<?xml version="1.0" encoding="UTF-8" ?>
	<rss version = "2.0"  xmlns:blogChannel="http://backend.userland.com/blogChannelModule">
		<channel>
			<title>うらくつれづれ</title>
			<description>折にふれ、思ったことを書き留めていきます。
優雅に行こうと思いますが、ごまめの歯軋りになることも？</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/urakusp</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
		<image>
			<title>うらくつれづれ</title>
			<url>https://s.yimg.jp/i/jp/blog/iym_img.gif</url>
			<description>折にふれ、思ったことを書き留めていきます。
優雅に行こうと思いますが、ごまめの歯軋りになることも？</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/urakusp</link>
		</image>
		<item>
			<title>大根紋盛期青磁染付鍋島</title>
			<description>&lt;div class=&quot;&quot; align=&quot;center&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-b1-89/urakusp/folder/570060/63/33796363/img_0?1346553738&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_336_340&quot; width=&quot;336&quot; height=&quot;340&quot;/&gt;&lt;/div&gt;
ほれぼれするように美しい青磁鍋島、三〇センチの大皿です。ロンドンのクリスティーズで落札しました。クリスティーズでは、１７C本歌色鍋島７寸皿２枚も同時に出品されてました。こちらの方は、スタート価格も桁違いで参加できませんでしたが、こちたは、１９C江戸との評価で、小生でも参加可能のスタート価格でした。それでも、小生には清水の舞台から飛び降りるような決段でしたが、今がこういうものを買う最後の機会と思って決断した次第です。
&lt;div&gt;鍋島は、明治にも大川内崩れの職人が平戸などに流れ、鍋島写しを多く作ってます。また、１０代今衛門は、鍋島の復刻に努めました。従って、これが１９Cの江戸であるか、１９Cの明治であるかは、その価値が天地の如く異なることになります。ちなみに、プロフィール写真にある色鍋島は、明治初の達人にようｒ復刻の可能性あ高いです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;オンライン入札ですから、残念ながら現物に当たって明治かどうかを確認はできません。さて、どうするか、リスクを承知で入札するかどうか。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;結局、クリスティーズの江戸という判断を信じることとしました。クリスティーズは、鍋島の扱いに慣れており、明治を江戸と誤認することはないだろうという、一種のブランド信仰ですね。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;落札後、現物を見たところ、写真に勝る迫力に圧倒されました。呉須と青磁釉のこれも単純な色彩構成と皿いっぱいに広がった純日本的デザインが、力強さを生んでいます。果たして、これは、１９Cの後期鍋島か。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;裏模様は、後期鍋島の太宗を占めるカニ牡丹紋の両側のつぼみがない模様です。クリスティーズは、裏模様のカニ牡丹類j模様を見て、１９Cと判断したものと思量します。しかし、裏模様を時系列で纏めた写真入論文によれば、なんと、両側のつぼみがないこの皿のものは、盛期の後半、つまり１８C前半享保の模様と分類されているではありませんか。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;この大根の表模様は、前期から盛期の鍋島のもので、後期ものではありません。しかし、鍋島は、絵手本があり、それを忠実になぞって作成するものなので、享保以降にも例外的作られたものがるのではと思って入札したのです。しかし、裏模様が盛期のものであｒば、表模様も盛期であり、盛期製作ということで平仄がとれます。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;しかし、なんといってもこの作品が発するオーラがすごいです。ということで、小生の判断として盛期と考えてます。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;仮に、この判断が正しいとすれば、大きな堀出し物をしたことになります。しかし、なんでも鑑定団を見ていると、オーラに惹かれて購入したものがガラクタという例も多々あります。小生の収集品はいずれ公的機関に寄付しようと考えてますが、その時ガラクタとして受け取り拒否されるのでしょうか？&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;なお、二また大根紋は典型的な豊穣を意味する吉祥紋で、能登のアエノコト神事では、神に供えるものとされてます。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/urakusp/33796363.html</link>
			<pubDate>Mon, 16 Jul 2012 19:35:29 +0900</pubDate>
			<category>工芸</category>
		</item>
		<item>
			<title>丹羽大使の尖閣発言と外務省の大罪</title>
			<description>&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;伊藤忠出身の丹羽在チャイナ大使が、フィナンシャル・タイムズの記者とのインタビューで、尖閣諸島を東京都が購入すれば日中関係に重大な影響がある、と述べたと報じられた。政府が、あわてて、政府見解と異なると異を唱えたが、後の祭り。チャイナでは、日本の大使が述べたことを大々的に報じ、尖閣は、疑う余地のないチャイナの領土である証拠とした。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;もともと商売人の丹羽のような人物を民主党が大使にしたのが間違いだ。丹羽は、チャイナ政府の要人とはまったく面会できず、軽んじられているという。チャイナ政府も、大使としてではなく、単なる商売人として扱っているのだろう。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;丹羽は、何に使うかわからない大運動場の広さのチャイナの新潟領事館用地買収に対して協力する旨の口上書も出している。昨年の在チャイナ大使館の改築許可との交換条件として要求されて応じたという。丹羽は一体どこの国の大使なのだろう。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;丹羽のお粗末ぶりは、尖閣という国民的関心事だからたまたま目をひいた。しかし、その影には外務官僚の売国メンタリティーがあり、それが、この機会に噴出したものと見るべきだろう。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;外交官になって赴任するとき、外務省はどういって送り出すか。受入国を愛し、その国の人から愛されなさい、という。間違っても、日本の国益を守りなさいとは言わない。なぜか。何が日本の国益か不明だからだ。不明なものは、守りようがない。戦後憲法で、平和主義が宣言され、諸外国とも、みんなで仲良くが国是となった。官僚が独自に国益と思われるものを突出して追求すれば、反対意見の持ち主から国内で追及され、失脚してしまう。かくて、相手国から愛される外交官の誕生だ。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;外務省は、在外公館の職員の拡充に熱心だ。他国と比較して、要員が少ないという。しかし、それをいうなら、仕事の比較をしてからにすべきだろう。他国の外交官は、目指すべきものがある。しかし、日本の外交官は、存在することだけが、目的だ。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;小人閑居して不善をなすという。日本の外交官もやることがないから、自分の生活を安楽にすることに注力する。生活安定のために最も重要な要素は、面倒な問題を起きないようにすることだ。なにせ、ステータスだけは高い。問題が起きなければ、王侯貴族に準じた生活ができるのである。在留邦人も、天皇陛下も名代としてちやほやしてくれる。かくて、懸案は隠す。隠し切れず顕在化した時には、ひたすら火消しにまわる。その過程では、妥協に妥協を重ねる。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;問題回避・事なかれ主義の行動は、官僚全般のものだ。しかし、国内では、回避しようとしても限度がある。国民の監視の眼がある程度光っているからだ。しかし、外交には、国民の目は行き届きにくい。たとえ、関心事となっても、憲法にいう平和協路線に従ったといえば許される。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;戦後、６０年以上こういうことを続けてきたなれの果てが、日本の国益より相手国の国益を重視する外務省のメンタリティーだ。日本の国益を守ろうとしても、誰もその苦労を評価してくれない。へたをすれば、鉄砲玉が飛んでくる。それよりも、相手国から感謝されて、居心地よく暮らしたい。「生活第一」だ。丹羽の発言は、この外務省文化の当然といえば当然の産物だ。