都会のしがない勤務医の独り言

一般勤務医の現状・実情の感想と趣味・日々の出来事のにっきです

医療事情

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告知・・

現代の臨床現場では、「癌」の告知は以前よりかしこまったものではなく、当たり前のように行われている。

最近、僕の担当の患者さんも、病状の重い方が多い。

一昔前の癌告知と言えば、まず家族に病状を話し、本人に伝えるかどうかを話し合ったり、本人には言わないのが当たり前だったりと、「癌です」と医者が伝えるのは大変な重大事項と見なされていた。

しかし現在は「患者の知る権利」や「告知の義務」などから、癌告知はより日常的になってきている。

外来で、「検査の結果癌の診断となりました」 と伝えることは医師にとって当たり前のことであり、患者さんも癌の自覚に寛容になってきたようだ。

でも、いくら医学が進歩し、治癒できる疾患が増えてきたとはいえ、やっぱり癌は「ガン=不治の病=死」

その瞬間、自分の生命の危機、余命という問題を晴天の霹靂のように認識させられるのである。


 今日も、辛い出来事があった。 

既に、術後の進行がんで、骨、肺に転移が進行している患者さん。まだ50代。

いままで僕が初診で診てから、手術を行い、その時点で転移が疑われ、後々の予後、病状の進行度治療手段が限られていることなど、厳しい内容を出来るだけ柔らかく、しかし真実はしっかりと伝えるように試行錯誤をしながらやってきた。出来るだけ患者さんが絶望しないよう、かつ許容出来るように。

転移疑いに対しての診断・治療について、他科のDr.にもコンサルトしていたが、先日、他科に入院し転移疑い部位の生検が行われ、患者さんに病状の告知が行われていた。明日にでも当科に転科し、注射による治療をおこなう予定であった。

 今日は仕事が終わって帰ろうとしていたところに、その奥さんが病棟へ僕に薬の話を聞ききにいらしていると連絡があった。

病棟へ行き、僕の顔を見るなり、奥さんは涙を流していた。

話によると、その科で病状の告知を受けたが、

 「あなたは癌なんですよ。それもかなり悪い。その癌はもうかなり進行していて体中に広がっているから、追加手術しても半年、なにもしなければ3ヶ月かな。手術して1年生きた人もいるよ。」

  ・・・と、とにかく癌ガンガンと連呼されて完全に打ちのめされてしまったと。

奥さん:「まるで、癌の告知を楽しんでいるようでした・・・もうショックでなにも手に付きません。。。自分の親にもそんな言い方するのか聞いてみたいです・・。毎日、家へ1人で帰るのが怖くて、電車に乗っていても涙があふれてしまい、何回も途中下車して、、気づいたら山手線を何週もしてしまっていたり、夜もほとんど眠れず、いつの間にか布団をかかえて階段に座り込んでいたりします・・・もうとにかく辛くて・・・先生(僕)と話していた時は、病状は分かっていても、なんとか希望も持てたし、温泉に行ったり、外来の帰りにお寿司を食べにいったり、、転移がありそうだと言われても、そろそろ出てきちゃったなと割り切ってまた相談しながらやっていこうと、前向きにやれていたのに・・・今はもうなにも出来ません。主人も感情が高ぶって私に不安をぶつけてきます。。もうドウしたらよいか分かりません。(涙涙・・・約1時間)」

なんだか話を聞くと、担当医はまだ研修医上がりくらいの(ぼくもまだまだですが)若い医師らしく、癌告知や手術をただ楽しんでやっているようにしか見えないとのこと。教科書にありそうなデータや知識をひけらかすように延々と説明されたとのこと。

ホントせつないです。僕もただただ話を聞くことしか出来ず、なかなかうまい言葉が出ませんでした。

「つらいことは十分承知しておりますが、なんとかここで一段落と思って明日からはウチの病棟で診ますから、新しい治療も始めますし、また少しでも前向きにやって行きましょう・・・。」

幸い、僕が話を聞いてあげられたことで、今日は少し安心して無事に家に帰れそう。眠れそうだと言ってくれた。
 
 僕が思うに、ただ病状を伝えるだけなら、デジタルに説明するだけなら、医者がする必要なない。紙に書いて渡すか、ロボットにでも言わせておけばいい。
「あなたの病気は○○癌デス。予後は5年生存率20%、○○治療なら奏功率30%、副作用による死亡率は4%、無治療なら3ヶ月後に下半身麻痺、多臓器不全、疼痛悪化、死亡の可能性が90%デス・・・」

 その病状告知をした医師は、自分は医者で告知が義務なんてプライドだけは高いのかもしれないけど、そんなのナンセンスどころか、医者という職業はあってないと思う。

医者の、医者としての第一は人間をひとりの個人として見れること、そして知識と技術を持つことだと思う。

病気を持つ人の辛さ、心境を察することなく、本当の意味での治療は不可能だろう。

 複雑な現代社会だからこそ、精神面でのケアは重要度を増してきている。さもなくば、フツウにやってても訴えられるかもしれない。

 僕はもっと患者さんの気持ちを理解できる人間になりたい。
改めて初心を思い出す1日だった。

医療事故って

ちょうどテレビで医療事故にあって戦っている方の話が特集されていた。
医療事故は本当の「事故」なのか、可能性のあるリスクが現実になった場合はすべて事故なのか?これは非常に難しい。

術前に説明しなかった、予想外の障害が生じた場合、それは事故かもしれない。
ただ、たとえ合併症として説明した内容でも、実際現実となればその大きさによって「事故」と扱われることになる。

手術のリスクは、可能性を言えばきりがない。たとえフツウの痔の手術でも、ちょっとした生検でも、最悪死に至る可能性はゼロとは言い切れない。

「医療の不確実性は、人間の生命の複雑性と有限性、及び各個人の多様性に由来するものであり、低減させることはできても、消滅させることはできません・・・」

これはかつて働いていた病院の上司が作っていた同意書の内容の一部。

タダの生検で「死に至ることがあります」なんて説明するのはどうかな、と正直思っていたけど、最近の社会はそこまで必要なのかもしれない。
つくづく医療は難しい。

僕も正直怖い体験をしたことはある。

術中に「この人、このまま死ぬかもしれない」と思う瞬間。全身に鳥肌が立ち、ホワイトアウトする。ケリーを持つ手が震える。
そこでいかに自分を冷静に保ち、修羅場を切り抜けるか。

幸い、大事に至ったことは無いから言えるけど、あんな経験が医師として一歩成長するのかもしれない。

逆に言えば、そういう怖さを知っていると小さいことでもなにか見落としていることは無いかとか、まあ何とかなるでしょ的な考えは危ないとか、そういうことを考えるようになる。99%問題なくても1%でとんでもないことになると、医師生命が終わってしまうから。

そう考えると患者さんの小さい訴えもけっこう聞き流せない。こっちが安心するためにもいろいろやりすぎなくらい検査などやっておいた方が良いと思う(でもやりすぎると保険で切られるからある程度考えないと行けないけど)。結局「問題ありませんでしたよ」という一言が、患者さんを安心させられるし、納得してもらい、意志の疎通も良くなって信頼関係も得られると思う。

でも、こっちも人間だから、医者の不養生とは言ったもので、体調悪かったり疲れてると思うようにできないことも当然ある。
何とかして欲しいですよ。この医療体制。もうちょっと精神的余裕があると良いんだけど。

まあ、ちょっと時間が空くとビリヤードなんかやって休まないのが悪いと言う意見もあるが・・。

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