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これを見ていただいただけで、愛知の産業の強力な推進役であることがよく分かるであろう。また機会があったら半田を訪ねていろいろ調べてみたい。
・盛田久左衛門家
常滑市(小鈴谷)の豪農で代々庄屋 酒 味噌 溜 醤油 盛田(ねのひ)三ツ星麦酒
・中野半左衛門家(はんざみさん、本家)
酒 粕酢で酢屋勘次次郎と称して、丸勘の樽印を用いる
・中野又左衛門家(半左衛門家からの分家)
酢で一本立ち 現在のミツカングループ
・中埜半六家(はんろくさん)
古くは廻船業と醸造業 冨豪 庄屋格 桐華学園(桐華家政専門学校)
・小栗冨治郎家
中埜家の船頭、番頭から独立
・中埜半六(六代目、盛田久左衛門の次男、道憲)半六邸は尾張藩主をむかえるための御成間が常設
半六邸の別邸は鈴木禎次(漱石の義弟、名古屋近代建築の先駆者、鶴舞公園噴水塔、奏楽堂など)の設計
・盛田久左衛門(11代目、命祺、中埜半六の息子)鈴渓義塾 ワインの製造 中埜又左衛門(4代目)と中泉現金店(中泉)
・中埜又左衛門(4代目、命祺の息子で、中野家に養子、さらに野を埜に改姓)滋養健康のため乳牛を飼い、後に牧場経営 知多酪農のさきがけ。盛田善平(又左衛門の甥)と共同でビール製造、のちに丸三麦酒、加冨登(カブト)麦酒に変更
・盛田善平 久左衛門家の分家 ヤマイズミ 敷島屋製粉工場 敷島製パン
・中野半左衛門 丸三麦酒取締役社長
・小栗冨治郎(初代、寅吉、主家は中埜家)味醂の醸造、酒造業(中埜酒造の元)亀甲冨醸造 半田市で日本最初の陸海軍統合大演習、冨治郎邸が明治天皇の大本営に。跡地は現在酒の文化館
・小栗冨次郎(初代の次男、幾次郎、三代目)亀甲冨醤油、小栗時計会社、名古屋で貿易商小栗商店と小栗銀行、台湾塩再製塩工場、知多紡績社長、加冨登麦酒の取締役 貴族院議員、本宅のほか、東京、名古屋(東別院南)、大阪、神戸に小栗御殿と呼ばれる屋敷。日露戦争後の不況で没落
・小栗信冶 加藤周三郎の義弟で、彼から加藤時計製造所を譲渡、小栗時計製造所と改称、終戦後廃業。
・小栗三郎 冨治郎と姻戚関係はない。冨豪 肥料・雑穀の卸売り、萬三商店(マンサン)
三郎宅は半田の名所。大本営のとき、有栖川宮熾仁親王が宿泊する
・盛田昭夫(15代目だが家督は継がず、命棋の曾孫)
友人と東京通信工業(ソニー)設立で盛田家は出資・経理担当者派遣
(写真はミツカン本社、社長邸)
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