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;日本外交の問題はなにか。確固とした外交目標がないことだ。しかし、それは、国家目標がないことの裏返しだ。普通の国は、自国の国際的ポジションの明確化、国際社会における望ましい国家理想像の策定、それを実現するための方策の研究と実行、という手順で外交を実施する。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;戦後、アメリカの属国に甘んじた日本にはこれがない。属国には、意志は必要ないのだ。ただ、生活していればいい。突き詰めれば、日本には、外交は必要がない。その、論理的帰結が日本のお粗末な外交官を生んだ。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;さて、外交を立て直すにはどうするか。まず、憲法を改正して属国意識を払拭することだ。アメリカの国力は相対的に衰退していくだろう。いまでは、日本の甘え根性は、アメリカにお足手まといになりつつある。アメリカは、自国の国益のためなら平気で日本を見捨てるだろう。（これは、国際社会の厳然とした事実だ。しかし、アメリカを責める訳にはいかない。アメリカに限らずどの国でもとる行動だ。シリアで虐殺が起き、チベットで今年だけで４０人を超える僧侶が焼身自殺しても、どの国も助けには行かない。）自主憲法を制定し、自らの立ち位置を決定してから、初めて普通の国の外交目標の設定ができるようになる。しかるのち、初めて外交官の統制が可能になるだろう。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/urakusp/33719340.html</link>
			<pubDate>Fri, 08 Jun 2012 20:28:41 +0900</pubDate>
			<category>アジア情勢</category>
		</item>
		<item>
			<title>地方の再生</title>
			<description>&lt;b id=&quot;internal-source-marker_0.4113968722522259&quot; style=&quot;color:rgb(0, 0, 0);font-family:&#039;MS PGothic&#039;;line-height:normal;font-size:medium;font-weight:normal;&quot;&gt;
&lt;div dir=&quot;ltr&quot; style=&quot;text-align:justify;margin-top:0pt;margin-bottom:0pt;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:13px;font-family:&#039;Times New Roman&#039;;background-color:transparent;vertical-align:baseline;white-space:pre-wrap;&quot;&gt;沖縄はゆすりたかりの名人とは、アメリカ国務省のメア前日本部長の発言だ。もっとも、本人は発言を否定している。反基地運動家に乗せられたのだという。まあ、事態収拾のため否定せざるをえなかったのだろうが、乗せられたのは事実のようだ。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div dir=&quot;ltr&quot; style=&quot;text-align:justify;margin-top:0pt;margin-bottom:0pt;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:13px;font-family:&#039;Times New Roman&#039;;background-color:transparent;vertical-align:baseline;white-space:pre-wrap;&quot;&gt;反基地運動家の狙いどおり、沖縄住民は、これに猛反発した。なぜか。痛いところを突かれたからだ。本人達が、自らをゆすりと認識しているからこそ、反発する。客観的に誰から見てもゆすりとされない行動をとっていれば、一笑に付すことができる。猛反発によって、自らがゆすりの名人であることを明白にしてしまった。果たして、これが、反基地運動家の狙いだったか否かについては不明であるが。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div dir=&quot;ltr&quot; style=&quot;text-align:justify;margin-top:0pt;margin-bottom:0pt;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:13px;font-family:&#039;Times New Roman&#039;;background-color:transparent;vertical-align:baseline;white-space:pre-wrap;&quot;&gt;振り返って考えると、ゆすりたかりの名人は沖縄に限らない。日本のほとんどの地方自治体は、ゆすりたかり精神にどっぷりとつかっている。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div dir=&quot;ltr&quot; style=&quot;text-align:justify;margin-top:0pt;margin-bottom:0pt;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:13px;font-family:&#039;Times New Roman&#039;;background-color:transparent;vertical-align:baseline;white-space:pre-wrap;&quot;&gt;震災被災地の岩手・宮城は、中央の復興予算の獲得をめざして、あの手この手。その獲得を地方住民が後押しする。それに、悪知恵をつけるのは、復興予算に群がる企業だ。復興自体より、如何に予算額を増やすかが関心事となっている。そこに、政治家がからむ。まさに、眼を覆う惨状だ。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div dir=&quot;ltr&quot; style=&quot;text-align:justify;margin-top:0pt;margin-bottom:0pt;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:13px;font-family:&#039;Times New Roman&#039;;background-color:transparent;vertical-align:baseline;white-space:pre-wrap;&quot;&gt;被災者の救済は後回しで、予算確保のための人質になっている。被災者のことを思うと胸が痛む。しかし、被災者の名を借りて、都合よく金を巻き上げようとする人間がいると思うとより胸が痛む。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div dir=&quot;ltr&quot; style=&quot;text-align:justify;margin-top:0pt;margin-bottom:0pt;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:13px;font-family:&#039;Times New Roman&#039;;background-color:transparent;vertical-align:baseline;white-space:pre-wrap;&quot;&gt;問題は、関係者が、それぞれ合理的な行動をとっていることだろう。自治体が予算をとるために方便を使うのは、当たり前。予算関係住民がそれを支援するのも当たり前。企業が営業目的で知恵をつけるのも、当然。そして、真の支援は無視される。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div dir=&quot;ltr&quot; style=&quot;text-align:justify;margin-top:0pt;margin-bottom:0pt;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:13px;font-family:&#039;Times New Roman&#039;;background-color:transparent;vertical-align:baseline;white-space:pre-wrap;&quot;&gt;これは、コモンズの悲劇といわれる現象と類似の構造だ。猟場で、参加者が個々に合理的な行動を取ることにより、猟場の資源は枯渇する。解決は、個々人の行動全体を、新たなルールで規制し、そのもとで、資源管理を行なうことだ。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div dir=&quot;ltr&quot; style=&quot;text-align:justify;margin-top:0pt;margin-bottom:0pt;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:13px;font-family:&#039;Times New Roman&#039;;background-color:transparent;vertical-align:baseline;white-space:pre-wrap;&quot;&gt;日本の地方自治にも新たなルールが必要だろう。今の制度は、ゆすりたかり精神のビルトイン・システムといってよい。これは、明治政府が、近代化を進めるために、中央が遅れた地方を改革指導するために作ったものだ。当時意義のあった制度が、今や国民の活力を削ぐ制度に転化してしまった。