楽しむYahoo!ブログの作り方♪

【祝! 3,150,000 アクセス達成!感謝ヽ(・∀・)ノ】

□ぷろふぃいる

[ リスト | 詳細 ]

ファン登録(お気に入り登録)して頂いた方のみ自分語りをしよかと・・・(笑)        
★ブログネーム★ おやじ・OYAJI
★自己紹介★ う〜ん・・・略。
★年齢★ 自分の期待通りの人生だったら高校生の子供が居たかもしれない歳。
★血液型★ 典型的B型 木星人+
★子供★ 居ない(欲しい)
★家庭★ 10歳以降、ほぼ母子家庭みたいなもの。
★兄弟★ 妹1人
★結婚★ とりあえず1回はした。
★(昔の)特技★ トランペット・Sax・ギター・キーボード・ハモリ・作詞・作曲・釘師
★趣味★ 食べ歩き♪
★好きな物★ カレー・ラーメン・肉・寿司・チョコレート・ケーキ・酒場・可愛い女・子供達
★嫌いな物★ 納豆・骨のある魚・飲みにくい酒(芋焼酎・安酒)
★好きな事★ 人間ウォッチング・TV・映画・カラオケ・人を笑わす事・人生相談・世話焼き
★セックス★ 遅漏・相手本位・最近興味無い;;
★性格★ 温厚・気遣い・マメ・頑固・凝り性・凝り症(肩・腰)
★好きな言葉★ 「ま、なんとかなるやろ・・・」
★初恋★ 小学2年生 〜失恋
★恋愛★ 駆け落ち1回・同棲1回・半同棲1.5回・他、両手足では足らない・・・
★経験★ ソープ1回・ホテトル1回・ヘルス数回・ピンサロ0回・キャバレー1回
★仕事★ ホワイトカラー・7業種経験済み
★ 夢 ★ Jazzハウス経営(但し、夢に向かっては歩いて無い;;)
記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]

. #oyajibu #Yahooblog_jp #誕生日 #オッサン記念日 (笑) #birthday

47回目のお母さんありがとう♪


イメージ 1

昔・・かつて、ここでやっていたように、Facebookでの
怒涛の誕生祝いコメント返信を1時間以上も続けて行っていて(笑)
ようやく、落ち着いてきたので、ふと・・思い出したかのように
こちらもチェックしてみましたが、さすがに、今年になって
まだ3記事しかアップしていない「ほぼ放置状態」では、
コメントやゲスブ投稿もありませんね(爆)
ま、そりゃそうだwww

でも・・・ありがたい事に、今でも、このYahooブログで知り合った
一部の皆さまとはFacebookででも交流は続いていますし、
そして今年も例のごとくに、お誕生ケーキの記事は
ちゃんと明日か明後日には書きます(笑)

しかし・・もう8年も経つんですねぇ・・・。
この書庫へは5年ぶり(笑)


【作成元記事】
47回目のお母さんありがとう♪
記事作成日 : 2013.6.19

おやじ 父親 父 お父さん 周忌 節目 家族 一族

おやじへ・・・俺も頑張るで!!


昭和63年(1988)1月16日

私の父親は、12年に渡る長い長い寝たきり生活・入院・療養生活の幕を

一人静かに病院のベッドの上で閉じました。

ものすごく努力家で、とてもとても追い越せないような

心から尊敬出来る父でした。

最初に父が倒れた当時、私はまだ、たったの10歳、小学5年生でした。

妹は8歳・小学3年生。

母親は24時間、父の病室に詰めていなければならず

しばらくは自宅に帰れず

私は私立の中学進学(受験)を断念し、クラブ活動を辞め、

小学校に許可をもらって辛い飲食店のアルバイトを始め、

小学校から帰ると母に預かっているなけなしの生活費で市場へ行き、

インスタントの温めるだけのハンバーグやミートボール、

お惣菜、豆腐などの買い物をして
(当時は今のようにレンジ食品などもほとんどありませんでした)

家に帰ってから、お米を洗い、ご飯を炊いて8歳の妹と一緒に食事をし

・・・・って、何十年も前の「お涙ちょうだいの話」をするつもりは無かったのですが(笑)

