こちらを睨んでます
見物人が多かったので離れた位置からの
撮影ができずに近距離からの撮影になりました
金の鯱鉾のレプリカなので近くから見れました
大阪城天守閣玄関入り口の大砲1863年、幕府の命令により、美作(みまさか)
津山藩(岡山県津山市)の鋳工・百済清次郎らが製造し、
大坂天保山砲台の備砲として据え付けられ、明治維新後、大阪城内に移されたと伝える
全長348cm、砲口の内径20cm、外径40cm
先米式の旧式砲で、材質は青銅の一種
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