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div dir=&quot;ltr&quot; style=&quot;text-align:justify;margin-top:0pt;margin-bottom:0pt;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:13px;font-family:&#039;Times New Roman&#039;;background-color:transparent;vertical-align:baseline;white-space:pre-wrap;&quot;&gt;明治の初め、日本の地方はみすぼらしかったが輝いていた。地方には、天下国家を論ずる有志が溢れ、自ら行動した。文化程度も、中央と遜色なかった。自主独立の精神を失い、ゆすり根性に蝕まれ、その必然としての凋落と疲弊のさなかにある今の地方とは大違いだ。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div dir=&quot;ltr&quot; style=&quot;text-align:justify;margin-top:0pt;margin-bottom:0pt;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:13px;font-family:&#039;Times New Roman&#039;;background-color:transparent;vertical-align:baseline;white-space:pre-wrap;&quot;&gt;地方の再生は、中央の金をつぎ込むことによっては解決できない。それは、依存を更に深める死に至る病そのものだ。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div dir=&quot;ltr&quot; style=&quot;text-align:justify;margin-top:0pt;margin-bottom:0pt;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:13px;font-family:&#039;Times New Roman&#039;;background-color:transparent;vertical-align:baseline;white-space:pre-wrap;&quot;&gt;地方分権の推進が叫ばれて久しい。政府の委員会の報告書を見ると、おっしゃるとおりという立派なことが書いてある。しかし、現実は、はるかに遠いところにある。地方の真の自立を実現するために何が必要か。これは、明治以来の仕組みを根本から改める以外にない。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div dir=&quot;ltr&quot; style=&quot;text-align:justify;margin-top:0pt;margin-bottom:0pt;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:13px;font-family:&#039;Times New Roman&#039;;background-color:transparent;vertical-align:baseline;white-space:pre-wrap;&quot;&gt;具体的には、政府の事務を国と地方に完全分離し、それぞれがお互いのことに口を挟まず完全独立で事務を執行することだ。当然、地方は独自に自由に課税する。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div dir=&quot;ltr&quot; style=&quot;text-align:justify;margin-top:0pt;margin-bottom:0pt;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:13px;font-family:&#039;Times New Roman&#039;;background-color:transparent;vertical-align:baseline;white-space:pre-wrap;&quot;&gt;現在の地方制度の根本問題は、制度上、地方政府は何でもできることになっていることだ。明治政府は、この制度で地方を中央の手足として使った。その総本山が旧内務省だ。その制度のもとでは、国と地方は一体で役割分担がない。戦後、地方自治制度が施行されたが、霞ヶ関は、作業の地方に押し付け、自らはそれを監督する形で旧体制が温存された。戦後は、悪いことに、地方は、無限定権限を逆手にとり、安全保障など国に事務に口を挟むようになった。その典型が、沖縄の安全保障を人質にとったゆすりたかりだろう。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div dir=&quot;ltr&quot; style=&quot;text-align:justify;margin-top:0pt;margin-bottom:0pt;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:13px;font-family:&#039;Times New Roman&#039;;background-color:transparent;vertical-align:baseline;white-space:pre-wrap;&quot;&gt;改革の基本は、地方と中央の役割分担確定と役割遂行の完全独立だろう。中央の仕事は、地方にあっても、税務署のような中央の地方組織が実施する。戸籍事務のように、一部国と地方の共同事務が残るが、共同事務は、国が制度を定め、地方が受益に応じて費用負担すべきだろう。基地問題は、防衛施設庁だけの判断で実施すべきだろう。地域の人間には、自治体を絡ませず、国に対して直接問題を提起させるべきだ。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div dir=&quot;ltr&quot; style=&quot;text-align:justify;margin-top:0pt;margin-bottom:0pt;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:13px;font-family:&#039;Times New Roman&#039;;background-color:transparent;vertical-align:baseline;white-space:pre-wrap;&quot;&gt;改革原理は、簡単だ。まさにアメリカ下賜憲法が言う地方自治の本旨を実現するだけだ。憲法施行後６０年以上。この理念を全く理解しない日本の学界・言論界はあまりに異常であり、あまりにお粗末だ。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;/b&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/urakusp/33717604.html</link>
			<pubDate>Thu, 07 Jun 2012 21:31:54 +0900</pubDate>
			<category>地方自治</category>
		</item>
		<item>
			<title>震災被災者の構造的悲惨</title>
			<description>&lt;span style=&quot;color:rgb(51, 51, 51);font-family:&#039;MS PGothic&#039;;line-height:18px;&quot;&gt;震災復興が一向にすすまない。政府の対応に遅さは、阪神の場合に比べてもお粗末に過ぎる。これは、政府の無能による人災と言ってもいいだろう。&amp;nbsp;&lt;/span&gt;&lt;br style=&quot;color:rgb(51, 51, 51);font-family:&#039;MS PGothic&#039;;line-height:18px;&quot;&gt;&lt;br style=&quot;color:rgb(51, 51, 51);font-family:&#039;MS PGothic&#039;;line-height:18px;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;color:rgb(51, 51, 51);font-family:&#039;MS PGothic&#039;;line-height:18px;&quot;&gt;しかし、単なる現象面に留まらず、より深いところに思いをめぐらす必要もある。&amp;nbsp;&lt;/span&gt;&lt;br style=&quot;color:rgb(51, 51, 51);font-family:&#039;MS PGothic&#039;;line-height:18px;&quot;&gt;&lt;br style=&quot;color:rgb(51, 51, 51);font-family:&#039;MS PGothic&#039;;line-height:18px;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;color:rgb(51, 51, 51);font-family:&#039;MS PGothic&#039;;line-height:18px;&quot;&gt;例えば、故郷から一時間くらいかかる二間の仮設住宅に住んでいる初老の夫婦。生活の頼りは、支給期限が延長された失業保険。土地勘がなく、やることもない。仮設住宅の中でじっとしている。電気代を節約するため、夜も明かりを付けず、テレビの明かりですましている。幸い六畳一間に道具はおさまっているので、これで十分だ。そして、政府は、自分たちの生活を保証するために次に何をしてくれるかをじっと待っている。誇張があるかもしれないが、これが、被災者の一側面だろう。