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沖縄はゆすりたかりの名人とは、アメリカ国務省のメア前日本部長の発言だ。もっとも、本人は発言を否定している。反基地運動家に乗せられたのだという。まあ、事態収拾のため否定せざるをえなかったのだろうが、乗せられたのは事実のようだ。
反基地運動家の狙いどおり、沖縄住民は、これに猛反発した。なぜか。痛いところを突かれたからだ。本人達が、自らをゆすりと認識しているからこそ、反発する。客観的に誰から見てもゆすりとされない行動をとっていれば、一笑に付すことができる。猛反発によって、自らがゆすりの名人であることを明白にしてしまった。果たして、これが、反基地運動家の狙いだったか否かについては不明であるが。
振り返って考えると、ゆすりたかりの名人は沖縄に限らない。日本のほとんどの地方自治体は、ゆすりたかり精神にどっぷりとつかっている。
震災被災地の岩手・宮城は、中央の復興予算の獲得をめざして、あの手この手。その獲得を地方住民が後押しする。それに、悪知恵をつけるのは、復興予算に群がる企業だ。復興自体より、如何に予算額を増やすかが関心事となっている。そこに、政治家がからむ。まさに、眼を覆う惨状だ。
被災者の救済は後回しで、予算確保のための人質になっている。被災者のことを思うと胸が痛む。しかし、被災者の名を借りて、都合よく金を巻き上げようとする人間がいると思うとより胸が痛む。
問題は、関係者が、それぞれ合理的な行動をとっていることだろう。自治体が予算をとるために方便を使うのは、当たり前。予算関係住民がそれを支援するのも当たり前。企業が営業目的で知恵をつけるのも、当然。そして、真の支援は無視される。
これは、コモンズの悲劇といわれる現象と類似の構造だ。猟場で、参加者が個々に合理的な行動を取ることにより、猟場の資源は枯渇する。解決は、個々人の行動全体を、新たなルールで規制し、そのもとで、資源管理を行なうことだ。
日本の地方自治にも新たなルールが必要だろう。今の制度は、ゆすりたかり精神のビルトイン・システムといってよい。これは、明治政府が、近代化を進めるために、中央が遅れた地方を改革指導するために作ったものだ。当時意義のあった制度が、今や国民の活力を削ぐ制度に転化してしまった。
明治の初め、日本の地方はみすぼらしかったが輝いていた。地方には、天下国家を論ずる有志が溢れ、自ら行動した。文化程度も、中央と遜色なかった。自主独立の精神を失い、ゆすり根性に蝕まれ、その必然としての凋落と疲弊のさなかにある今の地方とは大違いだ。
地方の再生は、中央の金をつぎ込むことによっては解決できない。それは、依存を更に深める死に至る病そのものだ。
地方分権の推進が叫ばれて久しい。政府の委員会の報告書を見ると、おっしゃるとおりという立派なことが書いてある。しかし、現実は、はるかに遠いところにある。地方の真の自立を実現するために何が必要か。これは、明治以来の仕組みを根本から改める以外にない。
具体的には、政府の事務を国と地方に完全分離し、それぞれがお互いのことに口を挟まず完全独立で事務を執行することだ。当然、地方は独自に自由に課税する。
現在の地方制度の根本問題は、制度上、地方政府は何でもできることになっていることだ。明治政府は、この制度で地方を中央の手足として使った。その総本山が旧内務省だ。その制度のもとでは、国と地方は一体で役割分担がない。戦後、地方自治制度が施行されたが、霞ヶ関は、作業の地方に押し付け、自らはそれを監督する形で旧体制が温存された。戦後は、悪いことに、地方は、無限定権限を逆手にとり、安全保障など国に事務に口を挟むようになった。その典型が、沖縄の安全保障を人質にとったゆすりたかりだろう。
改革の基本は、地方と中央の役割分担確定と役割遂行の完全独立だろう。中央の仕事は、地方にあっても、税務署のような中央の地方組織が実施する。戸籍事務のように、一部国と地方の共同事務が残るが、共同事務は、国が制度を定め、地方が受益に応じて費用負担すべきだろう。基地問題は、防衛施設庁だけの判断で実施すべきだろう。地域の人間には、自治体を絡ませず、国に対して直接問題を提起させるべきだ。
