中学から高校時代にかけて、凄まじい 家庭内暴力に遭っていました。
先に 極貧生活の記事でも触れてましたが、
ちょうど大黒柱の父親が病に倒れて極貧生活をおくっていた頃の話です。
中学1年の時、突然、家に母親の息子だという人が来ました。
少し聞いてはいたんですが、母は、再婚だったんです。
で、前の夫との間にその義兄が出来たわけですが、母はその家庭で
家族や姑の執拗なイジメに耐え抜き、それでもその前夫が全く生活力が無く
身も心もボロボロになった末に、長男であった夫の、その長男の義兄を
断腸の思いで、その家に残す事を条件に離婚しました。
その当時は男尊女卑の思想も強く、家の跡継ぎである長男を母親が引き取る事は
許されない事だったのです。
その義兄が、約30年ぶりに親戚を辿り、母を訪ねて来たのです。
当然、母親はわざわざ探して来てくれた息子を手放しで歓迎し喜びました。
・・・しかし、その幸福は約1ヶ月後には地獄の日々の始まりに変わったのです。
離婚当時、夫側の「家」の考え方で、やむなく手放し、父親に子供を任せたわけですが、
義兄はその家族からどういう風に吹き込まれて育ったのか
「自分を捨てた母親」に対し、積年の恨みを抱き続けて育ったのです。
義兄は、蛇を思わせるような、ねちっこいひつこい性格で、
一旦怨み話などを始めると、それが終わるまで深夜であろうと、絶対に寝かせてくれない人でした。
それだけならいいのですが、日増しに暴力が酷くなり、家に何日も監禁状態で
義兄から責められ続ける日々が始まりました。
母親がどんなに土下座して過去の事を懺悔しても、ずっとその事で責め続けるのです。
中学生であった私も、歯向かおうものなら、思い切り殴り飛ばされ、
母も髪の毛を掴まれたまま外に引きずり回されたり、何度も殴られていました。
母は夜中に頭部を強打して、私が病院に連れていき、何十針も縫ったり、
胸を蹴り飛ばされて、病院に行くとあばら骨が折れて重傷になった事もありました。
もちろん酷い時には警察を呼ぶ事もありましたが、「民事不介入の原則」で
家族間の問題は、警察もアテになりませんでした。
私もなにかと因縁をつけられて義兄に殴られ、口中血だらけでも直立不動の体勢を崩す事を許されず、
口から血をダラダラと流しながら、歯向かうと逆鱗に触れてもっと暴力を振るわれる恐怖の為
義兄の許しが出るまで立ち尽くす事しか出来なかった事も多々ありました。
今でも忘れられないショッキングな光景でしたが、母親が私の目の前で
気が狂ったように「もう死なせて〜!」と泣き叫びながら、ガスホースを口にくわえ、
私がそのホースを取ろうとしても、もの凄い力で口にくわえて離さなかった事がありました。
実の母親が自分の目の前で自殺を図るというショックは、なんとも表現しがたい
味わった者にしか解らないショッキングな出来事でした。
(幸い、命には別状無かったのですが)
先の記事で書きましたが、当時、私の父親も寝たきり状態で入退院を繰り返し
生活保護を受けての困窮生活だったので、そこを逃げ出す経済力もありませんでした。
妹も高校に進学するも、中退し、義兄に襲われる恐怖をも味わい
家を飛び出して、親戚宅でお世話になった後、17歳の時から自分で自立して生活し始めました。
いつしか5年も6年もの間、その長い長い地獄の日々を耐え忍んできた私と母とは
ある約束事が出来ていました。
「このまま義兄と一緒に生活していたら、いつかは殺されてしまう。
そんな事にならないように、もし私(母)が蒸発しても、私はアイツに見つからないように
○○○へ行くから、あなた(俺)はあなたで、なんとか生きていって
家族がバラバラになっても、親戚の○○さんの所だけには連絡入れて
連絡がつくようにしてね」
と、私も当時の仕事の状況もあったので、こういう密約を母としていました。
高校のある時、母が居ないその家で、義兄からいつものように難癖をつけられて責め立てられた時、
正座をしている私の足の膝の真横に、出刃包丁を真っ直ぐ垂直に突き立てられた事がありました。
その時、心の底から恐怖心が湧いてきて「殺される・・・」と心底怯えた事がありました。
その次の日、前日同様に難癖つけられて責められた時には、私は恐怖心におののき
家のトイレに鍵を掛けて閉じ籠もりました。
たまたま母親が帰宅し、私の殴られた怪我の血糊を発見して状況を察知した母は
また義兄と揉めた末、警察へ連絡し、自宅に警官が数人来ました。
しかし、人間って恐怖心でいっぱいになると、何も信じられなくなるものですね。
この時、人生最大の恐怖心にかられた私は、トイレの外から母親や警察官の人が
何度も「警察の人も来てるから安心して、出て来なさい」と説得されてたのですが、
あまりの恐怖心の為、その言葉も信じられなくて、ドアを開けるやいなや、
「義兄に刺し殺される」という恐怖心で、なかなか外に出る事が出来ませんでした。
極限状態に置かれると、人間の思考というのは、正常な思考が出来ないという経験をしました。
母はその当時すでに妹の彼氏のアパートに隠れ住んでいました。
そういう事情もあり、私もその件があった数日後の早朝、深夜に静かに身の回りの荷物を
ボストンバッグにまとめて、産まれてからずっと育って慣れ親しんだ
家を捨てて、仕事場の同僚であった知人のお宅にお世話になる事になったのです。
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