&amp;nbsp;&lt;/span&gt;&lt;br style=&quot;color:rgb(51, 51, 51);font-family:&#039;MS PGothic&#039;;line-height:18px;&quot;&gt;&lt;br style=&quot;color:rgb(51, 51, 51);font-family:&#039;MS PGothic&#039;;line-height:18px;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;color:rgb(51, 51, 51);font-family:&#039;MS PGothic&#039;;line-height:18px;&quot;&gt;この被災者は、受刑者より悲惨だろう。受刑者は、出所後の生活に思いをはせる。更正後の生活設計とその準備、あるいは、更なる犯罪計画かもしれない。肝心なのは、自分で自分の将来を考えていることだ。誰も政府に、生活保障をしてもらおうとは思わない。&amp;nbsp;&lt;/span&gt;&lt;br style=&quot;color:rgb(51, 51, 51);font-family:&#039;MS PGothic&#039;;line-height:18px;&quot;&gt;&lt;br style=&quot;color:rgb(51, 51, 51);font-family:&#039;MS PGothic&#039;;line-height:18px;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;color:rgb(51, 51, 51);font-family:&#039;MS PGothic&#039;;line-height:18px;&quot;&gt;敗戦後、日本国民は、今回の震災よりずっと悲惨な状態にあった。しかし、現在の被災者のような悲惨はなかった。人々は希望に燃え、国家の再建に取り組んだ。誰も励ます必要はなかった。今はどうだ。励ましの言葉は溢れている。しかし、それは、すべて空虚なものだ。頑張る気持ちは、内面から湧くもので、マスコミが垂れ流す外交辞令のステレオ・タイプをいくら聴こうと無意味だろう。&amp;nbsp;&lt;/span&gt;&lt;br style=&quot;color:rgb(51, 51, 51);font-family:&#039;MS PGothic&#039;;line-height:18px;&quot;&gt;&lt;br style=&quot;color:rgb(51, 51, 51);font-family:&#039;MS PGothic&#039;;line-height:18px;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;color:rgb(51, 51, 51);font-family:&#039;MS PGothic&#039;;line-height:18px;&quot;&gt;誰が、被災者を受刑者以下の存在にしたのか。&amp;nbsp;&lt;/span&gt;&lt;br style=&quot;color:rgb(51, 51, 51);font-family:&#039;MS PGothic&#039;;line-height:18px;&quot;&gt;&lt;br style=&quot;color:rgb(51, 51, 51);font-family:&#039;MS PGothic&#039;;line-height:18px;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;color:rgb(51, 51, 51);font-family:&#039;MS PGothic&#039;;line-height:18px;&quot;&gt;首謀者は、福祉に名を借り、国民に依存心を培養してきた厚生官僚とそれに巣食った利権あさりの政治家だろう。官僚は、福祉の提供を申請主義とし、それにくだらない条件をつけ、申請を査定する。申請者は、条件を満たすため、官僚の顔色を伺い、従順を学ぶ。また、共犯者は、福祉を「勝ち取る」ことを煽った「市民グループ」や、それを宣伝したお粗末なマスコミ・「知識人」だろう。残念ながら、国民も無実ではない。目先の利益に眼が眩み、唯々諾々と自己の尊厳をなげうった。&amp;nbsp;&lt;/span&gt;&lt;br style=&quot;color:rgb(51, 51, 51);font-family:&#039;MS PGothic&#039;;line-height:18px;&quot;&gt;&lt;br style=&quot;color:rgb(51, 51, 51);font-family:&#039;MS PGothic&#039;;line-height:18px;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;color:rgb(51, 51, 51);font-family:&#039;MS PGothic&#039;;line-height:18px;&quot;&gt;被災者支援には、賛成だ。しかし、それは、被災者の尊厳に配慮した形で行なわなければならない。具体的には、一定の要件を満たした被災者に対し、こまぎれの生活保障でなく、二～三年程度の生活資金の一括提供だ。使途には、一切口をはさまない。しかも、これは一回限りとする。それ以外の後出しの処置は一切とらない。&amp;nbsp;&lt;/span&gt;&lt;br style=&quot;color:rgb(51, 51, 51);font-family:&#039;MS PGothic&#039;;line-height:18px;&quot;&gt;&lt;br style=&quot;color:rgb(51, 51, 51);font-family:&#039;MS PGothic&#039;;line-height:18px;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;color:rgb(51, 51, 51);font-family:&#039;MS PGothic&#039;;line-height:18px;&quot;&gt;同様の支援方策は、被災自治体に対しても行なう。被災面積と被災人員に応じた一律定額一回限りの復興予算処置だ。同じく、使途には、自治体自ら立案する復興計画に沿って使うこと以外の条件をつけない。現行システムは、復旧と復興の予算を峻別する。そのため、当初の復旧予算では、時代遅れの施設でもそのまま復元することが行なわれた。官僚の都合だけを考えた馬鹿な考えだ。これは、阪神災害時に、後藤田官房長官が考えた。まさに、国民に「依らしむべし」を信条とする内務官僚の真骨頂だろう。更に、小出しの査定主義だ。これは、自治体の創造性を奪い、予算確保のために猿知恵をしぼらせる。早稲田大学の原田泰は、今回の震災による物的損害は、一人当たり９６６万円に過ぎないのに、復興予算は、一人当たり４６００万円になったと試算するが、それもむべなるかなだ。&amp;nbsp;&lt;/span&gt;&lt;br style=&quot;color:rgb(51, 51, 51);font-family:&#039;MS PGothic&#039;;line-height:18px;&quot;&gt;&lt;br style=&quot;color:rgb(51, 51, 51);font-family:&#039;MS PGothic&#039;;line-height:18px;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;color:rgb(51, 51, 51);font-family:&#039;MS PGothic&#039;;line-height:18px;&quot;&gt;しかし、ことは、震災に留まらない。実は、震災対応は、通常の国の地方補助制度を基本的にはそのまま利用している。ということは、われわれは、平常時にも同じ構図にどっぷりつかっている訳だ。つまり、震災被災者の悲惨は、実は我々全体がどっぷりつかっている悲惨でもある。そして、それが構造化された無駄創出システムとして機能しているということだ。日本の産業競争力低下も、一面では、無駄なことに投資をしてきたことのつけが回ってきた側面がある。&amp;nbsp;&lt;/span&gt;&lt;br style=&quot;color:rgb(51, 51, 51);font-family:&#039;MS PGothic&#039;;line-height:18px;&quot;&gt;&lt;br style=&quot;color:rgb(51, 51, 51);font-family:&#039;MS PGothic&#039;;line-height:18px;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;color:rgb(51, 51, 51);font-family:&#039;MS PGothic&#039;;line-height:18px;&quot;&gt;日本と我々の将来を開くためには、いまこそ、この戦後の政官コンプレックスを解体しなければならない。そのためには、我々自身が、自己を再認識し、浅薄なメディアに鉄槌をくだし、国家の統治機構の改革に乗り出す必要があるだろう。&lt;/span&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/urakusp/33713662.html</link>
			<pubDate>Tue, 05 Jun 2012 20:49:14 +0900</pubDate>
			<category>地方自治</category>
		</item>
		<item>
			<title>大阪維新の会と決められない青磁</title>
