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【事例】あるコンサートの観客1000人のうち、199人が正規のチケットで入場し、
その他の801人が無賃入場者であった。そして1000人が誰かは特定できた
が、無賃入場者が誰かわからなかった。
そこで主催者は全員に付き、入場料分の不当利得返還訴訟を提起した。訴訟で
は上記の無賃入場者と正規入場者の比率しか証拠として提出されなかった。
この場合に、いかなる事実認定をすべきか。
これは田尾桃二・加藤新太郎共編「民事事実認定」(判例タイムズ社)のP209で紹介
されている「無賃入場者のパラドックス」というモデル事例である。
民事訴訟における証明度は一般に「高度の蓋然性」ないし「確信」を確率的に表現すれば
80%〜90%と表現されるところ、上記の事例において各々が無賃入場者である確率は
80.1%となる。
となると主催者(原告)は1000人全員に勝訴するのではないか。この結果は、数学
的には正当であるが、何だか座りが悪いのではないか、という問題のようだ。
これに対する見解としては、以下のようなものがある。
【見解】弁論の全趣旨説
一般的な統計的証拠しか提出せず、記述的証拠を提出しなかった原告の態度自体
が弁論の全趣旨としてマイナスに働く証拠原因となる。
《批判》問題のすり替えであり、問いに答えていない。
原告のみならず、被告も同様に怠慢があると評価されるべきである。
【見解】政策説
現実の事実認定には、事実認定のみならずプラスアルファの要素として政策的判
断が加えられる。具体的にはわずかな証拠による事実認定を認めないという政策
的判断が無意識的に事実認定過程に混入している。
他方で、多数の証拠提出を要求することが困難な場合には少ない証拠で事実認
定をすることが許されるという結論を導く余地もある。
【見解】パラドックス否定説
(ベイズ理論を前提に)確率的計算結果のみが正しいのであり、据わりの悪さは
錯覚である。
これは事実認定の客観化を志向する中で生まれた議論のようである。
最初の見解は問題の解決を回避しているので、何ら建設的な議論を提供しない。
したがって、2番目と3番目の見解が鋭く対立する。
もっともドラスティックなのは第3の見解であり、極めて統計的な事実認定をすることで
事実認定の客観化という目的は実現されている。
しかし、直感的には受入れがたいものがある。
そこで政策的判断といったブラックボックスを用いることで客観化を一部諦めながら、直
感的な不満を解消する。
果たして、どちらの見解が妥当なのでしょうか。
確かに事実認定を客観化することで検証可能性が増大し、事実認定の明確化・統一化にも
寄与するといえる。
しかし、統計的数字のみでの立証は当事者の直感を満足させることができず、本質的な
紛争解決という目的が達成されない。
そこで事例ごとに統計的数字やその他の客観的事情からの事実認定をルール化すること
で事実認定の客観化と紛争解決という両方の目的を実現できるのではないかと考える。
しかし、あらゆる事実認定をルール化することは不可能であるし、不合理である場合も
あると考える。
結局、裁判官の能力を信用してある程度のブラックボックスを認めざるをえないのでは
ないだろうか。見事なまでの堂々巡りである。
まだ、事実認定の勉強を始めたばかりなので、どんどん考え方は変わっていくと思うから
とりあえずは問題意識だけ確認して次に進もうと思う。
ただ、統計的・確率的な証明技術というものも将来的には武器にできる能力が必要だなと
は感じた。
「鬼面人を驚かせる」
極端な数値が出てくると、その強烈な印象で、強い説得力が生まれる。
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