改革原理は、簡単だ。まさにアメリカ下賜憲法が言う地方自治の本旨を実現するだけだ。憲法施行後60年以上。この理念を全く理解しない日本の学界・言論界はあまりに異常であり、あまりにお粗末だ。
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政策
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震災復興が一向にすすまない。政府の対応に遅さは、阪神の場合に比べてもお粗末に過ぎる。これは、政府の無能による人災と言ってもいいだろう。
しかし、単なる現象面に留まらず、より深いところに思いをめぐらす必要もある。 例えば、故郷から一時間くらいかかる二間の仮設住宅に住んでいる初老の夫婦。生活の頼りは、支給期限が延長された失業保険。土地勘がなく、やることもない。仮設住宅の中でじっとしている。電気代を節約するため、夜も明かりを付けず、テレビの明かりですましている。幸い六畳一間に道具はおさまっているので、これで十分だ。そして、政府は、自分たちの生活を保証するために次に何をしてくれるかをじっと待っている。誇張があるかもしれないが、これが、被災者の一側面だろう。 この被災者は、受刑者より悲惨だろう。受刑者は、出所後の生活に思いをはせる。更正後の生活設計とその準備、あるいは、更なる犯罪計画かもしれない。肝心なのは、自分で自分の将来を考えていることだ。誰も政府に、生活保障をしてもらおうとは思わない。 敗戦後、日本国民は、今回の震災よりずっと悲惨な状態にあった。しかし、現在の被災者のような悲惨はなかった。人々は希望に燃え、国家の再建に取り組んだ。誰も励ます必要はなかった。今はどうだ。励ましの言葉は溢れている。しかし、それは、すべて空虚なものだ。頑張る気持ちは、内面から湧くもので、マスコミが垂れ流す外交辞令のステレオ・タイプをいくら聴こうと無意味だろう。 誰が、被災者を受刑者以下の存在にしたのか。 首謀者は、福祉に名を借り、国民に依存心を培養してきた厚生官僚とそれに巣食った利権あさりの政治家だろう。官僚は、福祉の提供を申請主義とし、それにくだらない条件をつけ、申請を査定する。申請者は、条件を満たすため、官僚の顔色を伺い、従順を学ぶ。また、共犯者は、福祉を「勝ち取る」ことを煽った「市民グループ」や、それを宣伝したお粗末なマスコミ・「知識人」だろう。残念ながら、国民も無実ではない。目先の利益に眼が眩み、唯々諾々と自己の尊厳をなげうった。 被災者支援には、賛成だ。しかし、それは、被災者の尊厳に配慮した形で行なわなければならない。具体的には、一定の要件を満たした被災者に対し、こまぎれの生活保障でなく、二〜三年程度の生活資金の一括提供だ。使途には、一切口をはさまない。しかも、これは一回限りとする。それ以外の後出しの処置は一切とらない。 同様の支援方策は、被災自治体に対しても行なう。被災面積と被災人員に応じた一律定額一回限りの復興予算処置だ。同じく、使途には、自治体自ら立案する復興計画に沿って使うこと以外の条件をつけない。現行システムは、復旧と復興の予算を峻別する。そのため、当初の復旧予算では、時代遅れの施設でもそのまま復元することが行なわれた。官僚の都合だけを考えた馬鹿な考えだ。これは、阪神災害時に、後藤田官房長官が考えた。まさに、国民に「依らしむべし」を信条とする内務官僚の真骨頂だろう。更に、小出しの査定主義だ。これは、自治体の創造性を奪い、予算確保のために猿知恵をしぼらせる。早稲田大学の原田泰は、今回の震災による物的損害は、一人当たり966万円に過ぎないのに、復興予算は、一人当たり4600万円になったと試算するが、それもむべなるかなだ。 しかし、ことは、震災に留まらない。実は、震災対応は、通常の国の地方補助制度を基本的にはそのまま利用している。