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皆さんと京都の無鄰菴(むりんあん)に行ってきました。
平安神宮近くの旧家の並ぶあたりにひっそりとたたずんでいます。
山形有朋で検索しますと、このように出てきます。
無鄰菴(第二)京都別邸
明治24年(1891年)。旧角倉邸。鴨川と高瀬川の分岐点、二条大橋のたもとに位置していた。[21]
無鄰菴(第三)京都別邸
明治29年(1896年)完成[22]。数寄屋造りの母屋、藪内流燕庵写しの茶室、煉瓦造り二階建て洋館からなる。洋館の設計は新家孝正で明治31年(1898年)に竣工。この洋館2階の間は日露開戦直前には「無鄰菴会議」の舞台ともなった。作庭は七代目小川治兵衛。
陸軍の父とも呼ばれますが、長州出身で毀誉褒貶の激しい人生だったようです。
「坂の上の雲」にも書かれてましたがあまり印象に残ってません。
実際にロシアの陸軍と戦った大将たちは薩摩人でしたし。
無鄰菴に掲げられている板の案内に依りますと、隣に誰も住んでいないような場所に自分の理想の庭を造ったという意味のことが書かれています。
1000坪にも及ぶ見事な庭園です。
紅葉は綺麗でしたが、まだ真っ赤と言うほどではなく、散ったもみじも見当たりませんでした。
お茶も頂きました。ここは角倉家の所有だったんですね。
莫大な財を築いた角倉家が、他家に遅れをとるようになって後、裏千家に養子になることがありました。かつての栄華はなくとも角倉の持ち物は素晴らしかったそうです。
このあたりのことは、宮尾登美子さんの「松風の家」にとても面白く書かれてます。
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大阪ー近畿の風景
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完全に諦めていたんですが、外に出るとたくさんの人が。
金環、見えました。
あわててカメラを取りに帰って・・・
焦点距離 84mm
F/4.5
1/500秒 ISO−64 厚い雲の間からちらちらと見えました。
既に部分日食でしたが、あっと言う間の30分でした。
●追伸
テレビでは必ず濃いフィルターを使って・・と何度も呼びかけてましたが、
今回、皆さん裸眼のようでした。
あまり期待はしてなかったようです。
たまたまでしたけど、観れてよかった。
●追伸2
夕方になって、日食網膜症の話が沢山でてきました。
私は格別目に違和感無いですが、裸眼、などとあまり書かないようにします;
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皆さんと梅を写しに行ってきました。
まだまだ寒いですが、紅白のめでたい梅が撮れました。
つくしも顔を出しています。
つくしは先カンブリア時代から地球上にあって、
長い氷期の後、爆発的に発生した生物たちの中で競争を繰り返していたそうです。
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皆さんと奈良、斑鳩(いかるが)に行ってきました。
聖徳太子ゆかりの法隆寺です。
聖徳太子という名前の人物が存在したのかどうか諸説ありますが、
そのような権力、見識を持った指導者は居たのでしょう。
このお寺、いまでもとんでもなく広い。ゆったりしており、落ち着きます。
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あまり夜空を見上げることもありませんが・・・
夕べも街燈がかなり明るかったですが、月と星もいくつか見えました。
フジのデジカメに三脚で撮りました。
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