やっぱり、父のことを語る時には
どうしても強烈だった「あの生活」を思い出してしまうなぁ・・・(苦笑)

それからも、様々な苦労もあり、また良い事もあり・・・。

今日(15日)、小さな母の家で

父の20周忌という事で

母と私と、妹と、その子供2人で

ホントにホントにささやかな法要をして

一緒に食事をしました。

父が大好きだった、ビールや焼肉や、どら焼きや、数々の母の手作りのおかずで

中学生にもなった、父が見ることの叶わなかった孫2人と

とっても温かいささやかな食事会を行いました。

甥っ子には、おじいちゃんがどんなに多趣味で努力家だったのかを

たくさん伝えました。話を聞いていた中学1年の甥っ子は、

幼い頃に両親を亡くして大変な苦労を乗り越え、
社会人になってから2つの夜間大学に入りなおして勉強し
遂には数十人の従業員を抱える社長にまでなり、
そして、本当に多趣味で、ギターやピアノ、バイオリンを弾き
新聞記者時代の経験からカメラが趣味で、たくさんの写真を残し
猟が趣味で、猪狩りやキジ撃ちに連れて行ってもらった話や、
クレー射撃のオリンピック選手強化コーチに選ばれた話や、
新し物好きでメカ好きで、まだビデオも無いあの時代に
当時珍しかった8ミリ映写機で家にスクリーンまであった話
などをしてあげると、
「私のおやじ」・・つまりおじいちゃんの話
を興味津々の顔で話を聞いてくれて、
マジマジと父の遺影を見つめていました。


★父が亡くなって、はや20年・・・。
家族それぞれに、紆余曲折があり、凄い波乱万丈の20年だったけど・・・

おやじ、こんなにも家族が増えて孫も出来て(ごめん、俺のはちょっと待ってな(汗;)
そしてみんな元気で健康で、慎ましながらも幸せに暮らしてるぞ!!

そっちの世界で、きっとこの光景を見て晩年は泣き上戸だったおやじは

きっとボロボロと涙を流してるんだろうな・・・。(笑)

まだまだ、おやじを超えるには未熟に見えるかもしれないけど、

俺も頑張るし、お母さんもまだ元気にしているから

まだお母さん呼んだらアカンで(笑)

妹家族共々、温かく天から見守っててや!!

一緒に酒を飲まれへんかったし、物心ついた時には

もうおやじとは会話が出来へんかったのがちょっと残念やったけど

今、こうやっておやじの家族が仲良く近くで元気に暮らしています。

あ、別におやじと、このOYAJIっちゅうハンドルネームは無関係やからな(笑)

ブログなんぞを始めてしまったもんやから、

おやじの20周忌を節目として、なんか書き残しておきたかったんやけど

結局、とりとめのない記事になってしもたな・・・(笑)

まぁ、許してな!

明日からも、またみんなで、家族で元気に頑張って暮らしていくから、

安心して見守ってて下さい。





YTO OYAJI titi otousan titioya papa meiniti houyou 20syuuki
20080116 08MD01 0116 2008N 0030

★記事作成元

文責
楽しむYahoo!ブログの作り方♪  (c)OYAJI
作成者 https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/a3/73/uragoe_2ch/folder/789330/img_789330_13356986_1?20051014064926.gif

【作成元記事】
おやじへ・・・俺も頑張るで!!
記事作成日 : 2008.01.16

先に書いた家庭内暴力 で、家を捨てて仕事場の同僚宅へ行ったまでは書きました。

その仕事場というのは、実は高校を卒業する時、ああいう家庭環境だったので当然大学は考えられなかったので
高校3年のクラス編成の時に「就職クラス」を選んで、進学は諦めてたんですが、
卒業前、関西では大手のスーパーに就職が内定してたんですけども、どうしても中学時代から憧れていた
音楽の道が諦めきれずに、内定した会社を直前で蹴って(相当嫌味言われましたけどね)母に
「やっぱりバイトでも何でもするから、音楽大学に行きたい!」と頼み込んで、
バイトしながら浪人するつもりでマクドナルドでアルバイトをし始めました。

