上方落語寄席発祥の地碑・坐摩神社大阪の中央区久太郎町に鎮座する
坐摩神社(いかすりじんじゃ)境内で
上方落語寄席発祥の地碑を見ました
石碑の中央には初代文治の絵が入った
貴重な興行ビラの銅版が埋め込まれていて
東西の落語家が名乗る「桂」姓の祖の
初代文治は寛政時代(1789〜1801年)に
坐摩神社境内に大阪で初めて寄席小屋を建て
抜群の話芸で名人と称され
上方落語繁栄の基礎を築いた
初代文治の功績の石碑ですね
大阪には、おもろいもんがいっぱい有るんやで〜 坐摩神社境内
上方落語寄席発祥の地碑 中輿の祖 初代 桂文治 案内文 初代桂文治が始めて坐摩神社で寄席を開いたとされている
「大坂座摩太夫桂文治」と記 された 文化(1813年)の番付
初代文治の絵が入った貴重な興行ビラの銅版
天満天神繁昌亭への継承 桂三枝会長の文があります
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大阪散歩・神社寺院
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火防 陶器神社(ひぶせとうきじんじゃ)・坐摩神社大阪の中央区久太郎町に鎮座する
火防 陶器神社(ひぶせとうきじんじゃ)に参拝しました
本町西横堀川沿いに細長く広がる街区は
瀬戸物町・横堀陶器棚と呼ばれていて
陶磁器の仲買商が軒を並べる街で
大きな火防 陶器神社参道看板に導かれて
火防陶器神社へ着くことが出来ました
祭神は大陶祇神と迦具突智神で
昔は火災の危険の多い藁を陶器の荷造材料に使うために
坐摩神社の末社で火除の神として
特に陶器商人に崇拝されています
拝殿の賽銭箱も陶器質のタイルで
陶器の灯籠も色々有り
他にも陶器がたくさん見ることが出来ました
大阪には、おもろいもんがいっぱい有るんやで〜 火防 陶器神社参道看板 火防 陶器神社参道看板の せともの町の歴史案内文
西口の鳥居 火防 陶器神社 祭神・・・大陶祇神・迦具突智神
拝殿 賽銭箱も陶器質のタイル 拝殿の陶器の灯籠 陶器の灯籠
陶器の灯籠 陶器の灯籠 大きな陶器 参道の陶器 火防陶器神社せともの祭は7月21日〜23日です
火防陶器神社で陶器をたくさん見ることが出来ました
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坐摩神社(いかすりじんじゃ)大阪の中央区久太郎町に鎮座する
入口では大小3つの鳥居が横に組み合わさった
珍しい三ツ鳥居を入ると陶器の狛犬が迎える
坐摩神社(いかすりじんじゃ)を参拝しました
通称ざまさんの名で親しまれ昔から
住居守護・旅行安全・安産の神として信仰されてます
安産の神としては神功皇后が応神天皇の
御安産を坐摩神社に御祈願になり
近くは明治天皇がお生まれになるとき
特に宮中より御祈願がありました
創建はの始まりは神功皇后が
三韓征伐より帰還した時に淀川河口の地に
坐摩神を祀った事だとされてます
大阪には、おもろいもんがいっぱい有るんやで〜 三ツ鳥居 珍しい大小3つの鳥居が組み合わさった三ツ鳥居です
坐摩神社 拝殿 祭神・・・坐摩大神 五柱の神総称
生井神・福井神・綱長井神・波比祇神・阿須波神
手水舎 坐摩神社 末社 三ツ鳥居近くの右側陶器の狛犬 三ツ鳥居近くの左側陶器の狛犬 大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺3号
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ヒチンジョ池西古墳石棺・野中寺 羽曳野市大阪府羽曳野市野々上で
聖徳太子が建立した四十六寺院のひとつで
創建は飛鳥時代とされています
野中寺(やちゅうじ)境内を散策していて
ヒチンジョ池西古墳石棺を見ました
塚穴古墳(来目皇子墓)の西方にあった古墳で
昭和23年頃の開墾の際に発見された横口式石槨の古墳です
横口式石槨は精巧に加工した凝灰岩を組み合わせて作られ
内部からは銅製釘や黒漆の残片が見つかっているので
漆を塗った木棺が安置されていたと考えられていて
横口式石槨の形態などから7世紀末葉に築造されたものとみられます
この石槨は発見直後に 野中寺境内に移され
昭和48年に大阪府指定文化財になり
平成6から8年には保存修理が行われました
野中寺で古墳石棺が見れるとは思いませんでした 大阪には、おもろいもんがいっぱい有るんやで〜 ヒチンジョ池西古墳石棺 大きさ・・・長さ3.1m・横幅1.7m・高さ1.8m
ヒチンジョ池西古墳石棺 案内板 古墳石棺 案内板写真 古墳石棺の上部 大阪府指定文化財
飛鳥時代(6世紀後半から8世紀初頭)の
ヒチンジョ池西古墳石棺に浪漫を感じますね
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野中寺塔跡・野中寺 羽曳野市大阪府羽曳野市野々上で
聖徳太子が建立した四十六寺院のひとつで
創建は飛鳥時代とされています
野中寺(やちゅうじ)境内を散策していて
野中寺塔跡の塔基壇と礎石を見ました
この土壇は心礎(塔の中心柱支える礎石)が
存在することから塔跡と考えられていた
昭和60年にこの土壇を発掘調査したところ
凝灰岩を加工した石材でつくられた
「壇上積み基壇」と呼ばれる基壇が認められた 基壇の中央に心礎を置き四方に12個の礎石があります
野中寺塔跡の向かい合った所に野中寺金堂跡がありました
野中寺は創建以降に荒廃を繰り返したことが
発掘調査でも明らかになっています
大阪には、おもろいもんがいっぱい有るんやで〜 野中寺塔跡 野中寺塔跡 案内板 野中寺塔跡 案内文 この土壇は心礎が存在することから塔跡と考えられていた
昭和60年・・・・・・・・・・・・・
野中寺塔跡 図面
塔の中心柱支える礎石
礎石
この基壇は、東西13.6m、南北12.9m、高さ約1.5mの規模を持ってます ![]() 野中寺塔跡の向かい合った有る野中寺金堂跡
野中寺金堂跡 案内板 金堂跡は塔跡に対して東側に存在していた。
現在残っている土壇や礎石などから開口4間、奥行き3間の南北に長い建物で、
おそらく西面していたと思われる。東面していた
塔跡と金堂跡とは向き合っていたいたことになる
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野中寺金堂跡 石塔の前に礎石がならんでます 飛鳥時代に創建された野中寺の礎石に浪漫を感じますね
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