			<description>&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;大阪市の橋下市長の維新の会が注目を集めている。その背景にあるのは、日本の現状に対する不満だ。しかし、単なる不満ではなく、不満自体を解消する努力自体ができていないことに対する二重の不満だろう。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;人間は自由な動物だ。不満があれば、それを解消すべく努力する。個人であれば、それで済む。努力しても解消しないことはあるが、人事を尽くした後は、諦めるしかない。しかし、社会となると別だ。解決法があるのに、その実行について合意が得られない。これは、フラストレーションだ。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;端的には、「何も決められない政治」という言葉に象徴される。橋下氏は、この現状に対する処方を提示している。だから、注目に値するのだ。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;戦後、民主主義は少数の意見を聞くことだという、誤った理解が、日本の異常なメディア・教育空間の中で増殖してきた。結果、日本は、何も決められないシステムを張り巡らし、かつそれらを強化してきた。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;日本が戦前の遺産に乗っかって高度成長した時代には、それでも、金で反対者を黙らせてなんとかやりくりできた。ごね得社会にはなったが、成長力が勝っていた。しかし、ここにきて、やりくりが行き詰まった。なにせ、ばらまく金がなくなったからだ。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;ゼロサム・ゲームとなった今、日本人は、トレード・オフという社会の事実に直面しなければならない。みんながハッピーということはあり得ないのだ。ある決定は、人生であれ社会全体であれ、必ずトレード・オフを伴う。もちろん、不利益を蒙る程度を最小限に留める努力をすべきではあるが、切り捨てるべきものが必ず生じる。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;民主主義とは、自由な言論の後、多数者の意見を実行することだ。定義上、少数者の意見は切り捨てる。日本では、少数者の意見を尊重することが、民主主義だと、全く違うことが教えられ、宣伝される。結果、少数でも反対があれば、実行されない。かくて、社会は漂流し、自己決定力が発揮できず、緩慢な死に向かって漂うこととなる。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;もちろん、マゾヒストを除いて、死にたくないと願っている人が多数だ。しかし、今の制度は、普通の人の当たり前の願望を実現させない。橋下氏は、そういう戦後体制に対するアンチ・テーゼを提起したものだろう。社会全体として、きちんと自己決定したい。そんな普通のひとの当たり前の欲求に答えるものだ。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;橋下氏の選挙では、朝日を中心とする支配メディアは、あからさまなネガティヴ・キャンペーンをおこなった。同和問題までキャンペーンに利用したのにはたまげた。戦後民主主義者が偽善者ということをあからさまに示したものだろう。しかし、社会の生存本能を体現する橋下氏に打ち勝つことはできなかった。大阪市民は、メディアの妄言に惑わされず、まともな判断を行なった。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;橋下氏の勝利は、戦後体制を一新するための、ささやかな一歩にすぎない。まだ、何も具体的にシステムが変ったわけではない。お粗末な支配メディアもそのままだ。願わくは、この動きが日本全体に広がることを期待したい。そして、当たり前に、自己の将来を自己の意思で決定できる社会にしたい。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/urakusp/33587799.html</link>
			<pubDate>Wed, 04 Apr 2012 19:58:09 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>日銀審議委員への河野氏提示</title>
			<description>&lt;div class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;margin-bottom:12.0pt;background:white;&quot;&gt;&lt;font face=&quot;&amp;#39;&amp;#xa3;&amp;#x000363;&amp;#xd3; &amp;#xcc;&amp;#xc0;&amp;#x00012b;&amp;#39;, serif&quot; size=&quot;3&quot;&gt;&lt;span style=&quot;line-height:22px;&quot;&gt;&lt;br&gt;
&lt;/span&gt;&lt;/font&gt;&lt;/div&gt;
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;margin-bottom:12.0pt;background:white;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;政府は、日銀の審議委員にＢＮＰパリバ証券のエコノミスト河野竜太郎氏を国会に提示する。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt; 
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot; style=&quot;margin-bottom:12.0pt;background:white;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;このニュースに対して、ロイターは、「&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;政府が今回の人事案を提示したことついて、驚きを持って受け止める市場参加者は少なくない。その理由のひとつが河野氏の金融政策へのスタンスだ。同氏が２月２０日付で顧客向けに配信したリポートは「ゼロ金利政策と国債購入政策の長期化・固定化の副作用」との標題を掲げ、１）日銀は追加緩和を続けるべきか、２）積極緩和の副作用で資本蓄積が阻害されていないか、３）追加緩和のデメリットは本当に小さいか&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;――&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;など「日銀寄りのサブタイトル」（国内証券）が連なっている」と報じた。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt; 
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;野田総理は、デフレ脱却に不退転の決意で取り組むという。白川日銀総裁も言葉では同じ趣旨の発言を行なっている。正直、日銀は、ここ１０年以上、同じ言葉を繰り返してきた。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt; 
&lt;div class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt; &amp;nbsp;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;しかし、実態はどうか。この２０年にわたるデフレで、日本の産業は疲弊し、失業者は一万人増えて３万人の高原状態だ。日本産業に構造改革を通じた競争力回復の必要は明らかだが、デフレは構造改革の実施を妨害する。マイルドなインフレは、価格調整を通じて、スムーズな構造改革をサポートするのだ。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt; 
&lt;div class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt; &amp;nbsp;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;日銀は、デフレの責任をさまざまな他の要因に転嫁してきた。例えば、デフレは高齢化に伴う需要不足が原因だと。しかし、これは、世界の珍説で、日銀が正式にこの考えに理解を示すとは、金融論のいろはを知らないと批判されてもしょうがないだろう。確かに、実質経済成長は、人口構成により影響を受けるだろう。しかし、名目の物価は、物と貨幣の相対量で決定される。人口論は、実質と名目の区別を付けない初歩的な誤りだ。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt; 
&lt;div class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt; &amp;nbsp;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;河野氏は、この人口デフレ論者でもある。３月３１日付けのダイヤモンド誌では、チャイナのバブルの可能性に触れ、これは、人口ボーナスが原因となると述べている。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt; 
&lt;div class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt; &amp;nbsp;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;なぜ、野田総理は、こんな人物を審議委員に提示するのか。これは、野田総理に限らず、日本の政治家が全く経済音痴だからだろう。音痴だから、事務方の用意のままに従う。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt; 