しかし、上の記事にも書いたように、実生活の方が義兄の暴力や無理矢理、義兄が始めた商売を
手伝わされたりして、とても進学の為のレッスンが出来るような環境でなくなり、
大学進学は到底無理だというか、生活状況もメチャクチャだったので、夢を諦めざるを得なかったのです。

で、先の記事での事件があり、マクドの同僚の家に転がり込んで1ヶ月ほどお世話になっていたのですが
彼も独り暮らしではなく、家族(両親と妹)との生活の中に私がお世話になっていた為、
そうそういつまでも世話になるわけにはいかず、自動車工場の期間工など寮付きで働ける場所を
物色してたのですが、そんな折りに、そのマクドナルドで勤めてた時から付き合ってた大学生の彼女が
なんと家出をして、その同僚と私の居る家に転がり込んで来てしまったのです。

私は、私の家の事情も話した上で、家族にも了承してもらってお世話になってたんですが、
当然、その彼女までもお世話になれるわけがありません。
いくら説得しても、彼女は頑として「絶対に家には戻らない」と言って聞かないし、
かと言って、同僚宅に泊めるわけにも行きません。
困り果てた私は、彼女が来たその日の晩、同僚の家を出て、近くの大きな公園で彼女と一晩過ごしました。
必死で一晩中、彼女に家に帰るように説得しましたが、どうしても帰らないと言い張ります。

そこで私はとうとう覚悟を決めて、「そこまで言うなら、同僚宅にも世話になるわけに行かないし
二人で一緒にどこかに働き口を見つけて一緒に生活をしよう」と決めて、
夜が明けてから、いくつかのスポーツ新聞を購入し、まずラブホテルに入りました。
なぜかというと、ホテルで新聞求人欄で募集している住み込みで働けるパチンコ店を選んで
電話をかける目的だったのです。

ラブホからめぼしいパチンコ店に電話し、「とりあえず面接に来てくれ」との話で
私達二人は、電車を乗り継ぎ、その店に向かいました。

現在では、そういう怪しいカップルを受け入れてくれるパチンコ店は都会などでは
ほとんど無くなって来ていますが、少し田舎へ行くと、
ああいう業界では、夜逃げして来た人や、駆け落ちカップル等をある程度受け入れる事が多く
若い二人を見た、その面接にあたった部長さんも、何もそういう詳しい事情に触れる事無く
「若いんやから、二人で頑張ってお金貯めて、一日でも早くアパートでも借りれるくらいになるまで頑張れ!
君らと同じくらいの年齢で、何年か勤めてお金貯めて商売し始めたカップルもおるしな」と
優しく受け入れてくれ、二人の駆け落ち生活が始まったのです。

私22歳、彼女18歳の時でした。

私は、「二人で頑張ってお金貯めて、ちゃんと生活出来るようになって結婚資金も貯めたら、彼女の両親と
私の母の所へ、きちっと挨拶しに行って、謝ろう」と決めて、彼女と共に働き始めました。

しかし、全くの世間知らずの若僧です。

パチンコ店勤務は時間も長く、ずっと立ち働きの重労働なので、寮に戻ればバタンキューの生活が続き
彼女の夜の相手もなかなか出来ない事が多くなりました。
そんな時に、職場の私より10歳以上も年上のおっさんと彼女が浮気、というか不倫してしまったのです。

しかし、それが発覚しても、私は彼女と別れる事が出来なかったのです。
彼女の方も謝ったというのもあったのですが、それでも時々、私が寝静まった後に抜け出して
そいつの部屋に行ってたようです。

なぜ別れる事が出来なかったのか?