ということは、われわれは、平常時にも同じ構図にどっぷりつかっている訳だ。つまり、震災被災者の悲惨は、実は我々全体がどっぷりつかっている悲惨でもある。そして、それが構造化された無駄創出システムとして機能しているということだ。日本の産業競争力低下も、一面では、無駄なことに投資をしてきたことのつけが回ってきた側面がある。 日本と我々の将来を開くためには、いまこそ、この戦後の政官コンプレックスを解体しなければならない。そのためには、我々自身が、自己を再認識し、浅薄なメディアに鉄槌をくだし、国家の統治機構の改革に乗り出す必要があるだろう。 |
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政府は、日銀の審議委員にBNPパリバ証券のエコノミスト河野竜太郎氏を国会に提示する。 このニュースに対して、ロイターは、「政府が今回の人事案を提示したことついて、驚きを持って受け止める市場参加者は少なくない。その理由のひとつが河野氏の金融政策へのスタンスだ。同氏が2月20日付で顧客向けに配信したリポートは「ゼロ金利政策と国債購入政策の長期化・固定化の副作用」との標題を掲げ、1)日銀は追加緩和を続けるべきか、2)積極緩和の副作用で資本蓄積が阻害されていないか、3)追加緩和のデメリットは本当に小さいか――など「日銀寄りのサブタイトル」(国内証券)が連なっている」と報じた。 野田総理は、デフレ脱却に不退転の決意で取り組むという。白川日銀総裁も言葉では同じ趣旨の発言を行なっている。正直、日銀は、ここ10年以上、同じ言葉を繰り返してきた。 しかし、実態はどうか。この20年にわたるデフレで、日本の産業は疲弊し、失業者は一万人増えて3万人の高原状態だ。日本産業に構造改革を通じた競争力回復の必要は明らかだが、デフレは構造改革の実施を妨害する。マイルドなインフレは、価格調整を通じて、スムーズな構造改革をサポートするのだ。 日銀は、デフレの責任をさまざまな他の要因に転嫁してきた。例えば、デフレは高齢化に伴う需要不足が原因だと。しかし、これは、世界の珍説で、日銀が正式にこの考えに理解を示すとは、金融論のいろはを知らないと批判されてもしょうがないだろう。確かに、実質経済成長は、人口構成により影響を受けるだろう。しかし、名目の物価は、物と貨幣の相対量で決定される。人口論は、実質と名目の区別を付けない初歩的な誤りだ。 河野氏は、この人口デフレ論者でもある。3月31日付けのダイヤモンド誌では、チャイナのバブルの可能性に触れ、これは、人口ボーナスが原因となると述べている。 なぜ、野田総理は、こんな人物を審議委員に提示するのか。これは、野田総理に限らず、日本の政治家が全く経済音痴だからだろう。音痴だから、事務方の用意のままに従う。 かつて、安部総理は、厚労省の言うがまま「すべての年金受給者の悉皆調査を行なう」と不可能なことを公約し、果たせず失脚した。これは、猫でもわかる公約だったから、失脚した。 ところが、ことデフレ脱却となると、途端に騙されてしまう。白川氏のデフレ脱却という言葉は、厚労省の悉皆調査と同じだろう。日銀官僚に任すから、河野氏のような論者を審議委員に推すことになる。 2月、日銀が世界標準のインフレ・ターゲット政策を採用かと報じられて、円安株高が進行した。日銀の決意次第で、経済は動く。しかし、ここにきて、日銀は本気だったのかという疑いが生じ、この動きは停滞している。 インフレ・ターゲット政策を採用する英国では、インフレ目標が達成できない場合、イングランド銀行総裁は、なぜ達成できなかったのか、今後達成するために具体的に何時までに何をするのかを公の場で明確にしなければならない。責任転嫁の日銀とは大違いだ。人口高齢化を前提として、何をするかが問われている。 日銀官僚は、一万人の自殺者増という国民の犠牲の上にたって自らの居心地のよさを追求している。それは、大阪市役所の職員と同じだろう。日銀が悪質なのは、そのために学者を手なずけていることだ。