映画のボツ脚本・準備稿を訳して読んでみるブログ

海外のSF映画やホラー映画のボツ脚本や準備稿をぼちぼち和訳して読んでみるブログです。

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というわけで、1980年に書かれた「ブレードランナー」の初期脚本を訳し終わりました。

映画とは違った明確で、しかも悲劇的なラストは好き嫌いが分かれるかもしれません。僕自身はこちらも良いと思います。
個人的な印象ですが、完成した映画と比べると…全体的にシンプルというかわかりやすい、という印象を受けました。それはデッカードの心情がモノローグで語られているかもしれませんし、キャラクターの違いのせいかもしれません。

特にロイ・バッティのキャラクターの違いには驚かされました。映画では最後に敵であるデッカードの命を救い、あの感動的な台詞を残して逝くバッティはこの作品の裏の主人公と言えると思います。それがこの初期脚本では死が不可避だと知るやタイレルもその家族も皆殺しにし、デッカードを余裕でもてあそぶ凶暴で残忍な、はっきりした悪役として描かれています。映画では老朽化して意のままにならない自分の身体を抑えるために使った「釘」も出てきましたが、それをデッカードに差し出し、殺される前に自分で耳か眼に突き刺して自殺しろ、と迫るくだりでは唖然としました。

違うといえばヒロインのレイチェルも、映画よりも可愛らしい、共感を呼ぶキャラクターとして描かれているように思います。こういうキャラクターだからこそ、映画と違って自らデッカードの手にかかることを選ぶラストが胸に来ますし、また同じ死が近いレプリカントとして、戦うことを選ぶバッティやプリスと、死を受け入れるレイチェルという対比も際立ったのではないでしょうか。

わかりやすいと感じたと書いておいてなんですが、訳し終わってよくわからない点も残りました。
前半に、デッカードがホイーラー医師のオフィスで何らかのテストを受けているシーンがあります。ここでデッカードが感知しているらしい映像に出てきたデューセンバーグやスピナーが、なぜタイレルの邸宅にあったのでしょうか。後半で出てくる、レイチェルがデッカードの部屋で掃除機をかける(フリをする)場面や、最後にレイチェルと山道を歩くシーンを、どうしてデッカードがこのテストの場面で見ているのでしょうか。そもそもこのテストは何を目的としたものだったのでしょうか。

もしかしたらこれらのシーンは、映画が完成した後も現在まで囁かれ続ける「実はデッカードもレプリカントだった」「彼の記憶は人工的に植え付けられたものだった」という「真相」を匂わせていた…のかもしれません。

もしこの脚本が映像化されていれば視覚的にわかりやすい表現がされていたかも、と思いますが、この脚本では明確な説明がなく…というか少なくとも私の英語力では読み取れず、謎のままです。


次は、巨大ロボットと大怪獣がドツキ合いの市街戦をやったあの映画の初期脚本を訳していこうと思います。
 

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