それは妙な私の責任感からでした。
『自分が彼女を駆け落ちまでして引っ張って来たんだから、このままここでヤツに渡して別れる事など出来ない』
と当時の私は思い込んでいました。ちゃんと駆け落ちした男の責任として、『晴れて籍を入れれるように
なった時に、彼女の親に謝罪して結婚の許しを貰うまでは別れる事など絶対出来ない。』
という意識の方が強かったのです。

それで三角関係のまま1年が過ぎ、世間知らずの私達は、そのヤツの口車に乗せられ
その店を辞めて(というか、夜逃げ屋に頼んで夜逃げして)
東京のパチンコ店に移る事になったのです。三角関係のまま3人で・・・・。

これ見てる人、不思議に思うかもしれませんが、二十歳そこそこのガキが中年男(ヤツ)に
いいように言いくるめられて、東京に出る際には、私が一人で東京のパチンコ店に就職し
彼女とヤツが夫婦気取りでアパートを借りて、その二人は私とは別のパチンコ店で表向き夫婦として
働き始める事になったのです。
何も判らない世間知らずの若い私は、東京にも詳しいヤツの言いなりになるしか無かったのです。

その奇妙な生活は、やがて彼女が銀行のキャッシュカードを使用した事により
彼女の母親が銀行関係に網を張っていた事により終わりを告げる事になります。
だいたいの居場所が彼女の親に判り、軒並みパチンコ店にあたりをつけて私達を見つけ出したのです。

ただ、私達はもう一緒になると決めていたので、彼女の母親も渋々了解してくれて
居場所だけでも判ったのでと、安心して大阪に帰って行きました。

しかし、その報を聞いて、後から駆けつけた私の母親が、その奇妙な三角関係に気づき、
その三十男にいいようにもて遊ばれてる私と、ヤツの借りた家から出ようとしない彼女を見て、
そんな変な関係の彼女とは別れなさい!!と激怒し、私も彼女の親にも連絡がついた事で
ここで別れても、もう連れだした責任を背負う事は無いと思い、その彼女と別れたのです。

初恋ばなし

本当の初恋とは言えないかもしれないですけど、思い出話をひとつ。

自分が認識してる初恋は、小学校1年生の時。

クラスで同級生だった「池田和子さん」っていう女の子でした。
(当然、もう結婚してるだろうし、この名前も多いだろうから出しました)

すごく仲良くしてもらってて、今でも忘れていない、もの凄く恥ずかしい話をします(笑)

当時その学校が改築してる最中の為、小学1年生と2年生の教室はプレハブ校舎だったんですが、
その池田さんと、プレハブ校舎の廊下で、手を繋いで歩きながら、空を見上げると

2羽の鳥が仲良く絡み合いながら、飛んでいたのが見えました。

その仲の良さそうなカップルの鳥を見ながら、

 私は

 「あの鳥のように、一緒に二人で空を飛びたいね」

 と、信じられないようなセリフをシャアシャアと言ってのけた記憶が鮮明に残っているんです(爆)



 どう思います?

 もしかしたら、自分の中で記憶が美化されて定着したかも知れませんが、
 この話は、私が中学校の頃、フォークソングブームで、ギターで作詞・作曲してた時に
 このエピソードを歌にした事があったんですが、その若い中学の時の記憶でもこのままなので
 記憶に間違いは無いと思ってるんですが、よくもまぁこんなキザなセリフを
 7歳のクソガキが言ったもんだなぁ・・と思い出すたびに苦笑してます(笑)

 その次に好きになった子は、小学4年生の時。
 学級委員に選ばれるくらいの可愛い子でしたが、
 2学期になってすぐ父親の転勤の為、四国の松山に転校して行ってしまいました。

 で、次に好きになる子は、意識するのは中学校に入ってからなんですが
 その子は小学5・6年の時に同じクラスで、その頃の年齢の時のガキって
 『好きな子ほど素直に言えなくてイジメてしまう』っていう典型的な例で
 あ、当時は現在ほど陰湿なイジメじゃなくて、出っ歯!とか目玉!とか
 身体的特徴をバカにしてイジメるような微笑ましいものだったんですが、そういう相手でした。

 その子と、同じ中学に入学して、物心ついてくる歳でもあり、本気で気になり出したんですね。

 もうアタックあるのみですよ!