&lt;div class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt; &amp;nbsp;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;かつて、安部総理は、厚労省の言うがまま「すべての年金受給者の悉皆調査を行なう」と不可能なことを公約し、果たせず失脚した。これは、猫でもわかる公約だったから、失脚した。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt; 
&lt;div class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt; &amp;nbsp;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;ところが、ことデフレ脱却となると、途端に騙されてしまう。白川氏のデフレ脱却という言葉は、厚労省の悉皆調査と同じだろう。日銀官僚に任すから、河野氏のような論者を審議委員に推すことになる。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt; 
&lt;div class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt; &amp;nbsp;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;２月、日銀が世界標準のインフレ・ターゲット政策を採用かと報じられて、円安株高が進行した。日銀の決意次第で、経済は動く。しかし、ここにきて、日銀は本気だったのかという疑いが生じ、この動きは停滞している。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt; 
&lt;div class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt; &amp;nbsp;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;インフレ・ターゲット政策を採用する英国では、インフレ目標が達成できない場合、イングランド銀行総裁は、なぜ達成できなかったのか、今後達成するために具体的に何時までに何をするのかを公の場で明確にしなければならない。責任転嫁の日銀とは大違いだ。人口高齢化を前提として、何をするかが問われている。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt; 
&lt;div class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt; &amp;nbsp;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;日銀官僚は、一万人の自殺者増という国民の犠牲の上にたって自らの居心地のよさを追求している。それは、大阪市役所の職員と同じだろう。日銀が悪質なのは、そのために学者を手なずけていることだ。研究名目で、さまざまな形で資金も流れるが、その他の手段が、今回のように、忠実な犬の河野氏に社会的な褒章を与えることだろう。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt; 
&lt;div class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt; &amp;nbsp;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;問題は、国会が、それを２０年にもわたり放置していることだ。筋金いりのデフレ脱却論者はいるが、これらの人は、政策決定の場から排除されてきた。野田総理、そしてまじめな国会議員は、いまこそ、人事で、デフレ脱却を明確にすべきである。学者では、学習院大学の岩田規久男、実務家なら修正ソロス・チャートを提案するドイツ証券の安達誠司がいいだろう。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt; 
&lt;div class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt; &amp;nbsp;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;重ねて言いたい。デフレ脱却をしたいなら、人事を変えるべきだ。たとえ、日銀の政策が直ちに変らなくても、反執行部の見解との論争により、論点は国民の前に明確になるだろう。イエスマンだけの政策委員会なら、委員会の意味がない。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/urakusp/33571769.html</link>
			<pubDate>Tue, 27 Mar 2012 18:43:13 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>ヒアリングという言葉</title>
			<description>&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;ヒアリングという言葉がある。例えば、政府は２９日、原子力事故調査委員会は、菅元総理にヒアリングを実施した、のように使われる。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;ここでのヒアリングの意味は、「関係者に対するインタビューを通じて事実関係を調べること」「聞き取り調査」という意味で使用されていると推測される。そして、会社等でも、その意味で頻繁に使用されているようだ。政府機関やニュースで使用しているのだから、これがまっとうな意味と推測されるのも無理からぬところだろう。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;しかし、英語の&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;hearing&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;には、こういう調査といった意味は全くない。英和辞典をひくがいい。英語での意味は二つ、一つは英語の聞き取りのように音声的に聞くこと、二番目は、公聴会。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;公聴会とはなにか。トヨタの社長が、ブレーキ不具合で米国議会に呼ばれて証言を行なったのが公聴会。これは、公開が前提だ。証言にたいしては、容赦のない尋問が課される。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;より、明確にヒアリングの概念がわかるのは、独立規制委員会のヒアリングだ。アメリカには、証券取引規制委員会等数多くの行政委員会がある。この委員会が、決定を下す前に&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;hearing&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;を実施する。その形式は、裁判と同じ対審構造で裁判官にあたる&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;hearing examiner&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;が主催する。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;なぜこんな面倒くさいことをするのか。行政委員会の決定（法律制定も同じだが）は、多かれ少なかれ国民の権利を制限することになる、そういう決定は、行政手続きとして、必ず&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;hearing&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;を経る必要があるのだ。これは、アメリカ憲法の根本理念で、日本国憲法にもコピーされている「適性手続き」原理だ。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;逆に、&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;right to beheard &lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;という言葉もある。これは、公の場で自分の主張を訴える権利だ。この権利を無視すれば、適正手続き違反ということで、行政決定は無効となる。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;行政に公開の場で物申す権利、&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;rightto be heard&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;は、アメリカ民主主義を保障する基本権で、社会の隅々にまで染み込んでおり、日常的にも頻繁に耳にする。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;民主主義自体、&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;right tobe heard&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;が、公務員（議員）の選定権に発展したものだろう。つまり、これは、民主主義そのものだ。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;日本では、この言葉を、単なるインタビュー、あるいは聞き取り調査の意味として使う。しかも、密室調査の意味を含む。そのため、「公開ヒアリング」という冗談のような言葉も使われる。更なる倒錯は、日本の議会が行なう民間人に対する正式な&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot;&gt;hearing&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;を、ニュースでは「公聴会」という語で呼び、ヒアリングとは言わないことだ。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;聞き取り調査をヒアリングという人間は、民主主義を理解していないと宣言しているに等しい。記者や官僚、政治家は、自らの英語能力を恥じるべきだろう。それ以上、恥じるべきことは、日本の民主主義は、朝鮮人民民主主義共和国と同レベルだと宣伝しているに等しいことだろう。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;&quot;&gt;ただ、民主党の原発事故対処がいみじくも露にしたように、この用法は、戦後民主主義者の民主主義理解と一致しているといえば、一致している。このさい、日本の卓越した原発事故処理と併せ、ジャパニーズ・イングリッシュとして、世界に用法を広めるのもいいかもしれない。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/urakusp/33533731.html</link>