研究名目で、さまざまな形で資金も流れるが、その他の手段が、今回のように、忠実な犬の河野氏に社会的な褒章を与えることだろう。 問題は、国会が、それを20年にもわたり放置していることだ。筋金いりのデフレ脱却論者はいるが、これらの人は、政策決定の場から排除されてきた。野田総理、そしてまじめな国会議員は、いまこそ、人事で、デフレ脱却を明確にすべきである。学者では、学習院大学の岩田規久男、実務家なら修正ソロス・チャートを提案するドイツ証券の安達誠司がいいだろう。 重ねて言いたい。デフレ脱却をしたいなら、人事を変えるべきだ。たとえ、日銀の政策が直ちに変らなくても、反執行部の見解との論争により、論点は国民の前に明確になるだろう。イエスマンだけの政策委員会なら、委員会の意味がない。 |

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マスコミが事業仕訳ではしゃいでいる。税金の無駄使いが、派手に宣伝宣伝され、国民は、これに溜飲を下げる構図だ。政治家には、なにかをやっているパーフォーマンスができ、支持率回復の絶好の機会と映る。
仕訳自体は常識的な内容で、くだらない支出が野放しにされていたこと自体問題だ。しかし、このような無駄使いの個々の詳細な内容について、議員自身が乗り出してチェックすることは、漫画的状況といっていいだろう。 アメリカには、会計検査院がある。この検査院は、行政権の一部というより、議会の手足と認識されている。職員は、会計士にみならず、政策科学の専門家がおり、単に会計上の適正さのみならず、政策上の妥当性をも審査する。さらに、政策提言までも行う。職員の質もお極めて高い。議会は、検査院報告を受けて、大所高所から、政策・法案作成を行う。 日本の検査院もアメリカに習って憲法に根拠をおいて設置されたが、任務は、会計上の適法性のみに審査が限られる。検査院報告は、無味乾燥で、決算委員会が注目されることは、ほとんどない。検査院の職員の質もそれなりだ。政策決定権限は、財務省・予算委員会が一手ににぎっている。 日本の会計検査院の権限が弱いには偶然ではない。弱めたには、大蔵省の官僚の権限欲と予算の無駄使いから甘い汁を吸おうとした与野党の政治家だ。そして、国民は何も言わなかった。需要がないから、政策科学も発展しなかった。 いま、お金がなくなって、しかたなく事業仕訳なるものを始めてみた。しかし、素人の議論には限界もある。蓮舫の有名なお粗末発言がそれを物語る。専門家による論点整理と各選択肢の利害得失の分析をもとに、素人が最終判断を行う。これが、行政のあるべき姿であろう。 行政は膨大であり、いくら議員が時間を使っても隅々まで目を光らすことは不可能だ。その意味で、今の仕訳は議員の時間の無駄使いだろう。すみやかに、会計検査院法を改正して、アメリカ流の検査と政策提言を実施させるべきであろう。職員には、民間の会計士やシンンクタンク職員を大量に採用する。外交国防以外分野では、民間会計事務所に検査を委託してもいいだろう。 政治家が、末端の検査官の仕事を喜んでやっている状況は、日本の国家制度のお粗末さを示すものだろう。しかし、民主党は、嬉々として仕訳にいそしんでいる。仕訳は、今や民主党の唯一の人気政策になってしまった。これは、日本のマスコミのお粗末さの証明でもある。 |
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円が対ドルで一時82円台をつけた。日本企業の想定為替レートは90円が多いという。円高で、輸出企業の業績影響は大きく、収益悪化は、さらなる人件費を含むコスト削減に動く。国内投資は失速し、失業率は更に悪化し、デフレも進展するだろう。幸い、円売り介入で、85円台にまで押し返すことに成功したが、今後の動向は予断を許さない。 円高自体は、必ずしも悪いものではない。むしろ、国民の購買力の増加につながり、基本的には望ましい。ただ、購買力の増加を国民生活の向上につなげる政策が必要だ。 