 はい、中学3年間で、毎年1回ずつ、その子に告白して、3回ともフラれましたよ(爆)

 んで、この頃から、俺アフォなんでね、激しくお節介焼きなんですね。
 この付き合うに至らなかった彼女の為に、なんとキューピット役もしてたんですよ。
 自分が好きなのにね、彼女が他の子を好きになったって聞いて、
 その彼女の為に、好きになった彼との仲を取り持つ役目してたんですよ。

 好きな彼女の為に・・・・

 思考回路はこうです。 → 彼女が好き → 彼女が喜ぶ事をしてあげたい → 恋のキューピット。
 
 でね、この彼女だけじゃなく、他に好きになった子のまたそのキューピット役やってたりね;;
 その場合は、私の親友のヤツと付き合ったんで、結構辛い思いしました(笑)

 自己犠牲に酔ってたんですね。今考えると(爆)アフォですわ。

 で結局、その先の3回告白してフラれた子ね、俺がキューピット役をした中学の同級生とね
 とうとう結婚してしまいましたですよ。中学校から付き合いだして、大人になるまでずっと
 交際を続けてね。 すんごい話ですよ。

 ちゃんと付き合ったのは、中学3年の時に、クラブ(吹奏楽)の後輩にバレンタインの日に
 呼び出されてチョコレートを貰った子が最初だったかな?
 マジチョコ初めてだったんで、もの凄く嬉しかったですね。
 その子との思い出で一番感動的だったのが、彼女は下級生でしたから、1年後に私が卒業する時に
 卒業式を終えて、体育館から下級生が造るアーチを抜けて行くんですね。
 その時にサイン帳やら色紙とかプレゼントを受け取るわけですが、
 その彼女が私にプレゼントを渡す時に、大きな目からポロポロと大粒の涙をこぼしてくれたんです。
 めっちゃめちゃ感動しましたね。すごく愛おしかったです。
 卒業してから、やはり高校と中学と離ればなれになってしまって、続かなかったんですけどね。

 あぁ・・・懐かしいなぁ・・・ノストラジックな気分だわ(笑)


家庭内暴力

中学から高校時代にかけて、凄まじい家庭内暴力に遭っていました。
先に極貧生活の記事でも触れてましたが、
ちょうど大黒柱の父親が病に倒れて極貧生活をおくっていた頃の話です。

中学1年の時、突然、家に母親の息子だという人が来ました。
少し聞いてはいたんですが、母は、再婚だったんです。

で、前の夫との間にその義兄が出来たわけですが、母はその家庭で
家族や姑の執拗なイジメに耐え抜き、それでもその前夫が全く生活力が無く
身も心もボロボロになった末に、長男であった夫の、その長男の義兄を
断腸の思いで、その家に残す事を条件に離婚しました。
その当時は男尊女卑の思想も強く、家の跡継ぎである長男を母親が引き取る事は
許されない事だったのです。


その義兄が、約30年ぶりに親戚を辿り、母を訪ねて来たのです。
当然、母親はわざわざ探して来てくれた息子を手放しで歓迎し喜びました。

・・・しかし、その幸福は約1ヶ月後には地獄の日々の始まりに変わったのです。

離婚当時、夫側の「家」の考え方で、やむなく手放し、父親に子供を任せたわけですが、
義兄はその家族からどういう風に吹き込まれて育ったのか
「自分を捨てた母親」に対し、積年の恨みを抱き続けて育ったのです。

義兄は、蛇を思わせるような、ねちっこいひつこい性格で、
一旦怨み話などを始めると、それが終わるまで深夜であろうと、絶対に寝かせてくれない人でした。
それだけならいいのですが、日増しに暴力が酷くなり、家に何日も監禁状態で
義兄から責められ続ける日々が始まりました。
母親がどんなに土下座して過去の事を懺悔しても、ずっとその事で責め続けるのです。

中学生であった私も、歯向かおうものなら、思い切り殴り飛ばされ、
母も髪の毛を掴まれたまま外に引きずり回されたり、何度も殴られていました。
母は夜中に頭部を強打して、私が病院に連れていき、何十針も縫ったり、
胸を蹴り飛ばされて、病院に行くとあばら骨が折れて重傷になった事もありました。
もちろん酷い時には警察を呼ぶ事もありましたが、「民事不介入の原則」で
家族間の問題は、警察もアテになりませんでした。