			<pubDate>Wed, 07 Mar 2012 19:42:25 +0900</pubDate>
			<category>その他文化活動</category>
		</item>
		<item>
			<title>河村市長の南京事件発言</title>
			<description>&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;河村市長の南京事件発言&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt; 
&lt;div class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt; &amp;nbsp;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt; 
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;河村市長の南京事件に関する発言が、波紋を広げている。事件当時、国際的には何等問題とされなかった案件であるが、東京裁判でチャイナが持ち出し、日本は反論の準備ができていなかった問題だ。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt; 
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;その後、日本における民間調査が進み、少なくとも民間人の大虐殺はなく、日本軍の支配の実態は他地域と差がなかったことが推定されている。また、事件は中国国民党の国際世論を操作するための戦時諜報活動の一環としてのプロパガンダとの証拠がでてきた。しかし、米国などではこのような調査結果がほとんど知られていない。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt; 
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;この問題に対し、２月２２日、官房長官は、「&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;font-size:12.0pt;color:black;&quot;&gt;旧日本軍による南京入城後、非戦闘員の殺害又は略奪行為等があったことは否定できないと考えている&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;」といういつもの事なかれ主義の政府答弁をくりかえした。大虐殺があったと積極的には言ってはいないが、文脈からすれば、チャイナの主張を認めると国際的に解釈されるであろう。まさに、霞ヶ関文学の世界であるが、こういう文学が日本の国際的立場を破壊していることに気がつかない。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt; 
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;日本は、戦後ずっと「占領国史観」のもとに戦争に関する事実解明をタブー視してきた。その主役が、所謂「戦後民主主義者」の腐った歴史学者とマスコミだ。現在の主要メディアは、すべからくこの占領国史観に毒されているといえる。その実態は、戦前の皇国史観賛美と変わらない。戦前は皇国史観、戦後は占領国史観というわけだ。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt; 
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;河村発言は、この占領国史観に対する日本人としての素朴な疑問だ。これまで多くに人が抱いてきた疑問を、戦後民主主義者と戦後体制は、事実を捻じ曲げ圧殺してきた。これは、戦前の皇国史観の強制と同じ罪を犯しているのといえる。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt; 
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;河村市長は、この体制に対する勇気ある意義申し立てを行った。しかも、疑問があるなら、日中で討論会をやろうと提案している。しごく全うな主張だ。事実について疑問があるなら公に解明するのが筋だ。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt; 
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;問題は、日本のメディアだ。河村発言に対し、社説で問題誌視した新聞社が出たのには唖然とする。メディアは、事実の解明が命だ。南京事件は、まだ当時の経験者が生存している。事実の究明は、メディアの組織力をもってすれば、そう困難なことではない。それをずっとサボって政府とともに事なかれ主義を決め込んできた。これは、記者の名にもとる行為だろう。日本の主要メディアの記者は、すべからく記者ではなく政治ゴロと自称すべきだろう。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt; 
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;日本は謀略詐欺の被害者だろう。詐欺罪の加害者に対し被害者は頭を下げろと加害者が要求する。そして、それを支持する自虐自称知識人がいる。いったい、この国はどうなっているのか。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt; 
&lt;p class=&quot;MsoNormal&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;河村市長、頑張れ。くれぐれも、自虐主義者の不当な圧力の前に腰砕けにならないように祈ります。&lt;/span&gt;&lt;span lang=&quot;EN-US&quot; style=&quot;font-size:12.0pt;&quot;&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/urakusp/33526235.html</link>
			<pubDate>Sat, 03 Mar 2012 23:23:40 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>福島原発事故とリーダーシップ</title>
			<description>&lt;div lang=&quot;ja-JP&quot; style=&quot;margin-bottom:0cm;&quot;&gt;今次震災に対し、アメリカでは暴動も起こさず対応する国民に対する驚きが報道されている。日本人に特有の「我慢の精神」によるのだそうだ。しかし、日本でも、一揆や米騒動はおきている。政権交代も怒りの発露だったろう。まだ、福島の事象は継続中の事態出はあるが、現在までの経過をみる限り、これは、東電社長と菅総理による人災だ。国民は、怒らなければならない。&lt;/div&gt;
&lt;div lang=&quot;ja-JP&quot; style=&quot;margin-bottom:0cm;&quot;&gt;福島原発事故は、非常電源の機能不全が大本の原因だ。このこと自体過去の経験を学習すれば、対応が可能のことだった。阪神淡路でも、非常時用の衛星通信回線は、非常用電源が機能せず無用の長物となった。非常用電源を含め全体のシステムを耐災仕様とするのは、重要インフラ防護の基本原則だ。それが、不備であったのは反省すべきであろう。&lt;/div&gt;
&lt;div lang=&quot;ja-JP&quot; style=&quot;margin-bottom:0cm;&quot;&gt;しかし、問題はそれではない。いかに、システム防護体制をとっても想定以上の事象は常に発生する。たとえば、津波に対して高さ&lt;font face=&quot;Times New Roman, serif&quot;&gt;50&lt;/font&gt;メートルの防潮堤をつくることは非現実的だ。津波危険地域では、住宅建設を高台のみに限定することの方がいいだろう。（ちなみに、被災地域の復興計画では、自治体が被災土地を買い上げ、大規模な高台宅地造成を行うべきだろう。日銀引き受けの国債発行で賄えばデフレ脱却にもなり、買収資金は、被災者への資金援助ともなる。被災地では、津波に耐える鉄筋建物以外は建築させない。）&lt;/div&gt;
