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近くの福山先生のお宅で、お茶事がありました。
2度目ですが、何も分かっておりませんーーー
まず亭主(負野先生)に挨拶して、お礼を述べます。
床と手前座を拝見しますが、畳の歩き方があります。
本当は亭主は後で出てこられるのですが、練習ですので最初から教えて頂きました。
亭主が炉の種火に炭を足し、お香を入れます。
このお香は粘土(?)にお香を練り込んだもので、とてもよい香りがしました。
炭を足しても火が熾りそうに見えなかったのですが、白い導火線(名前忘れました)に火がつくそうです。
表では、二股のものを使うということでした。
火が熾るまで時間が掛かります。
茶懐石を頂きます。
始めは、ご飯は取り切りです。
お汁ものと頂きます。
先付けは、後でお酒が出たときに食べます。
二度目のご飯とお汁ものがでます。
この時はご飯は欲しい量を取ります。
ご飯とお汁椀のふたは向い合せに重ねて置きます。
何度かお汁を頂いて、最後にお漬物がでます。
お茶(白湯)漬けを漬物と頂きます。
それからお酒が出まして、先付けと一緒に頂きます。
この日本酒の名前も聞いたのですが忘れました。
とても濃厚でおいしかった。
お茶碗も汁椀も白湯をいれてきれいにします。
懐紙できれいにふき取ります。
先付けの器もふき取ります。
主菓子を頂きます。
季節に合わせて、紅葉に見立てた色が豊かなお菓子でした。
中立ち(休憩)で、外にでます。
天気が良かったので本当に気持ちいい。
銅鑼(どら)が鳴るまで休憩します。
いよいよ、お濃茶です。
この濃茶のために料理がある、ということでした。
それから後炭を入れて、お薄を点てていただきます。
この時は座布団を敷いても良いのですが、
少し膝を上げてすっと足の下に納めるのがスマートなんだそうです。
お薄を頂いて、お茶入れやお茶杓を見ます。
お茶入れは朱金、お茶杓は武張った珍しい形のものでした。
にじり口から出て、亭主に挨拶をして待合に戻ります。
料理の写真が撮れなかったのは、待合に置いてきたからなんです。(残念)
ただ、写真を撮るのは・・・・あまり好ましいことではないかも知れません。
あっという間の数時間でした。
楽しかったです。
ご馳走さまでした。
●追伸 2011.12.3
今日になって、間違いがいくつも見つかりました。
先付けではなく、「向付け」です。
お膳の手前にご飯とお汁、その向こうに置くから、です。
寄付き
掛け物 円相 無尽蔵 横物 山田無門筆
向付け 小鯛笹漬
汁 あわせ味噌 あわ麩 小豆 溶き芥子
焼き物 鮭塩焼
強い肴 茄子田楽
強い肴 菊菜和え物 からすみ 銀杏
漬物 柴漬け 沢庵 みぶ菜
(お酒は玉乃光でした。)
本席
掛け物 松無古今色(松に古今の色無し) 即中斉筆
・・・・・・
茶杓 銘瑞峰 堀内宗完作
・・・・・・
・・・・・・
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大阪ー近畿の風景
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皆さんと行ってきました。
暑い、まだ秋ではなかったです。
夏でもないし。。
紅葉を楽しみに行ったんですが、緑にやや柿色がちらほら。
ですが、いつ行っても楽しめるところですね。
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今朝早く、多くのブロンズ像に赤い服が着せられてtいたそうです。
ブロンズ像に、傷はありません。
大阪府の橋下知事は、「これくらいの茶目っ気なら・・・まあいいんじゃないですか」
大阪市の平松市長は、「他にも場所はありますから、どうぞそちらで」
ブロンズ像を毀損したわけではないので、割合みなさん好意的。
芸術家の作者には申し訳ないけど、こういうファッションショーもありかな、と思ってしまう。
ファッション関係者は、「赤はセクシーだから、男性の仕業(しわざ)では」とか
「既製服を赤く染めたりしている。これは素人でしょう。」など。
TVに映った街中の人は「暑いからお地蔵さんみたいに服を着せてあげたんでしょうか?」
暑さを忘れるニュースでした。
今度からは監視カメラが付くから気をつけてください、どこかの誰かさん。
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16年前、大阪も恐ろしく揺れました。
あの時、大きな揺れの中に居て、これは終わらないのではないか、とも思いました。
東北は大地震の後、何度も余波が来て恐ろしいことです。
それでも原発事故がなくて政治がしっかりしていれば立ち直れるんですが。
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お茶を教えてもらっています。
佐川美術館に楽吉左衛門の茶器が展示されているということで、
皆さんに付いていきました。
撮影禁止と聞いてましたので、カメラは持っていきませんでした。
お茶室などを丁寧に解説しながら案内してくれます。
茶器はもちろん、建てつけ、材質、由来に至るまで。
まあ〜しかし。
素晴らしい。
数寄屋、という言葉だけは知ってましたが、これがそうなんだなと納得しました。
Wiki にこのように書かれています。
俗に、和風の邸宅で費用を惜しまずに建てた立派な建物のことを「数寄屋造り」「数寄屋普請」とも言う。
まさにそのままです。
どこにも金を惜しんだそぶりも無かった。
棚の板、壁の板の説明を聞きながら、これはもしかするとどこかの朽ちた寺にあった古木から作ったものかも知れない、と思わせる色がありました。
半地下に水が打ってあり、よく磨かれた渡り石が置かれ、その黒々とした光も寡黙ではなかったし、茶室からは、おそらく昔の小学校の校庭ほどの、薄く水を張った池があり、それは、ここが浜辺とも川辺とも思わせてくれました。
その水の端が定かでなくしているのが広さを感じさせて面白いというか凝っているというか。
帰りのバスの中で、だったか、ふいにこれは佐川急便の創業者の意志なんだと気づきました。
遅いなぁ、いつも遅いんだな、気づくのが。
この佐川美術館が造られたのは、1998年。
佐川急便が本格的に宅配事業に参入した年なんですね。
満を持して、充実した力をフルに発揮させるその露払いの意味を込めて、この美術館は建てられたのかも知れません。
その為には、天下の名作でなければならなかった、とかね、いやそりゃそうでしょう。
佐川急便は、この1998年の前後に金丸信やら誰やらにお金をばらまいてます。
佐川急便=金持ち(触れば金持ちになれる) みたいな都市伝説が生まれるほど、潤沢な資金があったようですね。
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