私もなにかと因縁をつけられて義兄に殴られ、口中血だらけでも直立不動の体勢を崩す事を許されず、
口から血をダラダラと流しながら、歯向かうと逆鱗に触れてもっと暴力を振るわれる恐怖の為
義兄の許しが出るまで立ち尽くす事しか出来なかった事も多々ありました。

今でも忘れられないショッキングな光景でしたが、母親が私の目の前で
気が狂ったように「もう死なせて〜!」と泣き叫びながら、ガスホースを口にくわえ、
私がそのホースを取ろうとしても、もの凄い力で口にくわえて離さなかった事がありました。

実の母親が自分の目の前で自殺を図るというショックは、なんとも表現しがたい
味わった者にしか解らないショッキングな出来事でした。
(幸い、命には別状無かったのですが)

先の記事で書きましたが、当時、私の父親も寝たきり状態で入退院を繰り返し
生活保護を受けての困窮生活だったので、そこを逃げ出す経済力もありませんでした。

妹も高校に進学するも、中退し、義兄に襲われる恐怖をも味わい
家を飛び出して、親戚宅でお世話になった後、17歳の時から自分で自立して生活し始めました。

いつしか5年も6年もの間、その長い長い地獄の日々を耐え忍んできた私と母とは
ある約束事が出来ていました。

「このまま義兄と一緒に生活していたら、いつかは殺されてしまう。
そんな事にならないように、もし私(母)が蒸発しても、私はアイツに見つからないように
○○○へ行くから、あなた(俺)はあなたで、なんとか生きていって
家族がバラバラになっても、親戚の○○さんの所だけには連絡入れて
連絡がつくようにしてね」
と、私も当時の仕事の状況もあったので、こういう密約を母としていました。


高校のある時、母が居ないその家で、義兄からいつものように難癖をつけられて責め立てられた時、
正座をしている私の足の膝の真横に、出刃包丁を真っ直ぐ垂直に突き立てられた事がありました。

その時、心の底から恐怖心が湧いてきて「殺される・・・」と心底怯えた事がありました。

その次の日、前日同様に難癖つけられて責められた時には、私は恐怖心におののき
家のトイレに鍵を掛けて閉じ籠もりました。
たまたま母親が帰宅し、私の殴られた怪我の血糊を発見して状況を察知した母は
また義兄と揉めた末、警察へ連絡し、自宅に警官が数人来ました。

しかし、人間って恐怖心でいっぱいになると、何も信じられなくなるものですね。
この時、人生最大の恐怖心にかられた私は、トイレの外から母親や警察官の人が
何度も「警察の人も来てるから安心して、出て来なさい」と説得されてたのですが、
あまりの恐怖心の為、その言葉も信じられなくて、ドアを開けるやいなや、
「義兄に刺し殺される」という恐怖心で、なかなか外に出る事が出来ませんでした。

極限状態に置かれると、人間の思考というのは、正常な思考が出来ないという経験をしました。

母はその当時すでに妹の彼氏のアパートに隠れ住んでいました。

そういう事情もあり、私もその件があった数日後の早朝、深夜に静かに身の回りの荷物を
ボストンバッグにまとめて、産まれてからずっと育って慣れ親しんだ
家を捨てて、仕事場の同僚であった知人のお宅にお世話になる事になったのです。

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]


.
アバター
OYAJI
男性 / B型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

ブログバナー

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

検索 検索

日常

登録されていません

グルメ

登録されていません

音楽

登録されていません

他社ブログ

登録されていません

ブログ

登録されていません

経営者

登録されていません

BSP

登録されていません

情報

登録されていません

パン一同好会

登録されていません

基本

登録されていません

国際交流

登録されていません

素材リンク

登録されていません

転載・著作権・ブログ運営

登録されていません

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
ふるさと納税サイト『さとふる』
お米、お肉などの好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!
いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事