&lt;div lang=&quot;ja-JP&quot; style=&quot;margin-bottom:0cm;&quot;&gt;問題は、想定以上の事象が発生した時の危機管理だ。今回の事象は、ポンプを回し原子炉を冷却すれば回避できた。そのために必要なのはポンプとポンプを回す電源だ。震災発生後、東電は、事故の性格を把握した後、復旧努力を行ったと思われる。しかし、欠けていいたのは最悪事態の想定と最悪に対に対処するための準備行動だ。&lt;/div&gt;
&lt;div lang=&quot;ja-JP&quot; style=&quot;margin-bottom:0cm;&quot;&gt;最悪事態事の想定自体は、専門家には簡単のことだ。しかし、課題は、組織防衛・自己防衛本能により、関係者が最悪事態を避けられるとの楽観に囚われることだ。リビヤのカダフィの息子は、インタビューに応え、われわれには、プラン&lt;font face=&quot;Times New Roman, serif&quot;&gt;A&lt;/font&gt;、プラン&lt;font face=&quot;Times New Roman, serif&quot;&gt;B&lt;/font&gt;、プラン&lt;font face=&quot;Times New Roman, serif&quot;&gt;C&lt;/font&gt;の&lt;font face=&quot;Times New Roman, serif&quot;&gt;3&lt;/font&gt;つの選択肢があると語った。一般的に、ある事態に対し、楽観、悲観、中立の&lt;font face=&quot;Times New Roman, serif&quot;&gt;3&lt;/font&gt;つの予測を立てるのは基本中の基本だ。東電の復旧努力は、復旧が可能という楽観シナリオにのみ対応している。東電の対応は、危機管理の観点からは、リビヤ以下といっていいだろう。&lt;/div&gt;
&lt;div lang=&quot;ja-JP&quot; style=&quot;margin-bottom:0cm;&quot;&gt;復旧不可能という悲観予測に立った準備行動を取っていれば、どうなっただろうか。直ちに政府の連絡するとともに、電事連を通じて他の電力会社にいざという場合の協力体制の準備を要請している筈だ。例えば、電源に関しては、震災後一週間たって初めて実現した恒久電源の東北電力からの調達準備は直に開始された筈だ。放射能の放出後の作業は手間のかかるものとなったが、事故直後であれば、一日程度の作業で済んだものという。非常用電源復旧見込みが困難となった時点ですぐに対応しておれば、これで、対応が済んでいた。また、各電力会社からの原発要員の応援を得るのいう決断を早期にしていれば、その作業は更に早まっただろう。&lt;/div&gt;
&lt;div lang=&quot;ja-JP&quot; style=&quot;margin-bottom:0cm;&quot;&gt;この、対処を妨げたものは何か。想像するに、組織長の面子であろう。原発所長は、自らの面子を気にし、東電社長は自らの面子を気にした。それが、判断を鈍らせた。もっとも、社長はそれ以前かもしれない。日本のリーダーは、危機に際しても、部下に何とかしろと言うだけで自らの判断をしないリーダーが多い。損な役回りを避けてうまく立ち回った人間が出世するという日本型組織の欠陥だ。東電の社長が、どちらの人間かを判断する情報は残念ながら持ち合わせていない。いずれにしても、組織単独では対処できない自体を想定し、他組織に支援を求めるという判断は、組織長のみが可能な判断だ。それを直にしなかった所長・社長の責任は極めて重い。&lt;/div&gt;
&lt;div lang=&quot;ja-JP&quot; style=&quot;margin-bottom:0cm;&quot;&gt;次の責任は、総理をはじめとする政府首脳だ。政府は、&lt;font face=&quot;Traditional Arabic&quot;&gt;2&lt;/font&gt;日後の最初の原発爆発以後、東電に任せておけば解決するという楽観を捨て最悪シナリオに対処する準備をするべきであった。それは、まず非常事態宣言と国内・国外のあらゆる資源の自主的および強制的動員準備であった。これは、対策本部といった協議機関ではだめで全権を持った危機管理官が必要だ（意見を広くき聞くことは必要）。官僚組織は、民間以上に面子のかたまりだ。誰も率先して火中の栗は拾わない（これは、官僚非難ではなく、あらゆる官僚組織に共通する性向だ。リーダーは、それを承知で官僚を使いこなさなければならない）。抵抗を抑え、意見を聞いた後は不確実下で困難な決定をするのがリーダーだ。残念ながら、政府の対応は後手後手にまわり、外国では、日本政府の統治能力に失望が生まれた。非常用発電機は、結果的には米軍が提供したが他に国内にもいくつか調達可能であったのではなかろうか。放水車にしても、一週間後に初めて自衛隊、東京都のものが到着したという体たらくだ。対処が遅かったため、放射能で作業も停滞した。米国は当初は政府の対応を好意的に見守っていたが、あまりのお粗末さに米国は見かねて全面支援声明を発表したほどだ。危機に際しての総理の危機管理能力さえあれば、事態はこれほどになることはなかったであろう。この意味で、これは人災だ。&lt;/div&gt;
&lt;div lang=&quot;ja-JP&quot; style=&quot;margin-bottom:0cm;&quot;&gt;今回の事故を通じて思うことは、これは、第&lt;font face=&quot;Traditional Arabic&quot;&gt;2&lt;/font&gt;の敗戦ではないかということだ。大東亜戦争は、国のリーダーの面子維持と不作為により開戦せざるを得ない事態に追い込まれ、超楽観シナリオの下になし崩し的に戦端を開いてしまった。陸軍と海軍の面子と組織拡張という官僚根性を当時のリーダーは誰も抑制することができなかった。結果、未曾有の大惨事となった。今回も、性格は異なるが、外部環境の変化に対しリーダーが的確な対処をしなかったという意味では同じだ。我々の行動様式は、戦前と何も変わっていない。&lt;/div&gt;
&lt;div lang=&quot;ja-JP&quot; style=&quot;margin-bottom:0cm;&quot;&gt;日本人の現場力はすごい。我慢の精神とは違うと思うが、各自の使命に対する忠誠心や協調力は一級品だ。それに比べるとリーダーは三級品だ。思うに、その理由は、日本文化に潜む人間関係重視の要素があると思われる。欧米では、組織は使命遂行にために存在する。リーダーは、使命達成のために組織を率いる。しかし、日本では、組織はそれ自体が構成メンバーの福利のための存在に転化する。当初の使命は忘れ去られ、組織の拡大がリーダーの役割となってしまう。&lt;/div&gt;
&lt;div lang=&quot;ja-JP&quot; style=&quot;margin-bottom:0cm;&quot;&gt;これは、戦前の軍、政府官僚に顕著であるが、現在の官僚も同様だ。更に言えば、これは日本特有の性向ではなく、一般的に長期間存続する組織にはどこでも発生する問題だ。ただ、日本では特にその傾向が顕著だ。国際的には、日本の非常任理事国立候補も、何をやりたいのかわからないのに地位だけ求めると揶揄された。また、いま流行に地域政党の動きも同じだ。地方議会議員は、地域住民の福利ではなく議員自身の利益をはかっているとことに根本的な原因がある。さらに言えば、国会自体も与野党を問わず議員の利益を図る集団に転化していることが問題だ。一部の議員個人には、良心的な人がいると思うが、議員間、利害組織間のしがらみに絡みとられそういう人は動きがとれない。&lt;/div&gt;
&lt;div lang=&quot;ja-JP&quot; style=&quot;margin-bottom:0cm;&quot;&gt;第&lt;font face=&quot;Times New Roman, serif&quot;&gt;&lt;font face=&quot;Traditional Arabic&quot;&gt;3&lt;/font&gt;&lt;/font&gt;の敗戦を避けるにはどうするか。これは、憲法を改正して首相公選制を目指す以外にないと思う。そして、国民が試行錯誤を重ねながら本当に能力のあるリーダーを直接選ぶしかないだろう&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/urakusp/32599724.html</link>
			<pubDate>Sat, 19 Mar 2011 17:18:37 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>色鍋島</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-b1-89/urakusp/folder/570060/90/32337390/img_0?1295099912&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;alignLeft popup_img_800_757&quot; width=&quot;560&quot; height=&quot;530&quot; style=&quot;&quot;/&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-b1-89/urakusp/folder/570060/90/32337390/img_1?1295099912&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 2&quot; class=&quot;alignRight popup_img_600_450&quot; width=&quot;560&quot; height=&quot;420&quot; style=&quot;&quot;/&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/urakusp/32337390.html</link>
			<pubDate>Sun, 26 Dec 2010 08:57:25 +0900</pubDate>
			<category>その他文化活動</category>
		</item>
		</channel>
	</rss>