白砂(しらすな)大神・此花区梅香大阪市内には道路に
大事に残され神木として祀られた所がありますが
この此花区梅香にも白砂(しらすな)大神として
道路に残る神木(いちょうの木)を見ることが出来ます
宝暦5年(1755)に建立された住吉神社の正面拝殿があった場所で
大正10年に市電を通す為の道路拡張工事により、
神社は移転され境内にあった樹齢約200年の
いちょうの木を伐ろうとしたところ次々と事故が起こった為
いちょうを神木として残すべきとの声が挙がり
その脇に白砂龍王神を祀っりました
白砂大神横の案内板には説明書きがあり
大阪市電は明治36年(1903)に花園筋〜築港桟橋間で開通しましたが、
此花区には大正9年(1920)に福島区野田(当時は兼平町)から朝日橋まで入り、
順次、千鳥橋・三本松・桜島・桜島駅前まで延伸されました。
これに伴う道路拡幅工事で、白砂大神脇にある
いちょうの木を切ろうという話が持ち上がりましたが、
付近の住民に神木として崇められており、
現在に至るまで道路上に残されています。 この地の白砂(しらすな)大神の説明が書かれてました
道路に大事に残る神木ですね
大阪には、おもろいもんがいっぱい有るんやで〜 切られないで道路に残る神木 此花おもしろトレイルルート 白砂(しらすな)大神 エピソード 白砂大神 案内板 此花区梅香の白砂大神に
大事に祀られた神木ですね
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大阪散歩・神社寺院
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野江水流地蔵尊・野江水神社隣大阪の城東区野江の
野江水神社の鳥居の隣に鎮座する
野江水流地蔵尊をお参りしました
明治18年に大阪北部一帯を襲った
未曾有の大洪水時のときに当地に
お地蔵さんが流れ着いたとのいわれがあります
城東区民にとって忘れてはならない
出来事の証人として守り伝えなければならない
お地蔵さんとされ大事に地元町会に守られ
地蔵盆などの行事は欠かさず毎年行われています
大洪水で野江に流され大事に祀られ
水害の恐ろしさを忘れないように伝え
お守りしてる野江水流地蔵尊ですね 野江水流地蔵尊 祠の外にもお地蔵さん 明治18年の大洪水時の時に
流れ着いたとのいわれがあるお地蔵さまです 野江水流地蔵尊
大阪市城東区野江4丁目1−39
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野江稲荷神社・野江水神社大阪の城東区野江の
野江水神社を参拝しました後に
境内のたくさん赤い幟が目立つ
末社の野江稲荷神社も お詣りました
祭神は宇迦之御魂大神(ウカノミタマノオオカミ)さまで
衣食住と商売繁盛の神さまで
四月には稲荷祭があり賑わいます
神名の宇迦(ウカ)は穀物・食物の意味で
穀物の神として広く信仰されています
野江稲荷神社の幟 野江稲荷神社 野江稲荷神社の祠 祭神・・宇迦之御魂大神
衣食住・商売繁盛の神
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野江水神社大阪の城東区野江の
野江水神社を参拝しました
御祭神は水波女大神で水の大神様です
水神社・水神さま・水神宮・野江神社などと呼ばれ
野江一帯は昔から土地が低く大雨のときには
淀川やその支流が氾濫して再々水害を被りました
伝えによれば天文2年(1533年)に
三好政長が近くに榎並城を築く際に
たびたび水害を被ったので水火除難の守護神として
城内に小さい祠を造り祀ったのが起源と云われてます 豊臣秀吉も大阪築城に際して水火除難の守護神として
社殿を修築し祈願いたしました 野江水神社 御由緒 御祭神・・・水波女大神
野江水神社 本殿 手水舎 手水鉢 野江水神社は大阪市内では数少ない水の大神様です
その水の大神様の御神力を頂いて厄を洗い流すということで
厄除け開運の大神様としても崇拝されてます
野江水神社
大阪市城東区野江4丁目1−39
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野々上八幡神社・羽曳野市大阪府羽曳野市野々上で
野々上八幡神社を散策しました
創建の時期は不明ですが
祭神は八幡大菩薩で野中寺に隣接しています
南北朝時代に兵火により野中寺とともに
焼失したが
寛文年間(1661−1673年)に
野中寺の鎮守社として再建され
1868年に神仏分離令により
野中寺と分けられ村社となりました
境内の真直ぐに伸びた参道を進むと
階段があり上がると拝殿があります
拝殿前には賽銭箱が無く
扉の隙間から賽銭が入れられるようになってます
境内には平和の社もありました
大阪には、おもろいもんがいっぱい有るんやで〜 祭神・・・八幡大菩薩
野々上八幡神社の由来石碑 拝殿前の階段 野々上八幡神社 拝殿 拝殿扉に賽銭入れの隙間が有ります
野々上八幡神社の絵馬奉納所 大阪府羽曳野市野々上5丁目9-27
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