問題は、急速なショックは、金融取引とはスピードが圧倒的に遅い企業活動に耐えがたいストレスを与える。雇用減少となれば、生活水準低下につながる。企業に対し、適応に準備を与える時間が必要だ。それが、為替介入に根拠を与える。 為替介入は、政府・日銀によって行われる、と言われる。これは、誤りだ。実際は、財務大臣が、所管する外為特会のオペレーションを日銀に命じて実施される。つまり、主役は、財務大臣だ。 外為特会は、1兆ドル(85兆円)以上の資金量がある。財務省は、短期国債を発行し資金を調達し、その資金を外貨を買う。それが、積もり積もった金額が、これだ。つい、この間までは、外為特会は、20兆円程度の黒字があり、埋蔵金の財源として注目された。しかし、このところの円高で、ドル資産が目減りし、逆に、20兆円以上の赤字になったとされる。 今回の介入に対し、内外の関係筋では、協調ではなく日本の単独介入であり、長続きしないというのが、支配的見解のようである。 しかし、それはどうか。 介入には、外為特会による国債発行が必要である。今回の介入では、一説には、1兆3千億円の資金が用意されたという。資金が必要だ。政府が累積債務に悩む現在、さらに国債発行を行うことになっている。国債発行額一定の限界がある以上、無限に介入を続けることは不可能だ。 問題解決は、現行外為特会の廃止にある。廃止して、日銀資産に吸収するのである。日銀には、政府の基本方針に従い、自らの行為として為替介入を実施する。日銀は、国債ではなく、円を増発して介入する。円の増発には天井はない。無限に介入が可能である。介入に制限がない以上、永続的な為替水準維持が可能である。そうなれば、投機筋も円投機を逡巡するであろう。 外為特会の廃止には、日銀・財務省双方が反対するであろう。日銀は、自らの財務バランスシートが、為替動向に左右されることになる。組織としての収支が影響をうける。国民の利益より、組織の利益を優先する立場からは、この提案は受け入れがたい。財務省は、膨大な外為特会の運営に付随する利権を喪失することになる。85兆円の資金運用には、多様な集団が巣食っているだろう。 この提案は、デフレの解消にも資する可能性がある。デフレの解消には、アメリカが行っているように、日銀の資産ベースを拡大(見合いとしての円の増発)しなければならない。資産拡大のため、日銀はあらゆる資産を購入すべきである。チャイナのように世界中から資源を購入してもいいし、アメリカのようにリーマンショックで発生した不良資産を購入してもいい。 国債を買っても良いが、日銀は、国債購入には、徹底抗戦している。コントロール不能のインフレになるからという。しかし、金融的には、インフレはデフレよりはるかにコントロールしやすい。コントロール困難なのは財政赤字だ。日銀が自らの金融責任を棚に上げ、財政コントロール不能の心配するのは、越権行為であろう。財政は、財務省と国会の責任だ。 外貨も購入対象だ。外貨の購入で円が増発され、デフレ解消に資することになろう。円高となり購入した外貨が目減りすれば、日銀のバランスシートが悪化し、円の実質価値が減少するであろう。こらは、更なる円高に対する抵抗力を高める効果がある。 日銀は通貨価値の番人とさされる。物価指数だけではなく、外貨との関係で円の価値を一定に維持するのは、日銀の本来業務ともいえる。 介入に当たって、気をつけなければならないのは、アメリカの干渉だ。アメリカは、自らのドル安政策のつけを他国に求める。チャイナのようにあからさまな重商主義をとっている国の為替管理が非難されるのは当然だ。しかし、為替変動の平準化を目指した介入は異なることを主張すべきであろう。また、長期的には、外貨以外での日銀の資産ベースの拡大により、デフレ解消をあわせ、自然な形でのシステマティックな為替調節を指向すべきある。 いずれにしても、現下の経済困難を解決するためには、制度改革が避けられない。菅総理リーダシップがあるか。民主党自体が国難とならないことを祈りたい。 |




